大晦日くらいゆっくりさせてくれ!(2)
冷蔵庫の中に食料品を入れ、ようやく一息つくことができた。窓の外は猛吹雪。本当に帰ってこれて良かった……。大きくため息を吐くと、蘭が勝手にテレビをつける。地上波は新しいドラマの宣伝目的を隠そうともしない番組しかやっていない。この時期はいつもそうだ。テレビをあまり見ない俺にとっては、心底どうでもいいことだった。それよりも、蘭。お前……。
「何十回も言ってるけど、勝手にテレビつけるな。電気代、馬鹿にならないんだぞ」
「良いじゃん。日中なんて暇なんだからさ。それより聞いてよ。私が暇つぶしに見ていた海外ドラマ専門チャンネル、来年の3月で閉局になるんだよ! 後3カ月だよ3カ月! 私はこれから何を楽しみにテレビ見れば良いのさ!」
「日中暇ならずっと黙ってろ。何処にテレビを勝手につけて、放送局の閉鎖を嘆く幽霊がいるんだ。それにこれだけ動けるんなら、少しは家事とかできるんじゃないのか?」
「それは無理。電化製品は最近になってようやく動かすことができるようになったけど、何かを持ったりすることはできないんだ」
「じゃあさっき、どうやってテレビつけたんだよ」
「そこは私、幽霊ですから」
自信たっぷりに胸を張る蘭。ドヤ顔なのがいら立ちを加速させる。無駄にスタイル良いし。今の科学では説明できないことを、奴は平然とやってのける。テレビを見つめるだけでチャンネルをころころ変え、地上波からBS放送に切り替えたりもしている。
「なんだ。今はBSも年末年始特番か。つまんないの。諦めて録画したドラマ観るか」
「どうして諦めた結果がそうなるんだ。幽霊なら幽霊らしく振舞ってくれ頼むから! というか録画もできるのかよ」
「うん。何か問題でも?」
「……もういい。好きにしてくれ」
「はーい」
こいつに構っていても時間の無駄だ。早いところ大掃除を済ませなければ。コードレス掃除機片手に、フローリングから綺麗にし始める。週に一度は必ず掃除をするように心がけているが、やはり心を無にして取り組める。この時間が、俺にとって癒しとなっていた。
大掃除ということで、普段は掃除しない場所にも掃除機を伸ばしていく。安物だからちょっと騒音は大きいが、吸引力は衰えていない。埃を吸い込むのを見る度、自分の部屋が綺麗になっていくのを実感する。でも奴は、これを快く思っていなかった。
「さっきから掃除機の音がうるさい! テレビ聞こえないんだけど!」
「それ俺が掃除する度に言ってるよな。あともう少しだから我慢しろ!」
「……はーい」
毎回文句は言っているが、これでも丸くなった方だ。最初の頃はよく口論になり、隣の住民から不審に思われたこともしばしば。電化製品を操る能力を得た後は、掃除機を強制的に止められたりもした。文句だけで済むようになったのは、本当に最近のことなのだ。念入りに掃除を済ませた後は、クローゼットの中の衣類を整理する。もう着なくなったものは、三が日に売りに行く予定だ。紙袋に売るものをまとめれば、玄関に持っていく。
「町田くん、いっぱい服持ってたんだね。仕事は制服なのに」
「それは関係ないだろ。お前はこれ一着で過ごせて良いよな」
「もう着替えられないし、着替える必要もないし、着替えても誰にも見えないしねー」
白いワンピースをひらひらさせている。この格好、男の俺にとっては正直目のやり場に困る。体勢によっては、何とは言わないが見えそうになることが多い。それに蘭は基本的にだらしないので尚更だ。生前の生活ぶりを察してしまう。今もだらしなく寝そべって、何回再放送されたか分からない海外ドラマを興味津々に見ている。
「こうやって黙っていれば、それなりに可愛いんだけどな」
「え? 今可愛いって言った?」
「黙ってれば、な。頼むから年末年始くらい大人しくしていてくれ」
