桜の香り
桜の香
私は春が嫌いだ。人生を振り返った時に、節目節目での春には良い思い出がない。希望に満ち溢れて中学校に入学したものの、三百数十人の新入生の中で2番目に小さくてショックを受けたことから始まっている。高校入試に失敗して失意の中、滑り止めの高校に嫌々通い始めた15歳。大学受験にも失敗し、浪人生活を始めた18歳。理由もわからず就職内定取り消しになり、人生が終わったと悲観しながら大学に留年した23歳。夢や希望を感じる季節であるはずの春は、私にはつらい記憶が多い。いつのころからか、私は香りに敏感になった。特に桜の香りには敏感である。誰もが桜は香りがしないと言うけれど、私にはハッキリと判別ができる。私の中では桜の香りイコール悲しい記憶と結びついている。
その日の朝は日差しが柔らかく、気分良く仕事に向かった。いつもの通勤経路でいつもの電車に乗った。電車を降りて会社に向かう途中、一気に気分が急降下した。桜の匂いがしたのである。「今日は何かいいことがあるかもしれない」と思って家を出たが、ここに来て「何か悪いことが起こるんじゃないか」と思えてきた。私は地方銀行で働いており、今は関東にある中核都市の支店に配属されている。10年勤めてやっと渉外課長代理という肩書をもらった。自分でも思うのだが、まじめな事だけが取り柄で営業能力は自信がない。だから、営業成績は常に下位を彷徨っていた。今月も残り1週間であるが、目標の6割にも達していない。一生懸命営業を頑張っているつもりであるが、成績に結びつかない。プロセスよりも実績が全ての世界なのだ。今月も月末の実績報告会議で支店長からの叱咤激励に耐えなければならない。勤務先に到着し自席についた途端に電話が鳴った。受話器を取り相手が誰であるかわかった瞬間に憂鬱になった。俗にクレーマーと呼ばれる顧客であった。有野陽子47歳バツイチ独身である。月に2~3回電話が来て、自宅訪問を要請される。支店ではアリババと呼んでいた。「きっと今日も無理難題を突き付けられる」そう思いながら訪問の約束をした。通常1日に営業できる時間は、午前中が2時間、午後は3時間程度であるが、アリババに訪問すれば最低2時間は拘束された。しかも、要件は営業目標に関係のない内容がほとんどであり、私個人にはメリットどころかデメリットばかりが多い顧客であった。通勤途中の桜の匂いを思い出し、「これだったか」と思った。約束の午後3時に訪問すると、すぐに「私の住宅ローン金利の引き下げは検討してくれた?」と質問された。「また始まった」と心の中で思いながら「先日もお話しした通り、有野様の住宅ローン金利は当行でも最低に近い水準となっております。これ以上は引き下げが出来ないと思いますが、そもそも私に金利引き下げの権限は無いので、支店長に相談しているところです。精一杯交渉しますが、状況は厳しいと思います。」と返答した。「やっぱりそうなの。無理かなと私も思っていたわ」その発言に私はびっくりした。いつもと違うのである。いつもは金融指標がどうの、メガバンクではどうのと色々な難癖をつけて、自分の要求を通そうとするのに、今日は違った。アリババは続けて「実は、今日来てもらったのはその要件ではないの。私の知り合いがお金を借りたいけど、金融機関に知り合いがいないので誰か紹介してとお願いされたの。」1枚の紙を渡され「これが借入希望者のプロフィール。本人と会う前に事前で予備審査してきて」そう言った。私は「お客様をご紹介いただき有難うございます。支店に帰ったらさっそく審査に回します。ところで、このプロフィール以外で確認したい事項があった場合はどこに連絡したらいいですか。本人に直接連絡してもいいですか。」アリババに聞いてみた。「私に連絡ちょうだい。私が聞いてあなたに伝えるから。」と返答があった。改めてプロフィールを見ると、西野安奈29歳独身とあった。借入希望金額は100万円、資金使途は友人への援助資金とあった。この時点で私には何か違和感があった。長年の経験で、違和感のある話はだいたいダメである。「どのような知り合いの方に何の援助をなさるのかを聞いていただけますか」私は言った。アリババは「わかった。聞いたら連絡する。出来るだけ早くOKの返事を頂戴。」と言った。私は「OK出来るかどうか、審査もしないうちに返事が出来ません。有野様のご紹介ですので審査が通るように私も頑張りますが」とくぎを刺した。こう言っておかないと、「申し込んだら必ずその通りになる」と思う人だから、私は保険を掛けたのだ。営業店に帰り、融資担当に予備審査申請を行った。資金使途は公序良俗に反しないとの条件で空白にしておいた。金額が少額であったこともあり、1時間もするとあっさり仮承認が下りた。程なくアリババから電話が来て、「さっきの話なんだけど、友人と言うか知合いが『子ども食堂』を運営しているのだけれども、運営費が足りないのを援助したいらしいの。詳しい内容は融資承認となったら直接本人に聞いて。連絡先は渡したプロフィールにあるから」そう言うと一方的に電話を切った。自分で借金してまで社会奉仕的なものに援助する人が本当にいるのだろうかと考えたが、先ず会って話を聞いてから融資するかどうかを決めようと考えた。融資承認が下りたから必ず貸さなければならないことはない。もし貸さなければ、目標に届いていない私を課長は責めるだろうけれど、それは仕方がない。
西野安奈さんと連絡が取れたのは翌日のお昼であった。会ってお話を聞きたいと告げると「今日仕事の帰りでよければ、そちらの支店に行けますが」との返答があり午後5時30分に支店で来てもらうことにした。借金してまで人助けをしようとする人はどんな人だろうと興味があった。話を聞いて、資金使途に嘘を感じたら融資は断ろうと思いながら西野さんを待った。5時半を過ぎても西野さんが来ないので電話で確認しようとしたとき、ATMコーナーの呼び出しコールが鳴った。西野さんであった。既に銀行は3時で店舗営業の時間が終了していたので、何処から入ったらいいのかわからず、周りをウロウロしていたとのことだった。私は「時間外の出入り口をお知らせせずに申し訳ありませんでした。」と謝ったが、西野さんは気に留めていないようであった。応接セットに通し、改めて正面から西野さんを見ると驚いた。気品と言う言葉がぴったりとする女性なのである。美しい女性は世の中に沢山いて、私の顧客の中にも女優と言ってもおかしくない人はいる。けれども、西野さんは「凛として気品に満ち溢れた美女」という表現がぴったりな人であった。目を見ると吸い込まれそうで、目を見れずに今回の案件について質問した。つい正直に「資金使途以外は全く問題なく承認が取れました。資金の使い道について詳しくお聞かせ願いますか。」と言ってしまった。話を聞いた後に「融資できません」とは言えない話し方をしてしまった。すると西野さんが「貯えも少ないし、今の私の収入では一度に100万円を援助できないので融資を申込しました。実は私は公共の児童養護施設で育ったので、とりあえず食べるものには困りませんでした。ある時、民間で『子ども食堂』を運営している方とお話しする機会があって、私の子供のころよりも困っている子供たちが沢山いることを知りました。運営している方から「せめて自分の運営する『子ども食堂』に来た時くらいはお腹一杯ご飯を食べさせたいのです。」というお話を聞きました。ただ、運営費が絶対的に足りないと聞いた時、どうしても援助したいと思ったのです。本当はもっと金額が多ければいいのですが、私の給料での返済を考えるとこれが限度かなと思いました。」私は銀行員としてではなく一人の人間として、すごく感動して「ご融資いたします」と言ってしまった。また、美しい西野さんと個人的に仲良くなりたいとの邪念もあり、いつもはそこまでしない「銀行は資金使途の確認を行う義務がありますので、融資実行後、『子ども食堂』の運営者のところに一緒に行っていただいて、間違いなく運営費として利用されているかを確認させてください。」と言った。具体的な必要書類が書かれたメモを渡し、そろったら連絡をもらうことにした。その日西野さんが帰ると、同僚や上司が「何者?」と興味本位で聞いてきた。あまりの美しさに男性陣は圧倒されたようであった。「アリババから紹介された融資申込者」と簡単に説明し、私は帰り支度に取り掛かった。
2日後に西野さんから書類がそろったと電話があった。支店に来てもらうと、同僚の視線が気になるので、「よろしければ、お昼休みの時間にでも勤務先にお伺いして手続きをいたしますが、いかがですか」と聞いてみた。「職場に訪問していただくのは問題ありませんが、よろしいんでしょうか。もし来ていただけるのであれば、出来れば、私は夕方の方が都合がいいのですが」西野さんが答えた。私は心の中で「喜んで」と言いながら了承し、西野さんの職場の所在地を聞いた。所在地は都心の一等地であった。しかも勤務先は大手一流企業の本社であった。今回の融資案件とのバランスが悪いと思いながらも、明日の夕方に会えると思い嬉しかった。翌日は朝からソワソワしていた。西野さんに会えるのである。妙な言い方であるが、鑑賞に堪えられる女性であると思う。女性蔑視でもなんでもなく単純に美術鑑賞と同意義のものである。電車で西野さんの勤務先に向かった。立派なビルであった。受付で西野安奈さんとアポイントがあると告げると、エレベータで9階に案内された。エレベータ内の案内板では9階は役員室フロアとの表示があった。エレベータが9階で開くと目の前に西野さんが立っていた。支店で会った時より制服の西野さんは一層美しく見えた。「わざわざ遠いところまですいません」笑顔で西野さんは言った。「こちらにどうぞ」応接室に案内された。そこで事務的なやり取りをし、手続きが終わってから、「ビックリしました。場違いなところに来ちゃったと焦ってしまいました。西野さんは凄いところにお勤めなんですね。」私は本音を言った。西野さんは「会社は立派ですが、私は契約社員の役員秘書ですから。何も凄いことはないです。22歳から7年も勤めていますが、給料も同じですし」笑いながらそう話した。私は「でも、誰でも勤められるような企業ではありませんよ。しかも役員秘書なんて普通の女性には無理なんじゃないですかね。」そう言うと「私はそんなに普通じゃないように見えますか。」少しトーンが下がった声になった。私は「ヤバい、いらないことを言って怒らせちゃったかな」と思い話題を変えた。「先日支店においで頂いた時間から考えると、そろそろ終業の時間じゃないですか。」と聞いてみた。西野さんは「はい。今日は私の担当する役員が戻りませんので、私の業務も終わりです。」と言った。私は少しでも西野さんと一緒にいたいと思ったので、「もしよろしければ、今から、援助する『こども食堂』に一緒に行っていただけませんか。」と聞いてみた。「今日はこの後特に予定が無いので、良いですよ」と了承してくれた。私はあと数時間西野さんと一緒にいられると思い、心の中でガッツポーズをしていた。私は「ところで西野さん、『こども食堂』はどこにあるのですか」と聞いた。西野さんは「私の住んでるアパートの隣にあるんです。」と言った。以前にアリババから貰ったプロフィールで住所は分かっていたので、一緒に向かった。『こども食堂』は地区の公民館のような建物で運営されていた。建物の前まで来ると西野さんが「アパートに戻って着替えてきますので、ちょっとだけ待っていてください」と言い、隣に立つ古いアパートに走っていった。