不純の線引き
ここは学校の生徒指導室。水無月・筑紫・小鳥遊の三人がここで始めて顔を合わせた。
「初めまして。弁護士の水無月愛です。よろしくね。」
「助手の筑紫陽花です。」
両名共に、香奈に名刺を渡しながら自己紹介をした。
「た、小鳥遊香奈です。」
香奈は緊張しているせいもあってか少し堅くなっている様子だった。
そんな香奈の様子を確認して、水無月はゆっくりと話し始めた。
「では、早速ですがヒアリングさせていただきます。電話では、原告の天原さんが貴方に対して『生徒を誘惑し、不純異性交遊を行った事。及び学校の風紀を著しく乱した罪による退学請求』を求刑していますが間違いありませんか?」
「はい…。」
校長室での一件の後、翔の母親はあろうことか香奈に対して学校裁判の開廷請求を行ったのだ。学校裁判とは、最近施行された『新教育基本法(通称:学校裁判法)』により近年増加している学校で起こる問題を学校内で解決するのでは無く裁判によって解決するというものである。裁判は原告側・被告側に分かれ、それぞれ弁護士や検事をたて告訴内容を審議していく。基本裁判官は校長が行うのだが、あくまで議事進行役と考えていただければ良い。さて肝心の判決だが学校裁判では全校生徒の投票によって決まるという生徒達を陪審員に見立てた陪審員制に類似した方式をとっている。これは学校内の問題は学校に所属している生徒達によって解決させるべきという事を前提としているからである。”学校裁判の判決はいかなる場合でも学校に所属する限り絶対”という大原則があるので弁護士も検事も慎重に行わなければならないのだが、実際は所詮学校内の問題ということなのか世間の関心もあまり無く担当した弁護士も検事も真剣に行わず、学校裁判自体がおざなりになっているのが現状である。
「で、小鳥遊さんはその求刑について全面拒否ということで間違いないですね?」
「はい。」
弱々しく頷く香奈を見て、水無月は少しため息まじりに聞いた。
「小鳥遊さん。ちょっとこれは世間話と捉えて聞かせて欲しいのだけど。」
「はい、何でしょう?」
「小鳥遊さんにとって、不純異性交遊って何の事だと思う?」
突然の水無月の質問に、香奈は少し戸惑いながら答えた。
「え?えーっと……。性行為をすること…ですか?」
「そう。大抵の人はそう答えると思うわ。それで大丈夫だとは思うけど、もしかして貴方達…。」
「な、ないです!そんなの・・・さすがに、まだそこまでは…。」
「そうよね…。」
香奈との問いかけにいちいち考え込む水無月に筑紫が話に入ってきた。
「あの、水無月さん。何が問題があるんですか?話を聞く限り、小鳥遊さんは嘘は言っていないように思うのですが…。」
「え?ううん。”特には”意味はないわ。ただ…。」
「ただ?」
「原告はキチンとした手続きを取って学校裁判の開廷請求を行っている。ということは、必ず担当検事と話をしているはずなのよ。訴えたけど結果、証明が出来ず何も得られないと分かっている裁判を起こす人間はいない。だとすると、原告は小鳥遊さん達が確実に不純異性交遊を行ったという事を証明しなければならないわよね?」
「はい、それは勿論だと思います。」
「つまり原告は何か確信を持ち、確実に証明出来るものがあるから小鳥遊さんを告訴した事になる。それが、何か気になっているのよ…。」
筑紫と話終わった水無月は、また下を向いて考え込んでしまった。長い気まずい雰囲気を何とかしようと思ったのか、筑紫が香奈に元気づけようとした。
「だ、大丈夫ですよ。きっと水無月さんが何とかしてくれますって。ね、水無月さん。」
筑紫の笑顔の問いかけにも水無月は反応せず、ただ下を向いて考え込んでいるだけだった。
「あ、あの、小鳥遊さん。後は私達で裁判をどう戦うか話し合いますから、本日のヒアリングは終わりにさせていただきますね。」
このままでは埒が明かないと思ったのか、筑紫が無理矢理終わらせようとした。香奈も別にこれ以上話す事も無いだろうと思ったので、席から立ち上がって帰り支度を始めた。その途中で水無月が声をかけた。
「小鳥遊さん。他の人はどうだかわからないけど、少なくとも私は依頼人との信頼関係によって裁判を戦っているの。突然裁判を起こされて戸惑う気持ちは分からないでも無いけど、今は些細な事でも良いから貴方が話せる事を聞いておきたいのよ。隠し事は裁判では何の為にもならないわよ。それを伝えた上でもう一度聞くわ。本当に話せる事はこれで全部なのね。」
