第7話 お弁当式夕食
台所ではしっかりy人を中心に、y人達がネコ兵の夕食作りに、忙しく働いていました。
「じゃあ、このパックに、混ぜご飯を入れてください」しっかりy人が、泣き虫y人にしゃもじを渡します。
「もー、どうしてよっ!」トマトを洗っていた変人y人は、怒って叫びました。
「何だ、変人。うるさいなあ」
「どうして変人は、台所にいないといけないのっ!ネコ兵に、全然会えないじゃあないのっ!」
皆、変人y人を無視して、黙々と働く振りをします。
「僕も見に行きたいな、最先端の装置」写真家y人も、使い終わった用具を洗いながら言いました。
「変人、早くトマトを洗ってよ。サラダが作れないじゃあないか」ドジy人が催促します。
「ちょっと!皆、聞いているのっ!」
「仕方ないだろう、クーニャ様のご命令なんだから。それに、ネコ兵も忙しくて、変人の相手なんかしてくれないよ、どうせ」暗がりy人が言いました。
「何よ、それっ!」変人y人が、暗がりy人を睨みつけました。
「ほら、変人、早く仕事して。早く済ませば、それだけ会いに行けるチャンスが増えるかも知れないよ」しっかりy人です。
「っんもう」
変人y人は不機嫌そうに、またトマトを洗い始めました。
「しっかりy人、お弁当は十一匹分でいいの?」おちょうしy人が聞きました。
「うん、本部にいる隊員達の分だけだそうだから」
「外で働いている、隊員の分は?」
「皆、それぞれ外で食事をするそうだよ」
「大変だね。寝る時間とか、あるのかなあ」
「シフト制になっているんじゃあないの?昼と夜の、二班に分かれてさ」
「ミーニャ様、早く見つかるといいね」
「あら、そうしたら、ネコ兵さん達は、早く帰っちゃうってことじゃあない?」
うたがいy人が、ジロリと疑いの目で、変人y人を見ます。
「何だ、変人。もしかして、ミーニャ様がなるべく遅く見つかるように、なんて願っているのか?」
「違うわよ、いやあねえ。勿論、ミーニャ様には、一刻も早くお会いしたいと思っているわ。でも、そうするとネコ兵が…」変人y人はしばらく考えます。「ネコ兵には、長くいてもらいたいけど、そうするとミーニャ様が…。あーあ、乙女心って、複雑ね…」
そう言って、ため息をつく変人y人を、皆が白い目で見つめます。
「あら、どうかしたの、皆?」
「乙女心って、お前、オスだろう」うたがいy人が、呆れたように言いました。
「なによっ!失礼ねっ!もう知らないっ!」
変人y人は乱暴に、洗ったトマトをざるにあけました。そして、静かになったと思うと、突然大声で泣き出しました。
「ワーッ!ひどいわ。何よ、どうせいつも皆で、変人のことをバカにしているんだから…」
皆、変人y人の方を向いて、困り顔です。
「違うよ、変人。僕達は別に、バカになんかしていないよ」
「そうだよ、そんなんじゃあないよ」
「バカにしているんじゃあなくて、事実を言っているまでで…」
「ワーッ、何よー!」変人y人は、更に大声を出して泣き続けます。
「うるさいですね、どうしたのですか?」
その時、クーニャが台所に入ってきました。
「あっ、クーニャ様」
「どうしたのです、変人y人。何かあったのですか?」
「ク、クーニャ様…。ワーッ!」
「僕達は、変人が乙女じゃあないっていう事実を、話していただけです」
暗がりy人は、クーニャに成り行きを説明しました。
「ああ、もう、変人y人。泣かないでください。分かりましたから。別に、乙女じゃあなくても、乙女心を持つのは、悪いことではないと思いますよ」
変人y人はエプロンで涙を拭きながら、顔を上げました。
「クーニャ様、それって、変人を慰めてくださっているの?それとも…」変人y人は疑いの眼差しでクーニャを見て、言いました。
「勿論、慰めているんです。ほら、とにかく今は、ミーニャ様の捜索を、何よりも一番に考えて、そのためにちゃんと働いてください。分かりましたね」
「はい、分かりました…」
変人y人は、納得したように頷くと、ようやくトマトを、サラダを作っているドジy人に渡しました。
