踏み出せなくて
クレア:支援魔法士
ジル :剣士・パーティーリーダー
カナシュ:クレアの前パーティーリーダー
セイリア:クレアの前パーティーメンバー
近頃クレアはジルに口説かれていた。
ジルからの好感が低い状態で始まったパーティー加入だが、一年経つ今では信頼を通り越えて愛情へ突き抜けていた。
メンバーはジルを応援していて、こうしてたまに場をセッティングされることがあった。
クレアの方も、ジルに惹かれてはいた。
ただカナシュの件があって、未だに新しい恋には臆病になっていた。
「恋人と言っても無理を押し付ける気はないよ。
希望を擦り合わせて将来を見据えた交際がしたい」
ジルの意見はクレアがカナシュへ望んだそのものだった。
ジルとクレアは本当に気が合った。
考え方が似かよっていて、お互いの言葉を聞き、客観的に見ることで違う見方を提示できた。
二人で居ることで長所を伸ばしあえる。
――まるでカナシュとセイリアのようだ。
二人はクレアが抜けて少ししてから恋人になったらしい。
クレアは風の噂で知っている。
クレアが臆病になっているのはある。
加えて自己への不安もあった。
カナシュに似ていないジルを求めて当てつけようといないか。
あるいはセイリアとカナシュの関係に、自分とジルを重ねているのではないか。
吹っ切れたつもりでも未練があって、ジルを利用しようとどこかで考えていないか。
それが怖かった。
ジルは誠実で、自分の心の穴を埋めるために利用したくない。
クレアは服の中に隠したペンダントを握った。
回復魔法を織り込んだアイテムで、戦況を一転させるだけの効果がある。
使い捨てとしては高価だが、いざと言う時の安心感のために持っている保険だ。
それを触っていると気が紛れる。
カナシュのパーティーを抜ける一件で消費してしまったので、形を変えて買い直した。
「ごめんなさい。
私、こういう仕事をしている間は恋愛を考えたくないの」
「辞めたら考えてくれる?」
「まだ辞めたくない」
「今じゃなくていつかで良い」
「そんな頃にはもう他に好きな人ができてるんじゃない?」
「自分が自然体でいられてクレア以上に惹かれる人と巡り会える気がしない」
「……熱で盲目になっているのよ」
「クレア」
ジルの眼差しは真っ直ぐで、クレアは目を逸らせなかった。
「逃げないで向き合ってくれないか。
理由が……不安があるなら教えてほしい。
解消できるように努力する」
「ジル……」
クレアは思いを吐き出しかけた。
わっ、と近くのテーブルから歓声があがり、クレアは開いた口を閉じた。
彼らはクレア達と関係なく雑談に盛り上がっている。
ジルは騒がしい酔払い達を睨んで舌打ちをした。
「もっと静かな場所が良かったな」
「私が着いていかないって知ってるからここにしたのよね?」
「……静かな店へ移動しないか」
「行かないわ。
おやすみなさい」
「……おやすみ。
悩みがあるなら、頼ってほしい」
クレアは自分の飲食の分だけお金を置き、小さく手を振ってジルを残して酒場を出た。
クレアとカナシュは同郷の仲間だった。
魔物の襲撃で互いに孤児になり、距離が縮まったのはそこからだった。
勇気があるが周りが見えないカナシュ。
慎重で一歩踏み出すのに時間がかかるクレア。
行動を伴にしてみると、二人は意外なほど相性が良かった。
カナシュは周りが見えないだけで、人の話は聞き入れてくれる。
正義感が強いため、状況によっては制止を降りきって危険な場へ飛び込むこともままあったが、クレアのサポートで乗り越えてきた。
クレアもまた思いきりが良くないだけで臆病ではない――現在は恋愛に臆病だが、戦闘ではそうではない。
上辺だけの可能性に囚われて動けなくなりかけても、カナシュの自信に満ちた誘いで歩み続けられた。