「ちょ…水無月さん!あ、小鳥遊さんごめんなさい。あまり気にしないで下さい。」
水無月の少しキツい問いかけに対して筑紫がフォローした。それを受けて香奈が振り向いて半分泣きそうな顔で、こう言った。
「私…っ!私…本当に翔の事が大好きなんです!だから…だから…。…っ!キスしたんですよ!それなのに…それなのに……。う、うわぁぁあん!」
自身の行った事を告白すると同時に、香奈は部屋の外にも聞こえるくらい大声で泣いた。香奈からしてみたら、大好きな人に告白し、付き合い、そしてキスをし、幸せなカップルでいたいだけだった。恋人がいる人なら誰でも思うし行う事をしただけだったのに、それが大人達から詰問され、更に理不尽に罪にされた上に退学という人生を左右しかねない事態にまで発展してしまった。そんな香奈の立場からすればここで大泣きしてしまうのもある意味自然な事なのかも知れない、むしろ遅かったくらいだ。そんな香奈の様子を見て、水無月が優しく声をかけた。
「小鳥遊さん。言いづらかった事を正直に話してくれてありがとう。弁護の件、承りました。貴方の勇気に応えさせていただくわ。ほら、これで涙を拭いて。」
そう言って、水無月はハンカチを差し出した。香奈はそれを受け取って涙を拭き、無理しながらも笑顔になったようだった。
「水無月さん。明日は、よろしくお願いします。貴方に私の学校生活を託します。」
「えぇ。よろしくね。」
水無月は香奈に握手を求め、香奈もそれに応じた。握手が終わり、軽く会釈をして香奈は生徒指導室を出て行った。
「全く素直じゃないですね。水無月さんも。」
片付けをしながら、筑紫が話しかけた。
「何が?」
「だって、元から依頼は受けるつもりだったのでしょう。それをあんな言い方して、仕舞いには泣かしてしまって、少し酷いですよ。」
そう言ってぷりぷり怒っている筑紫に対して、水無月はこう答えた。
「陽花。弁護をするというのはね、その人の全てを受け入れしっかりと依頼人の事を理解しないと出来ない事だと思っているの。小鳥遊さんは、私が言わなかったら確実にキスの件は黙っていたと思うわ。もしそれが裁判中に検察側がその件を言ってきたらどうなると思う?当然そこにはもう信頼は無いし、その後、お互いが満足のいく弁護などきっと出来ないでしょう。だから小鳥遊さんには、言えない・隠したい事までさらけ出して貰う必要があったのよ。」
「小鳥遊さんが何かを隠しているという確信はあったのですか?」
水無月の言葉に、筑紫が質問で返す。
「いつものように、状況と勘よ。」
筑紫の質問に、ケロッとした顔で水無月は答えた。それを見た筑紫は呆れた様子で言った。
「はぁ…。そのままじゃ本当にそのうちミスりますよ…。」
「大丈夫よ。失敗はしないわ…。もう、二度と…。」
筑紫の言葉に少し険しい表情で呟いた。
「えっ?」
それを聞いた筑紫の反応を見て、慌てた様子で顔の険しさと解いた。
「ううん、なんでもないわ。それより陽花。ちょっと聞いていい?」
「はい、何でしょうか?」
「陽花の意見で構わないのだけど、キスは不純な行為だと思う?」
水無月の問いに、筑紫はしばらく黙って考えてこんでしまった。
「うーん…。そもそも論なのですが、不純ってどういう思考行ったらそう判断されるかによると思います。」
「じゃあ陽花は、キスもそこから先の性行為もその人の事をしっかり愛しているという事が証明し、そして第三者を認めさせれば不純にならない。そういう考えなのね。」
「はい…。間違ってますか?」
少し自信無さそうに、筑紫が尋ねる。そんな筑紫の様子を見て、水無月は優しく言った。
「別に間違っているとかの話では無いわ。ただ、未成年者は社会というものをあまり”肌で感じて”はいない。その未成年者の社会に対する無知につけいる人も世の中にはいるから、そこから心と体を守るためにその件についての法律が存在するのよ。判断を極端にしていると言われればそれまでだけど、あくまで判断材料の一つとして弁護士も検事もみんな法廷で戦っているのよ。もちろん私もよ。だからこそ…。」
「だからこそ?」
「客観視して真実に目を向けなければならないけど、他人の感情を100%他人が証明するのは至難なの。恐らく、今回の裁判はそこが争点になるわ。即ち”小鳥遊香奈は天原翔に対して不純な気持ちは無い”これを証明しなければいけないわ…。まぁ、いつまでもここで考えていても埒が明かないから帰ろうか。悪いけど、先にエンジンかけてきてくれる?」
