第一話:邂逅
薄暗い石室を抜け、通路のような横穴を歩いていく。
廃墟に立ち入ったかのような若干の好奇心と大きな恐怖心が俺の心の中で暴れ狂っていた。
何故俺はこんな気持ちでこんなところをうろついているのだろう。
それにはほんの少し前の出来事が大きく関係していた。
という訳で状況を整理しよう。
俺こと高槻光莉はいたって普通の高校二年生だ、とか何とか言ってしまうとラノベ主人公っぽいなこれ。
うん、やっぱ俺はそんなに普通じゃないから訂正しよう。
俺こと高槻光莉はオタクと呼ばれる人種であり、現在は引きこもりに近い生活を送っている。
「えーと、次、高槻」
「うーっす」
そんな俺は適当に返事をして俺は机に突っ伏した。
昨日も完徹で世界を救っていたため、俺の体力はもう既に限界に近いのである。
・・・・・・うん、ゲームの話だよゲームの。
「ぉお、あいつ来てるぜ」
「珍しいねー」
「おい、お前ら静かにしろー。次、滝谷」
周りの声が俺の耳に入ってくる。
まぁそんなのはいつものことで。
何故なら俺は出席シフト表を学年毎に作りそれを基に出席しているため、必要外に学校に出ないからだ。
そもそも学校というところに毎日出る意味が分からんね。
点数採ってればいいんだろ。
なら自分で勉強すりゃ効率がいいはずだ。
「よーし、じゃあ一時間目始めるぞー」
ああ、あっという間に授業時間か。
まあ俺はゆっくり休ませてもらいますかね。
そのまま俺は微睡みの中に―
「始めに言っておくが、寝ててもいいが寝てたやつは俺の授業欠席扱いにするからなー」
―へ?
何ですかそれ!?
職権濫用すぎんでしょ!!
「職権濫用とか思ってるやつは即アウトだからなー、特に高槻ぃ」
「うげっ」
突然のキラーパスに目が覚めた。
何、先生あんたエスパーなの!?
まあそれはおいといて。
起きますよ、起きますとも。
「よし、それじゃあ始めるぞー」
俺が背筋を伸ばしたのを見て、満足げな顔で担任は板書を始める。
一方俺は溜め息を吐きたくなるが、それをこらえて鞄の中からノートと筆記用具を取り出した。
筆箱が真新しいのに対して、俺の出したノートはひどく色褪せており、ところどころに擦れた痕が残っている。
そしてノートの表紙には書かれているのは【フラグメンツ】という単語。
【フラグメンツ】というのは今から10年ほど前に発売したゲームの名前。
このノートはその【フラグメンツ】の全キャラの全セリフだったり、年表とそれにまつわる出来事だったりが書いてある俺が作ったオリジナルのノートだ。
【フラグメンツ】は王道と言われれば王道のRPGゲーなのだが、年表に沿い時系列で追っていくストーリーや技を自由に名付けられると言ったシステムがあり、それが魅力だったと言うプレイヤーが多い、言わば良作。
確かにそれも魅力的だったのだが、俺の心を完全に奪ったのはそれではない。
ゲームの中に現れる登場人物たちは自分の欲望に愚直なまでに真っ直ぐだったこと。
『私は別に世界を救いたいと思っている訳じゃないよ。今まで関わってきた人たちを笑顔にしたいから闘うんだ!!』
アルエット=ナージェの言葉だ。
自分の思いに素直で。
自分の気持ちに正直で。
いくら人間によって創られたものとはいえ、その姿は現実の人間のようで俺が出会ってきた人間よりも人間らしかった。
何の目的もなく怠惰に生きている目の前の生徒たちよりもよほど人間らしい。
だからこそ俺はその登場人物たちと出会うために。
彼女たちのその姿を自分の中に焼き付けるために。
そしてこんな箱庭の中では知り得ない世界を知るために俺は毎日【フラグメンツ】をプレイしているわけである。
ー見ツケタ。
「―ッ!!?」
唐突に唸るように低く重く頭にずしりと落ちてくる声。
身体の熱が急激に冷めていく。
心臓が誰かに握り潰されそうになる。
自分という存在がバラバラに消えてしまいそうな気さえする。
たった一節の言葉にそれだけの恐ろしさを覚え、俺の身体中には嫌な汗が広がっていく。
突っ伏していた俺は恐る恐る顔を上げ周囲を見やった。
目の前には何の変哲もない日常が広がっていた。
板書する教師にそれを写しとる生徒。
はたまた写し取ることを諦め眠りこける生徒。
何事もなく進む現実に俺は戸惑ってしまう。
まさか、気のせいだったのかー
ーコレデヨウヤク。
ーヨウヤク私ハ。
ー私ハ至ルコトガ出来ル。
いや、幻聴なんかじゃない!
