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第10話 ミーニャの監視続行

 ミーニャはとても良い気分で、目を覚ましました。体の節々の痛みも消え、目の腫れも引いていました。ミーニャが緒蔵ヒロの家に来てから、二日が経ちました。ぼーっとしていた意識も戻り、体力も回復しているようでした。

 ミーニャはダンボール箱の中で、うーんと一度大きく伸びをして、口をもごもごさせました。それから、起き上がって箱の外に這い出ました。太陽の光が、窓から降り注いでいます。ミーニャは窓から、青い空を見上げました。

 彼はこの二日間、ほとんど眠り通しでした。その間、考えないでいられた、兄さんの死という現実は、目が覚めると同時に、再び頭の中で、大きな石のように重くなりました。

 兄さんの死と、自分の王位継承権のことです。そのことを思うと、晴れた青い空とは反対に、ミーニャの心は暗くなりました。

 ミーニャは、どうしたらいいのか分かりませんでした。黙ってシモーン邸を飛び出してしまったことも、気がかりでした。クーニャ達は、心配しているでしょうか。でも、ミーニャは、シモーン邸に戻る気分には、なれませんでした。兄さんの死と、自分が王にならなければならないという現実を、受け入れることができなかったのです。

 「あれ、起きたのか、ミーニャ」

 その時、洗濯カゴを抱えたヒロがやってきて、ミーニャに声をかけました。ヒロは、拾ってきたこの野良猫を、ミーニャと名づけました。最初に聞いた、変な鳴き声を、そのまま名前にしたのでした。この人物は、かなり単純な性格であるようです。

 「お腹が空いたの?待って、今あげるからね」

 そう言って、ヒロは、離乳食の瓶を開けました。ミーニャは、さっきまでの暗い気持ちはどこへやら、ヒロの足元に駆け寄って、喉を鳴らし始めました。

 「もう普通の猫缶でも、大丈夫かな。元気になったみたいだし」

 ヒロは、離乳食をがっつくミーニャを見下ろして、背中をなでました。ヒロはそれから、洗濯カゴを再び抱えて、二階に上がっていきました。ぺろりと食事をたいらげたミーニャも、後について、階段を上っていきました。

 緒蔵家の二階には、ベランダがあります。ヒロはベランダに上がって、洗濯物を干しにかかりました。ミーニャも、ベランダまで後をついて行って、手すり越しに、外を見下ろしてみました。

 ミーニャは、おや、と首を傾げました。どうしてか、見慣れた景色が広がっているように思ったのです。右手に見える、広い駐車場と、その向こうにある公園。それに、目の前にある、肌色をした三階建ての古い団地。

 ミーニャは、驚きました。シモーン邸から、はるか遠くに来てしまったと思っていたら、なんとここは、シモーン邸のすぐ裏手だったのです。

 「ちょっと、ミーニャ。洗濯物を干すから、そこをどいて」ヒロが、ぼーっと外を眺めているミーニャに言いました。

 ミーニャは、ヒロが何枚ものカラフルなシャツを干す間、ベランダを行ったり来たりして、外の景色を確かめました。

 間違いないようです。ここは、シモーン邸のすぐ裏手です。y人達が時々使う、細い脇道も見えました。

 そう遠くに来ていないことが分かって、ミーニャはほっとすると同時に、心が更に重くなったように感じました。現実が、こんなに近くにあったなんて、想像もしていなかったのですから。

 風が心地よく吹いて、庭にある柿の木が、そよそよと揺れて音を立てました。スズメの団体が、近くの電線にとまって、一休みしています。

 ヒロは、洗濯物を干し終えると、次に、干してある布団を、布団叩きでバンバンと叩き始めました。ミーニャは、ヒロが叩く布団から舞い上がるほこりが、キラキラと太陽の光に輝いて、風に流れていくのを、じっと見つめていました。また、庭の柿の木が、そよそよと微かに揺れました。

 「おい、やきば。あんまり動くなよ。隠れているの、ばれるじゃあないか」

 チビは、そばに座って、居心地悪そうにもぞもぞしている猫に、言いました。

 「分かっているんだけど、この枝、あんまり座り心地が良くなくってさ」やきばは、決まり悪そうに、ヘッドホンをかぶった頭をかきました。「小さなこぶがあって、丁度、尻尾の付け根に当たるんだよ」