「しっかりy人、そろそろお味噌汁も、用意できますよ」だまされy人が言いました。
「それじゃあ、十一匹分よそってください」
「漬け物もよそらないとね。ああ、小皿を取ってくれる?」
「このパックには、魚の煮物…、と」
皆も、また仕事に戻りました。
「クーニャ様」変人y人が、大人しい声で言いました。
「何ですか、変人y人」
「誰が、お弁当を本部までお運びするの?変人、お運びしても構わないけど?」
うたがいy人が、ジロリと変人y人を見ました。
「いや、いいです。他の誰かに、頼みますから」
クーニャの言葉に、変人y人は赤らみました。
「どうしてっ!クーニャ様、どうして変人は、本部に行っちゃあいけないのっ」
「僕も、行きたいです」写真家y人です。
クーニャは二匹をじっと見てから、きっぱりと言いました。
「隊員の方達の、邪魔をさせないためです」
「どうして、そんなことを言うの?変人、大人しくしているわ。本当よ、絶対」
それでも、クーニャは首を振ります。
「駄目です。変人y人と写真家y人は、台所に待機」
「ひどいっ!」
「うるさいぞ、変人。自分でまいた種だろう」うたがいy人です。
「どういう意味よ!」
「クーニャ様…」
写真家y人は、がっくりと肩を落としました。その姿が、何だかとっても痛々しくて、クーニャはちょっと、写真家y人が可哀想に思えてきました。肩を落としたまま、仕事に戻る写真家y人を見ながら、しばらく考えて、クーニャは言いました。
「いいでしょう。それでは、写真家y人。夕食を運ぶのを手伝ってください」
写真家y人は、パッと振り返って、
「本当ですか、クーニャ様!」
「ずるいっ!どうして、写真家だけなのっ!」変人y人が叫びました。「そんなの、不公平よ!ずるい、ずるいわ!」
クーニャは、ため息をつきました。
「分かりました。それでは、変人y人も手伝ってください」
「キャーッ♪」変人y人は飛び上がって、嬉しさのあまりに踊り出しました。
「変人y人、静かに」しっかりy人が、変人y人をたしなめます。
「ただし」クーニャは続けて言いました。「ただし、写真家y人。カメラは置いていきなさい」
一瞬、写真家y人の顔が凍りつきましたが、それでも嬉しそうに頷きました。
「はい、分かりました」
「そして、変人y人」今度は変人y人の方を向いて、クーニャは言いました。
「はい、なーに?」
クーニャは一息置いてから、静かに言いました。
「化粧を、落としなさい」
ブーッ。だまされy人が、味見をしていたお味噌汁を、噴き出してしまいました。そして皆、笑い出しました。
「ニャハハハ…」
「フヘヘヘ…」
「何よ、皆、止めてよ!」変人y人は、真っ赤です。「ひどいわっ、クーニャ様!」
クーニャは少し困ったような顔をして、言いました。
「今日は、特に化粧が濃いようですから。それから、鏡も置いていくように」
皆は、まだ笑っています。
「やっぱり、皆で、変人をバカにしている…」
「違うよ、変人」おちょうしy人が見兼ねて、変人y人を慰めます。「そうじゃあないよ。ちょっと今日は、いつもよりも派手だからだよ。本部の中は、真剣な雰囲気だろうから、場に合わないっていうだけだよ。それに変人は、化粧なんてしなくても、十分個性的な顔だよ」
途端に、変人y人は嬉しそうにうつむいて、微笑みました。
「あら、そんな…。おちょうしさんったら」
音y人は、笑いすぎで息を切らしながら、そっとエプロンで涙を拭きました。
「分かったわ、クーニャ様。変人、顔を洗ってくるわね」
そして変人y人は、急いで台所を出て行ってしまいました。
「単純な奴」
皆、呆れ顔です。
「クーニャ様、良いんですか?変人を本部に行かせても」暗がりy人が、心配そうにクーニャに聞きました。
「仕方ありません。でも、私と、それからしっかりy人も、一緒に行くので、大丈夫でしょう」そう言うクーニャも、ちょっと心配そうです。
だまされy人は、お味噌汁をよそりながら、誰となく言いました。
「変人も化粧病になってから、言葉も仕草も、女みたいになりましたよね」
