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水無月愛の学校裁判録  作者: 鳶野一作(とんび)
3/15

帰り道

すっかり日が暮れて、外の野球部も片付けを始めているという時間になっていた。

翔は帰宅部な上に成績は優秀なので居残りもした事は無く、こんな時間まで学校に残った事は無かった。さすがに教室も暗くなってきたので、教室の明かりを付けようとした時に後ろから「翔」と呼ぶ声がした。翔が振り替えると。そこには先程のジャージ姿では無く制服に着替えた香奈の姿があった。

「私から一緒に帰ろうって言ったのにすっかり遅くなっちゃった、ごめんね。

試合が近いからみんな張り切っちゃってさ。待ったでしょう?」

「いや、ずっと勉強していたよ。それよりも部活お疲れ。」

と言って勉強の休憩がてらに学校の自動販売機で買ってきたスポーツドリンクを香奈渡した。

「えっ。わざわざ買ってきてくれたの?ありがとう。」

「さっき買ったばかりだからまだ冷えてると思うけど・・・。ぬるかったらごめん。」

「ううん。これくらいで丁度いい感じだよ。」

「そっか。良かった。じゃあ帰ろうか。準備してくる。」

そう言って、翔は机の上に置いてある教材を全てカバンの中に入れて香奈と一緒に教室を出た。

帰り道、お互いの地元と乗る電車は同じなのだが最寄り駅が別な事もあって一緒に帰れるのは学校から先に降りる翔の最寄り駅までとなった。

そんな帰り途中の電車の中の事である。

「試合っていつ?」

「今週の土曜日だよ。所詮の相手が強豪校だからみんな気合い入っているの。勿論私もね。」

「そっか。じゃあ、今週はこうやって一緒に帰るだけにしなきゃね。」

翔は香奈と今後どのような付き合い方をしようかと探っているらしく最初は、なるべく香奈の負担にならないくらいに連絡などをしようと一生懸命に考えていた。そんな会話の中で香奈もやたらと自分もスケジュールばかり気にしている翔に気を遣ったのか、こんな事を言い出した。

「そうだ。試合は土曜日だから、その次の日の日曜日にどっか遊びに行かない?」

「えっ?いいの?だって試合の後だと疲れているんじゃない?」

「いいの。それより翔との初デートだもん。疲れも感じないよ。」

翔の気遣いに、香奈は笑顔で答えた。そろそろ翔の最寄り駅に着く頃になった。

「あっ、そろそろ降りなきゃ。じゃ、じゃあ香奈。降りるね。」

「もう降りるのか。あっという間だったね。そうだ。後で連絡して。これ私のID」

そう言って香奈は自分のチャットのIDを書いた紙を翔に渡した。

「ありがとう。じゃあ、また明日。」

「うん。また明日ね。」

紙を受け取った翔の笑顔の返答に、香奈も笑顔で翔が降りるのを見送った。

こうして二人の初々しい帰宅は終わったのである。

駅からの帰り道、翔は香奈から貰ったIDが書かれた紙を握りしめながら必然的に顔が緩んでいた。昨日目を潤ませながら告白してくれた子が、今日から自分の彼女になったという実感はまだ無いが、少なくともこれからは香奈に連絡していいんだという認識は出来た。

それだけで翔はもうウキウキ気分で足取り軽く家に着いた。

「ただいま。」

玄関からリビングまで緩んでいた顔が、リビングに入った瞬間に凍り付いた。

「どこ行ってたの?」

と、母親がいつものような顔に見えるが静かに怒っている様子で翔に尋ねた。

いつもより帰宅時間が3時間も遅くなっている。しかも浮かれていたのもあったのか。母親に連絡するのを忘れていた。母親が怒るのも無理は無い。

「あぁ・・・。ちょっと今日の授業で分からない事があったから復習ついでに自習をしていたんだよ。」

「3時間も?連絡も無しに?」

翔は香奈と交際が始まった事を本能的に伝えない方が良い事を察した。だから、翔は学校で勉強することを通しきる事にした。

「いや、ほら学年が上がったからやっぱり勉強が難しくなったからやんなきゃって思って・・・。それで真剣にやっていたら連絡も遅くなって・・・。ごめんなさい。」

「そう。それなら仕方ないわね。ご飯。食べちゃいなさい。」

「う、うん。」

なんとなく誤魔化せたのか、母親はすんなりと納得をした様子で、翔の食事を用意した。

「そうだ、翔。日曜日に母さん出かけるから留守番してくれる?」

まさかの連絡だった。日曜日は香奈との初デートの約束があるのに・・・。

恐らく母親は、いつも連絡を取り合っているPTAの会員や近所の友達の親達と高校を調べたり、受験対策の話し合いをしに行くのだろう。友達の家に勉強しに行くと言いたい所だが、肝心の母親が誰の家に行くのかが分からない上に母親のお願いなので断れない