それから風呂やキッチン周り、クローゼットの中も徹底的に掃除した。気づいたら、時計の針は5時を差していた。もうこんな時間か……。外はすっかり真っ暗だし、外を見ると、雪もやんでいる。そして奴は……。テレビをつけっぱなしにして眠っていた。
カーテンをして、今日の夕飯を冷蔵庫から取り出す。いつもは自炊しているが、年末年始はそんな気力が湧かない。半額で買った寿司と、第3のビールだった。
去年までは家族と大晦日を過ごすのが当たり前だった。食卓のレパートリーも、手巻き寿司とかすき焼きとか、いつもは食べないようなものを食べていた。でも今は違う。年末まで仕事に追われ、ついさっきまで休む暇もなくバタバタしていた。就職してからしばらくは、忙しさとストレスでどうにかなりそうだった。寿司をつまみながら、この1年を思い出す。
「……はあ」
またため息だ。気を紛らすために酒を流し込む。駄目だ。全然美味く感じない。どうして大晦日にこんな憂鬱な気分にならなきゃいかんのだ。お隣さんは実家に帰っているらしく、昨日の朝から物音が全くない。だから余計に静けさが身に染みる。孤独を感じる。
頭を掻きむしりながら、電気をつける。こんな暗がりで飯を食っても、余計に寂しくなるだけだ。部屋が明るくなると、同時に蘭も行動を再開した。大きく伸びをして、ゆっくりと起き上がる。
「ちょっと。せっかく人が気持ちよく寝てたってのに。いきなり電気なんてつけないでよ。びっくりして成仏するところだった!」
「ここは俺の家だ。何しようと勝手だろ。それにこんな簡単に成仏するかよ。してもらっちゃ困る」
「何それ。まさか、私がいないと寂しいんだ」
「んなわけないだろ」
「そう。ところで美味しそうなもの食べてるね。生きている時は、体重とか気にせず食べてたなぁ」
「酒は飲めたのか?」
「うん。だけどあんまりキツいのはダメ。ビールくらいならいけたけど」
俺が酒を飲んでいる横で、蘭は寿司をじっと見つめている。こうして考えてみると、よく俺はこいつと1年近く一緒に過ごせたものだと感心してしまう。口論(部屋に一人しかいないのに)はしょっちゅうだし、腹いせに職場にまで憑いてきて、1日中身重で仕事せざるを得なかった時もあった。
「テレビつけていいか?」
「どーぞ」
何気なく年末恒例の歌番組にチャンネルを合わせる。こうやって見てみると、全く知らないアーティストが増えた。俺が仕事忙しくて、テレビなんて観ている時間など無かったのが原因なのかもしれないが。というか今気づいた。俺、いつしか幽霊に気を遣っていないか? 傍から見たら、完全におかしい人じゃないか……。そんな気持ちをよそに、蘭は退屈そうに、俺にもたれかかっている。
「そんなの観て何が楽しいの?」
「年末といえばこれだろ。というか背中にもたれるな。重いし変に寒い」
「いいじゃん。町田くんの背中、暖かいし」
「そりゃ幽霊にとっちゃ、何でも暖かく感じるわな」
俺は2本目の酒を取りに冷蔵庫へと歩く。蘭がへばりついているが気にしてはいけない。孤独を酒で洗い流すのは虚しいことだと分かっていても、どうしてもこれしか手段が無いと思ってしまう。
ああ、背中が妙に寒い。最近、蘭がよく俺にへばりつくようになった。慣れというのは恐ろしいもので、少しずつ奴のことを許容してしまっている俺がいる。酒で火照っているのもあって、寧ろ寒さが心地良いくらいだ。
「お酒飲むペース早くない?」
「うるさいな。好きに飲ませろ」
「節度守って飲まないと、私と同じ場所に逝っちゃうよ」
「大丈夫大丈夫。心配御無用!」
少し気持ちが大きくなってきた。もうテレビは観ていない。蘭のことばかり見ていた。ここから先は、頭に霞がかかったかのようにボーっとした記憶しかなかった。