しばらくすると普段着に着替えエプロンをつけた西野さんが戻ってきた。「毎日は出来ないけれど、できるときは夕食の準備を手伝っているのです。」そう言って笑った。一緒に建物の中に入っていくと、すぐに数人の子供たちが西野さんに向かって走ってきた。「あんなちゃーん」嬉しそうに子供たちが笑っている。西野さんは「後で遊ぼうね」と優しく声をかけていた。すると奥から年配の女性が出てきた。「運営をしている石井さんです。」西野さんが紹介してくれた。私は「みらい銀行の中川です。この度西野様が『こども食堂』にご援助されると伺い、訪問させていただきました。」と挨拶した。「西野さんからは、いつもお世話になっているのですよ。大変ありがたいことです。」石井さんは感謝の言葉を言った。私は、今回の援助が融資によるものかどうかは『こども食堂』には関係のない話と思い、融資の件は話さなかった。一通り中を見学させていただき、私は帰ることとした。西野さんは「私はこれからお手伝いをしてから帰るので、ここで失礼します」と私に向かって言った。私は「世の中にこんな身も心も綺麗な人がホントにいるんだな」と思いながら西野さんに「それでは失礼します。融資が実行となったら連絡させていただきます。」と言い帰路に着いた。一旦支店に寄って西野さんの関係書類を金庫に格納し、自宅に向かった。自宅に向かう途中、そして自宅帰ってからも何かしっくりこないものを感じていた。西野さんの容姿と勤務先、勤務状況が住んでいるアパートと普段の身なり、そして『こども食堂』を手伝っている姿がマッチしないのである。西野さんへの興味がますます増していた。「仲の良い「知り合い」になりたい。」私の本心であった。どうしたらそうなれるのか、色々考えた。銀行の商品セールスと称して連絡を取ろうか。『こども食堂』に興味があると言って少し寄付金をして近づこうか。休みの日、西野さんのアパートの周りをウロウロし、偶然を装って声をかけようか。いろいろ考えたが、どれもわざとらしく思えた。融資実行報告の際に思い切って食事にでも誘おうと決意した。
一週間後に融資が実行となった。通帳と払い出し伝票、振り込み伝票を事前に預かっていた私は、『子ども食堂』運営者の口座に振り込みを行った。西野さんに報告するため連絡を取り、「事務処理が全て完了しましたので、お預かりしていた通帳と計算書、領収書をお渡ししたいのですが。今日はお時間がありますか。」私は聞いた。西野さんは「予定は別にないので、仕事終わりに支店に行きます。」そう言ってくれた。私は「出来れば、私が『こども食堂』に行きますので、そこでお渡しするのはどうでしょうか」と言ったところ、「申し訳ありません。そうしてもらえれば今日も『こども食堂』にお手伝いができます。」と喜んだ。私は支店に来た西野さんを興味本位で同僚に見られたくない思いから提案したのであって、西野さんと会えればどこでもよかったのである。アポイントが取れた後、私がよほど嬉しそうな顔をしていたのか、同僚から「何かいいことでもあったの?」と聞かれた。私は「別に」とワザとそっけなく返事をした。午後5時10分の定時退社時間が待ち遠しく、仕事が手につかなかった。定時と同時に会社を飛び出した私は、まっすぐに『こども食堂』に向かった。建物の前で待つこと20分、西野さんが会社から帰って来た。「お待たせしてすいません。」丁寧なあいさつだった。私が「何も問題はありません。ところで通帳などお返しするにあたって、少し説明をさせていただきたいのですが」と言うと、「それでは私のアパートでいいですか。」と西野さんが言った。私は心の中で、「天にも昇る気持ちってこういう気持ちなのか」と思いながら、できるだけ冷静を装い「どこでもいいですよ」と言った。西野さんに案内された部屋は、お世辞にもオシャレとは言えないものであった。けれども室内は清潔に保たれており快適であった。ただ、若い女性の部屋という印象はなく、いたってシンプルなものであった。「女っ気のない部屋だと思ったでしょ。」と西野さんが笑って言った。「素敵なお部屋だと思います。」私は素直に感想を言った。書類の説明をして通帳などをお返しした後、「夕食は『こども食堂』で一緒にとられるのですか。」と聞いてみた。西野さんは、「食事は子供の為に作っているので、私はここに帰ってから自炊しています。」そう言った。私は思い切って「もしよろしければ、いや是非私と一緒に食事しませんか」聞いてみた。一瞬、西野さんは困ったような表情をしたが、「お手伝いの後なので、8時頃になりますがいいですか。」と言ってくれた。私は心の中で両方のこぶしを握り締め「全然問題ないです。西野さんと一緒に食事できるなら、真夜中でもOKです」とハイテンションで応えた。「ところで、西野さんの食べたいものは何かありますか」と聞くと「なんでも食べれますし、好き嫌いはありません。ただし、今日は持ち合わせがあまり無いので、あまり高価なところは遠慮したいです。」こう言った。私の中では女性との食事で「割り勘」という概念がなかったので、とても新鮮な発言に感じられた。私は「一旦帰って、8時に迎えに来ます。それまでに何にするか決めておきます。」そう言って帰り支度を始めた。直ぐに自分のアパートに戻り、ネットで食事場所を探した。西野さんの雰囲気から居酒屋ではないし、かといって初めての食事から高級なところも躊躇われた。結局、手頃な街のイタリアンレストランに行くことにして予約をした。少しでも一緒の空間にいたいと思ったことから、車で迎えに行くことにした。気が焦っていたせいもあり、約束の30分も前に西野さんのアパート前に到着した。自分には美的センスが無いと自覚していたので、変に見栄を張っても仕方がないと思い、普段着を着てきた。約束の5分前に西野さんがこども食堂から出てきた。車で待つ私を見つけると、駆け寄ってきて「エプロンだけアパートに置いてきますね」と言いアパートに入っていった。
私はドキドキしながら運転していた。隣に美女を乗せている優越感もある。30分程でレストランに到着したが、テンションが高い私は到着するまでにずっと自分の話をしていた。私が地方出身者であること、銀行員に自分は向かないと思いながらも10年以上も勤務していること、仕事で失敗した事等を話した。西野さんは嫌な顔もせず私の話を聞いてくれた。レストランに到着すると西野さんは「ここですか」とちょっと困った顔をした。私は「高級そうな外観とは違い、リーズナブルな価格でおいしい料理を食べさせてくれる店なんです。・・・・ネットの情報ですけれど。実は私も初めて来る店なんです。」と笑って言った。「それと、今日は私が無理を言って西野さんを食事に誘ったので、是非私にごちそうさせてください。失礼だとは思いますが、西野さんとお友達になりたいので、また会ってもらえるように、ちょっとだけ恩を売っておきたいのです。」おどけた表情で言ってみた。西野さんは「わかりました。それでは、せっかくなので、今日はごちそうになります。でもどうして私を?」不思議そうな顔をした。私は「食事しながら話しましょう。」そう言って店にエスコートした。店内は落ち着いた重厚な雰囲気であり、確かに高級感が漂っていたが、メニューを見るとイメージよりもずっとリーズナブルな感じがした。2人分のコース料理をオーダーした後、「西野さんはお酒は飲まれますか。私は車の運転がありますので今日は飲めませんが、せっかくの料理なのでいかがですか。」と聞いてみた。西野さんは「お酒は強くないのだけれど、好きです。特に甘口の白ワインが好きで、時々自分のアパートでも一人で飲んでいるのですよ。でも、中川さんが飲まないのであれば我慢します。」と言った。私は「せっかくの機会だから飲んで下さい。私もウーロン茶を頼みますので乾杯しましょう。」そう言って白のグラスワインとウーロン茶を注文した。料理はどれもおいしいはずであるが、西野さんとの食事に興奮していたのか味はよく分からなかった。「西野さんは綺麗なので、男の人に食事なんかに誘われることが多いのではないですか。」ストレートに聞いてみた。西野さんは「会社とアパートの往復に時々『子ども食堂』のお手伝いなので、男の人と知り合う機会がないんです。会社の人も誘ってくれないですし。」そう話した。不思議であった。いくら出会いがないと言っても、勤務先が一流の大手企業である。若い男性はいくらでもいそうである。ただでさえ綺麗な西野さんが目立たないはずがないのである。ただ私にとっては、こうやって一緒に食事ができることがうれしく、ラッキーと思うことにした。仮に西野さんがモテモテで勤務先のエリートサラリーマンと競争になったら、私が勝っているところは何もないと思われ、こうやって食事もできないだろうなと考えた。西野さんはワインを飲んで、すこし緊張がほぐれたのか自分のことを話し始めた。「私は私生児でシングルマザーに育てられたのだけれど、小学3年生の時お母さんが病気で亡くなってしまったの。それから高校卒業まで児童養護施設でお世話になりました。勉強が好きだったので、奨学金を利用して大学にも通わせてもらったのです。学生時代は学校とアルバイトで忙しかったけれど楽しかった思い出しかありません。」そう言った。「29歳にもなって恥ずかしいのですが、実は男の人に誘ってもらって2人で食事をするのは初めてなんです。どういうお話をしたらいいのか、戸惑っています。楽しいお話も出来そうにありませんし、誘って失敗したと思っているのではないですか」すこし低いトーンで西野さんが話した。私は「失敗したなんて思うわけないじゃないですか。私はとても楽しくて、今から次はどこに誘おうか考えているくらいです。次の連絡のために是非メールアドレスの交換をお願いします。ただ、実はずーとドキドキしていて、料理の味がよくわからないことは失敗と思いますけれど。」笑いながら答えた。食事も終わり、気分良くレストランを後にし、西野さんをアパートまで送っていった。帰りの途中、疲れていたのか西野さんはウトウト居眠りしていた。私は「安心してもらえている」と感じとても嬉しかった。アパートの前について西野さんを起こすと「すいません。寝てしまいました。運転している人に失礼ですよね。本当にごめんなさい。」と謝った。私は「全然問題ありません。むしろ眠れるくらい安心してもらえたことが嬉しかったです。」「また誘います。一緒に食事しましょう」と言って西野さんの見送りで車を走らせた。自宅に帰ってから考えた。楽しかったけれども、なにか分からない違和感が今日もあった。シングルマザー、私生児、児童養護施設と何か上流家庭で育ったような完璧なマナーや立ち振る舞い、言葉遣いが結びつかないのである。「不思議な人だ」と感じていた。すると西野さんからメールで感謝と楽しかったとの感想が送られてきた。このような心配りも完璧と感じた。私は「食事に付き合ってくれてありがとうございました。とても楽しい時間が過ごせました。また誘います。断らないでくださいね。」と返信した。とりあえずメール友達にはなれたと実感した。