「きっと、彼の頭の中では、もう自分がオスかメスか、分からなくなっているんじゃあないの?それとも、両方混ざっているのか」
「え?混ざっているんじゃあなくて、メスだと信じているんじゃあないの?」
「どんどん、化粧が濃くなりますしねえ」
「洋服だって、完全に女物だよ。変人の洋服ダンスに入っているの」
「恋に落ちるのも、オスの猫だしね」
「猫だけじゃあないよ。犬にでも何にでも、かっこう良いものには、みんなだよ」
「まったく、困った変人だね」
「ほら、変人y人のことよりも、お弁当の用意を、しっかり頼みますよ」
また話に花を咲かせているy人達を、クーニャがうながします。
「はい、クーニャ様。もうほぼできています」
「あとは、それぞれのパックを一つにして」
「ドジy人、サラダをのっけて。ワゴンに全部のるかなあ」
「お味噌汁は、こっちに。はい」
「お待たせ」
変人y人が台所に戻ってきた時には、お弁当式夕食の準備は、すっかりできあがっていました。
「あら、もう全部用意できたの?」
うたがいy人が、変人y人の顔をジロジロと見回しながら、
「本当に、化粧を落としてきたのか?まつ毛が、異様に長いようだけど?」
変人y人は鏡を取り出して、自分の顔を覗き込みながら答えます。
「あら、付けまつ毛くらいしないと。これは、化粧に入らないでしょう?」
「変人y人、鏡は置いていくようにと、言ったでしょう」クーニャです。
「分かっていますって、クーニャ様。ちゃんと本部に行く前に、置いていくわ。最終チェックをしているだけ」
y人達は、変人y人を見て、呆れたように首を振ります。その時、台所の置き時計のベルが鳴りました。
「あ、もう七時ですよ。さあ、本部に早く夕食を運びましょう。写真家y人、変人y人、それぞれワゴンを押してください。しっかりy人も頼みますよ」
「はい」
三匹はエプロンを脱いで、壁のフックにかけると、ワゴンを押す準備をします。
「残りのy人達は、食後のデザートと、お茶の用意をしておいてください。それでは、行きましょう。写真家y人、カメラを置いていきなさい」
クーニャに言われて、写真家y人は慌てて、首にかけていた一眼レフカメラを外しました。そして、三匹のy人達は、ネコ兵隊のお弁当式夕食をのせたワゴンを押しながら、本部がある会議室に向かって行きました。
本部に行く途中、変人y人はルンルンです。
「変人y人。もうちょっと、真剣になりなさい。ネコ兵の猫達は、ミーニャ様捜索のためにいらしているんです。遊びに来ている訳ではないのですよ」クーニャが、変人y人を注意します。
「ごめんなさい、クーニャ様。分かってはいるんですけれど、顔が言うことを聞かなくて」
変人y人の横で、写真家y人も申し訳ないような顔をしています。
「ごめんなさい、クーニャ様。大変な時だって、分かってはいるんですけど、最先端の装置が、どうしても見たくって」
さて、本部の中は、相変わらず忙しそうです。ペイがヘッドホンをつけたまま、隊長の所に駆けつけてきました。
「隊長!ナオミの班からの連絡ですが、あの日に交通事故で亡くなった、猫の身元確認をして、ミーニャ様ではないと、確認できたそうであります」
本部の中に、隊員達の喜びの声が沸きあがりました。
「そうか、よかった。間違いないのだな」隊長は、ほっと息を吐きました。
「はい、毛並は非常によく似ておりましたが、亡くなったのは、七十八歳になる、この町に来たばかりの、野良猫だったようであります」
「病院送りになった、猫達の詳細は、どうだ」
「はい、そちらも、一つ一つ確認できているようでありますが、今の所、ミーニャ様らしき猫は、見つかっていないようであります」
「そうか。しかし、何よりも交通事故にあった猫が、ミーニャ様でないと分かって、良かった」隊長は、安心したように微笑みました。
「その他にも、様々な場所で、目撃情報が出てきていますが、ほとんどが、可能性の少ないものばかりであるようであります」
