未亡人 アリシア・オーウェン
知っているつもりだった。
彼が重度のヘビースモーカーだってことを。
知っているつもりだった。
彼が親友の仇をとりたくて無茶な行動をとっていることを。
知っているつもりだった。
その日もきっと私の元に帰ってくる日常が続くということを。
でも、彼はあの日に人質になった少年の命と引き換えに死んだ。
あれから2年経って、悲しさが無くなったかと聞かれればそんなことはない。
彼を想って枕を濡らす日だって当時よりは少なくなったといえ、ふとした瞬間に感情のコントロールが出来なくなってしまう。
そして、今日は彼の命日。
いつもこの日は屋敷を抜け墓参りに向かう。
苦手だった煙草も彼に近付きたくて、彼がいなくなった寂しさを埋め合わせるかのようにはじめた。
けれど、何かが埋まることはなかった。
ただ、虚しさだけが私を支配する。
墓石の前にはちょうどひとりの男性がいた。
グレイソンの友人か同僚なのだろう。その認識で、毎年この人とは挨拶を交わす程度だ。
今年もその人が去る前に挨拶を交わす。
「こんにちは。今年も会いましたね」
「ええ、そうですね。彼奴もあなたのような女性を置いていくなんて罪な男ですね」
「付き合っていたこと聞いてたいたのですね」
「ええ、あなたとの写真を嬉しそうに見せてきましたから。あのときの彼奴の顔はいまでも覚えていますよ」
「彼そんな恥ずかしいことしていたのですね。もう、何で黙っていたのよ、バカ」
墓石に悪態をついてみるが何も反応はない。
そんなことわかりきっているが言わずにはいられなかった。
だって、私はグレイソンの友人なんて紹介されたことなかったから。
それなのに、グレイソンの友人は私のことを知っているなんて平等じゃない。
そう考えていると彼は「不服そうですね」と問うてくる。
不服なのはあたりまえだ。
私は彼の交遊関係を知ることもなくただ彼だけをみていたことになるのだから。
「彼奴は、あなたを守りたかったのですよ。変な男からね。そう僕みたいな男から」
「可笑しなことを言いますね。グレイソンの知り合いにそんな変な男がいるなんて思えないですよ。だって、あなたは義理堅い男だと私は思っていますよ。こうして、毎年会いに来てくれる」
毎年彼がここに来ているのは知っていた。
だから、いつかこんな風に話すことになるんだろうとは思っていた。
「あなたにその煙草は似合いませんよ」
「そう…ですよね。私はこんなタールの煙草吸いませんから。彼の命日だから。今日だけは1年で1度だけ我慢させないで吸わせてあげたくて」
涙が込み上げてくるのを必死に耐えながら答える。
こんな煙草が私に似合わないのはわかっている。
だって、私は煙草自体好きじゃないから。
ただ、彼がいなくなった隙間を埋めたくて彼の匂いを忘れたくなくて…そんな感情から逃げたのだ。
「知っていますか。僕は学生時代にあなたと会っているのですよ」
「……?」
「知らないですよね。まあ、仕方ないとは思いますよ。僕は他校のテニス部に所属していたのですから。練習試合で行った学園のコートで楽しそうに彼と笑い合うあなたを見たのですよ。そのとき一目惚れしました。その後、あなたに会いたくて何度かあなたの学園にも行ったのですが、既にあなたにはグレイソンという婚約者がいたようでしたが」
学生時代の記憶を呼び起こせば、女子生徒の間で放課後に他校の美丈夫が来ているという話を何度か聞いたことがある。
婚約者のグレイソンがいた私は、その話題に興味を持てずに無視していた気がする。
「あなたに泣き顔は似合いませんよ。笑ってください。彼奴もきっとそれを望んでいます」
「あなたに、私の何がわかるのですか!!私だって笑えるなら笑いたいです。グレイソンがいなくなってから、どうしたらいいかわからないのですよ」
彼を想う度に涙が込み上げ、それを消化できずにひとり寂しく泣いている。
ふとした瞬間に込み上げるこの感情を私は持て余しているのだ。
いまだって、我慢しているのをわかっているはずなのに彼は私を泣かせようとする。