翌週の月曜日、アリババからの訪問要請があった。「今日は何の要件だろう。きっと面倒な要求なんだろうな」と思いながら指定された時間に訪問した。「この間はありがとね。安奈さん希望通りになって喜んでいたよ。ところで、聞いたわよ、デートしたの?」アリババに聞かれた。私は「デートと言っても、一緒に食事に行っただけですよ。それも1回だけ。何もしていません。」そう答えた。アリババは「彼女の生い立ちとか聞いた?」私に聞いた。私は「シングルマザー、私生児、児童養護施設そんなことは聞きましたが、何か問題がありましたか。」と逆に聞いてみた。「お父さんの話はしなかった?」アリババが聞いてきた。私は「何も聞いていません。別に興味もありませんし、ただ、大変な環境で育ったんだなあと思いました。」と言った。「実は安奈さんの父親は勤務先の会長さんなの。不倫で生まれた子供だから、私生児として育ったのね。安奈さんのお母さんが亡くなった時、引き取ろうとしたのだけれど、家族をはじめ親戚一同に猛反対され、認知することを認める代わりに引き取ることを断念した経緯があるみたい。就職も手元に置いておきたくて、家族に内緒で自分の会社で働かせているそうよ。会社では公然の秘密となっていて、男性陣は誰も言い寄らないみたい。」アリババが説明した。私は「それで、誰も誘ってくれないと言っていたことが納得しました。でも、なぜあんな質素な生活をしているのでしょうか。自分の会社で働かせるくらいだから、いくらでも援助できるのではないかと思いますが。」独り言のように言った。「援助はされているみたいなのだけれど、いっさい手を付けていないみたい。私にはいつもぎりぎりの生活だと言っているもの。」アリババが言った。続けて「安奈さんを好きになったら、色々複雑すぎて大変だからやめておきなさいよ。」真剣な口調で言った。私は「いくら私が好きでも、相手にその気がなければどうしようもありません。それに、お話を聞いて、私とは住む世界が違う人のような気がしてきましたので、ご安心を」そう言った。今日のアリババの要件は簡単な振り込み依頼だけであった。無理難題がなくてよかったと思いながらアリババの家を後にした。支店に戻って事務処理をしながら西野さんのことを考えた。「気品とか雰囲気はお父さんのことが関係していたんだ」と確信した。でも、「今度誘った時にこの話は聞けないな」とも考えた。事情が事情なので、話したくないかもしれないし、こちらから聞く話でもないような気がした。アリババからは好きになるなと忠告されたが、既に「たぶん好き」になっているので、「相手がどう思おうと私が好きになるのは勝手」と割り切って考えることにした。西野さんの事情を知ったから、私の気持ちが成就することはないと分かっていたが、それでもいいと思った。とりあえず西野さんと一緒の時間を少しでも過ごせれば満足できるような気がした。その後しばらくは1日1回ぐらいのペースでメールのやり取りをした。とりとめのない話ばかりであったが、私は西野さんから送られてくるメールを毎日楽しみにしていた。
ある日、銀行本社の人事部から呼び出しがあった。要件は本社に来た時に話すとのことで、教えてもらえなかった。「何か問題を起こしてしまったのだろうか。身に覚えはないけど、何年も前の事なら忘れてしまっていることもあるし。それともリストラ要因に選ばれた?」正直不安であった。呼び出しは支店長にも伝えられたらしく「中川君、人事部から呼び出しがあったようだが、理由はなに?」支店長に聞かれたが「私も理由がわかりません。呼び出しを受けるようなことは身に覚えがありません。」私は答えた。私は「リストラの通知を受けるのでしょうか。支店長がご存知なら心の準備をしていくので教えてください」と逆に聞いてみた。支店長は「私のところにはそのような情報は来ていないし、銀行自体がリストラを行うとの噂も聞いていない。」そう話してくれた。何で呼び出しを受けたか分からないまま、指定された日に本社人事部に行った。指示された会議室で待っていると、人事部長と人事担当取締役がやってきた。私は「人事部に呼び出されるようなことを私が何かしたのでしょうか?」先に質問した。すると人事部長が「聞きたいのはこっちの方です。あるところから、内々であなたの身分照会がありました。家族関係から本人の性格、趣味、営業実績や友人関係等ずいぶん細かい内容でした。個人情報なので簡単には教えられないことですが、頭取のところに直接依頼された話のようで断れない状況となっています。そこで、中川君に来てもらって情報を出すことを承諾してもらおうとしているわけです。情報を出すことを承認してくれますか?」と聞いてきた。「承諾するも何も、何処からの照会なのかが分からなけれれば、承諾しようがありません。それとも、私に白紙委任状に黙ってハンコを押せと言っているのでしょうか。」私が言った。人事担当取締役が「君の言っていることはもっともなことだと私も思う。警察や裁判所などの照会ならば君に伝えず情報を出したと思うが、今回のは違う。だからこうしてお願いしているわけです。」と言った。私は「なにも恥ずべきことをした記憶が無いので、情報を出すのは問題ないですが、せめて、どこからの照会なのか教えてもらうことは出来ませんか。」とお願いしてみた。しばらく考えてから人事担当取締役が「わかりました。名前を伏せてもらいたいとのことなので具体的な名前は教えることが出来ないけれど、大手一流企業の役員さんからの依頼とだけ教えます。君の素性を知ってどうしたいのか、当行役員会でも話題となっているのです。」こう告げた。私は心の中でピンときたが「心当たりはありませんが、そのような事情であれば仕方がないと思いますので、私の個人情報を出していただいて結構です。」と言った。私からの承諾を取った人事部長と人事担当取締役は「君にもう用はない」とばかりにそそくさと会議室から出て行った。私は「西野さんのお父さんだ。きっと西野さんが私のことをお父さんに話したから頭取にお願いしたのだ。いったい西野さんは私のことをどんなふうに話したのだろう。聞きたいけれど、聞けないよな」そう思った。翌日支店に出社すると支店長に呼ばれた。「人事部はどのような要件でしたか。」支店長が聞いてきた。私は「私の個人情報について外部に提供してもいいか聞くためでした。今は個人情報の管理が厳しいので直接本人の同意が必要で、面前で確認したいとのことでした。」核心の部分は避けて報告した。支店長は「そうですか」と言ったきり細かい詮索はしなかった。
西野さんと毎日のメールで、本社人事部に呼び出され、行ってきたと書き込んだ。自分の個人情報を外部に提供することへの承諾の為だったことも書いた。すると西野さんからすぐに返信があり、「明日会えませんか?」という内容であった。私は「喜んで、何時でも、何処でもOKです。何なら会社を休んでもいいです。指定された場所に指定された時間に行きます。」そう返信した。すぐに「午後5時半頃、私の勤務先に来れますか。」とあり「了解しました。会えるのを楽しみにしています。」と送った。人事部から呼び出しがあって、要件内容を聞いた時から、ある程度の覚悟は出来ていた。急な会いたいとの連絡は悪い兆候に決まっている。私は「人事部が提出した私の個人情報を見た西野さんのお父さんが西野さんに、釣り合わないから私と関わらないように言ったのかもしれない」と思った。アリババから西野さんの素性を聞いた時から「うまくいくわけがない」と心のどこかで思っていたし、「短い間でも楽しい時間を過ごせて『夢を見せてもらった』と感謝しなければならない」と思うことに決めた。会ったり、メールのやり取りが最後になるかもしれないと思ったので、最後にまた食事に誘おうと考えた。高級なところより西野さんはたぶん行ったことのないであろう居酒屋に連れて行ってあげようと決めた。一緒にお酒をたくさん飲んで、翌日二日酔いがさめたら一緒に夢もさめたことにしようと思った。その日は西野さんと出会ってから今日までの事を考えていたら、なかなか寝付けなかった。
翌日は朝から憂鬱であった。寝不足に加え、夕方からは「たぶんつらい時間」が待っていると思うと行動が鈍かった。今日西野さんに会えるのは嬉しいけれど、もう会えないかもしれないと思うと寂しい気持ちが勝ってしまう。そのような状況で一日業務をこなした。細かいミスを連発し、元気のない私を見て課長が「どこか身体の調子が悪いの?悪いのなら無理せず帰っていいよ」と言ってくれた。私は「大丈夫です。ちょっと疲れているだけですから。」そう言って業務を続けた。午後5時少し前に課長に「少し早いですが、帰ってもいいですか。」と聞いてみた。課長は「早退扱いでなくていいから、帰ってゆっくり休んでください。」と了承してくれた。体調が悪くて早退するわけではないので、何か悪い気がしたが課長の言葉に甘えた。電車で西野さんの勤務先に向かい約束の10分前に到着した。今日はビルの中に入らず、約束の時間になったら、携帯に到着していることを伝え外で待っていようと思った。約束の午後5時30分丁度に西野さんの携帯にメールで、「到着しています。外で待っています。」と送信した。するとすぐに電話がかかってきて、「ビルの中に入ってきてもらえませんか?」西野さんに言われた。私は「わかりました。今行きます。」と言いビルに入った。受付の前まで行くと名乗る前に「エレベータで9階へどうぞ」と案内された。9階に着くとエレベータ前で西野さんが制服のままで待っていた。「急に会いたいなんて言ってすいませんでした。しかも勤務先まで来てもらって。」西野さんが言った。私は「メールに何時でも何処でもいいと書いたじゃないですか。会えて嬉しいです。」努めて冷静に言った。西野さんは「中川さんに伝えなければならないことがあって、どうしても会いたかったんです。こちらにどうぞ。」と通路を案内された。案内された部屋は「会長室」とプレート表示があった。「やっぱりそうか」心の中で思った。中に入ると恰幅のいい老紳士が待っていた。西野さんは「私の父親です。」と紹介した。私は「みらい銀行の中川と申します。西野さんには大変お世話になっております。」決まりきった挨拶をした。会長は「安奈からあなたの事は聞いています。失礼だとは思ったけれども、あなたの銀行の頭取と面識があったので、あなたがどんな人物なのかを聞かせてもらいました。」と言った後、「事情があって、安奈には小さい頃から苦労をさせてしまいました。罪滅ぼしではないけれども、安奈には人並み以上に幸せになってもらいたいと思っています。そのために私が出来ることは何でもする覚悟でいるのです。」と続けた。「ところで、きみはどういうつもりで安奈と付き合っているのですか。」会長が私に聞いた。私は「私の人生で安奈さんほど身も心も美しい女性を見たことがありません。安奈さんには言ったことが無いので、安奈さんの気持ちはわかりませんが、私にとって大好きで大切な人です。一緒にいるだけで幸せを感じられる女性です。だから、出来るだけ一緒にいたいです。そして、出来れば一生守ってあげたいと心から思える人です。」そう答えた。私は「客観的に見てうまくいくはずがない」と思っていたので、最後になるかもしれないし、どうせなら飾ることなく本心で話そうと思ったのである。会長は低い声で「そうですか。」と言ったきり黙ってしまった。重い雰囲気であった。「安奈は君の事を好きだと私に言った。こんなに好きになったのは初めてだとも言った。どんな男かどうしても会いたいと思い、安奈に呼び出させたのです。私の勝手で申し訳なかった。これからも、安奈と仲良くしてもらいたい。よろしく頼む。」会長が頭を下げた。私は「会長のお嬢さんだから好きになったわけではありませんし、だいたい、知ったのは今です。『こども食堂』でお手伝いしている姿に感動したから好きになったのです。」と言った。帰りの挨拶をし、会長室を出た。私は西野さんに「ビルの前で待っているので、一緒に帰りましょう。」と誘った。無言でうなずいてくれた。ビルを出ると極度の緊張から解放され一気に全身に震えが来た。身体が思うように動かない。初めての経験だった。「こんなに緊張していたのに、言いたいことが言えた」のは自分でもビックリしていた。西野さんが出てくるころには体の震えは止まったが、物凄い疲労感を感じていた。
