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第12話 ミーニャの帰還

 「はあ」クーニャは、ため息をつきました。

 「クーニャ様。お疲れのようでしたら、もうお休みください。後は私達がやりますから、大丈夫ですよ」写真家y人が言いました。

 シモーン邸の台所では、y人達が数匹、ネコ兵の夜食の準備をしていました。今夜の夜食は、ツナサンドです。ツナ缶を開ける暗がりy人の横で、泣き虫y人がタマネギをきざみながら、涙を流していました。

 「いつも思うのですが、なぜかタマネギを大量に使う料理の時は、私が料理当番になって、タマネギを任されるのですが、それは、私の思い込みでしょうか」泣き虫y人が、目をしょぼしょぼさせながら、つぶやきました。

 音y人はそれを無視して、コンソメスープにもう少し塩を足しました。

 「そうですよ、クーニャ様。もう我々だけで大丈夫です」

 「いいえ、疲れているのでは、ないのですよ。ただ…」クーニャが言いました。

 「ミーニャ様のことが、心配なのですね?」

 「戻ってくださるか、どうか、ということですか?それは、僕達も同じです」

 y人達は、同情するようにクーニャを見つめました。

 「ええ、まあ。勿論、それが一番の心配事なのですが」クーニャは、また深くため息をついて、「それよりも、今は変人y人のことが心配で。いずれ何かやらかすのではないかと」

 「変人y人、ですか?」写真家y人が、キョトンとします。

 「ミーニャ様がここを飛び出して、ネコ兵隊に捜索をお願いしてから、明日で一週間経ちます。その間、何とか変人y人を、兵隊の方達から遠ざけておこうと、苦心してきましたが、もうそろそろ限界なのです」

 「知っています、私。変人y人が、夜こっそりと本部に行こうとして、こそこそ部屋を抜け出していたことを。うっ…、ウワーッ!」

 泣き虫y人が突然包丁を放り出して、泣き出しました。

 「私は、昨晩、見回りの当番だったんです。ウワーッ!怪しい奴が、廊下をうろうろしていたので、私は怖くて、怖くて、どうしようと思ったのですが、うっ、うっ、度胸を出して、棍棒を持って近づいていったのです。そうしたら、なんと変人y人で…。私は大声をあげてしまったのです。ウワーッ!それはもう、恐ろしくて」

 ぶしゅーっ。泣き虫y人が、堪らずエプロンで鼻をかみました。

 「どうして?怪しい奴が、変人y人だったから、安心したんじゃあないの?」音y人がコンソメスープを味見しながら、首を傾げました。

 「違うんです、ウワーッ!変人y人の格好が、それはもう恐ろしくて…。だって、だって、ウワーッ!変人y人は、今までにないほどに、べったりとお化粧をしていて、唇は真っ赤、まぶたは真っ青、目の周りは真っ黒で、おまけに何と、透け透けのピンクのレースのネグリジェを着ていたんです。頭にはピンクのリボンで…。ウワーッ!」

 ブーッ。音y人が、コンソメスープを噴き出してしまいました。途端に、他のy人達も真っ青になってしまいました。クーニャも泣きそうな顔をしています。

 「うっ、うっ、それはもう、今思い出しただけでも、恐ろしくて。きっとあの格好で、本部に行こうとしていたんだと思います。私は、y人の威信をかけても、変人y人のあの格好を、隊員の方達にお見せするわけにはいかないと、泣く泣く、変人y人を棍棒で気絶させ、部屋まで運んだのです」

 パチパチ、パチパチ。y人達から、拍手が沸き起こりました。

 「それは、偉かったねえ。泣き虫y人」

 「とても勇気ある行動だよ。見直したよ」

 「よくやりました、泣き虫y人。素晴らしいです」クーニャです。「それで、その後、変人y人は、どうなりましたか?」

 「はい、それが、棍棒で殴った衝撃が、予想外に強かったらしくて、次の日の朝、変人y人は何も覚えていなかったのです。私は変人y人のためを思って、今まで誰にも言わずに、黙っていたのです」泣き虫y人は、涙の目をごしごしこすりました。

 「やはり、何かやらかすのではないかと、思ってはいたのです。困った変人ですね」クーニャは腕を組みました。

 「やっぱり、ずっと変人y人を隊員達から遠ざけておくことは、無理みたいだね」

 「今回は、隊長に目をつけたみたいだからね」

 「それにしても、ネグリジェなんて、いつ買ったんだろうね。通販かしら」

 「それで、クーニャ様は、心配していたんですね。ミーニャ様が戻ってくる前に、変人y人が、ネコ兵に何かやらかすのではないかと」写真家y人が言いました。

 「そうなのです。このまま、ミーニャ様がお戻りになる日にちが延びるほど、変人y人を抑えておくことが、困難になるのです。隊長に迷惑が掛かることは、何としても避けなければなりません。かといって、変人y人を部屋に閉じ込めておくことも、できませんし。困ったものです」クーニャは再び、ため息をつきました。

