ACT.5 “半”日常<2>
――結局、別にこれといったことはなかった。アイリが僕の家に来る事によって、慣れてない家事を無理に手伝ってそこら辺にある花瓶を派手に壊すでもなく。キッチンから火柱が上がる様な事件があった訳でもなかった。そういえばアイリの料理はおいしかったし。
食事中も特にこれといって会話が弾んだわけでもないが、別に気まずかった訳ではない。それにアイリは、無表情なのだが色々な事に興味を示すようで、それを見ていると何か心が落ち着く、いや、和んだというべきか。
――それになにより、家に自分以外の人がいてくれるというのは良い。そう思った。
「おやすみ、アイリ」
隣の部屋で寝ているアイリに向かって、小さく、小さく呟いた。
――次の日。
『それじゃ、始めるわよ』
僕は疑似コックピットの中。どこからともなく声が聞こえる。
「はい、お願いします」
その声に答える。
『何回も言うけど、体調が悪くなったらすぐに申し出て』
辺りは廃墟。戦場の跡地のような風景が周りに広がっている。
「はい」
ここは仮想空間。これはコンピュータが僕の頭脳に映し出している虚像だ。
『それじゃ』
だけど温度もある、匂いもある、感覚もある。限りなく、僕の頭は騙されている。ネフィルの機体性能をデータ化し、あたかも顕現しているように見せかける。
『……3』
足元には砂塵が舞っている。装備は特に何に特化しているわけではない標準型マシンガンだ。今回はそれを使うようにと言われている。
『……2』
自機の周りには半壊した建物が無数にそびえ立っている。
『……1』
優紀さんのカウントダウンが始まる。僕は操縦桿を握り締めた。
『スタート!』
その瞬間、建物の蔭から何体ものドックス3が現れる。出てきた一番手前の敵を狙う。
「喰らえっ!」
右手のマシンガンを撃ちつける。ドックス3は数発当たると直ぐに装甲が剥がれ、爆発する。しかし敵は前だけではない。後ろからもやってくる。右上のレーダーに背後から反応がある証拠のポインタが点滅する。瞬時に旋回し、対応する。
優紀さんが言うには、合計10機。これをクリア出来れば次の段階に上がれるとか。
「ぅおりゃッ!」
ステップで敵機との距離を詰め、左手に展開してあるレーザーブレードで斬りつける。斬られたドックス3は見事に真っ二つに引き裂かれる。しかし1機だけを相手にしては居られない。
左右から挟まれる。
「ッ!」
しかしネフィルを高く跳躍させることで回避する。2機のドックス3は互いにガトリングを撃ち合い、自滅する。そして奥の方にいる敵に向かって、マシンガンの下部に装備されているグレネードを撃ち飛ばす。その爆風は大きく、近くにいたもう1機を巻き込んだ。
「……すごいね、枢くん」
大画面のモニターでその戦いの様子を見ていたユーコに、フィーナは声を掛ける。
「ですね……お仕事は?」
「ビートに任せてきた」
――男が1人黙々と書類を打ち込む姿がある。その男は、枢が艦長室に居た時に配膳係をやらされていた男である。
「……クッソー! あのガキィィィ!」
「……お気の毒。……で、彼は、本当に民間人なのですか?」
怪訝そうな顔をして、ユーコは尋ねる。
「そんなに額にしわを寄せない。美人さんが台無しだよ?」
むぅ、とユーコは眉間に指を持っていく。
「……ま、データ上ではね。一応民間人、ごく普通の高校生だよ。……境遇はともかくとして」
その言葉に、ユーコは気の毒そうな顔をする。
「でも、あの人の息子だよ。このくらい出来ても、良いんじゃない?」
2人はモニターを見上げる。
「……そう、かも知れませんね」
ネフィルは完全に制圧していた。無傷の状態で。
「終わった……」
枢は手の力を抜き、大きく息を吐く。その額には汗が少し滲んでいた。
『……上出来よ。文句なし』
ユーコの声がコックピットに響き渡る。
「あ、ありがとうございます」
『それじゃ、終了するわよ』
「え……まだ僕、大丈夫ですけど」
『ダメよ。まだ慣れないうちに長時間没入しては』
真剣な顔で、ユーコは言った。
「……わかりました」
目の前の風景が分解され、次第に消えていき、光が全くない黒い空間へと変わる。しかしその黒い空間に、長円に光の切れ目が入る。シミュレーターの空く。その奥に、無機質な天井が映る。そして枢は体を起こしてカプセルから出た。
「ふぅ……」
でも確かに、優紀さんの言う通り止めて良かったのかもしれない。さっきは興奮状態で高まっていたせいか分からなかったが、かなり疲労が来ているようだ。頭痛がする。
「お疲れ様、枢君」
綺麗な髪を流しながら優紀さんが歩いてくる。
折瓦夜 優紀。この艦、コスモスの一員だ。あの灰色のイモータル、ミネルアを駆っているパイロット。無論、彼女もフェイクスだ。とりあえず、自分の名字が嫌いらしい。理由は字が訳分からん、だそうだ。まぁ確かに……滅多に見ない名字だと思う。それに名前の漢字も珍しいと思った。優紀でゆうこって読めるんだなぁ、と。
「優紀さん」
枢が振り向く。
「どう? シミュレーションとはいえ、初めての本格的な実戦は」
「結構、疲れました。優紀さんの言うとおりでした」
ユーコは、少し青ざめているように見える枢の顔を観察する。無論、その気を枢に悟られぬよう。
「でしょう。だから長時間は駄目。ゲームと同じよ」
人差し指を立てて優紀さんは言った。
「えと、じゃあ僕はこれからどうすれば?」