予想していた展開とは違ったけれど、当初予定していた通りに安奈さんを居酒屋に誘った。こちらは予想通り、安奈さんは居酒屋に来たのは初めてとのことだった。にぎやかな雰囲気の中で焼き鳥や煮込みをつまみにビールで乾杯した。安奈さんは「騙し打ちみたいに父親に会わせてしまってごめんなさい。あなたが最初に会社に来た時、「普通じゃここで働けない」と言ったのは、その通りで、父が会長をしているから働けているのです。」そう話した。私は「それはそれで凄いことだけれども、さっきも話した通り、お父さんが会長だから安奈さんを好きになったわけではないし、安奈さんの父親が誰なのかは私には興味のない話です。」と話した。安奈さんは「私は隠し事が嫌いで、しかも私の家族と呼べる人は父親しかいないので、何でも父親に話しています。今までも交際を申し込まれた人の話は父親に話していました。どの人も父親に呼び出され会ってもらいました。実はその度、付き合うのをやめるように言われていたのです。私は弱い人間で、父親の言うことに逆らえません。だから、今日は中川さんとはもう会えないかと心配していたんです。」続けて「父親が頭を下げたのを見たのは初めてでした。お付き合いするのを認めてくれたのだと思います。」そう話した。その話を聞いて私は「嬉しいけれど、何で?私は何の取柄もない「ごくごく普通の男」だと思うけれど。でも、安奈さんとこれからもこうして会えると思うと嬉しいです。」と話した。お酒を飲んで少し気分が良くなったところで「安奈さんは何であの古いアパートに住んでいるのですか?会長の娘さんなら勤務先に近くて、もっとグレードの高い物件に住めるのではないですか。」少し立ち入った質問をした。安奈さんは「あのアパートは、私が小学校3年生まで母と暮らしていた思い出の場所なんです。高校を卒業するとき児童養護施設を出なくてはならないのですが、お願いして、また住わせてもらっているのです。20年前はもっと綺麗な物件だったんですよ。」と笑って言った。「お母さんが父親との不倫の末、私を身ごもった時から親戚づきあいが無くなり、私独りぼっちなので、お母さんとの思い出が残っているアパートを出たくないのです。」と続けた。私は「アパートの件は分かったのですが、もう一つ分からないことがあります。あんなに会長さんが安奈さんを大事に思っているのに、安奈さんは質素な生活をしているように見えます。会長さんは金銭的な援助してくれないのですか。」思わず聞いてしまった。安奈さんは「今の会社で働かせてもらっている援助で十分ですが、たぶん金銭的な援助はしてくれていると思います。だけど、通帳も印鑑もあるのは知っていますが、一度も触ったことが無いので、中身がどうなっているのかは分かりません。もともと私は物欲が無くて、必要なものを必要なだけしか買わない人なんです。だから秘書として働いた給料で十分生活ができます。それに、自分では質素だとは思っていません。それと、仮に援助してもらったお金を使うと、何か囲われているみたいで嫌なこともあります。お母さんも多分同じで、自分で働いたお金で私を育ててくれたのです。」そう説明した。この話を聞いた時、初めて会った時からの違和感が全て消えた。だいぶ酔いが回ってきたころ私は気づいた。「会長さんには自分の正直な気持ちを話したけれど、安奈さんには告白していない。だから、安奈さんの本当の気持ちも聞いていない」そう思った。私は安奈さんに「順番が逆になってしまって悪いと思っています。会長に話した私の気持ちは本当です。私と付き合ってもらえませんか。」言った。安奈さんは「私も父親に言ったことは本心です。よろしくお願いします。」と言ってくれた。その日は気分が高揚していたこともあり、いつも以上に飲んだ。安奈さんをアパートに送り届けるまでは緊張のせいでなんともなかったが、そこからの記憶があやふやで、どうやって家に帰ったか覚えていない。翌日二日酔いで目が覚めた時、夢を見ていたのかと錯覚したが、安奈さんからのメールが入っていたのを確認すると、現実だったと思い安堵した。
毎日のメールと週に1~2回のデートを楽しんでいた。食事に行ったり映画を見に行ったり幸せな時間を過ごしていた。どこに行っても、安奈さんと私を見比べられることが多く、たぶん不釣り合いと見えていたのかもしれない。それは私も最初から感じていたことなので気にしないことにしていた。都会育ちの安奈さんは私の故郷の話を聞きたがった。東北の小さな町で育った私には普通の事でも、安奈さんにとっては珍しいことばかりのようであった。大自然の中で野生児のように育った私は、海や山、川での当時の遊び方を教えた。今では許されないことだろうが、子供達だけでどこまでも自転車で出かけた。海や川で魚釣りをしたり、近くの山に探検に行ったりした。私が子供のころは親も社会も寛容であり、子供もたくましかったように思う。また、多少オーバーに「私の故郷は夏は気温が40度以上にもなって、暑さに耐え切れなくなってセミが木から落ちて来るとか、冬には白鳥が何十万羽も来るし、気温もマイナス何十度にもなる。毎年雪は1メートル以上積もって、中学時代には校舎2階の窓からグランドに積もった雪に飛び降りる遊びをして先生に怒られた」などと話した。安奈さんは興味津々で「行ってみたい」と言ってくれた。私の勤め先の銀行には連続休暇制度というのがあり、私には1月に5日間の休みが与えられた。特に予定も立てていなかったことから、久しぶりに田舎に帰ろうかなと安奈さんに話した。「一緒に行きたい」というので、安奈さんの仕事のスケジュールを合わせて一緒に帰省することにした。次のデートの時、「見せたいものがある」とのことで安奈さんのアパートに行った。アパートに入って安奈さんが袋から取り出したのは「エスキモーが着るような毛のいっぱい付いた分厚いジャンバー」だった。私がオーバーに冬の寒さを伝えていたことから、冬山登山でも使えそうな装備を準備していたのであった。私は苦笑しながら、「南極にでも行けそうな格好だね。でも、移動は基本車で、外にいる時間はほとんどないから、もっと軽装でも大丈夫だよ」と言った。安奈さんは「だって、積雪は1メートル以上で、気温はマイナス何十度って言っていたから」とちょっと頬を膨らませながら苦情を言った。その姿はいつもの凛とした気品のある安奈さんではなく少女のようであった。
高速道路を利用し約8時間の車の旅となった。実家に到着すると「全然雪がない。話と違う。」最初に安奈さんが発した言葉であった。今年は特に雪が少ないらしい。路肩に白いものが少しあるような状況で、安奈さんの想像していたものとは全く違っていたようだ。事前に「紹介したい女性も一緒に帰る」と連絡していたので、家族全員で私たちを出迎えてくれた。両親に妹、それに愛犬である。母はエスキモーのような恰好をした安奈さんを見て「都会の人は随分寒がりなのね」なんて言っていた。居間に入って、安奈さんが改めて挨拶すると変な空気が流れた。父、母、妹の顔に明らかに「フツリアイ」と書いてあった。私と安奈さんの顔を見比べているのである。他人からそう見られるのは慣れていたけれど、家族からのはショックであった。安奈さんが「積雪は1メートル以上で、気温はマイナス何十度と聞いていたのですが、想像したのとは違って穏やかなんですね。」と言った。母が「大げさに盛った話を聞いたのね。確かにそんな日も昔はあったけど、最近はほとんど無いわね。住んでいる人にとってはありがたいことなんだけどね。」と言った後「特に今年は雪が少なくて助かっているの。ただ、天気予報では今夜から雪が積もるみたい」と続けた。既に宴会の準備ができていて夕食兼宴会が始まった。母が、「せっかく来てもらったから、都会ではあまり食べられないものを中心に今日は用意したの。口に合わなかったら正直に言ってね。」と安奈さんに向かって言った。岩海苔が沢山入った郷土料理の「タラ汁」や山菜の煮物、地野菜の天ぷら、赤かぶの漬物などなかなか都会ではお目にかかれないもので、私にとっては懐かしい味であった。しばらくすると急に安奈さんが箸を置き、泣き出した。理由が解らず、私を含め家族全員がオロオロした。母が、「おいしくなかった?食べられなかった?」と不安そうに聞いた。安奈さんは「ごめんなさい。そうじゃないんです。どれも初めて食べたけれど、全部おいしいです。」続けて「私の生い立ちを聞いていらっしゃるかもしれませんが、小学校3年生までシングルマザーに育てられ、その後、児童養護施設で高校卒業まで暮らしていました。その後もアパートでずっと独り暮らしでした。こんな家族団らんで食事をした経験がなく、すごく憧れていたのです。「こういうのが幸せなんだ」と思ったら、急に、勝手に涙が溢れだしてきてしまって。驚かせてしまってすいません。」と頭を下げた。この話を聞いて、みんながもらい泣きしてしまい、涙の宴会スタートとなった。最初はみんながビールを飲んでいたが、一緒に帰る女性は白ワインが好きだと前もって伝えていたことから、父が冷蔵庫から冷えた白ワインを出してきて「安奈さん一緒に飲みましょう」と嬉しそうに話していた。たわいのない話で楽しく宴会が進んだ。酔いが回ると妹が「安奈さんとお兄ちゃんはどう見ても釣り合いが取れない気がする。もし私が何も知らない他人で、2人を見たら「美人の隣にいる男の人はきっとお医者さんとか弁護士で、お金持ちなんだろうな」と思うんじゃないかな。どこにでもいるただのさえない男なのに。」と私に失礼な発言をした。私は「そんな風に見られるのは慣れたけど、彼氏も作れないお前にだけは言われたくない」と反撃した。安奈さんはにこにこしながら話を聞いていた。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。気がつけば真夜中近くになっていた。もう寝ましょうとなった時、妹が「お兄ちゃんと安奈さんは結婚も婚約もしていないのだから、実家で一緒の部屋に寝せるわけにはいかない。安奈さん、私と一緒の部屋で寝ましょう」と安奈さんを引っ張っていってしまった。私は久々に自分の部屋で寝ることにした。嬉しいことに愛犬だけはついてきて、私と一緒に寝てくれた。
