第六二三話 「トラージの街から」
「おや?そちらにおられるのは、サビラギ嬢の娘さんじゃありやせんか?」
「え?あ、支配人さん!?」
角赤亭の看板が掲げられている馬車の影から、ひょっこりと現れた赤鬼族の男の声にサオリさんが反応する。
「いやぁ、今はもう元支配人でさぁ。
あたしらも、もういい歳だってんで、夫婦揃って娘息子に代替わりして、拙はこのとおり、道楽半分で客引きをさせて貰っているってぇ立場でさぁ。」
「あら、そうなんですか、角赤亭だけじゃなく、白角亭も…。」
驚いた様子のサオリさんの顔が微かに歪む。
おそらく角赤亭というのが、サオリさん達が族長就任祝いに泊まった宿なのだろう。
そうであるのなら無理もない、普通に考えれば宿泊客、しかも鬼族にしてみればVIPの宿泊客であるサオトメ家の娘であるサナが、その支配人のお膝元であるウシトラ温泉街で誘拐されたのだ。
誰かが責任を取らなくては収まるものも収まらない。
しかし、それをサオリさんが口に出してしまえば、こうして軽口で貴女のせいではありませんよといってくれている元支配人の男気を傷つけてしまう。
ギュッと服を握るサオリさんの手から、その葛藤が見てとれた。
「え?白角亭と角赤亭って、同じ経営者だったんスか?」
固まりそうな雰囲気を崩すような、ミツキのそんなとぼけた声。
ちょっとわざとらしいが、ミツキらしい気の配り方だ。
「白角亭は妻が、角赤亭は拙が先代になりやす。
一つの家っていっていまえば、同じでしょうが、一応、別の経営でござんすよ。」
そういって元支配人はロマを二回りくらい圧縮したようなその身体の肩を窄める。
赤鬼族なのは間違いないのだが、なんか狛犬みたいな雰囲気の人だな。
「で、そこの兎の嬢ちゃんは、サオリ嬢のお連れさまで?」
「えっと…」
「ミツキは私の義理の娘になります。同じくこっちはチャチャ。」
「よろしくにゃー。」
「よろしくッス。」
話しづらそうにしていたサオリさんに代わり、チャチャとミツキを紹介する。
「あ、お父さん、あたしは?」
「あらま、サオリ嬢、こちらはサナ嬢でやすね?
良かった、これは良かった、無事、見つけられたんでやすね?
いやー、サオリ嬢が娘を探す旅に出たと聞いた時は、拙も気を揉んでおりやしたが、こうしてお連れしているところをを見て、ホッとしやした。」
そういって、大げさに腹に手を当て、大きく息を吐く元支配人。
暗くならないようにコミカルな動きをしているが、本音ももちろん混じっていよう。
「ええ、それで、こちらの男性が、娘の命の恩人のレンさん。
彼がサナを保護してくれていなければ、わたしも今のようにサナに会えることは出来なかったでしょう。」
遠い目をしながら、それでいて少し誇らしげに元支配人に私を紹介してくれるサオリさん。
「ご挨拶が遅れまして、レンと申します。」
深々と礼をしたところ、ささっと身を寄せ、私の両手をその両手で握り、ぶんぶんと振る元支配人。
「いやぁ、これはこれは、親戚の命の恩人と知っておりましたら、もっと愛想よく出来ましたのに。
拙は角赤亭の客引きを生業としておりやす、コマと申しやす。
以後お見知りおきを。」
あら、名前まで狛犬よりなんだ。
「で、サオリ嬢とはどのようなご関係で?」
首をかがめ、手のひらを口に添えて、そんな事をいいだすコマに、ちょっと動揺してしまう。
その指はやめなさい、その指は。
「いやいやいや、冗談でやすよ。
サナ嬢の恩人といえば、鬼族の恩人。
こりゃあ、他の宿に取られるわけにはいけやせん。
ぜひぜひ、うちの角赤亭へお越しくださいやし。」
大きく両手を開いた、さあどうぞ、といわんばかりのポーズを取るコマ。
まるで寿司屋のCMみたいだ。
「お母さん、コマさんとあたし達って親戚なの?」
コマの語り口上が続いていたので聞けなかった疑問を変わりにサナが聞いてくれた。
「それはですねサナ嬢、拙の妻がサビラギ嬢のいとこなんでやすよ。」
さっきからサナの祖母、金剛鬼ことサビラギ・サオトメをサビラギ嬢、サビラギ嬢と気軽に呼んでいたが、それは親戚の気安さだったのか。
ちなみに、周りの客引きは、その名前を聞いて凍りついていたり、そそくさと離れていったりしている。
流石にここまでくるとサナの婆ちゃんのネームバリュー凄いな。
サオリです。
コマさんは、お母様の族長就任祝いに角赤亭に泊まった際、始めてお会いして、わたしの就任祝いの際も良くしていただきましたが、まさか、こんなところで出会えるとは思ってもみませんでした。
次回、第六二四話 「角赤亭へ」
その節は大変お世話になったというのに、バタバタとして、ろくにお礼ももいえませんで……。




