第四十一話 「匂い」
「ああ、やっぱり部屋だと匂うな。」
そういってロマは返杯された杯を傾ける。
「なんのことですか?」
いや確かに汗臭いというか埃臭いというか独特の臭いのする部屋ではあるが。
「サナが発情してる匂いだよ。レンは亜人の発情期については知ってるか?」
「サナから聞きました。一部を除き大抵の亜人には発情期があって基本的に女性側が相手を選ぶ権利があるそうですね。」
「娘から聞いたのか、心が強いな。」
ロマが驚いた顔をしている。
話の流れで聞いてしまったんだよ。
「同族同士なら発情期は匂いでわかる。って話も聞いたか?」
「はい。女性側が発情しているとその臭いをうけて男は発情するし、その逆もありうるとか。」
「うむ。なら話は早い。この匂いからするとサナはもう発情期中で、おそらく今晩あたりから衝動が強くなるはずだ。」
「そこまで分かるものなんですか?」
「まぁ、男側から見ても発情期は一大イベントだからな。年取ればそれくらい分かるようになる。」
ロマはそういって酒を注いでくれた。
「そこで二つほど話がある。一つ目は注意で、この発情臭は同族異性の発情を促す。
狂わせるといってもいいな。
倫理観が働く同族同士の集落と違って人族の中で暮らしている鬼族は抑えが効かないやつもいる。
嬢ちゃんの安全のために、あまり同族の前に出さない方がいい。
あと迷宮内は人の目がつかない場所という事もあって、そういう意味でも注意が必要だ。
といっても、こっちは人族がよくやらかすので最初から危ないがな。
あと、この発情臭は角有りの種族同士は似ている事が多い。なので角のある奴の近くに今のサナを出すのも避けたほうがいい。
これは俺を含めての話だ。」
なるほど。
ロマがお猪口を空けたので注ぐ。
「二つ目の前に、嬢ちゃんの発情期の経験については聞いたか?」
「話しぶりからすると今まで迎えたことは無い様子でした。」
「初咲きか。これはもう仕方がないな。初めての発情期は前触れもなく来ることが多いんだ。そうなると普通、相手に困ることになる。」
つまみをひょいと口に放り込みお猪口を傾けるロマ。
「サナは想い人がいる女性にとっては無礼講で告白でき結ばれる可能性もあるチャンスというかイベントみたいな言い方をしてましたが。」
「そういう側面も確かにあるが、実際のところ必ず想い人がいるとは限らんだろ?
基本的に鬼族はおおらかだが内向的な娘だっている。
そうなると必然的に信頼のおける手慣れた男が相手をすることになる。
初めての発情期なら尚更だ。」
なにか予防線を張られているような気がプンプンする。
「ここからが二つ目の話だ。人族の感覚からすると違和感があるだろうが、大体の亜人の男はその集落では共有財産的な側面がある。労働力に限らずな。
家は女が継ぎ、その女の長女がまたその家を継ぐ。それを代々繋げて来た関係で女の権力が強い上、未だ一部で続く人族との争いや魔族との闘いで男の方が少ない集落がほとんどとなれば、これは仕方がないことなんだ。
最近だとそれを嫌がって人族の下へ行く亜人もいる。」
こうして人族の下で探索者やっている俺が言える立場ではないがな。といってお猪口を呷るロマに酒を注ぐ。
なにか非常に言いづらいことを忠告してくれようとしているらしい。
「だからこれからいう事は人族の感覚でいうところの淫らな話でもないし、非常識な話でもない。『文化が違う』というだけの話だ。
それらをひっくるめてレン、もしもサナに求められたら抱いてやって欲しい。
発情期は異性が相手をしないと収まらん。」
うすうすは察してたが直球で来たな。
「しかし義理とはいえ親子ですし…」
「そこだ、そこが文化の違いってやつなんだ。
発情期だが想い人が無く、信頼のおける手慣れた男が相手となれば、どうしても身内が選択肢に上がってくるのは亜人の文化の中では当然なんだよ。
人族の感覚では相容れないかもしれんが親子や兄弟が相手の場合も珍しくない。
特に初めての発情期の時にはな。
ましてやサナはお前を慕っている。旅先の今、選択肢はレン、お前しかいないんだ。
サナを、いや仲間の女鬼を助けてやってくれ。
これを拒絶されるというのは女鬼にとってはかなり不名誉な事なんだ。」
ロマは真っすぐ私の目を見るとそういって頭を下げた。
たぶん今までもこの亜人と人族の文化の違いで苦しんだ者がいるのだろう。そこから嫌悪されたり誤解された事もあるのかもしれない。
「頭を上げてくださいよロマさん。分かりました、何とかします。」
「そうか!いやレンが童女趣味で助かった。」
違う。
「文化の違いというのは理解しました。良くも悪くも私とサナは本当の親子でもありませんし、サナは鬼族の基準とはいえ成人を迎えています。角を除けば外見的にもそんなに変わりませんし、年齢差さえ気にしなければ人族の倫理的にもセーフだと。」
仕方がないとはいえ凄い自己弁護。
「年齢差とはいうが一回りも離れていないだろうに。
いやレンがそういってくれるなら一安心だ。初めての発情は自覚が薄いからうまいことリードしてやってくれ。経験はあるんだろう?」
そりゃ元妻帯者だから経験はあるが、実年齢だとそれこそ普通に親子くらいの歳の差なので、そこはさすがに気になる。
「まぁ、それなりに。」
「よし、じゃ、決まりだ。じゃあ、俺は寄るところがあるからこれで帰る。」
ロマは残りの酒を呷るとそういって立ち上がった。
「今日は色々とありがとうございました。」
「いや、楽しい時間だった。サナが収まったらまたこうして飲みたいものだ。」
「はい、喜んで。あと、これは些少ですが『鎮めた後』でも一杯やってください。」
そういって2枚の銀貨を握った右手で握手する。
「おお、ありがたく頂戴しよう。ちなみに『そういう店』はここから北の方にちょっといったところにある。奴隷商の館も同じ方向だから今度覗いてみるといい。」
覚えただけだった淫魔法【夜遊び情報誌】をプレイエリア内だということなので使ってみると詳細な街の情報が視界に浮かぶ。
たしかにそう遠くない距離に歓楽街がある。
「親子連れですからそう行く機会もないでしょうけどね。」
「それはそうだがひと段落したら奴隷商に嬢ちゃんの奴隷解放に係る相場は見てもらったほうがいいぞ?
あと部屋の鍵は明日の昼の鐘が鳴るまでにさっきのカウンターに返す決まりになっている。
継続して借りるなら同じく次の日の分の料金をそこで払うと良い。」
そういって部屋の鍵を私に放るとロマは改めて装備を整える。
同族のそういう匂いが立ち込めている部屋の中だ、ロマもそうとうキテしまっているのだろう。装備が整うと逃げるように部屋から出ていった。
残されたのは、なんかむにゃむにゃいいながら寝息を立てるサナと私の二人きり。
さて、ああは言ったがどうしたものか…