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麻布十番の居候  作者: そーた
9/52

一日目 藤岡 秋介という男

この回に出てくる『藤岡さん』に関しては、本名を出させていただきます。本人からは許可を貰っています。

ちなみに『藤岡秋介』で検索すると、彼の記事が出てきます。


「おお!菅原さん!悪い悪い、遅れてしまって!」


 しばらくして、目黒駅の中から“本物”の彼が出てきた。


「いや~久しぶりやね……ってあれ? どうしたん、そのカッコウ?」


 キョトンとした様子の彼に、俺はつい恨みを込めた視線を送ってしまう。


「きみ、遅れるなら遅れると……どうして早く言ってくれないんだね」


 言葉を吐き出すたびに、唇や口の中がひどく痛んだ。


「いや、だから連絡したやん……」


 俺は何も言い返せなかった。たしかに14時7分に、そのメッセージは来ていた。俺はそれよりも遅く起きてしまい、焦っていたせいで碌にメッセージの中身も確認しなかったのである。


「てかそれよりどうしたんよ、そのカッコウ? まっぱだかじゃないですか。早くこのマント着てよ。俺は、菅原さんの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいんよ」


 どこから取り出したのか、彼はいつのまにかその手に持っていた黒いマントをしきりに俺に着せようとしてくる。


「うるさいよ。きみにそんな事を言われても絶対赤面するものか」


「なんの話してるの? 早くそのネオアームストロングサイクロンジェットアームストロング砲仕舞えよ。社会的制裁を受けるよ?」


「もう受けた」


「え?」


 もう手遅れだ。鼻血出ちゃったしあちこち痛い。口の中も切れた。


「そんなことは良いんだ。それより、きみ、どこへ行くんだい? 当ては決まっているのかい?」


 俺はマントを羽織りつつ、無理矢理話を切り替える。

 すると彼は携帯を取り出し、手早く何かを検索し始めた。行先はあらかじめ決めていたようだ。


「ハンバーガー」


「え?」


 短く答えた彼の一言に、俺はついゾッとしてしまう。ハンバーガーなら朝食べたところだ。……また?


「俺はどこでもいいよ。きみの行きたいところに行けばいい」


 しかし、このことは言わないでおく事にした。あまりわがままを言うのも良くない。素直

についていくことにしよう。


「おうよ。俺も行ったことない店やけど、前から気になっててな。すぐそこらしいから……」


 そして彼はグーグルマップで検索しているのか、携帯画面と目の前を見比べながら、ヨロヨロとどこかへ歩いて行く。俺達は目黒駅前のスクランブル交差点を左へと行った。俺は黙って彼の後ろを着いて歩いた。


――――


 俺は密かに藤岡と再会できたことに心を躍らせていた。彼との付き合いはまだそんなに長くはない。居候と比べれば、共に過ごしてきた思い出はまだまだ少ないように思う。

 しかし、それでも彼の存在は俺の人生に大いなる影響を与えている事は確かだった。正直こんなに深い付き合いになるとは、当時の俺は夢にも思わなかっただろう。

 ――23歳。某金融会社に就職した俺は、思えばあの時も酷かった。自己主張の激しい俺は、とにかく他人に好かれたかった。他人に認められたかった。これはたぶん、俺じゃなくても一緒だ。この時期の若者はとかく、自分自身のことを特別な存在だと思ってしまう、いや、思われたがる。俺はこの現象を、『社会人一年目病』――略して、『社一病』と名付けている。ぶっちゃけ、中二病と何ら変わらないものだ。

 中二病と違うのは、やはり大人になったおかげでいくばくか“現実味”を持たせて自己を“特別視”していることだ。――尚のこと、タチが悪い。

 中二病は――素晴らしい。いや、痛々しい。痛々しくはある。

 しかし俺のように、自分を三国時代の英雄と重ね合わせてみたり、体育祭の時に自分の名前が大書された大旗や、三国志でよく見る様な『帥字旗』を掲げて行ったりなどの行為は、今思い返してみると、ある一種の“可能性”というものを感じる。人間、くだらない事に燃やした情熱ほど美しいものは無い――というのが、俺の持論だ。

 しかし、『社一病』はどうだろうか? 自分は特別だと思われたいがために、しきりと背伸びをしたがる。

 やたらと横文字を使って見せる。『自分はこの前、どこそこの役員と会話した』などと自慢したがる。知人の就職先をブラック企業だと言ってバカにしたがる。……全部くだらない。何も生み出す事の無い、ただのウンコではないか。

 普通の人でもこんなものだ。だったら俺はどうだ?俺は、自己顕示欲の大化け物だ。

 まず、横文字はあえて使わない。平凡な『社一病』患者よりも一歩先を行ったこの『社一病』末期患者は、まず、あえてこの横文字文化を否定する。『相手に伝わらなければ意味が無い』という考えの元、とにかく解りやすい日本語で伝える事にこだわる。『裏の裏は表』的な考え方だ。だから『ロジカルシンキングを使って論理的思考で考えよう』などとは言わない。ちゃんと『論理的思考を使って論理的思考で考えよう』と言う。

 また、知人の就職先をブラック企業だなんて言ってバカにしたりもしない。知人の就職を喜び、就職先を褒め、あたかも自分が『器の大きな人間』という事をアピールしようとする。もちろん内心ではバカにしているのは確かだ。