走り過ぎるカナシュをクレアが引き止め、立ち止まるクレアの背をカナシュが押す。
ペアで頑張っていた二人に仲間が増えていき、その頃は上手くやれていた。
勢いづいたメンバーが多く、クレアは口うるさい小姑のようだったが、同時に安全ロープとして必要とされてもいた。
良くも悪くも、クレアはメンバーにとって子供達の世話をやく母親のような立場だった。
そのバランスに亀裂が走ったのはセイリアが加入した後だった。
セイリアはカナシュと並ぶほどの正義感の強い猪突猛進な熱血だった。
相手が一人なら――カナシュだけならクレアの言葉は通じた。
カナシュが足を止めかけても、セイリアが止まるなと歓声を上げながら駆けていく。
待てと追いかけていたはずのカナシュは、最終的には負けないぞとセイリアと競争しながら走り去る。
不思議と、危険で成功率の低い仕事も成功に終わっていった。
勿論無傷ではないが、クレア以外のメンバーは満足気に勝利を味わっていた。
一番分かりやすく影響を出したのは資金面だ。
破損、治療、弁償、装備の更新、次の仕事への準備金――パーティー資金はかつかつで、成功報酬から天引きなんて交渉をしたことすらある。
逆に難しい依頼を達成して大儲けの場合もあったが、出ていく時は一瞬だった。
もしものために貯めておきたいというクレアの言葉は全く届かなくなった。
宿が取れなくて町があるのに野宿だとか、携帯食が用意できずに採集しながらなんてこともあった。
アイテムはパーティー資金分では足りないので、クレアは自費で保険として忍ばせていた。
それも毎回全部使いきり、すぐに『クレアが予備を持っているはず』に変わった。
『次は持っていけない』と宣言したその『次』の時、パーティーは壊滅状態になった。
それでも彼らは難しい依頼を達成したと満足そうで、楽しげで。
クレアの精神はどんどん軋んでいった。
無茶を続けて誰かを失うかもしれない。
死ななくとも治せないほどの傷を負うかもしれない。
それどころか全滅したら。
クレアは恐怖で更に慎重になり、逆に賛同者を得たカナシュは更に潔くなった。
二人の意見は合わなくなり、多数決のようにクレアの意見は置き去りになった。
それでも仕事の結果としては成功に終わっていた。
分かりにくい影響としては心証があった。
無理のある討伐は、救った人達にはものすごく感謝される。
信頼を得て好かれている。
しかしその無茶で迷惑の掛かった人には当然煙たがられている。
加えて無理なものを無理だと断ろうとしたクレアが、『薄情』という二つ名を付けられた。
その被害はクレアだけでない。
適正でない仕事を正当に断った他のパーティーが嫌味を言われて見下されることが増えたらしいと聞く。
『お前らが無茶するせいで』と嫌われ、傷付くのはクレアだけだった。
カナシュを始めとするパーティーメンバーは、何も悪いことはしていないと堂々と跳ね返していた。
――確かに、何も悪いことはしていない。
だから、良いとか悪いとかではなく、クレアにはもうパーティーに居るのは無理だった。
合わないのだ。
それは恋人としても同様で、カナシュはクレアの慎重さを、次第に重く見てくれなくなっていった。
クレアの意見よりセイリアをはじめとする他メンバーを優先し、二人の将来のために少しづつでも貯蓄をする計画も崩れた。
クレアは妊娠したくないからと体の関係を持たなかったが、カナシュはそれにも不満を大きくしていった。
貯蓄がなく家を買う計画も立たず、それどころか宿が取れない時もある。
――例えばクレアが妊娠したとして、帰りを待てる場所はない。
戦闘中にお腹の中の子を殺してしまうなんてことはしたくなかった。
何より恋人がいつ死ぬか分からない不安に苛まれるのはもう限界だった。
クレアは大事な人を失う恐怖に立ち向かうより、大事な人を大事じゃなくする道を選んだ。