そう言って、車のキーを筑紫に渡した。
「わかりました。では、先に行ってますね。」
水無月は筑紫がそう言って教室を出たのを確認すると、帰り支度をしながらまた一言呟いた。
「…ふみ、私頑張るから。だから見守っていて…。」
「じゃあ、お疲れ様。」
車を降りる筑紫に水無月はそう言い、車を動かそうとした水無月に筑紫が声をかけた。
「あっ!水無月さん!」
「ん?」
「明日の裁判、頑張りましょうね!」
周りの視線も気にする事無く大声で言う筑紫に、少し恥ずかしい思いをしながらも水無月は優しく微笑み車を走らせた。
車の行き先は事務所では無く、別の場所に向かっていた。
『アメシスト総合病院』
花恋田町から少し外れた所に、まるで一つの街かと思える規模の医療施設がそこにあった。水無月は車を駐車場に停めると、受付に向かった。
「617号室の城爪皐月に面会をしたいのですが。」
「少々お待ちください。」
確認してくれているのだろう。受付が受話器を取り、女性が面会をしたいと言っていると連絡している声が聞こえる。受話器の口に手を当て、受付は水無月に尋ねた。
「失礼ですが、城爪様とはどのような…?」
「昔の教え子で、弁護士の水無月とお伝えください。」
受付はそれを聞き、再度確認の連絡をしていた。連絡が終わった受付が社交辞令的な笑顔で淡々と
「では、6階の一番奥の病室になります。今、担当の看護師が来ますので着いて行って下さい。」
と水無月に伝えた。しばらくして、一人の女性看護師が水無月の元へ来た。
「お待たせしました。水無月様ですね。どうぞ、ご案内致します。」
そう言われて、水無月は看護師と一緒に病室へと向かった。
院内は、何度来てもその広さと技術に驚くばかりである。何しろ患者はもちろん、全職員もスーパーコンピュータによりこの院内にいる限り常に健康と行動を管理されているという。病室に行くのにわざわざ案内が必要なの?と思われがちだが、案内がいないときっと迷う。それくらい複雑な構造であり広い病院なのである。そう思いながら看護師に着いていくと病室にたどり着いた。看護師が首にかけていたカードを入り口横に付いているカメラにかざすと、病室のドアがゆっくりと開いた。大きな病室の奥に大きなベッドがあり、そこに一人の女性が窓の方を向いて座っていた。看護師は慌てた様子で、女性に近づいた。
「城爪さん!だめですよ、寝てないと…!」
「大丈夫ですよ。それに懐かしい顔が来て下さったのですから、寝ているわけにはいきませんよ。そうですね、水無月さん。」
女性は慌てている看護師を宥めるように話し、水無月の方を向き優しく微笑みながらそう言った。
「お久しぶりです。皐月先生。」
その女性の笑みに、水無月も微笑んで応えた。
女性の名前は、城爪皐月。かつて数々の法廷で無罪を勝ち取ってきた敏腕弁護士である。大学ではその優秀さを買われ、客員教授として迎えられていた。そこでも生徒に寄り添い優しく指導する姿は、大学内でも人気があり中でも法学を教えていた通称:皐月ゼミはいつも定員割れする程の人気の授業であった。水無月はそこのゼミ生だった。
「よく来て下さいましたね。水無月さん。さぁ、そこに座って下さい。」
城爪に促され、水無月はベッドの近くに椅子を置いて座った。
「お具合はいかがですか?」
「全然大丈夫ですよ。食欲もありますし私は大丈夫と言っていますのに、こんな豪勢な病室まで用意してもらって…。」
「まぁ、”彼女”には彼女なりの判断があるのでしょうね。一度言ったら、無理にでも実行させる子だから。」
「ふふっ。本当にそうですね。」
二人の間で交わされる何気ない会話が、その病室の空気を穏やかにしていた。水無月からしてみたら、かつての恩師との会話。城爪からしてみたら、かつての教え子との会話。会話が弾まないわけがない。そんな穏やかな雰囲気に城爪が話題を変えた。
「ところで水無月さん。今日はそんな世間話をしにいらしたわけではないのでしょう?」
「えっ…いや…。」
「恐らく、今回の学校裁判の事でしょうか?」
水無月は城爪の指摘に、どことなく安堵した表情で頷いた。
「さすが、皐月先生には敵いませんね。」
「貴方も私の大切な生徒ですから。大体の事は察しがつきますよ。それで、どうしました?」