 「ミーニャ様が戻ってくるまで、変人y人に眠り薬を与えて、眠らせておくとか」

 「それか、夜は外から部屋に鍵をかけて、出られないようにするとか」

 「いっそのこと、変人y人に、ミーニャ様を迎えに行かせるとか」

 「ミーニャ様が戻ってくるまでは、用なしだからとか嘘を言って、実家に帰すとか」

 y人達は、どうやって変人y人を、ネコ兵から遠ざけておくか、その方法をあれこれ考えながら、ツナサンドと、コンソメスープ、それから、付け合わせのトマトサラダを完成させて、ワゴンにのせました。

 「じゃあ、そろそろ運んでこようか」

 音y人がそう言った時です。バタン、と勢いよく扉が開いて、だまされy人が台所に入ってきました。そしてそのまま、床にバタリと倒れてしまいました。

 「どうしたのですか、だまされy人!」

 クーニャは慌てて、だまされy人を起こしました。だまされy人は毛並が汚れて、ぼろぼろになっていました。

 「ク、クーニャ様。やっと手に入りました」

 だまされy人は、持ってきた大きな袋を、クーニャに差し出しました。そこには、洋ナシが沢山入っていました。

 「何ですか、これは?」

 「洋ナシです。ネコ兵の夜食です。近くのお店は全部閉まっていたので、隣町まで行ってきました」

 「隣町まで?洋ナシを買いに?」暗がりy人が、キョトンとしました。

 「はい。でも、隣町の店は開いていたのですが、洋ナシはなくて。それで、更に隣の町まで行って、ようやく買ってきました。夜食までに間に合って、よかったです」だまされy人は、ぜいぜい息を切らしながら言いました。

 「どうして、洋ナシを買いに行ったのですか?」

 クーニャが、だまされy人をテーブルに座らせながら、尋ねました。

 「今夜のネコ兵隊の夜食は、ツナサンドですよ。もう全て用意できて、後は運ぶだけになっています」

 「え?ツナサンドでよかったのですか?だ、だって、しっかりy人達がさっき、洋ナシだって…」だまされy人は、目をパチクリさせました。

 「何を言っているのですか。洋ナシではなく、ツナサンドです。そう言ったでしょう」

 「そ、そんな。じ、じゃあ、洋ナシは用なし、ですか?こんなに苦労したのに?」

 「何を馬鹿なことを、言っているのですか」クーニャは呆れます。「どうしてそんな勘違いをしたのか、知りませんが、でもまあ、せっかく苦労して買ってきてくれたのですから、洋ナシも一緒にお出ししましょう。暗がりy人、これをお願いします」

 暗がりy人は、クーニャから洋ナシが入った袋を受け取って、流しで洗い始めました。

 「それでは、暗がりy人。洋ナシを洗い終わったら、ツナサンドと一緒に、本部にお運びしてください。泣き虫y人は、だまされy人にお茶を入れてあげてください。音y人と写真家y人は、後片付けを頼みましたよ。私は、変人y人の様子を見に行ってきます」

 クーニャは、五匹のy人を置いて、台所から出て行きました。

 

 「…ミーニャ、ミーニャ」

 ミーニャは、暗闇で目を覚ましました。誰かが、自分の名前を呼んでいるのです。

 「ミーニャ、ミーニャ…」

 「誰、誰なの?ご主人?」

 ミーニャはヒロの姿を探して、キョロキョロしました。でも、周りは真っ暗闇で、何も見えませんでした。

 「誰なの、ミーニャを呼ぶのは?」

 「ミーニャ、私だよ。ミーニャ」

 ミーニャはさっと青くなって、声がした方を振り向きました。真っ暗闇の中、二つの灰色の目が、じっとこっちを見ていました。

 「に、兄さん?シモーン兄さん?」

 ミーニャはびっくりしました。黒い体は暗闇にとけて見えませんが、灰色の目と、声は、大好きだった兄さん、シモーン王のものだったのです。死んだはずの兄さんが、目の前にいて、ミーニャを呼んでいるのです。