 チビと、やきばは、三十分前に交代して、柿の木での見張りについた、ネコ兵です。緒蔵家の庭にある、柿の木からは、ベランダのある家の南側が見渡せるので、見張りに最適なのです。

 「こっちの枝に、移れよ。こぶなんかなくて、つるつるだよ」チビは、自分の左横にある枝を指して言いました。

 「ホント?じゃあ、そうする」

 やきばは、それ以上、柿の木を揺らさないように、チビの示した枝に移りました。やきばは、珍妙町にある火葬場の裏手に、縄張りを張っている野良猫なので、そう呼ばれていました。毛並が、黒と白のまだらなので、火葬場の近所の人間達には、何かと気味悪がられていますが、実際は、いたって愛想の良い猫でした。

 「ミーニャ様は、もう元気になられたみたいだね」ベランダにいるミーニャを見ながら、チビが言いました。

 チビは、名前を聞いただけでは、小さい猫を想像しがちですが、実際には、大柄の猫でした。生まれたての時に、あまりに小さかったために、その名前をつけられたのですが、その後で、予想外に成長してしまい、見た目と名前が、ちぐはぐになってしまったのです。

 ミーニャは、二匹のネコ兵に見張られているとも知らずに、ぼーっと、ヒロの横で空を見上げていました。

 

 「はあ」

 クーニャは、台所で一息つきました。

 「クーニャ様。もっと、お茶を入れましょうか?」

 しっかりy人と一緒に、朝食の後片付けをしているおちょうしy人が、クーニャに尋ねました。

 「ありがとう。では、もう一杯だけ、いただけますか」

 シモーン邸では、朝食を終え、y人はそれぞれ、仕事についていました。ネコ兵は、今は隊長と、情報受信係のペイ班と、見張り班のユニ班を残して、帰っていました。

 「はい、どうぞ」おちょうしy人が、新しいお茶をクーニャに渡しました。

 「ありがとうございます」

 クーニャは新しいお茶を一口飲んで、また一息つきました。

 「ミーニャ様、早くお戻りになるといいですね」しっかりy人は、お皿を拭きながら言いました。

 クーニャは難しい顔で、頷きました。彼は、心配していました。ミーニャがシモーン邸を飛び出した理由が、なんとなく分かっていたからです。

 お兄さんである、シモーンが亡くなった悲しみも、勿論ありますが、それよりも、恐らくミーニャは、自分の将来を考えて、堪らず飛び出したに違いありません。

 王位継承権。これが、どれくらいミーニャにとって、重いものであるのか、彼をよく知っているクーニャには、よく分かっていました。

 次男坊で、生まれてからずっと、自由気ままに暮らしてきたミーニャにとっては、大変な責任と、重荷であることでしょう。兄の突然の死の知らせに、飛んで帰って来て、その後、現実を見て、また飛び出して行ってしまったその行動は、ミーニャの性格を、良く表していると言えます。そんなミーニャが、王という地位に我慢できるのでしょうか。

 しかし、ミーニャ以外に、王位を継げる猫はいないのです。ミーニャが、王になるしかないのです。クーニャは祈るような気持ちで、ミーニャを待っていました。

 「キャーッ、もう、いや!いつも、この時期になると、庭は、ナメクジ地獄になるんだから」

 その時、変人y人が、台所に入ってきました。

 「変人y人、庭の掃除は、終わった?」おちょうしy人が尋ねました。

 「ええ。今日は、とっても良い天気ね。あら、クーニャ様」

 変人y人は、台所のテーブルに座ってお茶を飲んでいるクーニャを見て、目を丸くしました。

 「珍しいじゃあないですか。台所で、一休みしているなんて」

 そして、そそくさとテーブルに近づいてきました。

 「私も、混ぜてもらっていいかしら?お茶は残っている?」

 そう言って、おちょうしy人に、ちゃっかりお茶を入れてもらいました。

 「そろそろ、ナメクジ退治の時期ね。どんどん庭に増えているわよ」

 変人y人はお茶を飲みながら、ペラペラ喋り出しました。

 「そうそう。そういえば、さっき裏庭を掃いている時、突然上から、何か落っこちてきたのよ。ドサーッ!て。もう、ビックリして、悲鳴をあげちゃったわ。キャーッ!て。良く見たら、何が落ちてきたと思う?なんと、ドジy人なのよ。何でも、窓拭きをしていて、ガラスの裏側を拭こうとして、身を外に乗り出しすぎて、転がり落ちたんですって。もー、ドジy人さんらしいわよね」