次の日は寒い朝だった。朝食前に安奈さんを庭に連れ出した。昨日の夜中から降り始めた雪が既に30センチ以上積もっていた。昨日とは景色が一変して雪景色になっていた。安奈さんは「初めてこんなに積もっている雪を見ました。綺麗ですね。」そう話した。「東京でこんなに雪が積もったら、電車もバスも全部止まって大混乱になりますね。」と続けた。私は「ここでは、このくらいの雪じゃ電車もバスも通常通り動いているよ。この辺は都会と違って交通の便が悪いから、自動車は一家に一台じゃなくて、一人一台が当たり前なんだ。だから、みんな車を利用するので、電車とかバスの情報はあまり関心がないみたい。」そう説明した。続けて私は「今日どこか行ってみたいところはある?」安奈さんに聞いてみた。安奈さんは「景色の良い所に行ってみたい。」と言った。私はどこにしようか考えた後「そうだ、今日はまず白鳥を見に行こう。」安奈さんに告げた。安奈さんは「白鳥と言ったら白鳥の湖のイメージしかないわ。動物園にはいたかしら。」そう言った。朝食を済ませ、車で近くの河口を目指した。途中、真っ白な田園風景の中に数羽の白鳥を見つけた。安奈さんに「すぐそこで、何かを食べている白いのが白鳥です。分かりますか?」聞いてみた。道路のすぐ横にいる警戒心のない大きな鳥に気がついて「白鳥って想像していたのよりも大きいんですね。それにこんなに近くを車が走っていても逃げないなんて不思議です。」安奈さんが言った。私は「誰も危害を加えないのを分かっているから、逃げないのだと思うよ。」そう説明した。しばらく車を走らせると目的地に到着した。数百羽の白鳥やマガモなど、あまり大きくない河口は鳥でごちゃごちゃしていた。安奈さんは「凄い光景だけれど、ガーガーうるさい。鳥ってこんなにうるさいものだとは思いませんでした。決して優雅でもかわいくもないことがわかりました。」そう言った。私は「白鳥の湖のイメージを壊しちゃったかな。でもこれが野生なんです。」続けて「でも、春になって白鳥が一団となって北方に帰るときは壮観なんだ。その光景を見ると、私には何もできないけど、また来年も必ず来てよって思うんです。」と言った。「私も見てみたい。いつ頃帰るの?」安奈さんが聞いてきた。「3月の中旬以降だから、まだまだ先です。残念ですが今回は見れないと思います。」私はそう説明した。その後車を走らせ地元の観光地を案内した。私は「この辺りは四季がはっきりしていて、その季節によって風景が違って見えるから、今度は違う季節に安奈さんを連れてきたいです。」そう言った。安奈さんは「何時連れてきてくれますか?出来るだけ早く連れてきてくださいね。」既に心待ちしているように話してくれた。
3日目の朝であった。安奈さんの携帯が鳴った。安奈さんの勤務先から会長が倒れたとの知らせであった。直ぐに今日以降考えていたスケジュールを全てキャンセルし帰京の準備をした。詳しい状況が分からないまま、とりあえず入院先の病院に向かった。帰路の途中、ずっと重い雰囲気であった。「父に万が一の事があったら、本当に一人ぼっちになっちゃう。」そう安奈さんがつぶやいた。私は状況が把握できていないことから、かける言葉が見つからず黙ったまま運転した。病院に着いたのは午後5時を回っていた。受付で家族だと告げると面会を許された。病室に入ると会長は上半身を起こし迎えてくれた。「来てくれたのか。ちょうど安奈と中川君を呼んでもらおうとしているところでした。」続けて「安奈はうすうす気づいているかもしれないが、私の命はそう長くはない。遺言状を顧問弁護士に託しているが、安奈一人ではたぶん何もできないと思う。中川君、安奈の力になってほしい。」そう言うと頭を下げた。続けて「安奈には何一つ父親らしいことをしてやれなかった。取返しのできないことをしてしまった。申し訳ない。罪滅ぼしにはならないと思うが、最後と思って一つだけ私の願いを聞いてほしい。私の遺言状に従ってほしい。」こう話した。安奈さんは「お父さんの言うことは何でも聞いてきました。今までもそうであったように、これからもそうします。だって、たった一人の肉親なんですから。でも、命が長くないなんて言わないでください。私は元気でいてもらいたいです。」そう涙目で訴えた。会長が「安奈、ちょっとだけ中川君と2人だけで話したいから外で待っててくれないか」安奈さんに向かって言った。安奈さんは黙って廊下に出て行った。「私は遺言状で、安奈に財産分与を指示している。たぶん私の家族はそれを認めようとはしないだろう。安奈も、あの性格だから強引には主張しないと思う。そこで君にお願いしたい。安奈の力になって、安奈が幸せになれるようにサポートしてやってほしい。できれば、私の家族に対する悪役になってほしい。ここに顧問弁護士の名刺がある。信頼できる人間だから何でも相談して大丈夫。」そう私に告げると1枚の名刺を差し出した。私は「承知しました。どこまでできるか分かりませんけれど、精一杯安奈さんを守ります。」名刺を受け取りながら答えた。会長が「その答えを聞いて安心した。私の唯一の心配事が解消したように思える。お願いします。これで私の終活も終わりました。」また頭を下げた。安奈さんを呼んでしばらく話してから帰宅の途に就いた。安奈さんをアパートに送る途中、「会長はそんなに体の具合が悪いの?命が長くないと言っていたけど。」と安奈さんに聞いてみた。安奈さんは「もともと心臓の具合が悪かったのだけれど、今度発作が起きたら危ないとお医者さんに言われていたの。」私に向かって言った。「ところで、お父さんとは何を話したの?」安奈さんが聞いてきた。私は「自分が死んだら、安奈さんの力になって幸せにしてほしいと頼まれました。当たり前のことだけれど、「わかりました」と答えたよ。安奈さんが幸せと感じてくれることなら何でもするつもりです。」ちょっとキザな言い方をした。ワザと遺言状の話題には触れなかった。中にどんな内容が書かれているのか分からないので、想像で話すのは躊躇われたからだ。
1週間後の事であった。昼過ぎに携帯が鳴った。表示は安奈さんである。嫌な予感がした。電話に出ると、聞き取れないような弱弱しい声で「本当に一人ぼっちになっちゃう。もうだめだって。」と安奈さんが泣いていた。私は直ぐに事態を理解して、「今からそこに行くから待ってて」と言って電話を切った。早退届を課長に預けて会長の入院している病院に向かった。病院に着くと安奈さんは待合室でポツンと一人で座っていた。私を見つけると「容体が急変して、先生に手の施しようがないと言われた。」最後は聞き取れないほどの泣き声で私に告げた。私は「何で病室で付いていてあげないの。」と聞いたところ「病院からご家族が呼ばれて来たのだけれど、奥様から「私たちで看取るから、あなたは外に出てください。」と言われちゃった。」と答えた。私は怒りで狂いそうになった。安奈さんも会長の本当の子であり、最後ぐらい見届けさせてくれてもいいのではないか。肉親が旅立つときに傍にいたいのは家族も不倫の子も同じはずである。この時、私は悪魔になった。先日会長が言っていた「私の家族に対する悪役」に徹する覚悟が固まった。私は安奈さんに「病室に入れてもらえなくても、すぐ傍まで行こう」と促して病室の前の通路に向かった。会長の病室のドアは開いており、看護師がひっきりなしに出入りしていた。中の様子をうかがっている私たち2人は周囲から見ると何か違和感があったと思う。しばらくするとベッド脇にあった心電計のモニター音が突然「ピー」と鳴り始めた。すると医者が腕時計をみて「4時25分ご臨終です」と言った声が聞こえた。隣の安奈さんは立っていられず、私に寄りかかって泣き崩れた。たぶん、私は安奈さんを抱きかかえながら、鬼の形相で会長の家族を睨んでいたと思う。ほんの数メートル先に進めない苛立ちをどうしても抑えきれなかった。このままここにいると自分で何をしてしまうか分からないと思い、安奈さんに「一緒に帰ろう」と言った。無言で手をつなぎ安奈さんのアパートに帰った。「確かに肉親はいなくなったかもしれないけれど、決して一人ぼっちじゃない。私がいるから。安奈さんさえ良ければ、一緒に暮らそう。ここでもいいし、私のアパートでもいい。」安奈さんの目を見ながら言った。安奈さんはただ泣きながら頷くだけで、言葉は出てこないようだった。数日後、葬儀が行われたようであった。安奈さんは、「お葬式に出たい」と会長の家族に申し出たが、「故人の遺志により、葬儀は家族葬にしますので、参列したければ別途社葬で「お別れの会」が開かれますので、それに参列ください。」と家族からの冷たい言葉があったと聞いた。実の子に対してなんてひどい仕打ちをするのかとまた怒りが込み上げてきた。
社葬の日は冷たい雨の降る日であった。会場に行くと、主催者側の人間として安奈さんは忙しそうに受付をしていた。私を見つけると「後で話があります。」と言ってきた。私は「わかりました。」と言い会場の中に進んだ。「お別れの会」は会葬の人で溢れていた。テレビで見たことのある著名人も多く参列していた。中には当行の頭取と役員数名もいた。人事担当取締役が私を見つけて「なぜ中川君がここに?」と不思議そうに聞いた。私は「会長には生前お世話になったので、お礼を言いたくて来ました。」とだけ話した。厳かな雰囲気の中、「お別れの会」が進み、最後に焼香となった。長い列に並び私も焼香を行った。席に戻り祭壇の方を見ると、安奈さんが最後尾で焼香している姿が見えた。親族席にも座れず、焼香も最後の最後の姿を見たとき、人として許せない仕打ちに会長家族への怒りが心の中でメラメラとまた燃え上がってくるのを感じていた。「お別れの会」が終わり会場を出たところで安奈さんに「すぐ近くにあるコーヒーショップで待っています。」とメールを送った。コーヒーはやたらと苦く感じた。怒りの感情は味覚までおかしくするのかなんて考えていた。安奈さんが到着するまで小一時間が経過していた。お代わりのコーヒーを飲み終わる頃に安奈さんが店に入ってきた。「お待たせしてごめんなさい。会場での後始末が予想以上にかかってしまってこんな時間になってしまいました。」安奈さんが謝った。私は「気にすることはありません。ところで話って何ですか。」と聞いた。安奈さんは「実は契約社員の契約を来月で終了すると人事から通知が来たの。会社を辞めなければならなくなりました。急なことで理由が分からず、人事の知り合いに何故急に契約終了となったのか聞いてみたの。そしたら、会長の奥様の強い希望というか命令に近いものだったらしいの。私はどうしたらいいか分からなくて、心細くて、中川さんに相談したかったのです。」そう言うと少しうつむいた。私は「そこまでするのであれば、こちらも徹底的に戦う」と何ができるか分からないながらも心の中で改めて決心した。私は「とりあえず会社の方針として契約終了を決定したとすれば、安奈さんは会社を辞めることになるけど、当分は私が何とかするから働かなくていいです。」続けて「私のアパートに引っ越してくれれば、今のアパート代も無くなるから負担が減ると思うけど、どう?」聞いてみた。安奈さんは少し考えたようであったが、「今までは、どうしたらいいか迷った時は必ず父親に相談して決めていたの。でも父が亡くなってしまったから、これからは中川さんに相談して決めていくことにする。」と言った。安奈さんの新しい人生の第一歩としてお母さんとの思い出深いアパートから引っ越すことが決まった。