 闇の中の兄さんが、優しく笑いかけてきました。

 「ギャーッ、で、出たーっ!」

 ミーニャは丸まって、ぶるぶる震え出しました。

 「幽霊だ!ごめんなさい、ごめんなさい、兄さん」

 「…相変わらず、お前は臆病だね。どうして、実の兄を怖がる必要があるんだ?」

 呆れた兄さんの声に、ミーニャは恐る恐る顔を上げました。

 「だ、だって、怖いんだもの。兄さんは死んじゃったはずなのに、ここにいるなんて。つまり、幽霊ってことでしょう?」

 「そうだよ、ミーニャ。幽霊だよ」

 「ギャーッ!怖いよ〜」ミーニャはまた顔を伏せて、丸くなってしまいます。

 「しっかりしなさい。久しぶりに会ったのに、まともに話もできないじゃあないか。ミーニャ、顔を上げなさい」

 「どうして、幽霊なんかになったの。兄さん、どうして…」

 「ミーニャ、お前には分かっているだろう。どうして私が、幽霊になって戻ってきたのか、お前には分かっているだろう」

 ミーニャは、また恐る恐る顔を上げました。そこには、兄さんの優しい顔がありました。

 「ミーニャ、しっかりしなさい。私は、お前が心配だよ、ミーニャ。皆がお前を待っているだろう。国民も、y人達も、皆、お前の帰りを待っているんだよ。お前はもう、心の中では決心しているのに、腰が重いから、行動に移せない。何かきっかけがないと、動けない。だから私が、こうして幽霊になって、お前の前に現れたんだよ」

 「ごめんなさい、ごめんなさい。ミーニャ、ミーニャは自信がなくて…。兄さんみたいになれないから、どうしたらいいのか、勇気がなくて…。兄さんみたいに、しっかりしていないから、どうしたらいいのか、分からなくて」ミーニャは泣き出しました。

 「お前はすぐに、兄さんみたいにはなれないと言うが、どうして、私になる必要があるんだ?お前は、お前であって、私ではないんだよ。他の誰かになる必要なんて、ないんだ。お前は、お前のままで、精一杯義務を果たしたらいいんだよ。分かるね?」

 シモーンは優しく言って、笑いました。

 「ミーニャは、ミーニャのまま、精一杯やればいいの?でも、でも…。あっ」

 シモーンの姿が、ミーニャの目の前でかすみ始めました。どんどん闇にとけていってしまいます。そして、遠ざかり始めました。

 「ま、待って、待ってよ、兄さん。ミーニャは、どうしたらいい王様になれるの?どうしたら兄さんみたいに、尊敬される、立派な王様になれるの?待って、兄さん!」

 ミーニャはどんどん遠ざかるシモーンを追いかけますが、全然追いつけません。

 「…分かるね、ミーニャ。分かるね…」

 「分からないよー!待ってよ。どうして、どうして兄さんは、死んじゃったの!どうしてミーニャを置いて、逝っちゃったの。兄さん、待って!ミーニャには、何も分からないよー!」

 はっと、ミーニャはヒロの布団のはじで、目を覚ましました。急いで辺りを見回してみますが、そこには、いつものヒロが寝る畳の部屋があるだけで、シモーンの姿は、どこにもありませんでした。布団の中では、ヒロがスースー寝息を立てて眠っていました。

 

 「あら、おはよう、泣き虫y人さん。今日も良いお天気ね」

 次の日の朝、変人y人が機嫌良く台所に入ってきて、泣き虫y人に挨拶をしました。

 「お、おはようございます」

 泣き虫y人は、よほどネグリジェ姿にショックを受けたのか、変人y人の姿に目を潤ませながら答えました。

 「このミルク壷、食堂に運んでいいのね。ついでに小皿も持っていくわ」

 軽やかな足取りで、重いミルク壷と小皿を運ぶ変人y人が、台所を出て行くと、ドジy人が驚いたようにつぶやきました。

 「変人y人は、普段通りに戻ったようだね。どうしたんだろう。昨日まで、ネコ兵に対しての欲望で、ギラギラしていて、手がつけられなかったっていうのに」

 「もしかしたら、泣き虫y人が棍棒で殴った時、脳の回路が少しずれて、通常に戻ったのかも知れないよ。だとしたら、お手柄だったね、泣き虫y人」しっかりy人です。

 「はい。ですが、いつか殴られたことを思い出して、大変なことになるのではと、私はもう、いてもたってもいられなくて…。私は、ウワーッ!」泣き虫y人が、滝のように涙を流して、泣き出しました。

 「大丈夫ですよ。何も思い出しはしないですよ、たぶん。それに、あんなに機嫌がいいんですから、今、思い出しても、許してくれますよ、きっと」写真家y人が明るく言いました。