 変人y人は、そこでお茶を一口すすって、

 「まだ、二階の窓だったから、よかったのよ。彼には、三階の窓拭きをさせない方が、いいと思うわ」

 「ドジy人は、大丈夫だったの?」何事もないように、しっかりy人が聞きました。

 「それが、私の驚いた悲鳴を聞きつけて、なんと、ネコ兵が駆けつけてくれたのよ。そして、ドジy人を、担架で室内に運んで、手当てしてくださったの。もー、ネコ兵の猫達って、キビキビしていて、とってもステキねー」変人y人の頬が、ピンク色に染まります。

 「担架で?ネコ兵は、担架まで持参しているのか。さすがだね」

 「私は、シモーン邸にはちゃんと、ドジy人用に、担架がありますって、言ったんだけど。すぐに用意できるから、構わないって言って」

 「今、ドジy人はどこに?」

 「手当てが終わった後、また、窓拭きに戻ったわ。たぶん、今度は三階の窓を拭きに」

 「あっ、そう」

 ドジy人の怪我は、日常茶飯事なのか、誰も気に留めていないようです。

 変人y人は、その後も、ペラペラと喋り続けました。三杯目のお茶を飲み終わった後、ようやくクーニャは席を立って、

 「さあ、我々も、ネコ兵隊の皆さんを見習って、頑張らないと。皆も、仕事に戻ってくださいね」そして、台所から出て行きました。

 変人y人も、自分のお茶を飲み干して、立ち上がりました。おちょうしy人達も、片付けが終わって、エプロンを外します。

 「じゃあ、僕は、郵便局に行ってこないと。誰か、何か用はある?」おちょうしy人が、エプロンを壁にかけながら、聞きました。

 「いいえ、別にないわ」

 変人y人が言うと、しっかりy人も首を振りました。

 「そう。それじゃあ、行ってくるね」

 おちょうしy人も、台所から出て行きました。

 

 さて、そろそろ、やきばとチビの、見張りの交代時間が近づいてきました。今日は、本当にぽかぽかと暖かい、心地良い日で、すぐにうとうと眠くなってしまいます。それでも、二匹の猫は、見張り中に居眠りをしていた、なんてことがばれた時の、隊長の怒りの怖さに、何とか目を開けて、じっと緒蔵家の見張りを続けていました。

 ベランダでぼーっとしていた、ミーニャの姿は、今は全く見えません。布団干しを終えて、ヒロと一緒に家の中に戻って以来、何をしているのか分かりませんでした。

 「ミーニャ様は、全然外に出てこられないね」

 大きなあくびと共に、猛烈に襲ってくる眠気を、何とか吹き飛ばそうと、チビは喋り始めました。しかし、やきばは何も答えません。少し間があき、ふと見ると、やきばはスースーと眠っているではありませんか。

 「おい、やきば。起きろよ」チビは慌てて、やきばを揺り起こしました。

 「はっ…。え?い、いえ、まだ、できていません。…えっ?」

 やきばは一瞬慌てて、それから、ぼーっとします。

 「あ、あれ?ぼ、僕、寝てた?」

 チビは、やきばを軽く睨みました。

 「寝てた?じゃあなくて、夢まで見ていたみたいだけど?」

 「ゴ、ゴメン。つい、うっかり」やきばは、恥ずかしそうに目をこすりました。

 小さな蜂が、ブーンと、木のそばを飛んでいきました。やきばは、その蜂を目で追います。見えなくなるまで見届けてから、また緒蔵家の方を向きました。

 「静かだね。ミーニャ様も、あれから全然見えないし」

 「ヒロも、あれから姿を見せないよ」チビは答えます。「しかし、良い天気だね」そしてまた、大きなあくびをしました。

 再び、小さな蜂が戻ってきました。反対側からは、白い蝶が、ひらひら飛んできました。二匹は黙って、静かに蝶を見つめています。耳には、蜂のブーンという羽音が、遠くこだまします。蝶は、庭に咲いている赤い花にとまっては、舞い上がり、またとまっては、舞い上がりを、繰り返しています。それを見ている二匹の意識も、段々ひらひらと、どんどん遠くに飛んで行きました。

 ピーッ、ピーッ!