今もずっと俺の頭の中に語りかけてくる声。
そうか、俺は、こいつを―
『―サア、私トオ前デ始メヨウカ』
「おい、お前ら何か言ったかー?」
「何も言ってないっすよー」
「何か聞こえたよね・・・?」
「スマホとかじゃねーの?」
教室が喧騒に包まれる中で、俺は再び声の主を探そうと教室内を見渡すがそれらしい奴はいない。
「お、おいッ! 何だよあれ!?」
その中で一人の生徒が窓の方を指差す。
それを見た生徒たちはざわめき、窓の方へ駆け寄っていく。
その先にあったのは一面の赤。
空が赤く染まり、大地に紅の雷が幾本も降り注いでいる。
だが俺が衝撃を受けたのはそんな事ではなかった。
『終焉ヲ、始メヨウ』
ー私はお前を倒すよ、絶対に。
何でこの世界にいるんだよ。
ーどんな絶望が前にあろうとみんなの想いは絶対に負けないから。
この世界には絶対にいるはずがないのに。
『だから、始めようか―』
― デ ザ イ ア
「デザイア・・・」
目の前に現れたそれは、【フラグメンツ】のラスボスであるデザイアそのものだった。
◇
デザイアの出現により世界の理は崩壊した。
「な、なんだ、コイツ!!?」
もちろんこの教室も例外だとは言えない。
入り口に立つのは異形のもの。
尖った耳に鼻、緑色の肌とそれを被うボロ雑巾の様な衣服。その手には刃こぼれが在りながらも鈍い光を放つ剣。
映画のCGでありそうな妙なリアル感があるがそれだと俺には確信がある。
目の前のソレは―
見まごうことなきゴブリンであった。
「くぎゃああアアあ!!!」
肉の詰まった獲物をたんまり見つけた喜びに、ゴブリンはにたりと醜悪な笑みを浮かべながらこちらへゆったりと歩み寄ってくる。
「待て待て、何だあんたは?」
それに対して前に出ていく担任教師。
生徒たちがビビっている中でもゴブリンに対して距離を詰めていく。
「おい、あんた。校長には映画撮影なんて情報は聞いちゃいなー」
ひゅう、と空を切る音。
それと同時に出た教師の間抜けな悲鳴を掻き消してしまうかのように床に突き刺さった質の悪い刃。
抉れた地面から土埃が舞い、リノリウムの破片がぱらぱらと落ちてくる。
「に、逃げろぉおおおおおオオッ!!」
誰かが叫んだ。
刹那、世界は現実を認識した。
「きゃあああああ!」
「どけろよぉおお!」
「助けてくれぇええ!」
未曾有の邂逅に生徒たちは戸惑い、殺されまいとゴブリンの脇をすり抜けて教室の外に出ていこうとする。
「ぐぎゃあぎゃぎゃあ」
「ヒィ―!!」
しかし二体目のゴブリンが入り口から入ってきたことで入り口は行き場を失った生徒でごった返す。
俺は、死にたくない―
その行動理念の下、俺は右往左往している生徒を尻目に【フラグメンツ】のノートを持って窓から飛び出した。
中庭を走る、走る、走る―。
どこに向かってということもなく、ここから離れたいというその一心で俺はひたすら大地を蹴る。
校内からは悲鳴が上がっているが、俺はそれをひたすらに無視し続けた。
あれだけ憧れた【フラグメンツ】。
だけどここには主人公たちはいない。
あるのはひたすら死に近い感覚のみ。
他人に構っている余裕などあるものか。
『ドコヘ行クト言ウノダ、高槻光莉?』
ぞわっと背筋に這うような感覚。
ねっとりと絡み付くその声はおそらく―
「デザイア、か?」
『アア、ソウダ』
【フラグメンツ】の作中にもあった直接人間の心に語りかけるデザイアの能力。
デザイアの存在が見えた時点で、声の主には検討がついていた。
「何故俺に語りかけるんだ!?」
『簡単ナコトダ。《反転置換》ヲ行ウタメニハオ前ノ存在ガ必要ダカラダ』
全く聞いたことのない単語。
少なくとも作中には出てこない概念であることは間違いない。
「《反転置換》って、何、だよ!?」
『ココカラ消エ行ク者ニ、説明スル必要ハナイ』
―ずがぁぁあああああん!!!