仕方なく翔は家の留守番を引き受け、香奈との初デートは諦める事にした。

ご飯を食べ終え、香奈のチャットに日曜日の件を送った。すぐさま香奈から返信が来た。

「そっか・・・。それじゃあ仕方ないね。また別の日にしようよ。」

翔は香奈に嫌われたかなぁと不安を残しつつ、疲れていたせいもあって香奈に返信せずそのまま眠りについてしまった。


朝起きて、携帯の画面を見てみるといつもの時計だけの表示ではなく、チャットの通知が一件入っていた。相手は香奈である。

『おはよー。昨日は少しワガママ言っちゃってごめんなさい。デートの件はこれから付き合っていくんだし、気にしないで大丈夫だよ。』

何気ない内容の文だが、香奈なりに気にしていることが痛い程翔には伝わっていた。

『おはよう。僕も変に期待させちゃったみたいでごめんなさい。改めて今日の帰りにでもデートの日を決めよう。』

今日も一緒に帰る約束をした翔は、ゆっくりと起き上がりいつも通り朝食を母親と食べた。

昨日の事もあったので、母親の機嫌が悪いかな?という不安があったがそんな事は杞憂に終わり普段と変わらない様子だった。唯一違った事と言えば、毎朝聞かれる学校の事を聞かれなかったという事である。しかし香奈との交際がバレる事に比べたら、そんな事は些細な事だと思った。

「じゃあ、いってきます。」

「いってらっしゃい。あっ、そうだ翔。明日、バスケ部の試合があってPTAとしても応援に行くのだけどあなたも一緒に来なさい。」

それを聞いた翔は、背筋が凍ったどころの話では無くなった。

”バスケ部の応援に行く”それが今の翔にとってどれだけマズい状況か。

翔にとって香奈との交際が母親にバレるのは非常にマズい。何故なら、母親は父親と離婚をした後に自分の事を懸命に育ててくれた。更には私立にも通わせてくれてその上、学校行事やPTA活動にも積極的に取り組み今の会長に地位にまでなった。全ては翔のためにしてくれている事なのである。それは翔自身よく理解していた。だから母親の言うことに逆らうことも無く、母親の期待に応えるために難関校に受かるために必死に勉強をしてきた。しかしそれは、翔”のみ”の場合だったらの話である。今は香奈という彼女がいる。もし翔の予想通りならきっと母親は自分の事を叱責するだろう。それだけで済むならいい。問題は香奈に何かしてこないか?ということだ。さすがに考え過ぎとも言えるが何かと面倒な事になりそうな予感を翔は感じていた。そういう予感を信じて出した結論が香奈との交際は母親には知られてはならない。という事を翔の中だけで結論付けていた。だから、明日のバスケ部の応援に行くのは非常にマズいのである。そうはいえ別段断る理由もなく、ただ靴を履き途中で止まっている翔に

「ほら、早く行かないと遅刻するわよ。」

と母親が急かしてきたので、慌てて家を出た。

「はぁ・・・。参ったなぁ・・・。」

そう言って後頭部を掻きながら翔は、学校に向かって歩き始めた。

「えっ!明日の試合にPTAも応援に来るの?」

お昼時、香奈に階段の踊り場で母親が今朝言ってきたことを伝えた。

「そうみたい。だから明日は僕も行くことになって・・・。」

「本当に?やったー!嬉しい!」

香奈は明日、翔が試合を観に来てくれる事のみ把握したようで、翔の心配とは裏腹にぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。そんな跳ねている香奈に申し訳無さそうに自分の心配を告げた。

「だから明日、僕の母親も一緒だから、あまり・・・話しかけないでね。」

「え?なんで?」

香奈からしてみたら当然の疑問である。後になって考えると香奈は別に交際が知られても構わないという雰囲気だった。もちろん、僕も彼女を紹介したい。だけど多分それをするときっと面倒な事になる。とはいえ明日試合なのに、そんな確実でない事を伝えてわざわざ不安にさせる事も無い。色々な事を考えてしまいいつまでも思考が定まらない。これも今まで母親が決めた事に全て従ってきたツケなのだろうか。いつまでもモジモジして質問の答えが返ってこない事にイラついたのか、香奈がこう提案してきた。

「じゃあさ、明日の試合の時だけ全く知らない人って事で過ごせばいいって事でしょ?