 突然、けたたましい音が、やきばとチビの耳を貫きました。

 「ニャア!」

 二匹は叫び声をあげて、目を覚ましました。あまりに驚いたので、やきばは足を滑らせて、危うく転落するところでした。柿の木が、ガサガサと音を立てて揺れました。やきばは、下半身宙ブラリン状態で、目をパチクリさせて、何が起きたのかと、チビを見ました。見られたチビも、全身の毛を総立ちさせて、普段から大柄の体を、更に大きく膨らませていました。

 驚いている二匹の耳に、今度は、

 「ハロー、ハロー、こちら本部だ。見張り組、応答せよ」

 なんと、隊長の声が響きました。ピーピーなっていた音は、ヘッドホンから流れてきた、隊長からの呼び出し音だったのでした。

 二匹の表情が、凍りつきました。

 「ハロー、ハロー。どうした。見張り組、応答せよ」隊長の声が、ヘッドホンから繰り返し響いてきました。

 チビは慌てて、ヘッドホンのスイッチを入れ、答えました。

 「ハ、ハロー」

 やきばも、急いで枝に這い上がると、ヘッドホンのスイッチを入れました。

 「見張り組か、ご苦労。そろそろ交代の時間だが、何か変わったことはなかったか?」

 隊長は、二匹の動揺に気付いていないようでした。

 「は、はい。えーと、そーですね。ええ、はい、何も、何もないです、はい」

 上手く言葉が出ない、チビの背中の毛は、まだ逆立ったままでした。

 「今朝は、ミーニャ様のお姿を、見たか?」

 「はい。えっと、ベランダにですね、その、ベランダに出ていらして、はい。そして、えっと、それから、中に戻られてから今までは、何もなかったと思います。…じゃあなくって、なかったです!」チビは急いで、最後の言葉を付け加えました。

 チビはしまったと、視線をやきばに送りました。やきばは、声もなく口を開けました。

 「なかったと思います、だと?おい」

 ビクッ!と、二匹は縮み上がりました。

 「まさか、見張る緒蔵家ではなくて、天気が良いからって、空ばかり眺めていた、なんてことではないだろうな」そう言って、隊長はヘッドホンの向こうで、軽く笑いました。

 二匹は一瞬、血の気がさーっと引きましたが、隊長が冗談を言っているのだと分かると、どうにか調子を合わせようと、無理矢理、笑い声をしぼり出しました。

 「フ、ヒヒヒ…」

 「ヘ、ヘヘヘ…」やきばは、泣き出しそうです。

 「今から、交代の者を送るから、彼らが到着したら、本部に戻るように。いいな。ご苦労」

 プッ。隊長からの電波が、途切れました。

 二匹は恐る恐るヘッドホンに手をやると、スイッチを切りました。そして、はーっと大きく息をつき、しばらく無言で見つめ合っていました。

 「…危なかったね。もうちょっとで、寝ていたことが、ばれるところだったね」やきばが、ようやく喋り始めました。

 「危なかったね」チビも、口を開きました。

 「ばれなくて、命拾いしたね。危ないところだった。君、ひげ」

 やきばはそう言って、自分の口元を指で差しました。チビは、えっ?と、手で自分の口元を触ってみます。ひげがピンと張って、四方八方に飛び散っていました。

 「あっ」チビは慌てて、手でひげを整えました。

 驚いた時に、全身の毛と一緒に、ひげも逆立っていたようでした。やきばも念のために、自分のひげをなで付けました。

 「ホント、良かったね、寝ていたのがばれなくて。隊長、怒ると、すごく怖いからね」

 二匹とも、念には念を入れて、全身の毛並を整えることにしました。

 「そう言えば、タイキのこと、聞いた?」やきばが、しっぽを揉みながら言いました。

 「タイキ?あの、ペイ班の新米?」

 「うん。何でも、隊長の雷が昨日、タイキに落ちたんだって」

 「昨日?何をやらかしたんだ?」チビは目を見張りました。

 「昨日の夕食のデザートが、三色アイスクリームだったんだって。で、運悪く、デザートを食べている時に、緊急報告が入ってさ。急いで、アイスをかきこまなくっちゃあならなくなった。それで、ほら、冷たいものを一気に飲み込むと、頭が痛くなるでしょ。それで、思わずタイキは、悲鳴をあげちゃったんだってさ」

