ACT.6 嬉し恥ずかし、悲しみの歓迎会
「えー、コホン……」
フィーナがマイクを持って、マイクテストをした後、咳払いする。その頭にはパーティーで見ることが出来そうな円錐のキラキラした装飾が付いた赤い派手な帽子を被っている。柄は金色の星が描かれている。
「――それでは……枢くんの、我らコスモス入隊を祝って……」
大広間に集まった何百人もの人が全員、僕も含めて白い液体の入ったグラスを持っている。
「「「カンパーーーイ!!!」」」「か、かんぱーい……」
フィーナの合図で、全員がそのグラスを天へと掲げた。そして全員一気に飲む。かなりの飲みっぷりだ。ただし、枢だけは飲めずにいた。
辺りにはテーブルがたくさんあり、その上には肉やら野菜やらカニやら僕にはよく分からないような色んな食べ物が並べられていた。中にはフォアグラっぽいのとかキャビアっぽいのとかトリュフっぽいのとかあった。和、洋、中と様々なジャンルをカバーしていた。
今日の朝、アイリの口から僕は、放課後にユスティティアへ来るようにと言われた。訓練をやるのかと思い身構えたが、その内容は歓迎会とのことだった。前から思ってたことなんだけど、コスモスは異様に軍隊っぽく無さ過ぎる気がする。軍曹、とか大尉とかの階級もないっぽいし。軍隊っぽく呼んでた名称はせいぜいフィーナの事を艦長って呼んだぐらいかな。歓迎会なんて聞いた時は凄い拍子抜けした。
「ほら、ノリ悪いよ! 枢くん!」
「そうだ! 坊主!」
「お前が主役なんだぞ!」
「遠慮するな!」
あちこちから口をつけない枢に一気飲みへの催促が飛び交う。
そしてその人ごみの中からクリフが枢の近くに寄り、
「ホラッ! 飲めよ!」
そう言って枢の持ってたグラスを強引に口へと持っていき、傾ける。白い液体は、重力に逆らうことは出来ず、口の中へと吸い込まれる。
「――――――ッ!」
枢は驚き、抵抗する事も出来ず飲んでしまった。
「――ゴクン。――ってこれお酒じゃないですかっ!?」
普段飲んでいる飲み物と明らかに違う風味があった。そう、アルコールの匂いだ。
「そうだ、白ワインだ。高いんだぞ?」
そう言いながらクリフは自分のグラスへと追加を注ぎ、口に運ぶ。
「僕は未成年ですよっ!?」
「気ーにすんな気にすんな。それにほら」
指を指す。その方向にはアイリと、それにフィーナまでもが飲んでいた。
「ちょ、ちょっと2人とも! 何で飲んでるのさ!」
枢は2人に詰め寄り、叫ぶ。
「……?」「なんで?」
2人はお酒を飲む事に全く疑問、違和感を持っていないようだ。
「何でって……未成年じゃん! それにフィーナなんかこんなに幼いのに!」
その言葉に、僕の言葉を聞いた全員が一瞬硬直し、静寂する。聞こえてない大多数の人達は変わらずバカ騒ぎをしている。
そしてこの硬直、静寂を破ったのはクリフだった。
「ブッ……グ……、ハッハッハ! フィ、フィーナが幼い! こ、こりゃけっさ――グハッ!」
クリフの腹部に、フィーナの見事なボディーブローが入る。クリフはそのまま微かな呻き声を発し、腹を押さえながらずるずると倒れこむ。頭を床につけ、膝を立て、尻を天井に突き出している。この二枚目な容姿には似合わなさすぎる情けない姿をしていた。その口からは先ほど飲んだ白い液体が口元から垂れていた。しまいには泡も出てきた。……死んだんじゃないか? これ。……ホラ、なんか瞳孔が開いてきてないデスカ……?