水無月は城爪に今回の裁判について考えていることを伝えた。明らかに原告側は理不尽な要求をしていて勝つ線が薄いのに妙に学校裁判について手際が良いこと。今回の裁判は普通裁判と違って、陪審員制を採っていることで生徒達に対して理解を得なければならないということ。そして…
「小鳥遊さん、その彼氏とキスをしたみたいです。」
「あらあら。最近の子供の恋愛は随分と大胆みたいですね。」
キスの事を伝えると、城爪は声を出して笑いながらそう言った。
「笑い事ではありませんよ。キスという行為が不純か不純じゃないというのを生徒達にどう証明しなければならないか本気で悩んでいるんですよ。」
その言葉を聞いて、城爪は急に笑うのを止め真剣な面持ちで水無月に語りかけた。
「水無月さん。貴方は、なんですか?」
「え?なんですか?ってなんですか?」
水無月は突然の城爪の問いに、当然の反応を示していたが城爪は言葉を続けた。
「失礼。言葉が足りなかったみたいですね。貴方の仕事はなんですか?」
「わ、私は弁護士です。」
「そう。貴方は弁護士です。」
城爪は言葉を続ける。
「貴方達にも何度も伝えたと思いますが、弁護士というのは依頼人の代わりに交渉及び裁判に臨むというものです。依頼人が伝えたい事を法的に裁判で主張することは勿論、依頼人に代わりに第三者から見ても分かるように事実を証明することも仕事だと教えたつもりです。」
「ええ。それは、理解しています。」
「ですが今の貴方が考えていることは、少し仕事内容から逸脱しているように見受けられますよ。」
「えっ?」
「貴方は今、キスという行為もしくは付き合っているとはいえ中学生でキスをすることが不純かどうかを説明出来るかで悩んでいますね。私が思うにそれは教育者・もしくは保護者が考え伝えていく事だと思います。愛というのはどうすれば伝えられるのか?愛が無ければ行為自体、不純なもののか?自分の体は大切にしなければならない。そんな道徳的な事では無く、貴方が証明しなければならないのは『彼女達が決して原告の主張通りの気持ちで付き合っているのではない』それを証明することなのではないですか?」
城爪の言葉で何かに気付いたのか、水無月はハッとした顔になった。その様子を見て、城爪が先ほどの厳しい声では無く元の優しい声に戻り言った。
「水無月さん。相も変わらず、一点の事ばかりに囚われて本質を忘れてしまいますね。せっかく天性の勘をお持ちなのですから、もっと全体を見渡して考えてみて下さい。即ち『自分は今、何をすべきか』を。まあ、貴方が一つの事にこだわる時は大体”誰かのために真剣に考えている時”なので悪い事では無いですが。」
城爪の言葉を受けて水無月は黙ったままだったが、暫くしてようやく口を開いた。
「皐月先生。私、少し躍起になってしまい冷静に考える事を忘れていました。でも、先生の言葉を聞いて色々と思い出しました。ありがとうございます。」
そう言って軽く会釈をした水無月に、城爪が言葉を贈った。
「貴方は以前の貴方ではありません。自分が今、何故またこの世界に戻ってきたのかよく自覚して下さい。そうすれば…うっ!ゴホッゴホッ!!」
「先生っ!大丈夫ですか!?」
そう言って水無月は城爪の背中をさすり水を飲ませると少しの間続いていた咳が、ようやく治まった。
「ハァ…ハァ…。ありがとうございます。もう、大丈夫です。」
「ですが…。」
水無月は大丈夫と言っている城爪を気遣い、まだ背中をさすっていた。そんな水無月に対して城爪はそっとさすってくれている手を握った。
「本当に大丈夫ですよ。それよりも、明日の用意をするために戻らないといけないのでは無いですか?」
「それは…そうですが…。」
「また来て下されば良いですよ。今日は本当に来てくれてありがとうございました。」
そう言って、城爪は会釈をした。その様子を見て、水無月はお礼を言った。
「先生。今日はありがとうございました。裁判。きっと私の大義を果たしてきます。」
「ええ。貴方ならきっと大丈夫ですよ。頑張って下さいね。」
城爪のその言葉を聞いて、水無月は会釈をして病室を出て行った。水無月が出たのを見届けた後、城爪は窓の方を向いた。今日は雲も無くスッキリと晴れているので、月が良くみえている。城爪はその月に向かって語りかけるように話した。
「七瀬君。貴方の恋人は、もう心配無いみたいですよ。まだ完全…とはいかないみたいですが。ですので明日の裁判を見守る事にしましょう。お互いに、ね。」
いよいよ明日。学校裁判が開廷する。