篠田 蘭のお正月(番外編)
1月1日。今日は世間で言うお正月だ。街を歩けば人でごった返している。みんな寒そうにコートを着て、私のことなど気にせず通り過ぎていく。雪を踏みしめる音が、喧騒にかき消されていく。なんだろう。一人でいると無性に寂しくて、らしくないことを考えてしまう。
はぁ。折角のお正月なのに、町田くんは二日酔いでグダグダ。一緒に初詣とか、初売りとか行きたかったのに。新年早々、スタートダッシュ盛大に失敗してやんの。起こそうとしても、冷や汗かきながらうなされるだけで一向に目を覚まさないんだもん。あれって何? お酒のせい?
あ、申し遅れました。私、町田 響の自宅に住み憑いている、かつてはこの町で介護士をしていました、篠田 蘭という者でした。よろしゅう! 戒名は……、長すぎて忘れちゃった。
町田くんは先程申し上げた通り、二日酔いでボロボロなので、さっき私一人で家から出たところです。私にかかれば、家の出入りに鍵なんていらないのです。いつもは『自宅』でずっとドラマを観ていますが、町田くんが仕事に出ている間、たまにこうやって外に出ては、自分で情報収集だってしちゃいます。まあ、自由に出入りできるようになったのはここ最近のことなんだけどね。今までは町田くんの後ろをついて行く時しか外に出られなかったんだけど。
さて、今日は近くのお寺まで来ました。凄く私に近い存在を感じます。ここで時々、『お友達』と雑談して時間を潰すのです。町田くんには、『お友達』の存在は知らせてないけど。さてさて、初詣のお客さんをすり抜けながら、私たちの集会場に到着! まあ、お寺の裏なんだけどね。そこに、彼女はいました。
「明けましておめでとう!」
「蘭じゃない。あの男はどうしたのさ」
「昨日飲みすぎちゃったみたいで、全然ダメ。良かったら今日も付き合ってよ」
「しょうがないな」
彼女は生前、工藤 寿々と呼ばれていました。私と同じ年度に亡くなって、ずっとここに住み憑いています。私よりうんと年上で、旦那さんとお子さんもいます。月に1回はこのお寺に来て、手を合わせて帰っていきます。
大抵、私たちみたいな幽霊は人の『気持ち』を吸収してこの世界にいることができます。お寺や墓地は、そういう人を思う気持ちに溢れていて、幽霊が住み憑くにはうってつけなんですよ。私はそういう辛気臭い場所にはいたくないので、かつての住居にずっといますが。
「で、あの男はどう? 変なことしてない?」
「たまに金縛りにかけたり、背中を涼しくしたりしてるけど」
「そういうのやめろって何回言ったら分かるの。また前みたいにいなくなるよ」
「大丈夫。彼、視えてるから」
「視えてるから何してもいいわけじゃないんだよ!」
寿々に呆れられながら、お寺の敷地内を歩きます。大講堂と呼ばれる場所で、お坊さんが新年から、熱心な人たちを相手にお経を読んでいます。この心地良いリズム、たまらない……。生きている頃は何気なく聴いていたんだけど、死んでからなんだか癖になったんだよなぁ。聴きすぎたら成仏する危険性あるから、これ以上耳は傾けないけど。
「ねえ寿々さん。ちょっとお客さんからかいに行こうよ」
「はぁ? あんた何言ってるの。あの男からかってもまだ足りないわけ?」
「たまには新鮮な反応が見たいの! ほら、行こ!」
「ちょっと……」
有無を言わさず、私は参拝客の波に飛び込みます。特に若い参拝客は、リアクションが良いんだぁ。早速、着物姿で写真を撮っているカップルを発見! お互い初々しいな。高校生くらいか?
「あの人たち、アツアツだねぇ」
「そうだね」
「どうしたの。浮かない顔して」
「ねえ。本当にやるの? 噂されてるよ? ここ、出るって」
「事実じゃん」
「蘭が変なことしてからだよ! こんな噂が立ち始めたの!」
寿々さんが呆れていますが、カップルは当然、そんな口論など見れないし聞けません。とあるアプリを起動します。姿が見えないのをいいことにガン見すると、写真投稿アプリのようです。
「ねえ、あのカップル、なんか写真をSNSにあげてる」
「これ、PIC UP!っていうアプリ。若い人たちの間で流行っているんだって。このアプリを使う人たちのことを『ピックアッパー』って呼ぶんだよ。去年の流行語にもなったし」
「詳しいね」
「蘭が無知過ぎるだけ。いつもテレビで何観てるの」
「ん? 海外ドラマ。ずっと観てる」
「少しは流行を知りなさい。ここに留まっている以上は」
「はいはい……。あ、また撮るみたい」
カップルが仲睦まじく肩を寄せ合い、写真を撮ろうとします。私は男の子に背中から抱き着きます。
「蘭! 何やってるの!」
「ちょっとしたいたずら。いいじゃん、どうせ視えてないんだし」
寿々さんが止めようとしていますけど、私はカップルが写真を撮っている間、ずっと張り憑いていました。それにしてもこの二人、何回写真撮るんだ? 動画まで撮ってる。しかもずっとベタベタベタベタ。お寺の裏、私たちのプライベートスペースでキスまでしやがるし。誰も見てないと思っているんだろうな。最初は軽いいたずらで済ませようと思ってたのに、ちょっとムカついてきた。いや、かなり。
「リア充め……。一回金縛りかけたろか。それとも身体の中に入って、あんな臓器やこんな血管を……」
「やめろ」
「はい……」
そろそろ寿々さんの目がマジになってきたので、今日はこの辺で勘弁してやる、青い臭い学生ども。せいぜい長く続くことを祈っていますよーだ。