しかし周りの人は全く気にしていない。“あぁ、またか”ぐらいにしか思ってないらしい。
「まぁまぁ、そんなことは気にせず飲みなって! 今日は無礼講だから!」
後ろ脚でクリフをげしげし蹴りながらフィーナは言う。別の事を気にした方が……。それに無礼講ってそういう意味じゃないと思うんだけど……。
「まぁ、良いじゃない、今日くらいは。飲みすぎなければ大丈夫よ」
後ろから優紀さんがやってきた。そのワインを持っている姿は、優雅でとても綺麗だった。大人の女性、といった感じだ。
「優紀さん……」
「だよねー、ユーコ」
フィーナは無邪気に笑う。優紀さんも笑い返す。
「……優紀さんはそういうこと、言わない人だと思ってました」
横目で優紀さんをじとっと見る。
「あらそう? なら、私という認識を改めるべきね」
そう言って、僕の鼻の頭に人指し指を当ててくる。
「――――ッ」
思わず僕は退く。
「枢くん、顔赤ーい」
フィーナは指を僕に差しながら笑ってくる。
「ち、ちが――これはこのワインのせいで――」
苦しい言い訳をする。しょうがないでしょ、こんな綺麗な人にこんなことやられたら……。
「枢君……大丈夫?」
優紀さんは僕の顔を包み込むように両手で掴み、覗き込むように顔を近づけた。もはや息が届くような距離。
「―――――――――――ッ!」
枢はさらに顔を赤くして退く。耳まで赤くなっていた。
「ふふっ、可愛いわね」
その様子を見ていたアイリは、無表情のまま、空になった自分のグラスへ、泡が内包されている飲み物を注ぐ。サワーだろうか。そして一気に飲み干した。そしてまた自分のグラスへと注ぐ。それを何回か繰り返していた。
「けふっ」
炭酸を一気に飲んだため、その口から可愛いげっぷが漏れた。その瞳は、じっと、枢とユーコを収めていた。
「……ハァ。いいですよ、諦めます」
嗚呼……今まで友人の誘惑にも負けずお酒は二十歳になってからって決めてたのに……。ついに僕も破ってしまうのか。ついに僕も不良だ……。
などと、枢は感傷に浸っていた。その間も優紀さんが空になったグラスに注いできた。軽く会釈する。
「っていうか、日本人なのは私ぐらいだしね」
――あ、そういう問題もあるのか。成程。外国だと年齢制限が違うとか聞いたことがあるようなないような。それでもフィーナは絶対にどこの国でもダメだと思う。
「……それじゃ自己紹介――って思ったけど、ここにいる人たちはもう大体知っているようね」
優紀さんはアイリ、決められた男、フィーナを見ながら言った。
「あ、はい。そうですね」
枢は答える。
「あ、そこで蹲ってる――復活した男はクリフね。クリフ・ヴァーディール」
優紀さんが説明している間に、ボディーブローを決められた男は先程のダメージを完全に回復させ、立ち上がっていた。瞳孔まで開いてた筈なんだけどな……。丈夫な人だ。
「おう、そういうこった。よろしくな、枢」
「はい、よろしくお願いします」
お互いに挨拶をしあい、右手を握りあう。
「ちなみに俺、ウルカヌス――あの紅いアウラのパイロットね」
僕に向かってウィンクしながら言う。
「あ、えぇ!? そうだったんですか!」
この人が……。それにウルカヌス……そういう名称だったんだ。あの強固な装甲を持った紅い、巨大なアウラは。
「そ。だからあん時は助かったぜ。ありがとな」
枢に向かってクリフは笑いかける。
「い、いや、僕は別に何も……」
慌てて否定する。これは別に照れでも謙遜でもない。あの時実際、僕は何もしてなかった。何もしなかった。出来なかった。あの黒い機体が退避してくれなかったら僕は一瞬の内に倒されたと思う。あのまま戦闘を続けられたら、絶望的だっただろう。
「……あ、じゃあ、ユスティティアのイモータルは全部で3機なんですか?」
アイリ、クリフさん、優紀さんの3人しか僕は確認できていない。ハンガーでも確認できたんだろうけど、僕は全然アウラに詳しくないし、結局は教科書に載ってる程度の常識の範疇の知識だ。操縦操作や駆動システムとかはフェイクスとして同調した時にそこそこ入ってきたみたいだけど。しかしそれだけでは、機体の種類、名称などは分からない。
「いいえ。あと1人、腕利きがいるのよ」
そしてクリフが続ける。
「イリウム・クリスタルって奴なんだがな。アイツ、コスモスは裏の顔でな。いつもは表の顔で忙しい、らしい」
ぐいっとワインを飲みほす。そして「かー、もっとキツイ酒はないのか?」と言いながら何処かへ行ってしまう。……らしい?
