番犬採用
ジュンタとミヒロを見送ってからサツキは夕飯を作るためにキッチンに入って行った。
サツキを近くで見ようとユースケもサツキに着いてキッチンに入ろうとすると、
「待て」
ミサキに襟首を掴まれて追い出された。
「手伝おうかと・・・」
「大人しくしてろ」
しょうがなくユースケはジュンタの漫画を読んでいるエイシの隣に座り一緒に漫画を読み始めた。
キッチンからはトントンと心地よい音が聞こえてくる。
ユースケはなんとも心地よい穏やかな気持ちになった。
ご飯が炊ける匂い、味噌汁の匂い、ジューという音と共に生姜の焼ける食欲をそそる匂い。
すべてがユースケの心をぽかぽかさせた。
ぼーっとキッチンを見つめるユースケにエイシは問いかけた。
「ユースケは親御さんが夕飯用意してないのか?」
「あー…俺ん家は父子家庭なんで…」
家庭の話しを人にするのはいつぶりだろう
「お父さんは?」
「親父はほとんど帰って来ないっすね。元々家にあまりいなかったけど、母親が死んでからは年に数回しか帰って来ないっす」
ユースケの人生において父親は生活に必要なお金と住む場所を与えてくれる存在でしかなかった。
「そうだったのか、俺たちは両親が事故で亡くなってるんだ…少し似ているな」
エイシはサツキによく似た愛嬌のある笑顔で笑った。
確かにこの家にはサツキ達兄弟の雰囲気しかない
「普段の食事は?」
「適当に弁当買ったり自炊してる…あ、たまにジュンタの母ちゃんがおかずくれます」
「ああ!俺たちも昔はよくおかずもらって助かったなぁー!」
「ジュンタの母ちゃん料理うまいっすよね」
「俺は里芋の入った煮物を貰えると嬉しかったな」
「あれうまいっすよね」
エイシは見た目に反して穏やかな性格であるとユースケは思った。
「おーい!ご飯できたぞー!」
サツキが味噌汁の乗ったお盆を持って笑顔で声をかける。
エイシとユースケも話しを中断してダイニングに移動した。
「そこはリュウ兄の席だからユースケはカズ兄の席な!」
サツキがポンポンと背もたれを叩いた席にユースケは座った。
ほかほかの白いご飯に豆腐・わかめ・油揚げの味噌汁。千切りキャベツと生姜焼き。
何の変哲もない夕飯。
しかしユースケにとっては誰かが作った出来立ての温かい夕飯は母親が生きていた頃の記憶しかなかった。
「いただきます!」
明るいサツキの声にユースケは箸を取る。
「いただきます…」
ユースケは手を合わせてから味噌汁に手を伸ばす。
ダシと味噌の香りを吸い込んで、一口すすった。
うわ、うめぇ…
白い炊き立てのご飯を手に持ち、生姜焼きを食べてご飯を食べる。
あったかいな…
ポロ…
ユースケの箸を持つ手に温かい雫が落ちる。
なんだこれ…
生姜焼き、ご飯、味噌汁と順番に口に運ぶ。
うめぇ…
「ユースケ?」
隣を見ると心配そうにサツキが顔を覗き込んでいる。
「どうした?口に合わないか?」
サツキは不安げに眉を下げている。
そんな顔まで綺麗なんだな…
「は、腹でも痛いのか?」
エイシもサツキと同じ顔でオロオロしている。
ミサキも驚いたように目を丸くしている。
「いや…すごくうまい」
「どうして泣いてるんだ?」
サツキはティッシュでグイッとユースケの頬を拭う。
は?泣いてる?
