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聖夜のデス・ゲーム  作者: 庭師シオン
1章 12月25日
5/5

夢うつつ

伊織が床に就いてからしばらく経った頃、どこかから誰かの話し声が聞こえてきた。


「………………」

「……………!」

「……………?………!」

「………………………」


彼女の眠りを現在進行形で妨げているこの会話は、永遠に繰り返す潮騒のように延々と続いていて、止む気配は全く感じられない。


(一体何なんだろう?誰かが近くで喋ってるのかな……?)


喧騒のせいですっかり起きてしまった伊織はそう考えた。しかし、声だけでは男女の区別がつかない上に何を言っているか分からなかったため、その可能性はすぐに捨て去られることになった。


(おかしいな。コテージ同士は結構離れてたはずだし、寝る前も隣の人の声なんて聞こえなかったのに)


今朝伊織はコテージの中から、外にいる他のメンバーの会話を確かに聞いた。だがそれは彼女がドアにギリギリまで近づいたからできたことであって、玄関から離れたベッドで自然に会話が聞こえるということはありえなかったのだ。


目を閉じたまま疑問に思っていた伊織の頭に一つの可能性が浮かぶ。


(もしかして、ドアの前に誰かいる?)


そして他の参加者が自分の部屋を訪ねる理由を考えハッとした。


(もしかしてもう朝……!?私、寝坊してる!?)


約束の時間を過ぎても現れない自分を起こしに来たのかもしれない、と焦った伊織は慌てて目を覚ます。

しかし━━━


「え?」


目を開けた彼女の前にあったのはコテージの天井ではなかった。

広い玄関、そこに並ぶ無数の下駄箱、そして外に見える校庭からは子供たちの声が聞こえてくる。


「ここは、学校……?」


キーンコーンカーンコーン


伊織が呟いた瞬間、チャイムが鳴る。

思わず顔を上げると、天井から時計がぶら下がっているのが見えた。


(10時25分?)


時計を確認し終わった伊織は改めて辺りを見渡し、ため息を吐く。


「一日に二回も知らない場所で目を覚ますなんて……」


はぁ、ついてないと言いかけてふとあることに気付く。


「━━あ、でもここはコテージと違って見たことがあるような……うーん?」


何とか思いだそうとするが、記憶が曖昧なせいか上手くいかない。


「気のせい、なのかな」


諦めかけたその時。


「…………って~!!」

「…………、早く!」


「━━あれ?外の声が近づいてる?」


どうやら校庭で体育の授業を受けていた子供たちが校舎に戻ってきたようだった。


「鉢合わせたらまずいかも。どこかに隠れた方がいいかな……あっ」


その場から移動しようとして、伊織はある重要な事項に気づく。


彼女は裸足で、しかもパジャマを着ていたのだ。


「うわ、さすがにマズイよね。これは……」


子供相手であれば、たまたま学校を訪れていた関係者のふりができるだろうと思っていたが、パジャマでは到底無理がある。

変な人がいる~、と先生を呼ばれるのがオチだ。


「とりあえず、奥の方の下駄箱に行って隠れよう。そこならあの子たちも来ないだろうし」


そう思い、走り出したが。


「よっし、いっちばーん!!」


目の前に、体操服を着た元気な男の子が躍り出る。


「っ!?」


(やばい!!いきなり真正面に出てくるなんて思わなかった……どうしよう!)


万事休す、と思われたが。


「先に行ってるからねー!!」


なんと少年は伊織を無視して走り去ってしまった。


「へ?」


思わず間抜けな声を出してしまったが、その反応は当然のものだった。

なにせ彼は目の前にいた伊織に気づく素振りも見せずに立ち去ってしまったのだから。


「待ってよ~!」

「ずるいぞ!!」


呆けた伊織をよそに、他の子供達が次々と走っていった。


(私、廊下の真ん中に立ってるのに見えてないみたい……どうして?)


想定外の出来事に立ち尽くしていると眼鏡をかけた女の子が歩いてきた。


「全くもう。廊下は走っちゃダメなのに……」


学級委員か何かなのだろうか。真面目なことを言いながら彼女は伊織の目の前にやって来て、そしてそのまま()()()()()


「あ………」


驚愕のあまり目を見開いたままの伊織を置いて、少女は何事もなかったかのように歩いていく。


「━━何度言っても直らないし。次走ってるの見かけたら先生に言いつけてやるんだから」


「ちょ、ちょっと待って!!」


(今、私の体、透けてなかった!?気のせいだよね?)