「隊長!」今度は、違う隊員が叫びました。「ユニの班から、連絡が入りました。田中家の飼い犬、しばの目撃した人間の情報です!」
隊長が、叫んだ隊員の方へ駆け寄ります。
「よし、ユニにつないでくれ」
ジージー。例のごとく、電波音が本部内に響きます。
「ハロー、ハロー、こちら本部だ。ユニか」
「はい、隊長。ユニです」ユニの声が、スピーカーから響きました。
「田中家の犬、しばの目撃した人間について、何か分かったのか」隊長が尋ねました。
「はい、隊長。しばの証言を頼りに作成した、人間像を頼りに、ご命令通りに三丁目と五丁目を中心に捜索しまして、この人物の病院後の足取りをたどっています。今までに得た情報によりますと、この人物は、どうもこの付近の者のようですね。病院を出た後、ムーンライト商店街にある、ペットショップに寄ったようです。不審な、タオルに包まった物を持った人間が、店に入って行くのを、近くの電線にとまっていたヒヨドリが、たまたま目撃していました。この人物は、しばの証言と一致しています」
「その人物の身元は、分かったのか」
「いいえ、それが、目撃者はどれも、この人物との面識がないものばかりでして、まだです」
「そうか。とにかく、急いでこの人物の身元解明をするように。また何か分かり次第、すぐ本部に連絡するように。ご苦労」
「はい、了解しました」
そこで、隊長は電波を切りました。隊長が指示する前に、地図係の隊員は、この人物を示している、人の形をしたマグネットを、病院からムーンライト商店街へと移動させました。隊長はその地図を眺めながら、また考え込み始めました。その時、本部の部屋の扉をノックする音がしました。
トントン。そして、失礼します、とクーニャと三匹のy人達が、夕食がのったワゴンを押して入ってきました。
「夕食を、お持ちいたしました」クーニャが、近くにいた隊員に言いました。
「どうも、ご苦労様です」隊長が、y人達に軽くお辞儀をしました。
それまで、それぞれの持ち場で、仕事に集中していた隊員達が、嬉しそうにy人達を振り向きました。しっかりy人が、お弁当式夕食を、まず隊長に渡しました。
「どうぞ」
「どうも、ありがとうございます。いただきます」
写真家y人も、お弁当を隊員に配り始めました。変人y人は、お味噌汁を配って回ります。
「ありがとうございます」
「いただきます」
隊員達は次々と、お弁当とお味噌汁を受け取ります。お弁当を配っている写真家y人の目が、最先端の装置の前で、ランランと光りました。変人y人の目も、隊員達の前で、ランランと光りました。クーニャは何か起こりはしないかと、ハラハラしています。そんなクーニャの心配を、全然知らずに、隊長はクーニャに話しかけてきました。
「ミーニャ様の捜索は、順調に進んでおります。様々な情報が入ってきていますが、その中でも、一番可能性のあるものを、ただ今、全速力で追跡中です」
クーニャははっとして、そばに立っている隊長に気付きました。
「はい?あ、そ、そうですか。それは良かったです」
y人達に気をもんでいたクーニャは、突然の隊長の言葉に、しどろもどろです。隊長はそんなクーニャを見て、今回の色々な出来事での疲れが、クーニャをまいらせているのだろうと、勝手に勘違いして、クーニャを気の毒に思いました。そして言いました。
「クーニャ様。あなたの責任の重さは、分かります。が、しかし、ご自分のお体のことも、考えなくては。このままでは、疲れで倒れてしまうかもしれません。ミーニャ様がお戻りになられた時、元気なお姿でお迎えしてあげることも、大切なことではありませんか」
「はい?」
クーニャは、隊長の言葉を、すぐには理解できないでいます。
「後のことは、我々に任せて、どうか少しお休みになってはいかがですか」
クーニャは、隊長が何を言っているのか分からないまま、隊長のいたわりの眼差しに見つめられ、何だかそれでも返事をしてしまいました。
「は、はい、どうも、ありがとうございます…」
「どうぞ」色っぽい声がして、変人y人が、お味噌汁を隊長の所に運んできました。