 「はい、ハムエッグ焼けたよ。パンの具合はどう?」

 「良いようだよ。こんがりふんわり、焼けたみたい」

 「はい、これバターね。ジャムはこっち。イチゴとリンゴがあるけど、どっち?」

 「両方持っていくよ。あと、バターナイフも忘れないで」

 y人達は、着々と朝食の準備を進めていきます。そして、八時半ぴったりに、いつものように、ネコ兵の朝食をワゴンにのせて、本部がある会議室まで運んでいきました。

 「おはようございます。朝食をお持ちいたしました」

 ワゴンを運ぶ二匹のy人についてきたクーニャが、本部の扉を開けて、挨拶しました。

 「おはようございます。クーニャ様、y人の方々」隊長が挨拶を返しました。

 今日の朝食の献立は、ハムエッグとトースト、それにコーンスープです。ワゴンを運んできたしっかりy人と、だまされy人が、本部の隅にあるテーブルに朝食を並べます。隊員達は嬉しそうに、テーブルに集まってきて、イスに腰を下ろしました。

 「いつも、すまないであります」ペイがスープを受け取りながら、言いました。

 「ミーニャ様のご様子は、どうですか?」クーニャが、隊長に尋ねました。

 「はい、今朝もいつものように、ヒロが雨戸を開けた時、お姿を確認しただけです。それ以降はまた、室内に閉じこもっておられるようですね」隊長が、イスに座りながら言いました。

 「そうですか。変化なしですか」クーニャは不安そうにつぶやきました。

 「クーニャ様、心配ないでありますよ。ミーニャ様は、徐々にではありますが、元気を取り戻していらっしゃるようでありますし。それに、昨日はヒロと一緒に、外出をされたではありませんか」ペイがクーニャをはげますように、言いました。

 「ミーニャ様は、きっと、もうすぐお戻りになられます。私はそう思っております」隊長も言いました。

 「…そうですよね。ありがとうございます」クーニャがそう言って、頭を下げました。

 「さあ、朝食をお召し上がりください。冷める前に、どうぞ」

 しっかりy人がそう言って、バター入れをテーブルの中央に置いた時でした。緊急用の赤ランプが点滅し始め、緊張した声が、スピーカーから流れてきたのです。

 「こちら、つる草です。本部に緊急連絡です。大変です!」

 それは、見張り組のつる草の声でした。スープを飲もうと手にしたスプーンを、テーブルに置いて、隊長が誰よりも早く、イスから立ち上がりました。それに続いて、一斉に隊員達もイスから立ち上がりました。

 「ペイ、急いでつなげろ!」

 隊長は、近くにあったヘッドホンに素早く駆け寄ると、それをつかみ、かぶりました。ペイが急いで、機械をいじります。

 「こちら隊長だ!どうした、何があった!」

 「はい、たった今、ミーニャ様が窓から姿を見せられて、そしてなんと、お庭に降り立ちました!」

 「それは、本当か!」

 「はい。ミーニャ様が、自ら窓を開けられて、そして、お庭に。今、お庭のつつじの木を、じっと見上げていらっしゃいます」

 クーニャとy人達も、隊員達と一緒に緊張したように、じっとスピーカーからの声に聞き入っていました。

 「ミーニャ様が、お庭に降り立った?今まで、ベランダ以外に出てこられなかったのに」しっかりy人が、そっとつぶやきました。

 「ミーニャ様だけなのか?ヒロは一緒か?」隊長が尋ねました。

 「いいえ、ヒロの姿はありません。ミーニャ様だけです」つる草です。

 「何だか、とても晴れ晴れとした表情をしていらっしゃいます。つつじの花を見上げて、うっとりしていらっしゃるみたいです」

 つる草と共に見張りについている、ダイヤが言いました。

 「それに、手に何かを握っていらっしゃいます。恐らく、チョコチューブのようです。手に、チョコチューブを握り締めていらっしゃいます」

 「どうしたのでありましょうね。今までとは、ご様子が違うようであります」ペイが隊長に言いました。

 「つる草とダイヤは、そのままマイクを切らずに、ミーニャ様の行動を中継してくれ。どこかに出掛けられるようなら、追跡して、随時報告すること」隊長がマイクに向かって言いました。

 「分かりました」見張り組の二匹の声が、答えました。

 

 ミーニャはじっと、つつじの木を見上げていました。鮮やかなボタン色をした花が、沢山咲いていて、見事でした。ミーニャは久しぶりに、青い空の下で、思い切り深呼吸をしてみました。次に伸びをして、大きくあくびをしました。