「うおッ!!?」
数メートル先に赤雷が走り地面を穿つ。
大地が砕かれるほどの衝撃に俺は思わず目を瞑った。
「くぎゃあああああ!」
「ぎゃあおおおおん!」
ああ、何か嫌な予感がする。
恐る恐る目を開けた先には、予想通り二匹のゴブリンが道を塞いでいた。
先に進もうにもゴブリン、後ろに戻ろうにもゴブリン。
『サア、大人シク―』
「―させっかよぉおおお!!」
それは圧倒的なまでの光の奔流。
光というのも生ぬるい、まさに極光。
その光は目の前のゴブリンを瞬間的に消し去っていた。
「大丈夫かボウズ?」
突然現れたのは鎧の騎士。
純白の重鎧に二振りの長剣、兜で顔は見えないがとりあえず声で男だと判断できる。
「え、ええ、とりあえず大丈夫です・・・・・・」
剣を鞘に仕舞み差し出してきた彼の手を取って立ち上がる。
「お前さんも大変だなぁ、あんな奴に狙われて」
「あの、貴方は―」
「おっと、おしゃべりしてる時間は無さそうだな、ボウズ走るぞッ!!」
男に手を引かれて俺は再び走り出した。
腹に響くような衝撃が起こり俺は後方を振り返る。
俺が立っていた位置にはデザイアの触手が突き刺さっていた。
「あ、あんなのが、あ、当たってたら・・・・・」
「ああ、お前さんなら確実に死んでんだろうなぁ。 だからそうならねえために走んだよ!!」
男は重鎧を身に付けているのにも関わらず、スピードはそのまま上昇していき落ちる気配を全く見せない。
「は、はや、速す、速すぎだって―!」
そんな彼に対して俺は息切れはするし、足だってほぼほぼ限界だ。
「あともう少しだ!! てかお前、全然走れねぇなおい!?」
「だって、こちとら、ただの、引きこもりだぞ!?」
「まあ、どうでもいいが気合い入れとけよ!」
◇
『フム、高槻光莉ノ方カラ来テモラエルトハ何トモ嬉シイ限リダ』
というか待て待て待て待てェ!?
俺らが走って辿り着いた先はデザイアの真正面だった。
「ふぃ~、疲れた疲れたぁ」
「何してんですか!? デザイアは俺を探してるんですよ!?」
「ああ、知ってるぜ。《反転置換》をやろってんだろ?」
彼は俺から手を離し、腰に携えた長剣を抜く。
そしてそのまま彼はデザイアと対峙する。
『・・・・・・オ前ハマサカ』
「まあ、どうでもいいから早く済ませちまいなデザイア。俺とお前の戦いはそれからだ」
『一ツ問イタイ、オマエハ高槻光莉ノ味方デハナイノカ?』
「味方だからこそ、だ」
彼はそう言い、俺の方を見る。
「終わりじゃねぇ、ここから始まるんだ。高槻、少しばかりその根性叩き直してこい!」
それが言い終わると同時に、俺の身体にズドンという衝撃が走る。
「―え?」
『殺シハシナイ。タダ直接魂ニ触レテイルダケダ』
ぽたっ、ぽたっという一定のリズムで刻まれる音。
そして冷たい感触に俺は目線を下に下ろす。
「ぁ、ああ―」
穴が開いている。
ちょうど俺の左胸、心臓に当たる部分には触手がねじ込まれていた。
「ぁあああああああああアア!!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い―
『―星術《反転置換》ヲ起動スル』
そして俺の意識はぶっつりと途切れてしまったのだった。