伊織は慌てて声をかけるが、全く聞こえていないのか少女はずんずんと歩いていく。


「あーもう!しょうがないなぁ!」


伊織は走り、先を行く少女に追いつく。


(知らない女の子にこんなことするのはどうかと思うけどっ)


そして思いっきり手を掴もうとした、が。


するり。


「!?」


確かに伊織の手は少女の手を捉えたはずなのに、何にも触れる事は無いまますり抜けてしまった。そして当の少女は、自分の後ろで困惑している人物を置き去りにして廊下の角を曲がり、姿を消した。


「今、私の手透けてた……さっきのは気のせいじゃなかったんだ」


伊織は一度冷静になって、目を開けてから自分の身に起きたことを改めて振り返る。


「えっと。子供たちは私のことが見えてなくて、声も聞こえてない。しかも私はあの子たちに触れもしない、ということは……?」


これらの事実を頭の中で整理した結果、出てきたのは。


「私、死んだとかじゃないよね」


自分が死亡し、幽霊となっている可能性であった。自らの体が透けて、他の誰からも存在を認識されていないのだから自らの死を疑うのは当然だろう。


「いやいや、まさか。ベッドで寝てただけなのに死んでるとか意味分からないし。寝る前と一緒でパジャマ着てるんだから、これは夢。夢に決まってるじゃん……あはは」


自分が死んでいるかもしれないという仮定から必死に目を背けようとしたせいか、伊織の口からは乾いた笑い声がこぼれた。


「そう。そうだよ。別に死んだって決まった訳じゃないんだし、もう少しこの辺りを調べてみよう」


誰にも見られないのも好都合だし、と言って歩き出したその時だった。


「あ、伊織ちゃん!」


━━伊織が自分の名前を呼ばれたのは。


「は?」


てっきり誰からも気づかれないものだと、たった今確信したばかりの伊織はまたしても驚く羽目になった。

声の出所を探ると、下駄箱の近くで体操服を着た女の子が手を振っているのが見える。


「あの子が呼んだの……!?他の子は私のこと見えてなかったのに?」


よく分からないことが連続で起きたせいか、この場から逃げ出したいという衝動に駆られそうになる。


「でも、確かめないと。本当に私のことが見えてるのか、この距離じゃまだ分からないし……」


覚悟を決めて玄関の方へ戻ろうとする伊織。その横を誰かが駆けていく。


「うん、なーに?」


それはボールを持った女の子だった。


「伊織ちゃん、今から校庭に行くの?」

「うん。これ、教室から取ってきたんだー」


伊織ちゃんと呼ばれた少女が体操服の少女と仲良さげに話をしている。

名前を呼ばれたのは言わば人違いで、別に伊織のことを認識していた訳ではないとこれで分かった。

だから、「なんだ、勘違いだったのか~心配して損した」となるはずだったのだ、本来は。


「あの子……」


後からやって来た少女を見て、伊織の声が震え出す。


「あの子は、私だ……」


下駄箱の前で会話する二人のもとに歩みより、「伊織」の顔を覗きこむ。


「やっぱり。小学校に通ってた頃の私にあまりに似すぎてる。名前が同じだけの他人かと思ったけど、絶対にそんなのじゃない!」


目の前の少女は小学三年生くらいだろうか。髪と瞳の色は全く同じで、しかもその顔立ちは現在の伊織と瓜二つだった。

これでは小学生時代の伊織と言われても何の違和感も無い。


「どうりで何か見たことがある場所だと思ったんだ。あまりにも昔過ぎて忘れてたけど、ここは私が通ってた小学校。でもどうして今更こんなところに……」


かつての自分を見たことで今いる場所がどこなのか思い出したものの、まだ疑問は残ったまま。そんな伊織の真横で、少女たちは時折笑顔を浮かべながら話を続けていた。


「そういえば、さっき伊織ちゃんのママ見たよ」

「えー?本当に?」

「本当だよ。体育の時に学校に入ってくの見たもの」


「━━ん?お母さんが学校に?」


そんな事あったっけ、と伊織は思わず二人の方を見る。


「今日は授業参観の日じゃないのに、おかしいなぁ。ねぇ、ヒナちゃん」

「なーに?」

「お母さん、どこ行ったか知ってる?」

「うーん、玄関に入ってくところまでしか見てないから分かんない」


体操服を着た少女━━ヒナも、伊織の母親が学校のどこにいるかまでは知らないようだったが。


「あ、でも……伊織ちゃんのママ、もしかしたら職員室にいるのかもしれない」

「職員室に?」