 ミーニャは、とても晴れ晴れとした気分でした。昨日の夜は、変な夢を見て、よく眠れなかったにもかかわらず、さっぱりした気持ちで目覚めたのでした。

 何か、大切なものを、夢で見た気がするけれど、それが一体何だったのか、ミーニャはどうしても思い出すことができませんでした。夢は、思い出そうとすればするほど、どんどん曖昧になって、やがて消えてしまうものなのです。でも、それが一体何だったのか、思い出すことができなくても、自分の気持ちが変化していることを、ミーニャは感じていました。

 心の中にあった重いものが、軽くなったのです。喉の奥に刺さっていた魚の骨が、取れたように、心のつかえが取れたのです。兄さんが死んでしまって、ミーニャが背負っていかなくてはならないと、思い込んでいたものが、実はそうではなかったのだと、気付いたのです。

 ミーニャがシモーン邸を飛び出して、雨の中倒れていたところを、ご主人が助けてくれたように、辛くてどうにもならない時は、誰かの助けを期待してもいいと、知ったのです。

 すると、途端にミーニャは、シモーン邸が恋しくなってきました。シモーン邸や、そこにいるy人達、そして、クーニャに会いたくなってきたのです。

 「ミーニャ。じゃあ、そろそろ出掛けてくるから」

 その時、ヒロが窓から顔を出して、ミーニャに言いました。ご主人はこれから、仕事に行くのです。

 「分かった。ミーニャ、留守番しているよ」ミーニャは答えました。

 ミーニャは、雨の中を拾われて、緒蔵家で目を覚ましてからずっと、ご主人になったヒロと会話を交わしていました。普通、急激に文明を発達させ、進化した人間は、動物や魚などの他の種族と、言葉を交わすことができません。(動物の方から、意図的に人間の言葉で話しかけてあげなければ、無理なのです)しかし、どういう訳か、ヒロにはミーニャの言葉が理解できるようで、ミーニャが人間の言葉を使わなくても、会話ができるのでした。おまけに、生まれつきの単純な性格が幸いしたのか、ヒロは、猫と普通に会話を交わしている自分を、深く考えることはありませんでした。ですから、ミーニャも深く考えず、会話をすることにしたのです。言葉は、通じないより、通じる方がいいに決まっているのですから。

 「じゃあ、行ってくるね」

 「あ、ご主人、待って」

 ミーニャは、窓を閉めかけたヒロを、呼び止めました。

 「ミーニャは、もしかしたら、今日、ちょっと出掛けてくるかもしれない。いつ戻ってくるか分からないけど、きっと帰ってくるから」

 「そう」ヒロは明るく言いました。「そうだよ。少しは表に出ておいでよ。お前は元々、野良猫だったんだから、自由に出掛けて、好きな時に帰ってきたらいいよ。二階の廊下の小窓は、いつも開けておくから、そこから自由に入っておいで」

 「ありがとう、ご主人。行ってらっしゃい」

 ミーニャは嬉しそうに、仕事に出掛けるヒロに、手を振りました。その手にはしっかりと、チョコチューブが握られていました。

 

 「隊長、たった今、ヒロが家を出て行きました。いつものように、仕事に出掛けたようです」つる草の声です。

 「ミーニャ様は、まだお庭にいるのか?」

 「はい。まだつつじの木の下に、いらっしゃいます。でも、変なんですよ」

 「何が、変なのだ?」

 「今、出掛ける前のヒロが、庭に顔を出したのですが、ヒロはミーニャ様と、言葉を交わしていたようなのです」

 「それは、ミーニャ様が人間の言葉を使って、ヒロと会話をしていた、ということか?おかしいな」

 隊長は、難しい顔で腕を組みました。隊員達やy人達も顔を見合わせて、首を傾げました。今、y人全員は、朝食を中断して、本部に集まっていました。そして、見張り組からの報告に聞き入っているのです。

 「動物は、本能に生まれつき組み込まれている、自己防衛プログラムによって、自分達の生息地に住む人間が話す言葉を、自然に理解できる。そう知ったら、プライドだけ高くて、自分達が最も優れた生命体だと思い込んでいる人間は、パニックに陥ってしまう。それを避けるために、緊急の用件を伝える時以外は、人間の言葉を使って、奴らと会話をしてはいけないと決められている。その事は、ミーニャ様もご存知だろうに」

