霧の覇者
草食動物の頭蓋骨に似た頭を持つ不死身の化け物、俺、エヴィルは今日もボディーガードである。だが、今日のところは何か違う。なんかザワザワしている。メルチ邸のメイドは基本のほほんとした人間ばかりだ。日頃からザワザワする人間はいない。つまり、この状況は異常なのである。とか偉そうに言ったが、エリスといっしょにいるとザワザワのしっぱなしなのでこの空気感は慣れている。このザワザワの理由はどうやら最近、女性を狙った殺人鬼が街をうろついてるそうだ。死体は首を綺麗に斬られ、しかも美人ばかりだそうだ。新聞を読んでみると死体愛好家か?とか結婚できなかった花嫁の怨霊とかいろいろ好き勝手に書いてある。たしかに、夜の街の女性も心配だが、こっちはエリスの怒りも心配なところだ。町歩き大好きお嬢様はメイド達に
「お嬢様はお綺麗でらっしゃいますから、外出は当面禁止でございます。」
と言われ、最初のうちは絵を描いたり、俺とチェスをしたりして我慢していたが、最近はチェスをしていても怒った顔をしながらしている。そこで俺がうっかり勝とうものなら無言でチェス盤をひっくり返して終いである。これでも、わがままお嬢様にしては頑張った方だ。昨日は私を町に連れ出してと泣きついてきた。比喩ではなく。もはや禁断症状だ。あのエリスが泣くところを見るのは久し振りだった。さて、今日はどんなものか。と思いながらエリスの部屋のドアを開けた。いない、と思ったが、ベッドが膨らんでいる。がばっと豪快に引っぺがすが、そこには丁寧にたたまれた寝間着とぬいぐるみが一つ。
「ヤベェ・・」
もしかしてあいつ、脱走したのか。いつ?どうやって?などいろいろ思考が飛び交うが、こうしてはいられない。と俺は部屋を飛び出した。
エヴィルが出て行ったあと、音もなく衣装タンスが開く。そこから出てきたのは、滅多に着ないような地味な服を着た美少女、エリス。彼女は自分のボディーガードの後を追うように、部屋を出て行った。
早く、エリスを見つけないと、町へ来たのはいいがどこに行けばいいのだろう。あいつの好きなブランドの店はもう5周した。途中で通りがかりの爺さんからよく走るのー、と言われるほど走ったが店員からも目撃情報はない。うん、マズイ。カフェで張りこむか、それとも物陰に隠れて待ち伏せるか。早く決めないと最近は日が暮れるのが早い。というより、最近霧が出ているので見通しが悪い。怪我しそうなのだ。アイツが。
・・・・霧?殺人?何か思い出しそうな気がしたが、思い出そうとする時間が無駄だ。もう探しに行こう。
もう夜になってしまった。怒られるのが怖くて帰りそびれてしまった。こんなコトになるなら脱走しなければよかった。ただ自分がごきげんななめでよかったのだ。とエリスは路地裏で思った。エヴィルの行動を予測して自分のお気に入りのブランドの店には立ち寄らなかった。
はぁ、とためいきをつく。楽しくない。やっぱりあの小うるさいボディーガードがいた方が楽しいことにやっと気づいた。あのボディーガードはもう帰ってしまっただろうか、何度か見かけたが、おそらく自分を探しに来たのだろう。思わず逃げてしまったが捕まった方が良かったかもしれない、と思い大通りに出る。夜のうえ、霧が出ていて見通しが悪いが、大体の方位は分かる。家に向かって歩こうとすると、突然後頭部に冷たい、重い衝撃を受け、エリスは気を失った。
誰だアイツは。やっとエリスを見つけたと思ったのに当のエリスは倒れ、突然何もないところから現れた男がエリスを抱え、立ち去ろうとしていた。
「待ちやがれ!!」
俺が呼ぶと男はこちらを向いた。
「君は誰だね?」
妙に気取った声で男は聞く。黒い帽子を被り、黒のコートを着ており、顔はよく見えない。見るからに普通ではない。俺は臨戦態勢をとる。
「そいつをこっちに渡せ。そしたら事を荒げずに済む。」
脅すように言ったが男はまたもや気取った声で
「もし渡すぐらいなら殺す、と言ったら?」
「その前に俺がお前を殺す。」
もう我慢の限界だった。俺は男に向かって走る。ヤツはその場から一歩も動かない。俺は怒りながらもエリスに当たらぬよう加減したパンチを叩き込む。
だが、俺の拳はヤツの頭をそのまま通り抜けた。頭に俺の拳が刺さったままヤツはやれやれ、といった調子で、
「君は女性を抱えている者にも関係なく拳をふるうのかね。」
と言うとぼやぁと消えていった。それはまるで、霧が晴れるかのように。
後ろを振り向くと、そこには先程、消えたハズのヤツの姿。しかし、エリスは抱えていない。よく見ると、エリスが広場の隅の銅像によりかかるようにしている。ヤツが置いたのだろう。
「全く、君は何者だね?やっと『幻想』を叶える事ができると思ったのに・・場がしらけるようなことはしないでくれたまえ。」
ヤツが意味の分からない事を言う。幻想?なんだそれは。と思い、もうヤツに近づこうとするがヤツがふと右手を横に振る。突如、俺の腹に冷たい衝撃が走る。
「がッッッ・・・!?」
俺は痛覚はないのであまりダメージにならなかったが、それでも吹き飛んだし、驚いた。腹を触ると、
「水?」
驚くほど濡れていた。俺があっさり立ち上がったことにヤツも少しばかり驚いたようだった。
「まさか生身でコイツを食らって立ち上がるとはねぇ。」
とまた右手を振った。俺は慌ててそこから離れる。ばしゅ!!と見えない何かが空間を殴る。やはりコイツは危険だ。俺はダッシュでヤツに近づく。間合いにはいると次は俺は蹴りを放つ、今度はしっかりと手応えを感じたが、俺の足は鈍く光る銀色の物に遮られていた。
「サーベルってのはいいものだ。剣は無粋だが、サーベルは紳士の風格を損なわない。まるで私のようだ。」
と、歌うように言った。巫山戯ている。この男は。蹴りの状態からすぐ拳を振るう態勢に変化する。このとき、男の顔がはっきり見えた。五十ぐらいだろうか。無精ひげが生え、顔は土気色になっている。だが、その目はまるで子供のようにらんらんと輝いていた。顔面に向かって拳を突き出す。今度は一切手加減せず、全力で。だが、その瞬間ヤツの姿が消える。頭の頂点から爪先まで。ソレを見て俺は一瞬、拳を引っ込め掛けた。それが命取りとなった。
「霧の粒子の乱反射を使えばこの通りだが・・このぐらいで拳を止めるとはねぇ。」
呆れたような声の後、俺の腕が飛んだ。しまった、と思う間もなく次は俺の頭が飛んだ。俺の数少ない弱点。そのうちの一つ。それは、頭を失うと、俺は意識を失ってしまうということだ。遠のく意識の中でヤツは言った。
「霧と幻想とは似ていると思わないかね。人はどちらもそれを認識できながら掴むことはできない。哀れだと思わないか?」
俺は答えない、いや答えられない。
「ああ、まだ名乗ってすらいなかったな。すまない。私は」
と闇に落ち行く意識の中で俺ははっきりその名を聞いた。
ジャック・ザ・リッパー。虚構を愛し、幻想に触れる者さ。
その声が響くと同時に俺の意識が闇に落ちた。
ジャック・ザ・リッパー回です。彼はリアルだと少々、というかかなりえげつないコトしてるんですよね。此処では書けないので、気になった方はググって見てください