分かった、そうするよ。」

結論は至ってシンプルなもの、香奈の言ったとおりにすればいい。

「そう、そうだよ。明日だけお互い他人になればいいんだよ。」

「うん、分かった・・・。じゃあそろそろ授業始まるから、行くね。」

去り際に香奈が、一つの結論に達せた事で安堵している翔に向かってこう言った。

「私は、翔と付き合っていることに何も後ろめたく無いんだよ。だから、翔が何考えているのかはわからないけど一日だけとは言えさ、やっぱり彼氏からの応援を気持ちよく受け取れないのは寂しいよ・・・。」

それを言うと翔が呼び止める間もない内に教室に戻っていってしまった。

一人踊り場に残された翔は何とも形容し難い感情に、胸が潰されそうになっていた。

その日、香奈との交流は無く翔は一人で帰宅し、香奈へのチャットもしなかった。

翌日、天気は翔の気持ちを象徴するかのような曇り空である。

「翔。何しているの?早く支度しなさい。」

何故か母親が思いっきり張り切っていて、この間の集まりで作ったのかはわからないが応援用のうちわまで用意している。勿論、翔の分もあった。

「ちゃんとハッキリ声を出して応援するのよ。」

と翔にうちわを渡して言った。

もうここまできたら仕方ない、母親にバレないように香奈の事を名字で呼び”あくまで”知らない人のつもりで応援しようという気持ちを胸に、翔は香奈の応援に向かった。


体育館は、試合の熱気に包まれていた。

うちの学校からも、今日の試合の応援に様々な人が集まっていた。

バスケ部の部員達も気合いをいれている様子がうかがえる。

翔は観客席から体育館の壁際近くで念入りにストレッチをしている香奈を見つけた。

翔はなるべく香奈の方を見ないようにしていたのだが、香奈の方は翔に気付いたらしく、少し微笑んでいるように見えた。きっと母親がいなかったら、思いっきり手を振っていたんだろうなと翔は思っていた。

試合のブザーが鳴り、いよいよ試合が始まると香奈はいつもと違う表情になり試合に臨んだ。普段と違う香奈の表情はとてもカッコ良く見えた。試合の途中で母親が何かを言ってきていたみたいだけど、そんな事を気にも留めず香奈のプレーを見ることに夢中になっていた。

気がつけば試合終了のブザーが鳴っていた。うちの学校は惜しかったとはいえ負けてしまった。強豪校相手に良く健闘したと言えば聞こえは良いが、やはりバスケ部のベンチでは既に泣いている生徒がいた。香奈はさすがに泣いてはいなかったが、それでも今少しでも香奈の体に触れようものなら一気に涙が溢れ出るんじゃ無いかと思うくらい泣くのを堪えているようにも見えた。

翔の中では彼氏なら慰めなきゃいけないという変な義務感と、ここで香奈に会うのは良くないという変な危機感があった。PTAの方も片付けが終わり、母親の方も帰る支度を終えようとしていた。

「翔、そろそろ帰るわよ。」

母親が翔に帰る事を告げ、翔もそれに従おうとしていた矢先に携帯にチャットが届いた。

「ごめんね。体育館の準備室にいるから今から会って。」

相手は香奈だった。大変困った事態になってしまった。母親は翔と一緒に帰ろうとしている。香奈はきっと何か声をかけて欲しいから昨日の約束を破ってまで連絡をくれたに違いない。香奈の事を考えるとこのまま帰るわけにはいかない。かといって母親になんと言えば良いのかもわからない。だがいてもたってもいられなかったので翔は一か八かの賭けに出た。

「母さんごめん!先に帰って!」

「え?どうして?」

当然の返しだが、翔は立て続けに言った。

「いや・・・。先生に呼ばれているのを思い出したから。」

「先生?誰先生?」

「え・・・?た、担任の鈴木先生だよ。」

「あら、そう?じゃあ先に帰っているわね。」

意外にも担任の名前を出すとあっさり母親は帰っていった。

何か拍子抜けしてしまったが、帰っていく母親を見届けた翔は急いで準備室に向かった。

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