「うん。学校にわざわざ来てるってことは先生と会ってるんじゃないかなって思うの」

「それもそうだね。じゃあ私、行ってくるよ」

「あ、待って」


手にしていたボールを下駄箱に置いて駆け出そうとした伊織をヒナが止める。


「どうしたの?」

「わたしも一緒に行ってもいい?」

「いいけど……体操服、着替えなくて大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。3時間目まではだいぶ時間あるし」

「分かった。じゃあ行こうか、ヒナちゃん」

「うん、伊織ちゃん」


仲良く手を繋いで歩き出した二人。そして、彼女たちの会話に耳を傾けていた伊織も動き出す。


「お母さんが授業参観でも何でもない日に学校来たことなんてなかったような?でも気になるし、一応ついていこうかな……私が何でここにいるのか、もしかしたら分かるかもしれないし」


斯くして三人は共に職員室へと向かう事になったのだが。



「あれ、伊織ちゃんのママいないね~」


二人の少女が職員室の入り口から中を窺うが、伊織の母親らしき人物は見当たらない。


「ここじゃないならどこにいるんだろ?もう帰っちゃった、とか?」

「伊織ちゃんのママを見たのは、チャイムが鳴るちょっと前だったからまだ帰ってないと思うよ」

「ということは、ここじゃない部屋にいるのかな。うーん、職員室以外で先生とお話……

あっ分かった」

「えっ伊織ちゃん分かったの?どこ?どこにいるの?」

「ふふ、ヒナちゃん。私のお母さんはね、たぶん校長先生と一緒にいるんだよ」

「あ、そっか。校長室にいたらここからじゃ見えないもんね」

「うん。そうと決まれば……」


二人の少女は職員室から少し離れた所にある部屋に目を向ける。


「「他の先生たちに見つからないように校長室に行こう」」


校長室の前で中を覗いているのを発見されたら他の先生に追い払われてしまうと考えたのだろう、少女たちは足音を立てずに素早く移動した。


「よし、誰も見てないよね?」

「うん。先生たちはみんな職員室の中だから大丈夫だよ」


二人は校長室の前でしゃがみこみ、ドアに耳をあてようとする。


(見つかったら怒られるだろうに、我ながら大胆なことするなぁ。子供だからかな)


一方、誰にも気づかれることのない伊織は堂々と廊下の中央を歩いていた。


(せっかくここまで来たんだし、私も話を聴いておこう。あ、そういえば今の私、体が透けてるしなんだったら中に入れたりして……)


そう思いつつ二人に近づいたその時。


「本当に申し訳ありません!!!!」


部屋の中から謝罪の声が響いた。


(……え!?)


それは校長室の前に立っていただけの伊織にも聞こえるほどの大音量。

あまりにも唐突に大きな声が聞こえてきたものだから、ドアに耳をくっつけていた少女たちは驚いて口を開いたまま言葉を失っている。


(そりゃ、びっくりするよね……でも一体何を謝ってたんだろう。気になるけど、声聞こえなくなっちゃったな)


会話の続きを聞くにはもう一度ドアに近づく必要があるようだが、その事を察したのは伊織だけではなかった。驚いたせいで尻もちをついていた少女たちは立ち上がる。


「ちょっと怖いけど、この中に伊織ちゃんのママがいるんだもんね」

「うん。さっきの声はお母さんのだったと思うし、間違いないと思う」


(確かにこの部屋の中から聞こえてきたからそれは間違いないんだろうけど、でもお母さんがあんな大声出してるの聞いたことないな━━本当に中にいるの?)


その場に響き渡った大声によって、部屋の中にいる人物を疑い始めた伊織。そんな彼女の気も知らずに二人は再びドアの前にしゃがみこむ。


「ねぇ、ヒナちゃん。今度は中を見てみようと思うんだけど、どう?」

「そうだね……何も見えないとまた大きい声で驚いちゃうかもしれないし、それがいいよ」

「決まりだね」


二人は顔を合わせて頷くと、音を立てないようにそっとドアを横に引く。


少女たちに倣って伊織も中を覗くと、校長と思しき壮年の男性がソファに座っているのが見えた。その向かい側の椅子には頭を下げたままの女性がいる。


「鹿子さん。もう大丈夫ですから、どうか顔を上げてください」

「━━はい、すみません……」


困惑した様子の校長に促され女性は前を向いたが、その横顔は紛れもなく伊織の母のものであった。


(まさか本当にお母さんだとは思わなかったな。それにしてもさっきの声、あれは一体何を謝って……ん?)