自分の目元に触れると確かに濡れている。
「え、え?」
ユースケは慌てて自分の頬を手で拭った。
「飯があったかいと思って…すげぇうまくて…」
ふわふわとした感覚の中で慌てて言葉を紡ぐ。
泣くなんて母親の葬式以来だった。
エイシは先程ユースケから聞いた家庭の事情が頭に浮かんだ。
「ははっ!誰かが自分のために作ってくれたご飯はうまいよな」
エイシがわしゃわしゃとユースケを撫でる。
「すげーうまいっす…」
なにか事情があるらしいことを察したミサキはそっと見守ることにした。
サツキは、
「私の生姜焼きがうまかったのか?泣くほど?」
と混乱している。
「ユースケもお母さんを事故で亡くしてるんだってさ。きっと懐かしくなったんだろう」
ははっとエイシが笑う。
「そうか…」
サツキは少し寂しそうな顔をしてユースケの頭を撫でた。
「兄弟やお父さんはいないのか?」
「兄弟はいない、親父はほとんど帰って来ないな」
「そうか…1人で頑張ってきたんだな」
サツキは自分には兄達がいるけどそうじゃなかったら…と考えると涙が出てきた。
「おい、なんでお前が泣いてるんだよ」
ユースケはポロポロ涙を流すサツキにぎょっとした。
「だ、だって兄ちゃんもいなくて一人ぼっちだと思ったら…かなしくて…」
グスグスと手で涙を拭うサツキ。
「サツキには兄ちゃん達がいるだろ?」
ユースケは涙を流す綺麗なサツキの頬を手で拭う。
「そうだぞサツキ!俺たちがいるんだから寂しくないだろ?」
「お前、サツキ泣かせてんじゃねぇよ」
ミサキが席を立ちぺしっとユースケの頭を軽く叩く。
エイシがサツキの頭をくしゃくしゃと撫でる。
「でも…ユースケにはいないから…」
サツキはミサキにお鼻チーンしろと言われて鼻水と涙を拭いてもらった。
サツキが泣くの久しぶりだな…
最後に慰めたのは近所の野良猫に引っかかれたときだったな〜とミサキは懐かしいことを思い出しながらサツキの涙と鼻水を綺麗にしていく。
落ち着いたサツキが
「ユースケもこれから一緒にご飯食べたらいいと思うけど…」
とつぶやく。
「「え?」」
ミサキとエイシはぎょっとして顔を見合わせる。
「な、なあサツキ勝手にそんなこと決めるとカズ兄とリュウ兄怒るんじゃないか?」
「た、たまに夕飯に誘うくらいにしたらどうだ?」
「えー…」
サツキはユースケの顔をチラリと見る。
「俺、サツキとご飯食べたい…」
捨てられた犬のようにユースケがサツキの袖を掴む。渾身のしゅんとした顔を演じて。
「ほら!ユースケかわいそうじゃん!ウチで飼ってあげようよ!」
「待て待て、サツキ!そいつ犬じゃねーぞ!演技してるオオカミだぞ!?」
「ちゃんと面倒見るから!」
「ユースケは人間だから!たまに一緒に夜飯食べるだけでいいだろ!?」
「おい何騒いだんだ!玄関まで声聞こえてたぞ」
リュウジが眉間に皺を寄せてリビングに顔を出した。
「お帰りなさい!」
サツキが笑顔でリュウジに駆け寄る。
「ただいま」
リュウジはポンポンとサツキの頭を撫でてまた眉間に皺を寄せた。
「お前泣いたのか?」
少し目と鼻が赤いサツキに敏感に気がついてギロっとユースケを睨みつける。
「お前誰だ?サツキを泣かせたのはお前か?」
リュウジはゆらりとユースケの方に体を向ける。
この人が1番やべーな
ユースケも敏感にリュウジの怒りと強さを察知。
「東野裕介、サツキの友達です」
変なこと言うとサツキの近くにいられなくなりそうだと考えながら言葉を選ぶ
「俺の家庭環境を知って悲しくなってしまったらしいっす」
リュウジは疑いの目でユースケを見る。
「リュウ兄、ユースケはお母さん亡くなってて、兄弟がいなくてお父さんもあまり帰って来ないらしいんだ。だからこれから一緒に夜ご飯食べないか?って話ししてたんだ!」
サツキが爛々とした瞳でリュウジを見る。
この目にリュウジは弱かった。
サツキから目を逸らし近くで様子を見守っていたミサキとエイシに説明を求める視線を送る。
「あー…今日サツキの友達が遊びに来てたんだけど…」
ミサキが順を追って説明を始めた。
途中ユースケがサツキを抱きしめた件では、リュウジはギロっとユースケを睨みつけながら最後まで説明を聞いていた。
「事情はわかった。だけど毎日連れてくるのはダメだ。」
ガーン
という音が聞こえてきそうなほどサツキとユースケはショックを受けている。
「ど、どうして?ユースケ1人でご飯食べるの寂しいと思うんだ」
サツキがリュウジの腕を揺さぶる。
リュウジはうーんと少し考え、