 「いいえ、それが、ミーニャ様が人間の言葉を使っていたのではなく、ヒロがミーニャ様の言葉を理解していた、ということのようなのです」ダイヤの声が言いました。

 「ヒロが、ミーニャ様の言葉を理解していた?どういうことでしょうね、クーニャ様」しっかりy人が、隣にいるクーニャに話しかけました。

 「ヒロには、ミーニャ様の言葉が分かる?人間が動物の言葉を理解できるなんて、聞いたことがないけど?」うたがいy人が、信じられないと首を振ります。

 「ヒロは、どこかで勉強したんじゃあないかな。動物の言葉をさ。見た目よりも、頭がいい人間なのかもしれないよ。とても、そうは見えないけど」

 「それか、反対に、動物的脳みそが発達した人間なのかもしれない。ほら、たまにあるみたいじゃあない。しっぽが生えている、人間の赤ん坊が生まれるって」

 「知ってる。進化の反対で、退化しちゃうんでしょう?そうか、ヒロはどっちかって言うと、動物的なんだね。退化した、動物的人間。野生返り、とでも言うのか」

 「しっぽが生えていたりして」

 「元々、人間だって猿だったんだからね。ヒロは理性より、本能の方が強いのかも」

 y人達は言いたい放題に言って、盛り上がっています。

 「でも、おかしいわ」変人y人が首を傾げました。「緒蔵さんは、動物語は話せないはずよ」

 「どうして、変人が知っているの?」暗がりy人が尋ねました。

 「だって、ほら、前にあの人が、変人に手を振ってくれたことがあったって、言ったでしょう?その時、変人は興奮しちゃって、色々話しかけたんだけど、何を言っているか、全然分かってくれなかったもの」