ふと下を見ると、少女たちが何やらひそひそと内緒話をしている。


「ねぇ、伊織ちゃん。ちょっといい?」

「ん?何?」


(いくら小声とはいえ、こんなところで話してたら中の先生たちに気づかれそうなのに……大丈夫かな)


幼い二人の行動を心配する伊織。しかし続けて聞こえてきた会話により、その懸念は吹き飛ぶことになる。


「あそこに座ってるの、伊織ちゃんのお兄ちゃんじゃない?」


(え?)


少女たちの話を聞くや否や、伊織はドアに限界まで近づいた。そして、ヒナの指差した部屋の中央を凝視する。


(……………あっ)


そこには一人の少年がいた。母親の隣のソファにふてぶてしい表情で座っている。


(……………………)


伊織が言葉を失ったまま突っ立っていると。


「ほら、秋斗あきとも謝りなさい。教室の窓を割ったのは、あなたでしょう」


母親はそう言って少年にも頭を下げさせようとするが、事件を起こした当の本人は部屋の隅をじっと見つめたまま動かなかった。謝罪する気が微塵も感じられない、その態度を目の当たりにして伊織は確信する。


(そうだ。目の前にいるこの男の子は、幼い頃の兄さんだ)


それに気づいた瞬間、全ての点と点が線で繋がった気がした。


(そういうことだったんだね……どうしてお母さんと兄さんがここにいるのか、今なら分かる)


伊織は一度ため息をついてから、思い出したばかりの過去を振り返る。


(そうだ。最近の兄さんは滅多に騒ぎなんて起こさないけど、昔はよく悪戯をして怒られてたし、お母さんはそのせいで何度も学校に呼び出された)


当時は幼かったとはいえ、妹である伊織も当然、兄の問題行動とそれに巻き込まれる母親の事を知っていたはずだった。


「なのに、なんで忘れちゃったんだろう…………」


ぽつりと呟いて伊織は、中の様子を窺っているかつての自分とその友人を見下ろす。


「……伊織ちゃんのお兄ちゃん、何も話さないね」

「うん………あっ」


二人の声につられて中を見ると、ちょうど少年がそっぽを向いたところだった。


「あっ、秋斗!こらっ!」


兄の態度に慌てた母が声を荒げる。


「すみません、校長先生。もうこれで終わりにさせます。弁償ももちろん致します。本当に、本当にすみませんでした……!」


母親はさっきよりも深く頭を下げる。その横顔は緊張のせいでかすかに震えていた。


(………っ、お母さん……)


その光景に思わず伊織が目を逸らした瞬間。


バン!!


「待って!お母さんは悪くないよ!!」


幼い伊織が勢いよくドアを開けて部屋の中へ飛び込んでいった。恐らくは母親の悲痛な姿に耐えられなかったのだろう。


「!?」

「伊織?どうしてここに!?」


突然の乱入者により、室内の空気は一変した。

母親と校長は驚きのあまり立ち上がり、先程までふてぶてしい態度を取っていた兄も二人と同様に目を丸くしている。


「悪いのはお兄ちゃんでしょ!お母さんが謝る必要なんて全然無いんだから!!」


目の前でそう叫ぶ娘を見て余計に混乱してしまったのか、母親はソファに力なく座り込んでしまう。

そんな彼女を見かねた校長が、今はとにかく教室へ戻るよう母親に代わって幼い伊織に促している。

一方、幼き日の伊織には帰る気など微塵も無いようで、校長を相手に必死に食い下がっている。


しかし彼女は先程母親を庇った際にかなりの大声を上げてしまったため、このままでは近くの職員室から教師が様子を見に来てしまうだろう。


(うーん。この雰囲気だと一回教室に帰されちゃいそうだな……あれ、この後ってどうなったんだっけ?今度は自分が呼び出し食らってこっぴどく怒られる、とかかな……全然記憶に無いんだけど)