 「それで?その後、どうなったの?」チビは、毛並を整える手を止めてしまいました。

 「悲鳴をあげたのが、緊急報告が入った時だったし、隊長を含めた隊員全員が、悲鳴のせいで動きを止めちゃったものだから、いつものごとく、たるんどるー!って」

 「それは、運が悪かったね」チビは同情するように、目を細めました。

 「で、タイキは罰として、二週間のトイレ掃除と、一ヶ月のお菓子類禁止処分」

 それを聞いて、チビは、見張りの途中に居眠りしていたことがばれなくて、本当に良かったと、心から思いました。

 「可哀想だね、タイキ。新米なのに、しぼられちゃって」

 その時、見張りの交代に、二匹のネコ兵が到着しました。

 「よお、ご苦労様」鼻先が黒い白猫が、陽気な声で言いました。

 やってきたのは、つる草と、ダイヤです。二匹は元気に木に登ってきました。

 「お疲れ様。どう、調子は?」

 ダイヤは、キラキラ光る大きな目をした、灰色ぶちのメス猫です。

 「ああ、やっと交代か。疲れたよ」チビは、大きく伸びをしました。

 「本部に戻って、ゆっくりしたら?お茶の用意はできているわよ」

 「ゆっくりできれば、いいけどね。それじゃあ、後は頼んだよ」

 チビとやきばは、つる草とダイヤと交代して、柿の木から降りていきました。

 結局その日は、その後、ミーニャが姿を見せることはありませんでした。ヒロも、夕方に買い物から帰って以来、姿が見えませんでした。外は暗くなり、緒蔵家は雨戸も閉められ、小さな窓からの微かな明かりが、見えるのみです。

 朝一番の見張り組だった、やきばとチビは、見張り交代の後、本部に戻り、一息つくのもつかの間、隊長のお使いで、ネコ兵隊の事務所に帰り、今シモーン邸に戻ってきたところでした。暗くなったシモーン邸の庭に入ると、夕食のいい匂いが、二匹の鼻をくすぐりました。