 y人達は、一瞬白い目で変人y人を見つめました。

 「変人y人の言葉が、分からなかった。つまり、ヒロは動物語を理解できない。変だね」

 「ってことは、ヒロはミーニャ様の言葉だけは分かって、他の動物の話は、理解できないってことですかね」だまされy人が言いました。

 「そういうことになるのかな。主人と飼い猫って、不思議な縁でつながれていて、それで言葉が理解できるようになることが、たまにあるのかもね」しっかりy人です。

 「それか、ヒロがただ、変人y人の言葉を理解できるにもかかわらず、分からない振りをした」暗がりy人です。

 「そして、無視して、その場を無事に立ち去った」音y人がけらけら笑いました。

 「ちょっと、何よ、それ!馬鹿にしないでよ!」変人y人は、顔を真っ赤にさせました。

 「隊長、大変です!」ダイヤの緊張した声が、スピーカーから響きました。

 「どうした!」

 「ミーニャ様が、今、家の中に入って、窓を閉めました。そして戸締まりをして、二階に上がり、今、北側にある小さな窓から、屋根の上に出てきました」

 「屋根の上に?」

 「はい。あ、そして、屋根伝いに庭に下りようとしています。大変、つる草、早く隠れて!」

 ガサガサ、ガサガサ。葉っぱの揺れる音がして、見張り組の声が聞こえなくなりました。

 「…どうした、つる草、ダイヤ。大丈夫か?」

 「はい、すみません。今、もう少しでミーニャ様に、見つかってしまうところだったので、急いで身を隠しました。大丈夫です、ばれませんでした」

 「ミーニャ様は、無事に庭の地面に降り立ちました。あ、ちょ、ちょっと!」つる草の焦った声が響きました。

 「どうした!」

 緊張した空気が、本部の中に流れました。

 「大変です!ミーニャ様が、緒蔵家の横にある、脇道を進み始めました。シモーン邸がある方角に向かっています!」

 「な、何だと!本当か!」隊長が大声を張り上げました。

 途端に、本部にいるy人達が、右往左往し出しました。クーニャも、意味もなく慌て始めました。

 「ど、どうしましょう、クーニャ様」ドジy人がおろおろします。

 「ゆっくりですが、確実に脇道を、シモーン邸に向かって歩いています。まさか、シモーン邸に戻られるのではないでしょうか!」

 「分かった。そのまま二匹は、ミーニャ様の後を追うんだ。決して見つかってはならないぞ。分かったな」隊長が言いました。

 「分かりました」

 隊長は真剣な表情で、一度、ペイ班長とユニ班長に頷いてから、y人達を振り返り、言いました。

 「皆さん。今、お聞きの通り、ミーニャ様はシモーン邸に向かって、脇道を進んでおります。どうか、慌てずに行動してください」

 「は、はい。分かりました」クーニャが、赤いネクタイの位置を直しました。

 「恐らく三分以内に、ミーニャ様はここに到着されます。どうか、ミーニャ様をお迎えする準備をしてください」

 「準備、ですか。は、はい。y人達」

 クーニャが言うと、慌てていたy人達が、静かになりました。

 「今すぐに、ミーニャ様をお迎えする準備をしてください。つまり、その…。玄関のホールに集まってください。そこに二列に並んで、いいですね」

 「はい、クーニャ様」

 y人達は急いで本部を出て行って、玄関に向かいました。

 「キャーッ、ゾクゾクするわね」変人y人が廊下を走りながら、体を震わせました。

 「変人y人、あまり興奮しないように」しっかりy人がたしなめます。

 「だけど、どうしてミーニャ様は、急に宮殿に戻られる決心をしたのでしょうね」

 「さあ。あ、でもさっき、見張り組の猫が言っていたじゃあない。ミーニャ様は手にチョコチューブを握っていたって。そのせいかも」

 「チョコチューブのせい?どうやったらチョコチューブが、シモーン邸に戻られることに関係してくるのですか?」泣き虫y人が尋ねました。

 「分からないけど、とにかくミーニャ様は、チョコチューブを握っていたんだよ」

 「チョコチューブか。それは、どんなにすごいお菓子なのでしょうね」だまされy人です。

 「さあ、急いでください、y人達。急いで二列に並んで」

 y人の後に、クーニャが駆けてきました。その後から、ヘッドホンをつけたままの隊長も、走ってきました。

 「そうか、分かった。引き続き見張りを続けてくれ」

 隊長はマイクに向かって言った後、y人達に言いました。

 「ミーニャ様は、間違いなくシモーン邸に戻られるようです。今入った情報では、すでに裏庭から敷地内に入ったということです」

 「ついに、ミーニャ様が戻ってこられるんですね。ウワーッ!」泣き虫y人が、滝のような涙を流して、隣に並んだうたがいy人の肩にもたれかかりました。

 「クーニャ様。これは私の意見ですが、ミーニャ様が戻られたら、なるべく大騒ぎをせず、普通にお迎えするのがいいと思うのです。あまり大事にすると、ミーニャ様に妙なプレッシャーをかけてしまう恐れがあります。ここは、普段通りに、買い物から帰っただけのように、お迎えするのがいいのではないでしょうか」隊長が言いました。

 「そ、そうですね。はい、普段通りに振舞います。いつも通りに」クーニャが答えました。

 「それから、ミーニャ様に罪悪感を与えないために、ミーニャ様がシモーン邸に入られたのを確認したら、我々ネコ兵隊は、こっそりと裏口から宮殿を後にします」

 「え?ど、どうしてですか?」隊長の言葉に、クーニャは慌てました。

 「もし、我々がミーニャ様捜索に乗り出して、発見後も、今までずっと見張っていたことを知れば、宮殿を飛び出したことで、y人の方々に、どれだけ心配と迷惑をかけてしまったのかと、ミーニャ様はご自分を責め、落ち込まれてしまうかもしれません。ですから、我々がここにいたことは、内緒にするべきだと思います。すでに、本部にいる隊員達には、事前に、ミーニャ様がお戻りになられたら、直ちに退却するように命令してありました」

 「で、ですが、それでは隊の方々に、きちんとしたお礼を申し上げることも、できないではありませんか」しっかりy人も慌てます。

 「そうよ!そんなの、悲しすぎるわ!これでお別れなんて」変人y人が、金切り声で叫びました。

 「我々は、当然のことをしたまでです。ミーニャ様を無事に発見し、安全が確認されるまで、我々の手でお守りする。その義務が果たせて、これ以上の名誉はありません。お礼など、もってのほかです」隊長は背筋を伸ばして、敬礼しました。

 y人達も、つられて全員敬礼しました。

 「隊長!ミーニャ様が、宮殿の玄関に回ります。もう今にも、そちらに到着します」つる草の声が、隊長のヘッドホンに響きました。

 「ご苦労。二匹とも、ミーニャ様が宮殿内に入ったのを確認したら、すぐに宮殿の裏に回って、他の隊員と合流しろ。事前に伝えてあったように、ミーニャ様に我々がここにいたことを知られないように、こっそりと退却するのだ。分かったな」隊長はマイクに答えました。

 「はい、分かりました」

 「それでは、クーニャ様、y人の方々。今までお世話になりました。これからも、ミーニャ様に何かありましたら、すぐにご連絡ください。いつでも駆けつけます。では、失礼いたします」

 隊長はもう一度敬礼をすると、さっと身を翻して、本部に向かって廊下を走っていってしまいました。

 「いやーっ!隊長さん、こんなに突然のお別れなんて、ひどいわ!まだ変人は、心の想いを明かしていないのに!待って、待ってちょうだい。せ、せめて、自宅の電話番号を教えて…。隊長さ〜ん!」変人y人が床に泣き崩れました。