「ありがとうございます」
隊長は軽くお辞儀をして、お味噌汁を受け取りました。ランランと光っている、変人y人の眼差しに、全く気付いていないようです。
「隊長さんって、筋肉がついていて、たくましいのね」変人y人が、隊長の体を、上から下までジロジロ眺めながら、言いました。
「はい?」
隊長が変人y人に返事をしようとするのを、クーニャが慌てて止めました。
「ほ、ほら、変人y人。ご用が済んだのなら、もう行きますよ。隊員の皆様のお邪魔にならない様に」
クーニャは急いで変人y人の背中を押して、本部から追い出そうとします。ふと見ると、写真家y人も最先端の装置の前で、熱心に隊員の一匹と話をしていました。
「ほら、写真家y人も、もう行きますよ。しっかりy人、写真家y人を連れてきてください。それでは皆さん、ごゆっくり夕食をお召し上がりください」
クーニャは、そそくさと隊長にお辞儀をすると、しっかりy人に目で合図しました。
「ちょっと、クーニャ様」変人y人が不満そうに言います。「ワゴンはどうするのよ?」
「そのままでいいです。隊員の方が食べ終わったら、食器を置くでしょうから」
そして、クーニャが変人y人を、しっかりy人が写真家y人を押すように、本部から出て行きました。そんなy人達の姿を見て、ペイが隊長に言いました。
「何だか、クーニャ様は、かなり疲れていらっしゃるようでありますね。いつもの落ち着きも、なくなっているようでありますし」
隊長も頷きながら、言いました。
「うむ。一刻も早く、ミーニャ様を見つけてさしあげなければ」そう言って、お味噌汁を一口飲みました。
隊員達が夕食を終え、三色アイスクリームのデザートを食べている頃でした。(デザートは、変人y人と、写真家y人以外の者が、運びました。)突然、緊急用の赤ランプが点滅して、ユニの声がスピーカーから聞こえてきました。
「こちらユニです!緊急情報です!」
本部の中は、急にあわただしくなりました。ゆっくりとデザートを楽しんでいた、数匹の隊員達が、慌てて残りのアイスクリームを、一度に口にかきこみます。
「ペイ!すぐにこっちにつなげろ!」
隊長が叫んで、近くに置いてあったヘッドホンをひったくると、頭にかぶりました。
「うわ〜っ!」
突然、本部に苦しみの叫び声が響き渡りました。それは、苦しみの末に吐き出された、うめき声のようでした。急いでそれぞれの持ち場に、戻りかけていた隊員達が、その叫び声に、全身の毛を逆立てて、その場に立ち尽くしました。一気に青ざめている隊員もいます。隊長までが、ヘッドホンをかぶったまま、動きを止めてしまいました。
「ああ〜っ!」
皆、声のした方に目をやりました。そこには、両手で頭を抱えて、体を折り曲げて、苦しんでいる一匹の隊員がいました。
「ど、どうしたんだ?」隊長は驚いて、その隊員を見つめました。
すぐ近くにいた隊員が、苦しんでいる隊員に駆け寄りました。
「おい、どうしたんだ!何があったんだ!」
すると、その隊員は、まるで何事もなかったように、すっと体を起こして、「はあ」と安堵のため息をつきました。
「おい、どうしたんだ!」
隊長が厳しい声で尋ねると、その隊員はビクッとして、周りを見回しました。そして、本部の全隊員に見つめられているのに気付くと、赤くなりました。
「おい、どうしたと聞いているんだ!」
隊長が、命令口調で言いました。すると、その隊員は恐る恐る隊長を見上げながら、小声で言いました。
「す、すみません」
「謝るよりも、先に理由を言え、と言っているのだ。何があったんだ」
すると、その隊員は少しためらってから、更に小声で言いました。
「すみません。その、デザートのアイスクリームが…」
「アイスクリームが、どうした!」
「アイスクリームが、その…。いっぺんに沢山飲み込んだものですから、冷たくて頭が痛くなりまして…。我慢しようとしたんですけど、どうしても我慢できなくて…」
「バカモノ!」
それはまるで、稲妻が本部を直撃したようでした。隊長が力の限りに吐き出した、お叱りの怒鳴り声でした。隊員の何匹かは、とっさに頭を抱えてしまいました。