当時の事を思い出そうとしながら部屋の中へと足を踏み入れた、次の瞬間。


「っ!?」


突如として部屋が強烈な光に包まれた。あまりの眩しさに、伊織は目を開けることさえできない。


「何、この光!?さっきまでこんなじゃなかったのに……」


顔を手で覆い隠して光を遮ろうとするが、上手くいかない。


「このっ……」


一向に収まる気配の無い光に苛立ちすら覚え始めるが。


「伊織君、少し落ち着きなさい」

「えっ?」


パニックになっていたせいで他の人には自分の姿が見えていない事を忘れていた伊織は、声のした方へと反射的に顔を向ける。


「君の気持ちは痛いほど分かるよ。お母さんのことが心配で心配でたまらないだろうさ」

「……………」

「でも、このままここにいると君は次の授業に遅れてしまう。そしてそれは先生にとっても君にとってもいけないこと。だから今はとにかく教室へ戻るんだよ、いいね?」

「━━はい、分かりました」


光のせいで見えづらいが、どうやら他の4人は何事も無かったかのように話を続けているらしかった。


「他の人にはこの光が見えてないってことかな……また私だけだ」


ここから先の出来事は見せてもらえそうにない。それでもなんとか目を開けようと踏んばる伊織だが、光は強くなる一方だった。時が進むにつれて4人の姿は薄れ、声は遠のいていく。そして彼らの話し声が完璧に聞こえなくなった頃、ついに伊織の視界は完全な白に支配された。


(あ…………)


もうどうすることもできないと悟った伊織は光への抵抗を止め、ついにまぶたを完全に閉じた。


(これからどうなるんだろう)


先程までとは打って変わって真っ暗な世界で一人きり。伊織は不安にならざるを得なかった。


(結局これは夢なんだか走馬灯なんだか分からずじまいだったし……)


一度は封じ込めた死の疑惑。それが再び目の前に現れて、彼女は憂鬱な気分になった。


「はあ………」


思わずため息をつく程思い悩んでいた伊織だが、その憂慮は新たな疑問によって掻き消されることになる。


「━━ん?」


ふと周囲に違和感を覚えたのだ。


(あれ?ここってこんなに暗かったっけ?)


まぶたは閉じたままなので何も見えない事に変わりはないのだが、急に辺りがより一層暗くなったように思われた。


現在伊織が漂っているのは暗く、黒く、誰もいない寂しい世界。

だが、その視界の隅には常に白があった。

ぴったりと閉めたはずのカーテンの隙間からでも日光が洩れるように、伊織を包んでいた光は目を閉じていても認識できていた。


しかし今は混じりけの無い漆黒が広がり、一筋の光も見当たらない。


(もしかして……もう目を開けても眩しくないのかな?)


光が止んだのならもう一度あの部屋に戻れるのでは、と期待する伊織。


しかし、視界が白一色になるまでは確かに聞こえていたはずの4人の声は依然として聞こえないまま。暗闇では無音の状態が続いている。


目を開けたとしても、そこには最早誰もいないのかもしれなかった。

それに、先程までの光景が再び現れてくれるとも限らない。


(それでも何かが見えるかもしれないのなら)


思い切ってまぶたを開く。


「んぐっ………」


目を開けたことで急に視界が明るくなったからだろうか、まだ景色はぼんやりとしている。


(だけど、さっきよりは確実に見える!!)


予想通り、あの強烈すぎる光は消えていたようだ。目が明るさに慣れるのを待ちながら伊織は今再び自らを奮い立たせる。


(正直に言って何が何やら分からないけれど、こんな暗闇で止まっているよりはずっと良いはずだし……)


この先に待ち構えているものが何なのかは分からない。今彼女の目の前にあるぼやけた景色はさっきの4人がいた校長室かもしれないし、見覚えの無い無人の空間かもしれない。


(例え誰も居なかったとしてもそれでもいいや。何ならさっきの4人の代わりに誰か知らない人が待ち受けていたとしても)


伊織が細目になりながら黙考している間にも、さっきまで輪郭が曖昧だった世界が徐々にクリアになっていく。


(目の前に何が広がっていようと、この先に誰がいようと構わない。とにかくここから進まないと)


覚悟を決めた伊織は狭めていた視界を全開にする━━その直後に現れる光景によって、自身の決意が大きく揺らぐことになるとも知らずに。


「え……」


そこにあったのは、木目調の空。あのコテージの天井であった。


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