 そして、自分の人脈をアピールする行為……これは、やった。大いに、やった。とかくいろいろな所へ顔を出した。いろいろな重役と関わろうとした。

 とにかく俺は、“鎧”を探し求めた。『俺はこの人と仲が良い』、『俺はこんなにも人脈がある』と、自分を大きく見せたかった。何か困りごとがあれば『あの人』が助けてくれる。何か願いがあれば『あの人』が叶えてくれる。俺は、そう、信じていた。

 でも、違った。本当にピンチが訪れた時、本当に叶えたい願いが訪れた時は、そんな人脈、びっくりするほど役に立たなかった。自分を救うのは、自分を満足させられるのは、やはり自分自身だったのだ。

 結局、俺は同僚たちから嫌われた。いや、嫌われてもいない。陰でバカにされていた。完全な空回りだ。

 でも、本当に情けない、本当に無様な話だが――

 俺は、頑なにその事に気が付かないでいようとした。認めてしまったら、情けない。だから、気が付かないふりをする。俺は特別な、皆から人気者の、すーただ。

 ああ、気色悪い。俺は空回りを続けた。空回りからくる代償を、空回りで塗りつぶしたのだ。

 その結果、“やりすぎた”結果、俺は仕事上で下手を打ち、左遷された。左遷先では地獄だった。ここぞとばかりに底辺種族な上司に踏みにじられた。人間としての尊厳をいとも簡単に踏みにじられた。放っておくと大問題になりかねない“ヤバい案件”を、意図的に放置させられた。その仕事を処理するためにはその上司の“ハンコ”がいる。しかし何かと難癖を付けられ、そのたびに俺の所へ差し戻された。俺の手元には、“ヤバい案件”が大量にたまっていった。毎日毎日、今か今かと“来るかもしれないクレームの電話”におびえ続けた。この現状を解決しよう――という考えは、思考の外にあった。頭の中はただ『耐える』ことのみが支配していて、正常な思考すらも出来なくなっていた。

 結果、俺は精神に支障をきたした。一年間、五百ミリの缶ビールを三本、一日も欠かさずに飲んだ。就寝時間は夜の3時、一秒でも長く、夜を引き延ばしたかった。

 そんな時、俺はこの男――藤岡と遭遇した。彼は俺と同じ社宅のマンションに住んでいた。奴も精神病を患っていた。会社を休んでいたのだ。

 俺はコイツの事をうっすらとしか覚えていない。覚えているのは、入社時の新入社員合宿で、夜の自由時間に彼が他の同僚たちとチャンバラをしていた時の記憶のみ。たしか……『スポーツチャンバラの世界チャンピオン』だとか言ってたっけ?

 チャンバラと言うのは、もっぱら学校の掃除時間にやるものだと思っていた。競技としてやる奴なんて知らなかった。モノ好きなやつもいたものだ、と当時の俺は思った。

 うつ病になった藤岡と遭遇したとき、奴は案外元気そうに見えた。正直、ズル休みだと思った。でも実際のところは分からない。元気そうに見えるのは見た目だけでその実、心の中はグチャグチャだったのかもしれない。

 俺は彼に、長期休職の手続きの仕方を教えてもらった。今思えば、あれが俺の人生が変わる第一歩だったのかもしれない。



 そして俺は、逃げるようにして会社を休んだ。会社を出て、前に広がった光景は荻がたなびく大平原の様だった。透きとおる風に透き通る景色、誰もいない爽快な野原のようだ。俺の頭にはこれまでの艱難辛苦の日々が走馬灯のように駆け抜け、浩々とした豊かな感情が俺の心を一杯に満たした。

 正直、俺自らの心の中で、『これはズル休み』という自覚があったのだろうと、こう思う。多分あの上司は俺を『卑劣な手で逃げた卑怯者』と思ったろう。現におれの前で、そんな顔をしていたのを覚えている。俺は今でもその顔を覚えている。が、それにしても、あれを思い出すと、今でも腹わたが煮えくり返ってくる。俺は彼を許さない。卑怯で、陰湿で、悪辣で、それでいて最もタチが悪いのは、それらの全ての事を、奴は『無自覚』にやっていたのだ。奴はいつでも、自分のことを、本当は善人だと思っていた。俺はいつか、あの上司を見つけ出し、殺そうと思う。名前こそここでは明らかにはしないが――

 しかしなるべく、残虐な手段で、ヤツを殺そうと思う。そう――

 これは紛れも無い、殺害予告だ。



 でも、今はまだやらない。俺には、夢がある。とびっきりの、夢がある。正直、それだけが今の俺を、支えている。俺の殺人衝動を抑え込んでいる。

 俺の夢は、あの時、藤岡さんから貰った。


 晴れて二人とも休職することになった際、俺は頻繁に藤岡さんの部屋を訪れていた。しかしなかなか会えなかった。彼は忙しそうだった。

 聞くところによると、どうやら彼は本当に“すごい人”らしかった。ネットには彼の名前が載っていた。時々彼はテレビにも出ていた。動画に映る藤岡さんを見てから、俺は目の前にいる藤岡を見比べてみた。――とても同一人物とは思えなかった。

 彼は言った。


『僕ね~、小説家になって声優さんと一発ヤリたいんですよ』


 バカだ――と、思った。そして、とってもワクワクした。

 俺はふと、自分自身の夢を思い出した……。

 そういえば、俺もその昔、小説家を夢見ていたことがあった。とっくの昔に忘れていたが……。

そして軽い気持ちで、俺は彼にこう返した。


『へえ、そうなんや。俺も実は小説家になろうと思っててん』


 とても軽い気持ちで言ってみた。しかし、思えばその瞬間に、俺の将来が決まっていたのだと思う。


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