安奈さんが私のアパートで暮らし始めた。この一か月いろいろあったが、朝起きると安奈さんが隣にいる、仕事から帰ってくると暖かい夕食と安奈さんが待っているという「私にとっては最高に幸せな生活」になっていた。でも安奈さんはまだまだ心の穴は塞がっていないようであった。涙は見せなくなったが、時々何か物思いにふける様子がある。私が話しかけても上の空で耳の入ってないようなときがある。そんなある日、二人で夕食を食べているときに安奈さんの携帯が鳴った。見覚えのない番号からの電話であった。安奈さんは私の顔を見て「どうしたらいい?」と聞いてきた。普段は知らない番号からの着信は出ないようにしていた。私が代わりに出てみた。「弁護士の村上と言います。西野安奈さんの携帯でしょうか?」と聞いてきた。生前、会長から貰った名刺の顧問弁護士であった。安奈さんに代わると「はい、わかりました。伺います。」と言っていた。電話が終わり、安奈さんが「四十九日法要が終わった後に弁護士が預かっている遺言状を開封するので立ち会ってほしいと言ってました。会長から安奈さんの補佐人として中川と言う人も一緒に立ち会わせるように指示されているとも言っていました。一緒に行ってもらえる?」と聞いてきた。私は「会長からも頼まれているし、もちろん一緒に行くよ。」と答えた。指定された日は翌週の土曜日であった。いよいよ「決戦の時」と言う感じがした。ただし、遺言状の内容が分からないので、どういう風に対応すればいいのか分からない。事前に弁護士に話を聞いておいた方がいいと思った。翌日のお昼休みに会長から貰った名刺を見ながら弁護士に連絡した。弁護士からは「出来るだけ早く会って、方針を決めましょう。」と言われた。弁護士からの提案で、「今日、夕食を一緒に取りながらのお話でいかがですか。」と提案があったので承諾した。
仕事終わりに安奈さんと一緒に指定されたレストランに行った。私など一度も行ったことのないような高級そうな中華レストランであった。入口の所で私たち二人が戸惑っていると、後ろから声を掛けられた。「西野さん、遅くなりました。さあ入りましょう。」弁護士の村上さんであった。安奈さんは知っている顔だったようで、「村上さん、こんな高級そうなところで・・・・」と言っている途中で「弁護士事務所の経費で落としますから、心配しないで入りましょう。」そう言った。店内に入ると、私の人生で初めて触れる高級感あふれる雰囲気であった。個室に案内された。弁護士の村上さんは慣れた様子で料理をオーダーしている。「何か食べたいものはありますか?」と聞いてきたが、私たちは「お任せします。」としか言えなかった。村上さんは「料理が来るまで、概略を私から説明しますね。」と言った。続けて「遺言状は封印してあり、今は中身を見ることは出来ません。ですが、会長が遺言状を書いているときに私が立ち会っているので内容は知っています。また、公証人役場で確定日付も取ってあり法律的に有効な書類となっています。この封書を来週の土曜日に関係者に集まっていただき開封することになります。」事務的に言った。私は「それで、私たちはどうしたらいいのでしょうか。」と聞いてみた。村上さんは「基本的に何もしなくていいです。その場に居てさえいただければいいと思います。多分何かすればするほど揉めると思いますので。」と言った。私は「居ればいいだけなんですね。でも揉める要素は何ですか。」と聞いてみた。「会長が個人で所有していた会社の株式の三分の二を安奈さんに相続すると書いてあるのです。実現すれば、あの会社の大株主となり経営にも口を出せるようになります。配当金だけで、失礼ですけれど、たぶん中川さんの年収の10倍ぐらいにはなると思います。ですから株式の資産価値はどのくらいか中川さんだったらすぐに分かるのではないでしょうか。」と私に向かって言った。私は「でも、何故何もしなくていいのですか。」聞いてみた。村上さんは「法的に有効な遺言状がある場合、それに従う必要があります。唯一、相続人が相続を辞退した場合、言い換えれば相続放棄した場合は法定相続人が相続することになります。当然、会長の家族は相続放棄を迫ってくると思われます。ですから、発言するとしたら一言だけ「会長の意思を尊重し、遺言状に従います」と言ってください。」そう説明した。私は「何故、村上さんは私たちの味方をしてくれるのですか?」と聞いてみた。村上さんは「私が弁護士になりたての頃、実は安奈さんが小学生時代に、会長が安奈さんを認知するときに関わっているのです。その時は駆け出しの弁護士で、会長の意に沿うような結果に出来ませんでした。その時の自責の念とその後に受けた恩を少しでも返したいと思っているのです。私を信頼してくれて、遺言状を書くときに私を呼んでくれた時には感無量でした。だから私も、どうしても会長の意志通りにしてあげたい気持ちなのです。」と言った。安奈さんは「心強い味方が二人もいるから安心ですね。」などと他人事のように言った。その後出てきた料理は、見た目も味も素晴らしく、「こんなに贅沢をしたら罰が当たる」のではと思ったほどであった。
遂に決戦の土曜日が来た。指定された場所は、都内の一流ホテルの一室であった。私と安奈さんは約束の30分以上前に到着したので、時間までロビーで待つことにした。しばらくすると村上さんが私たちを見つけて近寄ってきた。村上さんは「会場に行く前に、安奈さんと中川さんに署名捺印してもらいたいものがあります。」と言った。続けて「安奈さんと中川さんは婚姻関係が無いので現在は第三者となります。そこで、代理人確認書を作成してきました。中川さんが安奈さんの正式な代理人であると会長の家族に伝えるためです。」そう言うと一枚の用紙をカバンから出した。その用紙には「私、西野安奈は中川和令を代理人と認める」と書いてあり、署名捺印するだけとなっていた。その場で安奈さんと私は署名捺印をし、村上さんに渡した。「さあ、行きましょう。」村上さんの合図で私たちは会場に向かった。会場はホテル直営の小宴会場のようなところであった。既に会長の家族と弁護士と思われる人が来ていた。会長の奥様が私たちに気づくと、明らかに敵意をむき出しにしていることがわかる表情となった。そんなことは無視し、私たちは軽く会釈をして席に着いた。すると、想定していた通り相手の弁護士と思われる男の人から「安奈さんと一緒におられる人はどなたですか?部外者の方は遠慮いただきたいのですが。」と言ってきた。直ぐに村上さんが「会長の意向もあるのですが、安奈さんの代理人である中川さんです。」と書面を提示しながら紹介してくれた。「会長の意向」という言葉が効いたのか何も言われなかった。定刻を迎え、村上さんが「皆さんお集りのようですので、私がお預かりしている遺言状を開封させていただきます。」といった。村上さんが封筒を切る様子を全員が息をのんで見守っていた。「それでは、読み上げさせていただきます。」そう村上さんが言った後、遺言状を読み上げ始めた。皆黙って聞いていたが、予想通り会社の株券の相続先について読まれた時、会長の家族、特に奥様の表情が変わった。一通り読み上げられるまでは誰も言葉を発しなかったが、終わったとたん「この遺言状は認めるわけにはいきません。」真っ先に奥様が発言した。「どうして不倫でできた子にそんなに多く相続させる必要があるの。そもそも、大体薄汚れた母親だから、そこにいる人が本当の子なのかも分からないと私は思っています。」屈辱的な言葉を安奈さんに投げつけた。安奈さんは何も言えず、目に涙をためてじっと我慢していた。すると村上さんが「不倫かどうか、本当の子かどうかは安奈さんが小学校3年生の時、認知しているので、今回の問題には関係のないことです。」冷静に告げた。興奮した奥様が、「安奈さん、あなただって相続できるなんて思っていないでしょ。辞退してください。辞退するわよね。」そう迫った。相手の弁護士も「安奈さんが辞退してくれるのが、一番落ち着く方法だと思いますが、いかがですか。辞退していただければ、それ相応のお礼を考えますが。」と安奈さんに聞いてきた。安奈さんは困って私の顔を見た。私は自分でもビックリするような大きな声で「安奈さんの代理人として申し上げます。亡き会長の意志を尊重し、遺言状に従います。」ほとんど恫喝するように言った。私の一言で場が静まり、その後発言するものはいなかった。村上さんから「私は生前会長から事務処理を依頼されておりましたので、相続手続きについては遺言状通りに進めさせていただきます。」と言って終わらせた。私と安奈さんは直ぐに席を立って部屋を出た。後ろから奥様の歯ぎしりする音が聞こえたような気がした。その後、相手の弁護士から安奈さんに連絡があったそうであるが、事前の打ち合わせ通り「その件については代理人の中川さんにお任せしていますので、中川さんと相談してください。」と返答したと言っていた。安奈さんに辞退させることを諦めたのか私には連絡がなかった。
安奈さんの相続問題を忘れかけた、2か月を過ぎた頃に弁護士の村上さんから連絡があった。会って相談したいことがあるとのことであった。前回打ち合わせをした高級中華料理店で食事をしながらとの提案であったが、「もっと庶民的な店で」とお願いした。高級なところは、料理は確かに美味しいのであるが、私には場違いな感じがして落ち着かないので、出来れば違うところにしたかったのである。私が安奈さんを初めて食事に誘ったイタリアンレストランにしてもらった。この頃、安奈さんは「自分の生活費分は働きたい」と言っていたが、私は「落ち着くまでは今のままでいい」と言い、家事と「子ども食堂」の手伝いのみをしていた。安奈さんを連れて指定された日にレストランに向かった。「安奈さんと初めてあのレストランに行った時は緊張で味が分からなかった」と話しながら車を運転した。レストランに到着すると村上さんは既に店の中にいた。村上さんが既にコース料理を3人分オーダーしており、私たちが席に着くと直ぐに料理が運ばれてきた。食事をしながら村上さんが「会長の遺産相続事務はほぼ終了しました。向こうの弁護士からいろいろな申し出がありましたが、ほぼ遺言状の通りになりそうです。」続けて「ただ、一つだけ厄介な問題が起こりました。会長が安奈さんに毎月行っていた金銭的な援助の痕跡が相手の弁護士に把握されてしまいました。非課税贈与枠を超えた分について税務署に告発すると言っているのです。金額を私は把握していませんが、いくらの援助を受けていたのですか?」安奈さんに向かって聞いた。安奈さんは「通帳があるのは知っていますが、一度も触ったことが無いので内容は分かりません。」と答えた。村上さんは「贈与税は通常7年で時効となります。ですから非課税枠年110万円の7年分、つまりここ7年で贈与を受けた金額が770万円を超えた分について税金がかかることになります。明日にでも銀行に行って確認してください。金額を見てから対策を考えましょう。あと、遺言状通りとなった場合、株式の資産価値が莫大になるので、安奈さんに膨大な贈与税の請求が来ます。その手当についても相談しなくてはならないと思います。」と説明した。私は「大体いくらぐらいの金額になりそうですか?」と聞いた。「詳細な計算をしないと正確な金額は出ませんが、相続税は中川さんの生涯賃金を超える同額になりそうです。これに贈与税が加算されます。」と村上さんが言った。私は「金額が大きすぎて実感が湧きませんが、会長の家族が無理やり安奈さんに辞退させようとするのが分かりました。」と感想を言った。この日は料理を堪能し、満足した気分でアパートに帰った。