 「ああ、いい匂い。僕、もうお腹ペコペコだよ」チビは、お腹を擦りました。

 「隊長に頼まれた書類を渡して、食事にしたいね」

 二匹は玄関の扉を開けて、本部のある会議室に向かいました。途中で、ペイ班の隊員、ソウルに会いました。ソウルは、顔に昔の野良猫時代についた傷がある、灰色の猫です。

 「やあ、ソウル。もう皆、食事をした?」

 気軽に声をかけたチビとは対照的に、元気のなさそうな顔をしたソウルが、小さな声で答えました。

 「よう、お疲れさん」

 そのソウルの様子に、二匹はキョトンとしました。

 「どうしたの?元気ないじゃん。夕食は何だったの?もう、僕達、腹ペコでさ」

 やきばが陽気にそう言うと、ソウルは急いで近づいてきて、しーっと、口に指を当てました。やきばは、思わず手で口を押さえてしまいました。

 「ど、どうしたの?」チビが小声で尋ねました。

 ソウルは、会議室の方を一度振り返って、誰もいないのを確かめてから、小声で、

 「実は、また隊長の雷が、落ちたんだよ」

 やきばとチビの目が、驚きに見開かれました。

 「いつ?誰に?何で?」

 「お前達の班の二匹、つる草とダイヤさ」

 「え?どうして?」

 「奴ら、今日の第二見張り組だっただろう、お前達の後の」

 「うん、そうだよ。僕達と交代して、見張りについたはずだよ」やきばは頷きます。

 「奴らは、見張りの途中に、居眠りしていたのがばれたんだ」

 チビとやきばの心臓が、ドキーッと大きく打ちました。

 「また、たるんどるー!って。そんで、一ヶ月の事務所の裏庭掃除処分を、食らわされたんだ」

 チビは無意識に、自分のひげを整えました。

 「でも、何で?どうやってばれたんだろう」

 自分達の経験上、あの呼び出し音の中、眠り続けて応答しなかったなんて、考えられません。すると、驚いたことに、ソウルはくすくすと笑い出したではありませんか。

 「つる草の奴、隊長から連絡が入った時、夢見ながら寝ていたみたいで、とんでもない報告をしちゃったんだぜ」

 やきばが、気まずそうに目を伏せて、赤くなりました。

 「とんでもない報告って、何を言ったの?」チビが尋ねます。

 「つる草の奴、ミーニャ様がシモーン邸に帰ってきて、皆で、祝いのパーティーかなんかをしている夢を、見ていたんだってさ。それでいきなり、連絡が入ったもんだから、寝ぼけて、隊長にこう返答しちゃったんだ。『あれ、ミーニャ様は、もうシモーン邸に戻られたんじゃあ、なかったでしたっけ?』ってさ」ソウルは声を押し殺して、笑いました。「その時、隊長の横にいたの、俺だったからさ。あちゃーっ、て思ったぜ。こいつ、何てこと言ってんだって。誰が聞いたって、こいつ寝ぼけているなって、分かるぜ。俺だけじゃあなくて、あの時、本部にいた全員が、固まったと思うぜ」

 口を開けて呆然とする、やきばとチビの前で、ソウルは笑い続けています。

 「あいつらには悪いと思うけど、もう可笑しくって。つる草がそう言った時の、隊長の顔ときたら、なかった。一瞬黙ってから、口元がこう、ヒクヒクって動いてさ。まるで、火山が噴火する前みたいに。そうしたら、皆、反射的にヘッドホンを外したんだ。隊長の怒鳴り声が、鼓膜を破る前に」

 やきばとチビは、真っ青になって顔を見合わせました。

 「あの時の、つる草の寝ぼけた声ときたら…。今だから笑っていられるけど、その時は、もう、どうしようかと思ったぜ。頭の中で、違う、違うぞ、つる草!って叫んだぜ。なにせ、あのペイ班長や、ユニ班長でさえ、ヘッドホンを外して、青くなっていたんだから」

 「そ、それで君、さっき、元気なさそうだったのか」チビは、まだひげをさすっていました。

 「だから、まだ本部の中は、ピリピリしているんだよ。あんまり陽気に入って行かない方がいいぜ。隊長はまだ、耳から煙が噴き出しそうな状態だから」

 ソウルがそこまで言った時、本部の扉が開いて、隊長が出てきました。廊下で立ち話をしていた三匹は、ヒッ、と縮み上がりました。隊長は、静かに三匹に近づいてきました。

 「お前達、戻ったのか。ご苦労。頼んだものは?」隊長は、チビとやきばに話しかけました。

 ソウルは軽くお辞儀をして、横にどきました。

 「あ、えーと。はい、持ってまいりまいりました。これです」

 ドキドキしながら、チビは、書類入れを隊長に渡しました。

 「ご苦労。隊員は、すでに全員夕食を終えた。お前達も、今から食事をして、明日の見張りに備えて、よく寝ておくように。いいな。ソウル」隊長は、今度はソウルを振り返って、「これを、ユニに渡しておくように。私は、これからクーニャ様に、一日の報告をしに行く」

 そう言って、チビから受け取った書類入れを、ソウルに渡しました。そして、歩いて行ってしまいました。

 三匹は、隊長が廊下の奥を曲がるまで、無言で見送っていました。そして、ほっと息をつきました。

 「何だよ、『持ってまいりまいりました』って」ソウルは笑って、チビを見ました。

 「ちょっと、どもっただけだろ。うるさいな」チビは赤くなって、軽くソウルを睨みました。

 「隊長に言われた通りに、今日はよく眠っておいて、明日の見張りに備えた方がよさそうだね。十分気をつけよう」やきばが言いました。

 そして、三匹は一緒に、本部に入っていきました。


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