「あの時居ませんでしたよね?」
あの時、とは無論あの黒い機体が強襲して来た時の事だ。
あの機体はかなりの最新鋭だ。変形機構なんてのは今までで類を見ないタイプだ。これまでに案として出てはいたが、技術的な面と効率の悪さで実用化はされなかった。基本的にアウラは空中戦が出来ない為、わざわざ無理に高出力高負荷操作難の戦闘機用ブースターを積む必要性がなかったのだ。しかし、あの機体を見る限りその認識は改めるべきだ。
――と、そう優紀さんに言われた。
「そうね、いなかったわ。……まぁ、しょうがないのよ」
「何をしてる人なんですか?」
「それは、教えられないわ。何故なら、私達も知らないから」
優紀さんはグラスを傾けながら言う。
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。知ってるのはフィーナだけ。私達に詳細は知らされていないわ」
「そうなんですか……」
「そういえば艦長。何か急な仕事が入ったんじゃなかったんですか?」
優紀さんが不意にフィーナに尋ねた。
「あぁあれね。ビートに任せた」
何も悪びれずに、そう言う。
「……はぁ」
優紀は呆れて溜息を吐く。
「えと、ビートさんっていうのは?」
事態が掴めない枢は2人に質問する。
「艦長にいつも面倒な仕事を押しつけられている不幸な人よ」「私の忠実なる犬、もしくは奴隷よ」
2人が同時に答える。
「…………えと」
僕はどうリアクションを取ればいいか、分からなかった。
――その後、僕は色んな人達に引っ張られては乾杯する羽目になった。
もう10杯くらい飲んだ気がする。あのワインはアルコールが強いかとか、僕の体質がアルコールに弱いかとか、何より飲むのは初めてだから、そういうのが全く分からず凄く不安だ。今はこうしてしっかりと明確に思考出来てるから多分酔ってはいないと思うけど……。
「かぁーなめぇー! 飲ぉんでるかぁー!」
僕の背中をバシバシとクリフさんが叩いてくる。……この人はもう、完全に出来上がってると思う。耳まで赤い。そのうちネクタイを頭に巻きそうだ。
「……」
優紀さんは喧騒から一歩引いたところで、冷静にグラスを傾けている。あまり顔に変化は見られないので、多分まだ全然酔ってはいないのだろう。クリフと同じくらいのペースで飲んでいたように見えたけど……お酒に強いのかな? まぁ、優紀さんが酔っ払って暴れ出す姿なんて見たくないから、安心したけど。
「アハハハハ!」
3段肩車とかやってる酔っぱらいを見て、フィーナは大笑いしている。フィーナもかなりのハイテンションだ。それでも、別に酔っ払ってのハイテンションって感じには見えない。彼女持前の明るさで、素面であのテンションを出してるように見える。もしそうだったら、凄いことだと思う。
「アイリは……」
この歓迎会でほとんど話すことが出来なかったアイリを探す。まぁあのアイリの事だからいつも以上に無表情で飲んでるんじゃないのか……?
「アイリ……アイリ……。……あれ?」
見渡す限り何処にもいない。人に隠れて見えないだけかな? あ、それともトイレっていう可能性もあるか。
そう判断し、アイリを探すことを一旦諦めようとしたその時。何やら床に倒れこんでいる人が見えた。その身体は、まるで死んだように微動だにしていなかった。
「――ッ!?」
僕は慌ててその人影の元へ駆けだす。
枢は、酔い潰れたという線を考慮に入れていないようだ。そんな――道端で酔い潰れて寝る――みたいな真似は漫画やアニメ、ドラマだけの世界だと思っている。しかし枢はその倒れている人物、状況を見て愕然とする。
「……………………」
倒れている人物、それは結論から言えばアイリだった。ただ、いつもの無表情な、氷のようなアイリではない。いつもは白く透き通るような肌が桜色に染まり、口からは涎を垂らして、大の字になって爆睡していた。右手には酒瓶を持っている。――そう、俗に言う“酔い潰れた”だ。
「アイリちゃんは限界か」
普段とほとんど変化のない優紀さんが後ろから話しかけてきた。
「普段はこんなにならないんだけどなぁ、どうしたんだろ。やけ酒でもしたのかしらね」
アイリちゃんに限ってそれはないか、と優紀さんは笑う。
「……どうしましょうか、これ」
2人して床で爆睡しているアイリを見ながら会話をする。
「そうね……枢君、医務室に連れてってあげなさい」
「あ、はい。そうですね、わかりました」
寝そべっているアイリを抱え、おんぶする体制へと持っていく。それを優紀さんが手伝ってくれる。
「大丈夫? 1人で」
「大丈夫です。アイリ、嘘みたいに軽いので」
そう、アイリは物凄く軽かった。40kgあるのか? というぐらい。僕の脚でも、おぶって運ぶ分には全く問題なかった。アイリは僕の背中でくぅくぅと寝息を立てている。アイリを落とさないように気をつけながら、会場から出る扉を開けて医務室に向かった。ユスティティアの内部構成は前に地図を見せてもらった時ので大体覚えているので迷うことはない。枢は医務室へ向かった。
――そう言って枢は会場を出ていく。ユーコは1人残ってグラスを傾けながら、ゆっくりと閉まる扉を見つめる。
「ふふっ。女の子と医務室で2人きり。シチュエーションはばっちりよね……。果てさて、どうなるのかな?」
その口は笑っていた。これからあの2人はどうなるのか、ということを想像しながら。ユーコの思惑は上手くいったようだ。これじゃ私もクリフのこと言えないわね、とユーコは自分に呆れて、溜息を吐いた。その直後。
「どぉーぅうしたんだぁーユゥーコォー!」
そう言いながら出来上がったクリフが後ろからユーコに抱きつく。
「――ッ!」
ユーコは驚きながらも、グラスを持っていない方の腕の肘で容赦なく、的確にクリフの脇腹を殴打した。
「ウゴッ――! オォォォォォ……」
腰を海老のようになりながら腹を押さえ、また倒れこんだ。確かに、よくある事の様である。
「――ったく」
そう言いながらユーコはグラスを傾ける。その表情は怒っているが、少し楽しそうにも見えた。
端の方では、フィーナが若い20代ほどの男に頭をわしわしとされていた。
――ドクン。
今、僕の心臓は高鳴っている。
それは何故か。後ろにアイリを背負っているからである。
――ドクン。
背負う、ということは否が応にも体と体が密着するわけでして、いくらアイリにあまり胸がないといってもここまで密着するとその微かな膨らみも解るわけでして……。しかもさっきから息が耳に掛かってるし。僕も一応思春期真っ盛りの少年男子なわけでして。こういう状況はあまりよろしくなく、いや嬉しい、どんと来い――。
(――って何を考えているんだ僕は! だぁーもう! とにかく、早く医務室へ連れていこう!)