「今日のシミュレーションは終わりね。また今度ね。お疲れ様。家でゆっくり休んで」
「はい、分かりました」
――艦長室に入る。
「模擬訓練お疲れ、枢くん」
艦長室に入ると同時に労いの声を掛けられる。
「ありがとう……ってフィーナも見てたんだね」
「うん。それにしても凄いねー、枢。初めてであのレベルをクリアするなんて」
「そう、なの?」
「そうなの。それに機体制御もほぼ完璧だしね」
機体制御――か。
「それは、僕がフェイクスだから。……当然なんじゃ?」
「別にフェイクスだから何でも出来るってわけじゃないよ。判断、反応、センス諸々。これはフェイクス以前に、本人の才能だよ」
これは誉められてる……んだよな。
「フェイクスにだって誰でもなれる訳じゃないからね。もっと自分に自信を持ちなよ」
でも、あまり嬉しいと感じない。
「ありがとう。……それで、話っていうのは」
この話題から逃れるため、別の話題を持ち出す。
「あ、そうそう。枢くんも正式入隊だからね、私達のコスモスの。色んなの書類とかが必要なんだよね。……それとこれ」
ファイルの束を渡してくる。
「これは?」
パラパラ捲りながら流し読みする。
「契約書。まぁ……だーいたいがどーでも良いー内容なんだけどねー」
「あはは……」
苦笑い。まぁ契約書なんてそんなもんだよね。利用規約だってまともに見たことないし。
「でも、お金のことが書いてあるよ」
「お金?」
月給のことかな。フィーナがここ、と書いてある個所へと誘導してくれる。
「……ゲッ!!」
そこには信じられない金額が書かれていた。もう、どこの社長!? どこの土地成金!? って位の。
「不満? ならもうちょい――」
「いえいえ! とんでもございません! むしろこんなに貰ったら申し訳ない感じに……」
ぶんぶんぶんぶんと首を振る。
「そう、よかった。……それじゃ、帰ってから軽く目を通しておいてね」
「うん、分かった」
資料に目を通しながら答える。
「そして、枢はもうコスモスの一員だから、ここにある施設は自由に使って良いからね。……ま、危険だからっていう理由で入れないところも結構あるんだけど」
「了解です」
「それじゃ、これからも訓練頑張ってね。アイリの機体がまだ復活しないからさ。戦力不足なんだよ……」
ちょっと俯き加減にフィーナは話す。
「まだ、原因も分からないの?」
今まで黙っていたアイリが会話に参加してくる。やはり気になるようだ。
「うーん……目星はついてるんだけどねぇ。何とも……」
「……そう」
無表情だが、落ち込んだ様な雰囲気が漂っている。
「もし進展あったら連絡するからさ……ね?」
「……」
アイリは黙って首を僅かに下へ傾けた。
「ねぇ……」
アイリは自分の機体に手を当てながら呟く。
「何やってんだろ……アイリ」
しかしその呟く声は枢の耳には入らなかった。
艦長の部屋から出た後、アイリの意向でハンガーへ向かう事になった。アイリから何かを頼むなんてのは初めてのことなので――いやそうじゃなくてもだけど――ハンガーに寄ることにした。
「ねぇ……プロセルピナ。もう、貴方は動けないの……?」
僕は、この光景をうまく言葉に表すことが出来ない。
自分のアウラに手を当てているアイリのその少女は、まるで自分の愛犬を愛でる様な、そんな心優しい表情をしている。その彼女に窓から差し込む光の粒子は照らし上げる。粒子はアイリの綺麗な黄金色の髪に反射し、神秘的な光景を具現している。まるで深窓の姫の様。
「……そう」
アイリが機体から手を離す。そして枢の方へと歩いて行った。
「……もう良いの?」
「……うん」
「そっか」
そう言い、僕らは歩きだした。アイリは下を向きながら歩いている。多分、相当落ち込んでいるように見える。彼女にとってあのアウラがどのような存在なのかはわからない。分かることは、彼女の中の多くを占めているということだけ。
「アイリ……」
「……何?」
無表情な顔をこちらに向ける。
「あ、あー……その、……元気だそう? ……ねっ?」
枢はアイリの頭に手を乗せ、撫でる。
「……」
アイリは驚き、固まっている。
「……へ? あっ!」
枢は慌てて手を離す。
だ、だってアイリって背小さいし、なんかこう……。つい、昔結衣にやってたように……。
「ご、ごめん! そ、その、こ、これは――!」
「――別に良い」
「え?」
しかしアイリは枢にとって予想外の返答をする。
「別に良い。気持ち、良かったから。……なんだか、安心、する……」
「そ、そう」
枢はかなり焦っている。それに顔を赤くしている。
「……もう一回、お願い」
「え? あ、う、うん」
もう一度手を乗せて、優しく撫でる。アイリの綺麗な髪が、乱れないように、優しく。気持ちを込めて。
「……」
アイリは眼を閉じて、その感触、感覚に浸っている。
――そしてハンガーの入り口から覗く人影が居た。1人は男、1人は女だった。2人ともパイロットスーツを着ている。
「おぉ……あのアイリがあんな表情をするなんて……」
片方の男が呟く。
「ちょっと、クリフ、声が大きい」
クリフとユーコだった。壁から頭だけを飛び出すように乗り出していた。そして1人の男はその表情を満面の笑みにする。
「こりゃあ……艦長に報告だ!」
そう言いクリフは走りだした。その表情は、面白いモン見ちまったぜぇ! という様な顔をしている。
「コラ! クリフッ!」
ユーコもクリフを追いかけ走り去っていた。