16時。そろそろ日が暮れてきました。にもかかわらず、お寺にはそこそこ人が残っています。まだまだ参拝客が尽きないようで、お坊さんたちは忙しそうに案内しています。私たちはいつもの場所で、いつものように雑談をしていました。その前に軽く説教されましたけど。
「蘭、貴女はやりすぎな面があるって何度も言ってるでしょう。だからこのお寺に通っていた人が原因不明の体調不良になったりするんだよ」
「すみません姐さん」
「その呼び方、1回もしたことないよね。まあいいや。今日はそろそろ帰るの?」
「そうだね。17時には。寿々さんは?」
「私は主人を待ってる。そろそろ来るはずだから」
どうやら寿々さんのご主人、昨年最後の墓参りで、「今度は正月に会いに行くよ」と言っていたみたいです。でも、なかなか姿を現しません。
「お寺の中、行こうよ。寿々さんのお墓の前で待ってるかも」
「そういえば。もういるかもしれない!」
私たちは慌てて室内に入って、お墓の前まで行きます。ここは屋内に大規模な墓地があり、寿々さんのお墓はやや奥まった位置にあります。
「お供え物がまだ残ってる……。まだ来てないんだ」
「じゃあ、ここで待機する?」
「そうする。蘭は帰らなくて大丈夫?」
「私は大丈夫。ご主人とお子さんに変なことはしませんから」
「当たり前でしょ……。あ!」
その時、寿々さんの表情が明るくなった。
旦那さんと息子さんが、お寺の中に入ってきたのです。息子さんは寿々さんが大好きだったビールをお供えします。おお、関係ないはずの私にも、ガンガンと『気持ち』が伝わってきます。少し痛いくらい。でも、寿々さんはそれを全身に浴びて、嬉し涙を流しています。
「お母さん、今年も持ってきたよ。飲み過ぎないでね」
「……はいはい。いつもありがとう」
息子さんの冗談、もとい気遣いに、こっちまで泣きそうになってくる。旦那さんは蝋燭に火を灯して、お線香に火をつけた。そして、鈴を鳴らして手を合わせた。心地良い音色。手を合わせたと同時に強くなる『気持ち』。それを寿々さんは、全身で受け取っていた。
「寿々さん……」
「あなた……。いつもありがとう。私はここにいるからね。いつまでも、ずっと」
息子さんも旦那さんに倣って手を合わせたところで、古いお供え物を回収して帰っていきました。本当あっという間。だけどお墓の周辺には、二人が去ってもなお、強い気持ちで溢れています。
「寿々さん、いつもこうやって見送っているんだ」
「うん。正直、家に帰りたいけどね。だけど帰ってもやることないし」
「お二人とも、立派な感じがした」
「翔馬なんて、私にべったりだったのに。すっかり大人になって」
翔馬と言うのは息子さんの名前だろう。目元が寿々さんそっくりだった。
「これでもう1年はここで過ごせる」
「そんなにいっぱい貰ったの? 凄い」
「家族ってそういうものだよ。この世からいなくなっても、固い絆で結ばれている。その分、気持ちも強い」
「なるほど……。あ、そろそろ帰らなきゃ!」
時計はもう少しで17時になろうとしていました。私は慌ててお寺の壁をすり抜け、家路へと走っていきます。
「今日はありがとう! 今年もよろしくお願いします!」
「こちらこそ!」
寿々さんは笑顔で手を振って送ってくれました。それにしても、笑顔が眩しい。人ってこんなに表情が変わるもんなんだ……。
17時ちょうど。アパートのドアをすり抜けて到着! 何とかぎりぎり間に合った……。さてさて、町田くんの様子を見てみよう。どうなっているのか気になりますねえ。
結果は……。だめだこりゃ。まだお酒が抜けていないようですね。かくなる上は……。
「さてと……」
「ただいまー」
大声で挨拶だ! 案の定、町田くんは予想だにしていなかったようで、びっくりして腰を抜かしている。この顔! この顔だよ!
「びっくりするじゃないか。帰ってきた時くらい声掛けろ!」
「声掛けても返事しない癖に」
安心した。お酒は抜けているようですね。さあ、今日は夜通し町田くんに付き合っちゃうぞ!
翌朝、町田くんは珍しく早起きだった。ニュースを観ている。何か事件でもあったのかな? と思ったら、アナウンサーがこんなことを言い始めた。
「人気アプリ、PIC UP!に投稿された、ある写真が話題になっています。先ずはこちらをご覧下さい」
なんだ? と思って観てみると、そこには記憶に新しいものが映っていました。
「こちらの写真、初詣に出かけたカップルが仲睦まじく写っています。これだけ見ると何の変哲も無いのですが、ちょっとここをズームしてみてください」
男の子の肩をズームする。それで私は確信した。
あ、これ私だ。
やっちゃったぁ。いやマジか。今までこんなこと無かったのに。それとも、私がニュースを観ていないだけで、これくらい普通にあったのか? 町田くんは私のことを呆れながら見ている。そりゃ当然だよな。
「……お前、俺が二日酔いで苦しんでいる間に外出てたよな?」
「うん」
「近くの寺で何してた」
「『友達』に会ってた」
「嘘つけ! じゃあここに映っているのは誰だ!」
「本当のことだよ! 信じてよ!」
「お前、本当に行く先々で怪奇現象起こすよな! 勘弁してくれ!」
朝から誰もいない部屋で怒号が響く。今年もこんな感じで過ごすことになるのかな。町田くんが私を心配する『気持ち』を吸収しながら、そんなことを考えていた。
改めて、今年もよろしくお願いします。町田 響くん。
閲覧して頂き、ありがとうございました。