「ふぅ、ここだよな」
扉の前に立つ。そこには『Medical room』としっかり書かれていた。プシューという音を立て、扉が開く。開いた直後は光が一切ない真っ暗だが、枢が足を踏み入れた瞬間に電灯が点滅し、白い空間を照らし上げた。中には誰もいない。
「……っと」
背中からゆっくりアイリを下ろし、ベッドに寝かせる。そして布団を掛ける。髪が顔の上に散らばっているため、それらを横に下ろす。こうして見ても、とても綺麗な髪の毛だと思った。ケアを結構しているんだろうか。
アイリはすぅすぅ規則正しい寝息を立てている。その表情は安らかで可愛かった。
「……」
何となくその様子を見て、笑ってしまった。
「さて……」
そろそろ戻るかそう思いひるを返すと、服の袖を引っ張られる。
(起きちゃったのかな?)
と思いながら再びベッドへと振り返る。すると案の定アイリが引っ張っていた――というかアイリじゃないとただの心霊現象なんだけど――。しかし、アイリ自身は眠っていた。
枢は一瞬どうしようか悩み、そして結論を出す。手を解くことにした。ただし起きないようにゆっくり、優しく。そして解こうと自分の手をアイリの手へと持っていく。指を開かせようとしてもなかなか開かない。かなり力が強かった。
「ぐ……だ、ダメだ」
全く動かない。少し、手をぷらぷらさせて、再度挑戦する。手を近づける――と今度は服の袖を放し、僕の手を掴んできた。
「――ッ!?」
突然のことで驚く。これで今までは両手で試みていたものが片手になってしまった。解ける望みは薄れた。
どうしようか、とまた思案していると、
「――ママ」
そう、小さく呟くアイリの声が微かに、だけどしっかりと聞こえた。そのアイリの寝顔を見ると、目には涙を浮かべていた。僕の手を握る力がより一層強くなる。
何か、夢でも見ているのだろうか。……僕もたまに見る。あの、惨劇を。それに疑問に思っていたんだ。アイリみたいな――フィーナもだけど――まだ年もいかない、しかも女の子が、傭兵部隊なんていう物騒なものに所属し、しかもアウラに乗り、それもイモータル、自身もフェイクス。何か特殊な事情があるとみても良いだろう。決めつけるのは悪いけれど、例えば、両親が戦争に巻き込まれ亡くなってしまったとか……僕の様に。
「――パパ」
再びアイリが呟く。右目から、一筋の涙が流れた。その涙は頬を伝い、枕に吸い込まれる。
「……」
僕は指でその涙を拭う。今、アイリはどんな夢を見ているのだろう。表情を見る限り、楽しい夢ではないだろう。普段のアイリから想像もつかないような、感情に、悲しみの感情に溢れた表情。
僕は会場に戻ることを止める。きっと、僕の考えの通りなら、今アイリは僕の手を自身の両親の手と思っているはずだ。とにかく、寂しがっている事は確かだと思う。僕にはそれを、振り払うことは出来ない。
近くにあった椅子を取り寄せ、ベッドの脇に座る。
「……」
「……」
枢はハンガーでの事を思い出す。アイリはあの時、頭を撫でて欲しいって言ってたよな。
僕はアイリの頭を撫でる。なるべく、良い夢を視てもらいたいから――。今の僕に、彼女の悲しみを少しでも和らげることが出来るのなら……。
枢は優しく撫でる。枢が撫でることで、アイリの表情は悲痛なものから、徐々に安らかなものへと変わっていった。
そして次第に枢も酒が回ったのか、眠りに就いてしまう。自分の手を握っている小さな手を握りながら。
2人だけの、緩やかな時間が流れる。今回は、覗き見する人影もいなかった。