11話 現実なし、現実あり
「…………」
辺りは、世界は白で埋め尽くされていた。
足元が見えないにも拘わらず不思議と地面を踏んでいるような感覚。
そして有栖にとって何より不思議なものが。何よりも不可思議なものが目の前の存在だった。
美人だった。
それが有栖の第一印象。
髪は長く、瞳も髪色も黒。
身長も体重も平均的に見えた。
何より、体躯が角ばっていない――ミラーワールドの人間でなく、地球の人間のように見えた。
「お前は……誰なんだ?」
有栖はそう聞かざるをえない。
でなければ、『真実の鏡』に入った意味はない。
「貴方たちに分かりやすく言えば、『真実の鏡』でもあり、何より『ボス』でもある存在。
これがもっとも貴方が欲しがっている情報、違う?」
「…………」
有栖は内心、驚愕していた。
――『真実の鏡』であり『ボス』……。どういうこと……だ?
「何か質問してほしいように見えるのだけれど、質問してこないの?
今の私はいたって無害よ。何もしないし何もできないからね……」
その表情は少し悲壮感あるものだった。
有栖はその表情を見て、この人は嘘をついている感じはない、と、そう判断した。
だから、質問する。
「じゃあ、まず一つ。
この空間は何なんだ?
これが『真実の鏡』なのか?」
「その問いに対してはある程度正解、ある程度不正解。
言えることがあるなら、この空間はミラーワールドにも“現実”にも繋がっている場所よ」
現実。その妙な言い回しに有栖は疑問を抱くが、些細なことだったのでスルー。
「……それで、お前は何を知っている?」
「それで、とは心外。私の心を簡単に侵害するのね……。まぁいいけれど。
私が知っていることはミラーワールドの『全て』。
貴方に……それを知る覚悟はあるかしら?」
「覚悟……」
ミラーワールドの“全て”を知る覚悟。
咀嚼する。反芻する。貪る。
「……覚悟……」
もう一度反芻。
この場合の覚悟とは……ミラーワールドの『全て』を知る覚悟。つまり、
――現実を、ミラーワールドの現実を受け入れられるかという覚悟。それなら……ある。
有栖は覚悟した。
「教えてくれ、『真実の鏡』。ミラーワールドってなんだ?
たんに鏡の世界ってわけではないんだろ? そういう言い方をするってことは?」
「そうよ。ミラーワールドは『ミラーワールド』であって『鏡の世界』ではないわ」
「? それはどういうことだ?」
不思議そうに『真実の鏡』を見ながら有栖はそう聞いた。
『真実の鏡』は間をおく。おいた。
おいて、置いて、矯めるに矯めて言った。
「ミラーワールドは所謂過去の自身と決別した場所。鏡の向こう側に来たわけではなく、ミラー……つまりは写された世界。つまりは肉体が移動してはなく、弱い精神のみが移動した。つまり鏡に迷いこんだのではなく、誘われただけ。誘われたのは肉体ではなく、幾ばくかの凡人以下に認定されてしまった『性格』を写した世界。
結論から言えば貴方は『脱け殻』なのよ」
「ぬ……脱け殻……。ちょっと何を言ってるかわからないな……」
冷や汗は頬を伝わり、有栖の表情は次第に焦りの表情に変化していく。
「分からない?
ならもう少し言い方を変えればいいかな?
ミラーワールドにいる梶原有栖は、地球の梶原有栖ではない。
自身の性格と決別して、その決別の“別”にした部分――特に駄目な部分を帯びていた性格なるものが地球から転移され、ミラーワールドに送り届けられる。今地球にいる有栖はニートでも何でもない普通の人間であるかのように行動しているものとなっている。
『要らなくなったもの』がこの世界に産み落とされる。要らなくなった性格がここに転移される。要らなくなった感情がここに転移される。梶原有栖が要らないと判断されたものがこの世界に転移される。
つまり貴方は、正鵠を射る発言をすれば、梶原有栖その人ではない。梶原有栖ではない『何か』。そんな存在よ」
現実ではない現実は、現実より非情な現実を叩きつけられた。




