5話 鏡の国はおとぎ話
「お前今なんて言った……?」
あまりの突拍子もなく、異質にまみれたその発言は梶原にとって信じられないものとなっていた。
「再度回答。ミラーワールドの世界では、睡眠、食欲が必要ありません。ミラーワールドの世界ではそんなものが存在しません」
あまりにかけ離れていた。隔離されている。地球の摂理とかけ離れ過ぎていた。
さらにシミラは口を紡ぐ。
「また、これにより排泄行為、睡魔が発生することは皆無です」
「それは……本当……なのか?」
「はい、そうです」
「マジなのか?」
「マジ。マジマジマジです」
それを聞いて、梶原は思ったことを口にした。
「……それなら『鏡の異物』と戦う必要なくね?」
梶原は純粋に疑問だった。
『鏡の異物』を一万倒せば元の世界に戻るとはいえ、梶原は特段元の世界に戻ることを望んではいなかった。
「まぁ、それも可能ではあるらしいですが……、タブン、耐えられませんよ」
「――? 耐えられないって、何が耐えられないんだ?」
「ミラーワールドにいることが、耐えられない」
冷酷に、機械的に話す彼女は、彼のことを想って忠告した。
だが、彼は笑った、笑ってしまった。
「いやいや、あり得ないって! 俺は地球でいらない人間だったんだぜ? しかもそれを実感していたんだよ俺は。それがなんだ? 能力を使えるような場所に来れたのに地球に戻る? そんなのおかしいんだよ」
「アー……、そうですか。では、永遠と何もしないことに耐えられると言うわけですね」
シミラの話に耳をもたずに、梶原は笑みをずっと浮かび続けた。
*****
「なぁ、シミラ。今どのくらい経ったんだ?」
「三時間と三十四分です。阪神は関係ありませんよ?」
そんなこじゃれたことを言い始めるようになった宝石などを纏う――否、宝石を身体の一部とする少女は、されど無表情だった。
「……嘗めてたな、完全に。ネットもゲームも何もない。刺激もなにもない時間……。確かに耐えられないな……」
梶原はニートだ。暇な時間はあっても当然のようにネットで暇を潰し、ゲームでも暇を潰す。そして学校に行きたくない時間は恐怖で勝手に時間が過ぎていく。
だが、ミラーワールドではそんなことは一切ない。というのも、
「この小空間から出れば『鏡の異物』が現れる。裏返せば『鏡の異物』はここには現れないんだよな?」
「エエ。ここに来れるのはワタシや梶原に敵意をもたない者。来ることはあり得ません」
「この空間に入れば平和。でもここから幾つにも別れてる道を行くならもうそれは平和ではなく、死地。そういうことだよな?」
「エー、その通りですよ。『鏡の異物』と戦うことは間違いなく死との瀬戸際です。……死ぬかもしれません」
死ぬかもしれない、その言葉に梶原は反応をしめす。というのも、
「ミラーワールドで死ぬとどうなるんだ。普通に死ぬのか?」
睡眠も食欲もない世界なら、下手したら死なないのではと考えていた。
シミラの瞳は少し、揺らいでいた。それが、涙なのか、それとも梶原の幻覚なのか判然としないが、機械じみた彼女は話す。
「死ぬ、……と思います」
その曖昧な表現に、梶原は顔をしかめた。
「思う…………? 必ずしも死ぬというわけではないのか?」
「ワタシのデータではハッキリしてません。ただ、死ぬ可能性は十分にあるかと示唆します」
「どうして、示唆なんかできる?」
「データ上、『鏡の異物』に殺された人間は血肉をともにして消えてしまうからです」
「……ゾッとしないな……」
話が恐ろしく、おぞましかった。
死ぬかさえわからない。仮に転生なんてものがあったとしても、分解された血肉ごと転生されれば結局は死だ。
結局は死ぬことに変わりがない。
しかし、それでも、梶原という人間はこの状況を、停滞した状況を打破したかった。
「梶原……、決断してくれますか?」
だから梶原は答える。
「…………出よう、この空間から。一万の『鏡の異物』を倒してやる」
啖呵を切って、彼は言った。