 「ネコ兵とは、なんと潔くて、素晴らしいのでしょう。私は、感動しました。ウワーッ」泣き虫y人が、今度はうたがいy人に抱きつきました。

 「本当に、なんと素晴らしい方々なのでしょう。ネイ兵隊とは」

 クーニャはしばらく、隊長が走り去った廊下を見つめて、敬礼していました。

 

 ミーニャはこっそりと、誰もいないシモーン邸の庭を見つめました。今日も、y人の一匹も、見当たりませんでした。たった一週間、離れていただけなのに、もう懐かしい感じがしました。ミーニャはコソ泥のように、足を忍ばせて、宮殿の玄関に近づいていきました。

 y人達は、どうしているでしょう。ミーニャが黙っていなくなったことを、怒っているでしょうか。それとも、別にミーニャがいなくなっても、気にもしていないでしょうか。逃げ出したミーニャを、だらしないと呆れているでしょうか。

 ミーニャはy人やクーニャに、どんな目で見られるのかと、不安で一杯でしたが、自分は帰らなければならないのです。どんな扱いを受けようとも、帰って、皆に謝らなければならないのです。でも、最初に何て言ったらいいのでしょうか。

 一度大きく、鼻から息を吸うと、思い切ってミーニャは玄関の呼び鈴を押しました。

 シモーン邸内に、呼び鈴のベルの音が響きました。

 「いよいよ、ですね。皆さん、用意はいいですか。騒いではいけませんよ。普段通りにお迎えするのです」クーニャが緊張した声で、y人達に言いました。

 「はい、分かりました」しっかりy人が答えました。

 「私は、自信がありません。もう、足がぶるぶる震えてしまって」暗がりy人です。

 「私も、もう目の前がかすんで、何も見えません」泣き虫y人が、びしょびしょのハンカチを絞りながら言いました。

 「当たり前だろう。それだけ泣けば、涙でかすんで見えないだろう」うたがいy人が呆れて言いました。

 「普段は、どうやってミーニャ様をお迎えしていたのか、私は忘れてしまいました。どうしたらいいのでしょう」ドジy人です。

 「ほら、変人y人。早く立って。ミーニャ様をお迎えするんだから」おちょうしy人が、床に泣き崩れたままの変人y人を、助け起こしてあげました。

 「ミーニャ様が戻ってくることは嬉しいけど、だけど、こんなの、あんまりよ。変人を置いて、ネコ兵隊が去ってしまうなんて」

 「しょうがないだろう。ネコ兵は変人のために、ここにいたんじゃあないんだから。ちょっと、鏡で顔を直している場合じゃあないだろう。鏡をしまいなよ」

 「だって、ミーニャ様にこんなひどい顔を見せる訳には、いかないでしょう。変人はいつだってキレイでいなくっちゃあ」

 変人y人の様子に、y人達は呆れ顔です。

 「皆さん、黙ってください。扉を開けますよ。用意はいいですね」

 クーニャは、落ち着かないy人達をたしなめてから、ネクタイを少し直して、ゆっくりとドアノブに手をかけました。

 カチャリ。玄関の扉が開きました。ミーニャはビクッとして、一歩後ろに下がりました。開いた扉の間から、赤いネクタイをしたクーニャの顔が、現れました。

 「ミーニャ様」クーニャはいつもの落ち着いた表情で、静かに言いました。

 「あ、あの…、あの…」

 ミーニャが言葉に詰まっていると、クーニャはもう少しだけ扉を開け、すっと顔を引っ込めてしまいました。ミーニャはしばらく、扉の前で立ち尽くしていましたが、やがて勇気を振り絞って、扉を押し開けて、恐る恐る中を覗いてみると、クーニャと、十匹のy人達が、玄関ホールに並んでいました。

 「ミーニャ様、お帰りなさいませ」

 クーニャがそう言って、お辞儀をすると、y人全員も一斉にお辞儀をして、お帰りなさいと繰り返しました。

 ミーニャは、y人全員が集まった玄関ホールを、びっくりして見回しました。そして、皆の顔を見て、じーんと心が熱くなりました。

 「た、ただいま」

 わーっ。y人達が歓声をあげて、ミーニャの周りに集まってきました。皆は万歳をして、泣いて、笑って、ミーニャを囲んで大騒ぎでした。写真家y人が、絶え間なくフラッシュをたいて写真を取りまくり、変人y人は、ミーニャの首に飛びつき、泣き虫y人の目からは、噴水のように涙が噴き出し、音y人は、関節から不思議な音を出して、嬉しさのあまりに踊り出しました。クーニャは目を潤ませて、y人達に揉みくちゃにされているミーニャを見て、そっと涙を拭きました。

 そして、「お待ちしておりました、ミーニャ様」とつぶやきました。


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