9話 久遠の悲痛
少女は、転移した。
見たことも聞いたこともない場所――ミラーワールド。
「こんにちワ、宮島桜さん。私はフェイバリットです」
鏡に引き込まれて、眼が覚めて、いきなりそう言われた。
戸惑った。
家から消えて、家族が心配しているのか気になった。
地球の時間はミラーワールドの世界と同時進行で進んでいるのだろうか?
気になった、気になった。
話をした、フェイバリットというミラーワールドの住民に。
そして地球に戻るには『鏡の異物』を一万倒せと言われ、最初は意味が分からなかったが、分かることを強制されてしまう出来事があった。
それが、『鏡の異物』狩り。
正直言って、酷く苦痛でしかなかった。でも、『鏡の異物』を狩らなければ、帰れないと言われたから狩り続けた。
あるときは死にかけ、あるときも死にかけ、死の狭間を、死地を彷徨ってそれでも生きてきた。
一年が経った。
「フェイバリット、私は今、『鏡の異物』を何体倒したのかしら?」
「回答しますワ。今は五百十六の『鏡の異物』を倒しました。『宝珠』を入れることが可能なので、『宝珠』一体をプラスして六百十六の『鏡の異物』を倒したことになりますワ」
絶望した。
一年で『鏡の異物』を倒す数を五百とすれば、あと二十年かかる。その数字に絶望した。
だから、他の脱出方法を模索した、探した、研究した。それでもまだ見つからずに絶望する。
絶望したのはこれだけではない。あれだけおぞましく、異常で異質で異端で異臭を放つそんな奴らと戦うだけで恐怖した。すでに五百は越えている数を倒したのに、すでに慣れというものは発生しなければ、おかしいのに。戦うときの恐怖は拭えなかった。
そして現在、彼女は『鏡の異物』を千四百九十二倒した。
それまで、地球の人間と出会うことは一度もなかった。
もし出会えれば、協力することで効率さが増すと思っていたのに。早く脱出するための研究が成功して、早く脱出することができたかもしれないのに。友情が芽生えるはずだったのに。
出会ったのは、まだこちらに来たばかりの、しかし桜と同じ年のような外見をしていて、されど能力も戦略も戦術も何もかもが適当に思えた人物だった。その程度の人間と出会った。せっかくいた人間は、滑稽と嘲笑ができるほどの相手で、とても研究も効率よく狩ることも……何もできないような人物に会ってしまった。
だから、何もかもが幻想と化した。
*****
「役立たず!」
桜は、暴言を吐く。
その対象はもちろん梶原だ。
そして、彼女の気持ちを知らない梶原は、
「…………」
黙る。
何を話せばいいのか知らないし、何をすることが正解なのかも分からない。
むしろ、理不尽に怒られているので、憤慨して声をあげたくなっていた。
「桜様、梶原に暴言を吐かないでいただけマスか?」
シミラが口を挟む。
だが、
「なんで……、なんで……?」
眼からは涙を溢し、瞳は歪となっていた桜は、疑問を疑問で返した。
それに機械的に、しかし一人の人のようにシミラは、
「梶原は何もしていないはずです。それなのに、ドウシテ暴言を吐くのですか?」
「…………そう……ね。何もしていない…………何もしていないわね。貴方のパートナーは何もしてないわ。だからよ! なんでようやく会えた人間がこんな奴なのよ!?」
宮島桜は激昂する。気持ちが昂り、荒ぶり、感情のたがが外れる。感情が暴れ乱れて拡がり感情の枷を貪る。
宮島桜のこの二年間を知らなければ、例外を除いてまったくもって理解されないのが常だ。
「……ごめん……」
思わず反射的に謝る梶原。
「もう……いいわ……。貴方と協力関係にはならない。行くわよ、フェイバリット」
「はい」
宮島桜という少女はどこを目的としているのか梶原には分からず、当然シミラも知らない。だが興味本位に追うことはしない。あれほど嫌われれば、正直言って何もできない。
そのはず……だったのに、宮島桜は振り向いて、
「――忠告するわ。『宝珠』に会ったら逃げなさい」
そんな言葉を残して、彼女とフェイバリットは去っていった。