「この非常時に、何たる…、たるんどる!」
隊長の鼻の穴は、怒りで開かれ、全身をブルブルと震わせています。叫び声をあげた隊員は、本能的に身をすくめました。本部にいる隊員達も、恐怖で震え始めました。
「全く、気持ちがたるんどる!アイスクリームで悲鳴をあげるとは、何たる…、たるんどる!」
隊長は、たるんどる、を連発します。そして、その隊員をギロリと睨みつけ、
「きさま、名前は!」と怒鳴りました。
「タ、タイキです」悲鳴をあげた隊員が、涙声で答えました。
「タイキ、きさま、隊に入って何年になる!」
「は、はい、五ヶ月と、二週間です」
「たるんどる!全くなってない!きさまの気を引き締めるために、二週間、ネコ兵隊事務所のトイレ掃除だ!」
タイキは、更に目を潤ませました。
「返事は!」
牙をむき出して、隊長の顔は鬼のようになっています。
「は、はいっ」タイキの声が、裏返りました。
「それに一ヶ月、アイスクリームはおろか、デザート、菓子類は一切禁止!」
タイキの顔が、更に悲惨な表情になります。
「返事は!」
「は、はいっ」タイキは、ほとんど泣き出しそうです。
「ペイ、この若造を、しっかり教育し直すこと。お前の責任でもある!」
「まことに、申し訳ないであります」ペイが頭を下げました。
隊長は、今度は隊員全員を見回しながら、言いました。
「お前達には、この重大事件に対する、しっかりとした認識があるのか!王子様であられるミーニャ様の捜索という、今までにない大事件なのだぞ!王家の歴史を揺るがしかねないほどの、重大事件なのだぞ!分かっているのか!」
そして隊長は、大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせると、普段の声に戻して言いました。
「もっと気を引き締めて、仕事をするように。すぐにそれぞれの持ち場につけ。ペイ、すぐユニにつなげろ」
「はっ!」
隊長の声に、全員素早く持ち場に急ぎます。怒鳴りつけられたタイキも、目に半分涙をためながら、持ち場に戻りました。足が少しもつれています。
ジージー。電波の音が本部内に響きます。
「おいっ!お前、タイキ!」
またまた隊長に怒鳴られて、タイキは泣きべそをかいています。
「は、はい」
「お前は、持ち場に戻らんでいい。お前は、夕食の後片付けをしろ。食器を台所まで返して来い」
「は、はあ」タイキは少し、その場でためらっていました。
「さっさと動かんか!」隊長は、また怒鳴りました。
「は、はい」
「どもるな!しっかり返事をしろ!」
「は…はい、はいっ!」
「返事は、一回だけでいい!」
「はいっ!」
足をもつれさせながら、タイキはワゴンの方に、小走りに駆け寄りました。そして、隊員達の食べ終えたデザートの食器を、震える手で集めてワゴンにのせます。他の隊員達は、タイキに同情の視線を送っています。
食器を回収した後、タイキはワゴンを押して、本部を出て行こうとしました。しかし、ワゴンが二つあるので、うまく扱えません。それでも、もう隊長に怒鳴られたくはないので、彼は一生懸命、それぞれの手にワゴンを掴み、苦労の末に、おしりで本部の扉を押し開けて、やっとのことで部屋を出て行きました。
あわただしい本部の物音が、扉が閉まると同時に、静かになりました。ほっと一息ついて、タイキは歩き出そうとしました。が、シモーン邸のことは、全然分かりません。台所はどこでしょうか。入隊して、訓練期間中に、確かシモーン邸のことを勉強したはずだったのですが…。
「どうしよう、よく思い出せない…」
まだ泣きべそをかいたまま、タイキは呆然とします。とにかく、何とか探してみようと、歩き出すことにしました。しかし、二つのワゴンが、それぞれ違う方向に行こうとして、うろうろとして全然前に進めません。
「うっうっう…。アイスクリームで悲鳴をあげて、怒られるなんて」
二つのワゴンに振り回されながら、タイキは自分が情けなくなってきました。