「今日友達になったばっかりなんだろ?もっと仲良くなったら家に呼びなさい。」
と言った。
「じゃあ、サツキともっと仲を深めて良いってことっすよね?」
いつのまにか立ち上がっていたユースケがサツキの手をグイッと引いて肩を抱いた。
「わ!?」
「おい!その手を離せ」
リュウジがすかさずサツキの手を掴んで引き戻す。
「おふ!?」
サツキがいちいち声を出しながらリュウジの腕の中に収まった。
「お兄さん達の目が届かないとこで何かされるよりも目が届くところで見張ってたほうが懸命じゃないっすか?」
ユースケはニッと笑う。
リュウジはサツキをぎゅっと抱きしめたまま睨みつける。
「お前、手ぇ出す気満々じゃねーか」
「サツキは綺麗で明るくて温かいんです…サツキのこと守るんで側にいちゃだめっすか?」
キツく抱きしめられ続けているサツキは苦しそうにもぞもぞ動いている。
確かに登下校に1人になる事を心配はしていた。
しかしコイツも危険な男だ。
リュウジの頭の中はリスクを天秤にかけて忙しく動く。
ミサキとエイシもハラハラしながら見守っている。
抱きしめられているサツキがペシペシとリュウジにギブのサインを送る。
「おう、悪りぃ」
リュウジはパッとサツキを離した。
「し、死ぬかと思った…」
ふぅふぅと涙目で息を吸っているサツキはリュウジが思っていた子供の顔は姿を隠し、少しの色気を感じさせる。
サツキはいつまでも子供だと思ってたが…もう俺が思ってるより大人なんだな…
リュウジは急に胸が切なく傷んだ。
寂しい気持ちに蓋をしてユースケに視線を移す。
冷静に見ると良い男なのが腹立つが、確かに鋭い目つきとガタイの良さはサツキを良からぬ輩から遠ざけてくれそうだ…
「あー…わかった。試用期間1ヶ月、これでお前の事を評価させてもらう。お前がサツキの側にいられる条件は登下校時にサツキに危険が及ばないように周囲から遠ざける事。
手は絶っっ対に出すなよ。これでどうだ?」
「わかりました。1ヶ月後に必ず認めてもらいますよ」
ユースケは強い意志の籠った目でしっかりとリュウジを見据える。
「ああ…二言はねぇ」
「リュウ兄、良いって事?」
サツキが爛々とした目でまたしても聞いてくる。
こういうところはまだ子供っぽいな…
と少し安心してポンとサツキの頭に手を置く。
「ああ…あいつの様子を1ヶ月見てから決める事にしたよ」
「おお!やったなユースケ!!」
サツキは嬉しそうにユースケとハイタッチをし、
エイシとミサキは暴力沙汰に発展しなかったことに胸を撫で下ろした。
「ごはん食べよーぜ!」
サツキはリュウジのごはんを用意しにキッチンに入って行った。
各々が席に戻り、リュウジは手を洗いに洗面所に向かう。
「おい、ユースケ!お前度胸あるな!」
エイシがコソコソと笑いながらユースケの頭をわしゃわしゃ撫でた。
「うす」
「ほんとだよ。リュウ兄が1番説得難しいと思ったのに」
ミサキも呆れたように笑った。
「何はともあれ、サツキのこと頼むな。俺たちじゃ目の届かないところが心配だったんだ。」
「サツキの自衛手段も限界があるからさ。防犯ブザーと護身術も少し使えるな…あと運動神経はいいから足は速い。けど男の力で無理矢理どうにかされたら敵わないからな」
エイシとミサキは手さえ出さなければ良い番犬が着いたと思っていた。
「サツキは喋り方はまぁアレだが可愛いだろ?変な奴に声かけられたり誘拐未遂も何度かあってなー」
エイシは険しい顔をする。
「俺達が近くにいても声かけてくる奴もいるんだぜ?気が気じゃねーよ」
ミサキもため息をつく。
「綺麗な顔と引き換えにサツキも苦労してるんすね」
ユースケもサツキを守る役目に気を引き締めた。
「ユースケはおかわりいる?」
ぴょこっと顔を出すサツキにお茶碗を渡すと大盛りのご飯が盛られて戻ってきた。
サツキの側にいられることになったし、飯はうまいし俺は幸せかも…
こんな事を考えている自分を意外に思う。
ユースケは自分のことを冷めた人間だと自覚していた。他人に興味を持つこともないし、自分に何か言われても何も思わない。
その方が生きるのが楽だったから。
だけどサツキの側はぽかぽかするのだ。温かい気持ちは人らしい感情が湧いてくる。
サツキを綺麗だと思った。
他人と過ごして楽しいと感じた。
サツキの側にいたいと思った。
ご飯がおいしいと思った。
母を懐かしいと思った。
人の涙を見て焦った。
自分のために泣いてくれたことが嬉しかった。
自分にも感情が残っていたのだとユースケは初めて気がついた。
リュウジとサツキも席に着き、賑やかな食事が再開した。