次の日、私は仕事を休み、安奈さんと一緒に銀行に行った。通帳を記帳してもらうためである。安奈さんが生まれたころの30年近い古い通帳であり、現在のATMでは対応できないものであった。窓口で依頼してしばらくすると、役席らしい男性の行員が応接室に案内してくれた。その男性行員は「申し訳ありませんが、身分証明になるものはお持ちですか。本人確認しないと情報をお出しできないルールとなっているのです。」と言った。安奈さんが運転免許証を提示すると「通帳が古く記帳ができませんのでデータをプリントアウトしてお持ちしました。」と言い十数枚の紙を提示した。内容を確認すると、自分の目を疑った。安奈さんが生まれた次の月から会長が亡くなる前月まで毎月決まった日に50万円が振込まれており総額は1億7千万円を超えていた。私は「こんな大金じゃこれから大変になる」と心の中で思い、「直ぐに村上さんに連絡しましょう。」と安奈さんに言った。古い通帳とデータの書かれた紙を受け取り、帰ることにした。男性行員は「是非、資産運用として保険や投資信託のご購入を検討お願いします。」と言っていたが、私たちはそれどころではなかった。帰る途中安奈さんが「あんなに多く入っていたなんて想像もしていませんでした。」一度も出金した記録がなく、以前安奈さんが言っていた「お母さんも自分の働いたお金で私を育ててくれた」のが本当だったことが証明された。アパートに戻って直ぐに村上さんに連絡し、通帳の中身について報告した。村上さんは「そんなに大金が入ってましたか。相手の弁護士が強気なのが気になっていましたが、納得しました。告発される前に申告の手続きをしましょう。そうすれば何も怖いことは無いです。」と言った。私は「納税額はどのくらいを考えたらいいのでしょうか。」と聞いてみた。村上さんは「贈与税は50%程度なので、7年分で約1700万円くらいだと思います。こちらから申告すれば、たぶん重加算税は発生しないと思いますから、すぐに申告しましょう。」と提案した。続けて「それよりも大きな問題があります。株券の相続です。安奈さんが相続する分は、評価額で10億円以上となっています。控除額はあるものの全体から見れば微々たる額で、相続税率55%で計算すると5億円程度は納付が必要となります。現金で納付できますか?」と村上さんが聞いてきた。直ぐに「普通は出来ないですよね。そうすると名義変更後に売却して、その代金で納付するか、もしくは株券を担保に銀行からの融資により相続税を納付し、配当金で返済していく方法があります。どちらを選択しますか?」と聞いた。私は「安奈さんと相談しますが、村上さんだったらどちらを選びますか?」と聞いてみた。「私だったら、半分を売却して相続税に当てます。中川さんは銀行員だから銀行からの借入を考えるかもしれませんが、返済は長期になることから利息もバカになりません。それに半分を売却しても、配当金だけでも十分すぎる生活ができると思いますよ。」こう説明した。電話を切った後、安奈さんと相談した。私は「村上さんが言っていた方法でいいと思う。安奈さんはどう思う?」と安奈さんに聞いてみた。安奈さんは「私にはよく分からないので、中川さんがいいと思うものでいいです。」と答えてくれた。本来は弁護士の業務ではないかもしれないけれど、最後まで面倒を見てくれるように村上さんに連絡してお願いした。
相続手続きが全て終わり、会長家族との縁が切れたタイミングで、私たちはお世話になった弁護士の村上さんを食事に招待することにした。「規定通り弁護士報酬は頂いているので気を使わないでください。」と言っていたが、安奈さんが「どうしてもお礼がしたい」というので私がセッティングした。安奈さんは「村上さんは高級そうな店は沢山知っていると思うので、出来れば中川さんの故郷の郷土料理が食べれる店に招待したい。中川さんの実家で食べた、あのおいしい料理を村上さんに食べてもらいたい。」と言った。私には知っている店がなかったのでネットで検索したところ、都内の小料理屋を見つけた。予約した日に行ってみると、想像通りの田舎料理が出てきた。おいしい料理と地酒に3人とも満足した。村上さんは「次にクライアントの接待に使いたい。」と言ってくれた。楽しい会話の途中、村上さんが「ところで、中川さんと安奈さんは結婚しないのですか?もう一緒に住んでいるのですよね。」と聞いてきた。私と安奈さんは顔を見合わせた。安奈さんは「私はしたくて待っているのだけれど、中川さんがプロポーズしてくれないのです。」と顔を少し赤らめ消え入りそうな声で言った。私は安奈さんに言わせてしまった言葉に、自分の気持ちをもっと早くキチンと話しておくべきだったと悔やんだ。村上さんは「人にはいろいろありますから、仕方がないですよね中川さん」と私む向かっていった。この話はなんとなくうやむやに終わり、その後楽しい会話が続いた。私は「帰ったらちゃんと安奈さんに話そう」と決めていた。十分に満足した食事も終わり、村上さんに今後のサポートもお願いし、店を後にした。アパートに帰って直ぐに安奈さんが「さっき言ったことは私の本当の気持ちです。もし迷惑なら言ってください」と私の目をまっすぐ見ながら言ってきた。私は「今まではっきり言わなかったことはすまなかったと思っている。安奈さんを一生守ってあげたいと真剣に思っています。でも、結婚となると躊躇することがあるのです。」と言った。安奈さんは「躊躇って、何?」不安そうに聞いてきた。私は「安奈さんは私が一生かかっても得られないようなお金を持っている。それが目当てで結婚したと思われるのが嫌なんだ。それに、結婚したら、働くモチベーションを保つことが難しいような気がしていることもあります。」と説明した。安奈さんは「中川さんは私を幸せにすると言ってくれました。私は中川さんと結婚して将来あなたの子供を産み、中川さんの実家で味わった様な「家族団らん」で暮らすことが一番の幸せと思っています。もし、お金が障害となっているのであれば、全てどこかに寄付してもいいです。私も働きます。それでもだめですか?」涙を貯めた大きな目で訴えてきた。安奈さんにそこまで言わせてしまって後悔したが、この時私は決心した。「待たせてしまって、申し訳ない。もっと自分の気持ちに素直になるべきでした。安奈さん私と結婚してください。そして、あったかい家庭をつくりましょう。」と安奈さんに向かって言った。安奈さんは「ありがとう」と一言だけ言って大声で泣いた。
私の実家に結婚の報告をした。家族三人ともすごく喜んでくれた。特に父親は「和令でかした。お前にはもったいないお嬢さんだから、一生大事にするんだぞ」と喜んでくれた。私は「だけど、安奈さんには親族と言える人がいないので、結婚式や披露宴はしないつもりです。」と言ったところ、父親は「お前はいいかもしれないけれど、安奈さんにとっては、一生の記念になるセレモニーなんだ。ウエディングドレスを着せてやる甲斐性もお前には無いのか。それに、私たちがいるじゃないか。どちらの親族じゃなく、私たちが安奈さんの親族として結婚式をすればいいことだろう。」と怒鳴られた。続けて「私が段取りをつけるから、任せなさい。」と言って電話が切られた。私の意志とは関係なく、それからの私の家族の行動は早かった。その数日後母親から「一度一緒に帰ってらっしゃい。」と言われ2週間後に帰省した時には結婚式の準備はほとんど整っていた。母親は「安奈さん、私たちの趣味でほとんどを決めました。いくらでも変更できるので、気に入らないことがあったら言ってね。それと、安奈さんには一つだけやってもらいたいことがあります。ウエディングドレスを選んでもらいたいです。これから一緒に選びに行きましょう。」と言い、妹と3人で出かけて行った。残された私と父親は結婚式の話をした。挙式は3か月後の10月10日に私の地元ホテルの小さな宴会場を予定しているので、それに合わせて準備するように言われた。とは言っても、この段階でほぼ準備が終わっていたので、安奈さんと私のスケジュール調整ぐらいしか残っていなかった。披露宴の招待客は20人程度を計画し、その中には安奈さんが招待したいと思う人の枠が3人程度となっていた。安奈さんが帰ってきてから、招待客の話をした。「私は、弁護士の村上さんと「子ども食堂」の石井さん、それに児童養護施設時代に面倒を見てもらった先生を招待したい。」と安奈さんが私に言った。私は「わかりました。でも、もう一人だけ招待してもいいですか。私たちを引き合わせてくれた有野陽子さんです。キューピットですから。」と提案した。安奈さんは笑顔で「一番大事な人を忘れていました。いろいろ相談に乗ってもらった恩人なのに。」と同意した。「さっそく出席のお願い電話をしましょう。」と言って連絡をした。無事に出席の返事をもらえ、準備が整った。私たちのすることは10月10日を待つばかりとなった。
3か月経過はあっという間だった。準備らしい準備は何も残っていなかったけれど、2日前に私たちは帰省した。前日の午前中に披露宴会場で簡単な打ち合わせが終わったら、午後はすることが無くなった。私と安奈さんは車で海を見に出かけた。安奈さんの日本海のイメージは「灰色の空と波しぶき」であったようであるが、この日は天気が良く、海は静かであった。「波は穏やかで、透き通っていて、底まで見える。」と安奈さんは驚いていた。泳ぐ小魚を見ながら「今日は天気がいいから、夕日が海に沈むところが見えるかもしれない。」と私が言うと「それまでここにいたい。」と安奈さんが言った。「太陽が海に沈む瞬間「ジュッ」って音がするんじゃないかと思えるくらい綺麗に見えるよ。」と説明した。それから小一時間海を見ながらとりとめのない話をしをていた。太陽がだんだん大きく赤くなり水平線に近づいて行った。水平線付近には雲は無く、真っ赤な太陽が海に沈んでいくのを2人で眺めていた。安奈さんは「こんなに綺麗なサンセットは初めてで、感動しました。記念の日の前日だから一生忘れないと思う。」と話していた。日が沈み薄暗くなると肌寒くなり、家に帰ることにした。帰りの車中、安奈さんが「明日やっと和令さんの正式なお嫁さんになれるのね。私に本当の家族ができるのね。和令さんと暮らし始めてから、ひとりぼっちと思ったことは無いけれど、正式に結婚という儀式があると何故か安心する。」と言った。私は「今まで一緒に暮らしていて夫婦のような生活をしていたけれど、女性にとってはセレモニーが大切なんだ」と改めて感じた。続けて「お待たせしました。」と高級レストランのウエイターのように深々と頭を下げてみた。安奈さんはクスッと笑って安心した表情となった。家に帰ると「大事件」が待っていた。妹が私に「結婚指輪を見せて。」と言ってきたのである。私は「えっ」と言ったきり固まってしまった。妹は「まさか、準備していないなんて無いよね。明日の結婚式には必要なのよ。」と驚いたように言った。安奈さんを含めて家族全員が、私が準備しているものだと思って前日を迎えたのであった。青くなった私は「今から買いに行ってくる。」とは言ったものの、田舎のこの町では既に店が閉まっている時間となっていた。24時間営業で装飾品を売っている店がある県庁所在地である市までは車で2時間程度かかるけれど、そこに行くことに決めた。帰ってくるころには明け方になるので、安奈さんは連れずに私一人で行くことにした。店に着いた時には12時を回っていた。ショウケースの前に行き指輪を眺めていると店員さんが寄ってきた。「結婚指輪ですか?」と聞いてきたので、「そうです。」と答えた。店員が「おめでとうございます。サイズは何をお探しですか。」と言った。私は「女性用の8号と男性用の16号です。」と答えた。店員は「女性用の9号以下は1週間ほど加工に時間がかかりますがよろしいですか?」と聞いてきた。私は正直に「明日の結婚式で使いたいのですが、8号サイズの指輪はないですか。」と聞いてみた。店員は「明日ですか。今在庫があるもので8号のものは残念ながらありません。いかがしますか。」と言った。私は「わかりました。サイズが大きくてもいいです。とりあえず持って帰れるものを選びます。」と言って選んだ。結局、女性用10号と男性用16号の指輪を買って地元に向かった。自宅に到着した時には空が明るくなっていた。