丁度その時、だまされy人が、廊下の一番奥にあるトイレから出てきました。だまされy人が、ふと見ると、廊下にワゴンとたった一匹で、押しくらまんじゅうをしている隊員がいます。
「あれ、どうしたんですか?」
背後からの声に、タイキは驚いて振り返りました。そこには、y人が立っていました。
「あ、y人さん。良かった」
だまされy人は、半べそをかきながら、安堵の笑いを浮かべる隊員に、近づいていきました。
「どうしてワゴンを、運んでいるんですか?いいんですよ、私達がやりますから」
「いいえ、いいんです。僕がやりますから。でも、台所がどこか分からなくて、困っていたんです」
「台所はこっちですよ。でも、本当にいいですよ。ここに置いておいてください。y人の仕事ですから」
しかし、そう言うだまされy人に、タイキは首を振って答えました。
「いいえ。本当に、僕にやらせてください。隊長命令ですから」
そう強く言うタイキを見て、だまされy人は驚いてしまいました。
「隊長命令ですか?まあ、そういう訳でしたら…。分かりました。どうぞこちらです」
そして、だまされy人は、台所に向かって歩き始めました。でも、しばらくしてから、また隊員を振り返って言いました。
「あのー、やっぱりいいですよ。私達がやりますから」
「いや、本当に大丈夫です。僕がやりますから」
「でも…」
台所に歩き始めただまされy人は、タイキを置いて、もうかなり先まで来てしまっていました。二つのワゴンが上手く扱えないタイキは、一向に前に進まないのです。それに気付いたタイキは、ちょっと赤くなりました。
「そ、それじゃあ、あの、手伝ってもらえますか。ワゴンを一つ…。すみません」
結局、タイキとだまされy人は、ワゴンを一つずつ押しながら、台所へ向かいました。
「あのー、y人さんは…」
「はい、私は、だまされy人です」タイキに答えて、だまされy人は言いました。
「あっ、だまされさんでしたか。僕はタイキです。どうぞよろしく」タイキは親しげに話し始めました。「シモーン邸って、結構広いんですね。外から見ると、小ぢんまりとして見えましたけど」
「はい。部屋は沢山あるんですよ。外から見ると、そんな風には見えませんけど」
「y人さん達それぞれに、お部屋があるんですよね?」
「はい。私達は、皆、二階に自分の部屋を持っているんです」
「へえ、そうなんですか」
タイキ達は玄関ホールに出て、右に折れてから、さらに二つの扉を通りました。
「あれ?だまされy人。どうして、隊員の方がワゴンを?」
二つ目の扉の向こうは、台所でした。広くて居心地の良さそうな台所に、三匹のy人がいました。
「隊長のご命令だそうです」だまされy人が答えました。
「隊長の?」一匹のy人が、タイキの押してきたワゴンを受け取りながら、キョトンとしました。
「はい。どうも、ごちそうさまでした」タイキは丁寧にお辞儀をしました。
「僕達は、これから片付けに行こうと思っていたんですよ。わざわざすみません」
「皆さん、お食事に満足していました?」
「また、夜食もご用意しますので」
珍しがって、y人達はタイキの周りに群がります。
「せっかく台所にいらしたんですから、お茶でもどうですか」
そう言って、y人の一匹がお湯を沸かそうとします。
「そうだ。デザートのアイスクリーム、もしよかったら、もっといります?まだ余っているはずだから」
y人の一匹がそう言うやいなや、タイキの顔が青ざめました。
「いっ、いいえ、結構です!ぼ、僕はもう、仕事に戻らないと。ごちそうさまでした。失礼しますっ!」
早口でそう言うと、タイキはy人達が止める間もなく、逃げるように台所を出て行ってしまいました。後に残ったy人達は、ポカンとしました。
「隊員の猫達は、いつも忙しそうだね」
「うん。きっと、無駄に時間を使わないように、訓練しているんだよ」
「お菓子にも、目もくれない。偉いなあ」
「私達も、見習わないといけませんね」
y人達は感心したように、タイキが出て行った扉を見て、頷き合いました。