この人は何なのだ。
「…リアム・ハワード。僕の名前ですよ。覚えてください。アリシア・オーウェンさん。それに、泣きたかったら泣いてください。いまはグレイソンに変わって僕があなたを慰めます。悲しくなったら僕に手紙をください」
「…ハワード様、あなたはどうしてそんなに優しいのですか。ただの一目惚れって言ったって学生時代ですよ。あなたみたいに人なら、もういい人くらいいるはずなのにどうしてですか?」
「…優しいですか。あなたにはそう見えるかもしれませんが、僕はこう見えてズルい奴なんですよ」
そう言って笑う彼につられて笑ってしまった。零れそうだった涙は笑ったことによって頬を伝ってく。
ただ話していただけなのに、彼の距離が近いことに今更ながら気付く。
そっと、涙を人差指で拭われる。その仕草に久しぶりにトキメいてしまった。
グレイソンを失ってから、ただただ無意味な日々を過ごすだけだった。
そのため、久しぶりの感情に戸惑う自分がいる。
「やはり、あなたは笑っている方が素敵ですよ。アリシアさん、これを機に僕とお近づきになってくれませんかね。ですが、グレイソンのことは忘れなくていい。それでも、僕はあなたのそばにいたいのです」
「それでは、ハワード様の婚約者様に悪い気が」
「こうみえてあなたに囚われて以降、婚約者との関係も悪化して破棄されましたので、まだ独身です」
ウィンクをする彼はグレイソンとは、また種類が違う人なのだと思った。
こんな人に迫られたら落ちない人はいないのではないかっと思う。それだけ彼は魅力的だ。そっと外套から見える軍特有の紋様が見えた。彼はグレイソンと同じでこの国の平和を守っている人なのだ。
そう思えば彼に私が何を伝えるべきか決まっている。
「ハワード様もグレイソンみたいにいつか私の前から居なくなってしまうのですよ。だったら、最初から関わらない方がいいかもしれません。毎年、この日だけ会う関係でいいのではないですか?」
「そうですね。あなたの意見にも一理ある。そして、あなたは意外と芯が強い女性だということを知りましたよ」
「なら、この提案を受け入れていただけたと思っていいのですよね」
「いいえ。僕はその提案を受け入れる気はありません。グレイソンからあなたを奪うつもりで今日はここにいるので」
何を言っているのか正直わからなかった。だって、この人は軍関係の人なのだからいつ命を落とすのかわからない。またグレイソンを失ったときのような悲しさを私に味わえと言うのか。
久しぶりに味わった甘酸っぱい気持ちですら、私を苦しめる一味に変わってしまう。
この人の優しさが私にとっては毒なのだ。
墓石を見つめていた私に彼は「あなたは毎年泣いてばかりだ。僕はそんなあなたを救いたい。だから、忘れて」と告げてくる。
顔を上げようとした瞬間にきつく抱きしめられていた。この感覚。温もり。
初めて感じるものなのに、懐かしく感じてしまう。そんな私を余所に彼は「宣戦布告なのですから、今日から僕がアリシアさんをグレイソンに代わって守ると言う。だから、僕にだけ微笑んでください」とだけ言われる。
離してほしいはずなのに、その温もりに甘えてしまう。
私はこんなにも不誠実な女だっただろうか。グレイソンもみているはずなのに。
その時、ふと耳元に「幸せになれよ」とグレイソンの声が聞こえてきた気がした。
ここには私とハワード様しかいないのにはずなのに。
その声に私はただ泣くだけだった。恥ずかしさなんてないくらいに泣く。
きっと、驚いただろう。グレイソンの言葉をいままで抑えていたものが一気に込み上げてきてしまったのだから。
「僕があなたを守ります。だから、黙って守られてください」
「はい」
彼の胸元で嗚咽交じりに頷けば彼は優しく髪を撫でてくれる。
その手つきがまた彼を思い出してしまい悲しくなる。
けれど、私は前に進まなくてはいけないのだ。
だから、私は差し出された手に縋った。最低だと思われても仕方がない。
このリアム・ハワードという男の優しさに縋りながら生きていくことになってもいいとさえ思えた。