大晦日くらいゆっくりさせてくれ!(1)
12月31日。世間は大晦日。テレビをつければ芸能人が年越しを待ちわびるかのように暑苦しくスタジオを動き回っている。外を見れば年末年始の買い出しで、人が溢れかえっている。車はお行儀よく行列で待っていて、店の中に入ると我先にと商品を奪い取っていく。
俺、町田 響はそんな修羅場に呑まれながら、年末年始を飢えない程度に過ごすための食材を買っていく。仕事納めは昨日で、それまで全く、年末の準備なんてできていなかった。大掃除も中途半端。忙しさと疲れにかまけて、動くことも億劫だった。年越しそばとして食べるカップ麺を買い物かごに放り投げると、レジで精算を済ませて、やけにむさ苦しいスーパーから脱出した。
外、寒い。なんでこういう日に限って大雪なんだよ。周りの騒音をシャットアウトするためにスマホでラジオを聴く。腕がだるい。近場だし、そんなに買うものもなかったから車使わなかったけど、こうして帰り道を歩いているとやけに疲れてくる。ラジオから流れるアナウンサーの声。さっきまで大雪注意報だったのに、警報に変わっている。やべ。早く帰らなきゃ。俺は自宅に向けて、ホワイトアウト寸前の外を歩いていた。
20分は経っただろうか。ようやく自宅であるアパートが見えてきた。スーパーからここまで1キロないのに、死ぬ思いをした。全身が鉛のように重怠い。階段を昇るのも一苦労だ。
ん? 待てよ? さっきと比べて急過ぎないか? 確かに腕は怠かったが、今は全身怠い。まさかあいつか? 下ばかり向いていたから気付かなかった。俺は上を向くと、案の定だった。あいつは、俺の背中にしがみついていた。さながらユーカリの木にいるコアラだ。
「……なんでお前、部屋から出てきてんだよ。邪魔だから降りてくれ」
「ファイト! こんなところで立ち止まっちゃ、私と同じ存在になっちゃうよ」
「質問に答えろ!」
俺が何度も頼んでも、あいつは俺の背中に張り付いていた。本当に自由気ままだな。やっとの思いで自宅に入ると、冷え切った部屋を暖めようとストーブをつける。あいつは一目散にストーブへ駆け寄り、猫のようにそこに陣取った。
彼女は、このアパートに住みつく居候、正確に言えば幽霊だ。
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就職を機に一人暮らしを決めたのは、今から1年前。なかなか就職先が決まらず、それに伴って住宅の空きも少なくなっていた。ようやく1月末に内定が決まった時には、目星をつけていた物件は全て契約済み。何処に住めばいいのか、少しだけ絶望していた。
ある日、俺は賃貸契約サイトでこんな文字を見つけた。
「……築5年の木造アパート、1LDK、トイレ風呂別、家賃……、2万5000円?」
こんな物件、聞いてなかったぞ。俺は早速、不動産業者に問い合わせた。あれよあれよと話が進み、物件の下見に行く。一通り確認すると、担当者がこんなことを口にした。
「町田さん、本当にここでよろしいですか?」
「はい! 日当たりも良好で、部屋も綺麗。職場からも近いし、文句ないですよ!」
「……本当に、よろしいんですか?」
表情がずっと浮かない。そういえば、物件を紹介している時も笑顔があまり見られなかった。何か隠している? 急に雲行きが怪しくなったのを感じ、俺は質問した。
「表情暗いですよ。何か隠していることあります?」
「……どうしてこんなに家賃が安いと思います?」
「今話題のワケあり物件ってやつですよね? 多少のことなら許容しますよ」
「ワケあり物件っていうのは本当です。実はここ、出るんです」
「出る? 何がですか?」
「……幽霊」
いきなり何を言い出すのかと思えば、幽霊が出る? 思わず苦笑いしそうになったが、担当者は話を続ける。
「この部屋に住んでいた女性が、職場の同僚に刺殺された事件が3年前にあったんです。2年前から賃貸を再開したんですが、それから不思議な現象が次々と起こっているんですよ」
「具体的には?」
「今まで契約されたお客様の情報によりますと、夏になると窓の鍵が勝手に開いたり、朝テレビを消して出勤したはずなのに、帰ってくるとついていたり、寝ている時に金縛りに遭ったかのように身体が動かなかったり……。それでも契約なさりますか?」
担当者の鬱々とした表情と、やけに具体的な被害報告に、俺は彼が嘘を言っていないことを感じた。俺、実は霊だとかそういうものを感じ取りやすい体質で、こうしている間にも、その、なんだ? 周囲に何かいるのは分かっている。担当者以外の視線を感じる。その違和感に耐えながら、平静を装っているのが現実だ。しかしここを逃してしまえば、残りは築年数が古かったり、家賃が7万以上とべらぼうに高かったりする物件しか残らない。ここは腹をくくって、1年は住んでみるか? 一応、覚悟は決まった。
「はい。ここにします」
「かしこまりました。それでは契約の手続きを致しますので、一旦弊社まで戻りましょう」
「ありがとうございます。でもちょっとすみません。もう少しだけ部屋の様子を確認したいので、車の中で待っていてください」
「かしこまりました。こちらが鍵です。お好きなように確認してください」
担当者は肩の荷が下りたかのような笑顔で部屋から出ていく。でも今度は対照的に、俺が溜め息を吐いた。
「そこにいるのは分かってるんだ。まさか本当に出るとはな」
「はーい。呼ばれました? というか私のこと見えてる?」
すっとぼけたような口調で俺に話しかけてきたのは、俺と同じくらいの歳の女だった。この季節なのに、白い薄手のワンピース一枚。幽霊のくせに黒い長髪は無駄にサラサラしている。俺の顔を覗き込むその顔は、とても幽霊とは思えないほど血色が良かった。
「あ、申し遅れました。私、現世では篠田 蘭という名前でした。よろしゅう!」
「よろしゅう! じゃないよ。初対面なのにやけに馴れ馴れしいな」
「だってここに住むんでしょ? 今のうちから仲良くなっておかないとなって」
「仲良くなってどうするんだよ。魂でも抜き取る気か」
「物騒だなぁ。そんなことしないよ」
この蘭って幽霊、やけに俺に話しかけてくる。しかしこいつに話しかけるってことは、一人で存在しない誰かに話しかけていることになる。頭おかしい奴に見えてしまうじゃないか。今まで俺は、幽霊が見えたとしても誰にもそれを話すことはしなかった。たとえ話しかけてきたとしても、極力関わろうとはしなかった。
「そろそろ担当の人が待っているから、この辺で帰らせてもらう」
「はーい。部屋暖かくして待ってるねー」
「できれば3月末には消えていて欲しいがね」
「冷たいんだ」
幽霊は口を尖らせて、そのまま俺の前から消えていった。こいつ、自由に消えたり現れたりできるのか。厄介なタイプだな。しかしここを逃すと、また一から部屋探しだ。とりあえず少し住んでみてから、転居するかどうか決めよう。俺は部屋に鍵をかけ、担当者の車に乗る。
「お部屋はどうでしたか?」
「何度も確認してみましたけど、やっぱりここにしたいです。戻ったらすぐに手続きできます?」
「勿論です! ところで、幽霊の話は話半分に聞いておいてください。単なる偶然が積み重なっただけかもしれませんから」
「そ、そうですね。アハハ……」
単なる偶然で済まない状況に、ついさっき遭遇したが、そんなことを言っても信じてもらえないだろう。俺は諦めて車に揺られることになった。
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