結婚式当日は慌ただしく始まった。花嫁の準備は時間がかかるらしく、安奈さんは母親と妹と3人で午前7時過ぎには出かけて行った。残された父と私は会場に行っても時間を持て余すことがわかっていたので、もう少し自宅でゆっくりすることにした。私たちは午前9時過ぎに父は紋付き袴姿、私はタキシードに着替え、私の運転で会場に向かった。控室に入ると季節外れの桜の花が浮いたお茶が用意されていた。そういえば、初めて安奈さんに会ったのは桜の季節だったと思いだした。思い返せば、アリババに紹介されてからのこの一年半は普段は想像もつかないいろいろなことが起こった。でも、今日の日を迎えるための伏線だったと思えば、いい思い出になると感じた。そうこうしていると、会場案内係りのアナウンスで併設された教会に移動を促された。私は神父の前に案内され、結婚式開始の準備が整った。ドアが開かれ私の父親と安奈さんが深くお辞儀をした。安奈さん以上に緊張しているのが分かる父親が、紋付き袴姿でヴァージンロードを真っ白なウエディングドレスを纏った安奈さんをエスコートしている姿がとても滑稽に見えて、思わず笑ってしまった。祭壇の前まで進んで、安奈さんの手を私に渡すと父親はやっと緊張から解放された顔になったのが印象的であった。改めて安奈さんのウエディングドレス姿を見ると、神秘的な美しさであった。実は衣装合わせも前撮り撮影も無かったので、安奈さんのウエディングドレスを見るのはこの時初めてだった。厳かな雰囲気の中、式は順調に進み、いよいよ今朝買ってきた指輪の交換となった。安奈さんの薬指に指輪を通したけれど、当然のようにゆるゆるであった。それでも安奈さんは嬉しそうに、落とさないようにぐっと手を握っていた。結婚式が終わり披露宴となった。こじんまりした、とても雰囲気の良い披露宴であった。次々と新郎新婦の前まで来て、ビールを注ぎながらお祝いを言ってくれた。アリババと児童養護施設の先生は知り合いだったらしく、一緒に私たちの前に来てくれた。「安奈さん、おめでとう。あなたは今までいっぱい苦労した分、それ以上に幸せにならなければならないと思っています。和令さんじゃちょっと心もとないけれど、きっと大丈夫。」と言った後「中川さん、以前安奈さんを好きになっちゃダメと言ったことを謝ります。安奈さんを幸せにしてあげてね。」とアリババが言った。その後、安奈さんのお色直しで真っ赤なドレスに着替えて、キャンドルサービスとなった。暗い室内にろうそくの光で安奈さんの真っ赤なドレスが浮き上がり幻想的な光景であった。披露宴も進み最後に私と主催者の父親挨拶となった。私が出席者への感謝と今後の誓いを述べた後、父親が「今一度、こんど我が家族の一員になった中川安奈を紹介します。和令にはもったいないようなお嬢さんが、お嫁に来てくれることになって家族全員が喜んでおります。安奈には何も心配していませんが、和令はまだまだ心配です。皆さまビシビシご指導くださいます様お願いします。」と挨拶があった。私は父親の顔を見たが、真っ赤な顔で相当酔っているように見えた。二次会が終わり家に帰ってきたときには、午後10時を回っていた。全員が疲れていたので、今日はもう寝ようとなった。特に私はほとんど寝ていなかったので、眠くてしょうがなかった。安奈さんと私は部屋に入るとパジャマに着替え、寝る準備をした。私は眠くて横になったが、安奈さんはなかなか横にならない。「どうしたの。」と安奈さんの方を向くと、部屋のライトに向かって薬指の指輪をくるくる回しながら眺めていた。「家族の証を貰ったみたいでうれしくて」と言ってにっこり微笑んだ。私は「明日にでもサイズを調整してもらいに行こう。」と言ったが、すぐに睡魔に負けて寝てしまった。
結婚式が終わり、アパートに戻った翌日に、二人で婚姻届けを出しに区役所に行った。こうして本当の新婚生活が始まった。それまでも一緒に生活していたので、これと言った変化はなかったものの、この頃から私は将来について考えるようになった。少し遅いような気もするが。そんな時安奈が「ちょっと相談したいことがあるのだけれど。」と夕食の時に言ってきた。私は「何?」と聞くと「お金の事なんだけど。」と答えた。続けて「一つだけ私のわがままをどうしても聞いてもらいたいの。お母さんのお墓を作りたいです。できればお父さんが眠っている同じお寺に。」と言った。私は「いいことだと思う。賛成します。お父さんが眠っているお寺はどこか分かる?」と聞いてみた。安奈は「わかると思う。」と答えたので、私は「墓地の空きがあるか調べて、在ったらお墓を立てよう。」と言った。安奈はとても喜んだ。そして「あとは希望なんだけれど、相続した株券の配当金を「子ども食堂」に寄付したい。それと、私たちが将来住む家を和令さんの故郷に建てたい。」と私の目を見ながら言った。私は「すごくいいことだと思う。金額が大きいので、石井さんの所だけじゃなく他の所にも寄付しよう。毎年寄付できるので、喜ばれると思うよ。あと、私の故郷に家を建てる話。ありがとう、実は私も同じ希望を持っていたんだ。子供ができたら、あの大自然の中で育てたいと思っていて、でも都会育ちの安奈は嫌がるかななんて考えていたんだ。」と安奈に向かって言った。安奈は「家は大きくなくていいの。リビングと寝室、子供部屋が2つあれば十分。それと、和令さんの実家の近くがいい。歩いていける距離。出来れば、そこで就職して働きたい。」と言った。私は「安奈と結婚したからと言って会社を辞めるつもりは無いので、地元の支店に転勤希望を出します。直ぐに叶うかどうかは分からないけど、そのための準備はしておきましょう。」と答えた。実家に電話で地元に家を建てたいと話すと、皆が喜んでくれた。特に父親が「毎日孫に会える」とまだこの世に存在していない孫との対面を心待ちにしているようであった。翌週には物件候補地の地図と写真が送られてきたことに、私と安奈は苦笑いしてしまった。
何事もなく平穏無事に年を越し、3月に入ると人事異動で希望通り地元の支店に転勤が発表された。4月の新年度から支店の営業課長に昇格することとなった。まだ住宅を建てる土地が決まっていなかったので、実家でしばらく暮らすことにした。ゴールデンウィークの直前に実家から歩いて10分の所に土地を購入し、住宅を建てることが決まった。時を同じくして、安奈の体調に変化が見られた。仕事から帰ると、安奈は満面の笑みで「妊娠3か月だって。私はお母さん、和令さんはお父さんになるんだよ。」と報告された。実家は大騒ぎとなった。特に私の父親の喜びようは凄かった。翌日にはベビーベッドを購入してきて、居間にセットしていた。人名事典や名前の付け方関連の本を買ってきて研究を始めた。まだ、男の子か女の子かも分からないうちにである。新しい命を中心に我が家が回り始めたように感じていた。住宅の着工が始まり秋には私と安奈、それに生まれてくる子供の城が完成する。土地も建物も安奈の父親から貰った資金で賄うので、全て安奈の所有にすることにした。それと、働きたいと言っていた安奈は、予定していなかった妊娠で、しばらくは子育てに専念することとした。つわりが酷く、安奈本人も周りの人も大変だったが、安定期に入ったころ女の子であると告げられた。子供の性別が分かったことから、私の父親はさらに張り切って名前の研究をしていた。出産予定日は11月10日である。偶然にも自宅完成工期と同日であった。毎日、私と安奈は散歩がてら建築現場に見に行っていた。少しずつ出来ていく建物を見ながら、二人で将来について話した。子供の将来、自分たちの老後、この家でこれから起こるであろういろいろなことを想像して話すのは楽しかった。どんどん大きくなっていく安奈のお腹に毎日話しかけた。名前がまだ決まっていなかったので、「姫」と呼んでいた。童話の読み聞かせを安奈のお腹の中の「姫」に向かって良くやっていた。最後に決まって「早く会いたいね」と言った。秋に差し掛かる頃、父親から「姫」の名前の候補が告げられた。「さくら」であった。一瞬、「桜はあまり相性がよくないな」と思ったけれど、父親の力が入った「何故さくらとしたか」の説明と、安奈がとても気に入った様子をみせたので、その名前に決定した。その日から「姫」から「さくら」と呼びながら安奈のお腹に話しかけていた。出産予定日は11月10日であったが、安奈は初産だから少し遅れるだろうと予測していた。ところが、その日は突然やってきた。出産予定日の10日前、午前10時過ぎ、通常通り仕事に行っていた私の所に安奈から電話があった。「破水したみたい。病院に連れて行って。」安奈が苦しそうな声で言った。私は直ぐに自宅に戻り、安奈を病院に連れて行った。それでも、出産には何時間もかかると聞いていたので、一旦会社に戻って、今日の仕事を片付けてからもう一度来ても出産には間に合うだろうと思っていた。診察を終え、車いすの安奈と一緒に診察室から出てきた看護師が「旦那さん、すぐに生まれそうですよ。」と私に向かって言った。「がんばって。」と安奈の手を握ったあと、そのまま分娩室に向かった安奈を見送った。分娩室の前にある長椅子に座りながら、中の様子をうかがっていた。医師や看護師の励ましの言葉や安奈のうめき声が聞こえてきて、その場に居るのがつらかった。分娩室に入って30分もしないうちに、産声が聞こえた。産湯を使うため外に出てきた「さくら」を初めて見た。元気に泣きながら、細い手足を動かしている、第一印象は「蜘蛛みたい」であった。凄く感動したけれど、自分が父親になったという実感は薄かった。しばらくして病室に来た安奈に「がんばったね、ありがとう。」と言ったら涙が溢れてきた。そうこうするうちにベビーベッドに乗せられた「さくら」がやって来た。バタバタ手足を動かしながらぎゃーぎゃー泣いている。何かテレビとかで見た新生児とは違うみたいと思ってしまった。
1週間後、安奈とさくらが病院を退院し、私の実家に戻ってきた。ほとんど自宅は完成していたが、しばらくは実家で暮らすことにした。さくらを中心にした生活は毎日が戦争であった。お客様には失礼であったが、会社で働いているときが一番楽と感じていた。私がそうであったから、安奈はもっと大変であったと思う。さくらは寝つきも寝起きも悪く、常に泣いている印象がある。私の母や父も手伝ってくれたが、年のせいもあり辛そうであった。ふと考えた「名前がさくらだから相性が悪いのではないのか」と。1か月が過ぎた頃、私たちは新居に移った。この頃はさくらもだいぶ落ち着いたが、まだまだ大変であった。後から聞いたが、私たちが移った後、疲れから母親が3日間寝込んでいたらしい。この時は、さくらを中心とした生活が大変と感じていたが、後になって振り返ると、私の人生の中でも一番充実した時期ではなかったかと思う。厳しい初めての冬を乗り越え、また春がやって来た。自宅からの散歩コースには川の土手に植えられている桜並木の道がある。今年も素晴らしい桜満開の姿を見せている。私と安奈、それにベビーカーに乗ったさくらと満開の桜並木の下を散歩している。今はもう桜の匂いは気にならない。こんな幸せな気持ちが永遠に続くと思っていた。