ACT.5 “半”日常<1>
「――ん」
真っ暗だった視界に光が射しこむ。僕は目を開ける。するとそこは見慣れない部屋だった。真っ白な部屋。カーテンで仕切られた空間。まるで病院だった。僕はベッドに横たわっていた。掛け布団を剥ぎ、上半身だけ起こし上げる。その時にベッドが揺れて、軋んだ。
「おっ……起きたか?」
シャーとカーテンが開けられる。やってきたのは、無精ヒゲを生やした、白衣姿のダンディなおじさんだった。
「あ、はい。……えっと、ここは?」
まだ頭がぼんやりしている。思考がうまく働かない。まだ夢を見ているよう。
「医療室だよ。ユスティティアの」
「……? ……僕は、確か」
確かあの紅い機体を助けようと、出撃して、それから――。それから――。
「君は出撃して直ぐに気を失ったって聞いたけど?」
おじさんは椅子に深く座り、腕を前で組む。
「そう、だったんですか……」
確かに、あのイモータルが飛び立ってから全く覚えてない。
「――そうだ! あの、紅いアウラに乗っていた人は!?」
「無事だよ。君のおかげでね」
「そうですか……良かった」
枢は安堵の笑みを浮かべる。
「そう、だから彼が君にお礼を――」
ぼふっという音が男の背後から聞こえる。
「ん?」
振り返り、ベッドを見る。するとまた、枢はベッドに横たわり眠りに就いてしまっていた。
「……やれやれ。無理もないか」
頭をボリボリ掻きながら、男は呟く。
――僕は目を開ける。しかし、視界には光は十分に入って来なかった。右に視線を移す。
「……3時」
そこには、蛍光塗料で指針を示す針が数字の3付近を指していた。長い針はも3の辺り。
何でこんな時間に起きたんだろう、と思う。すると便意があることに気付く。ベッドから体を起こす。
「ん……?」
すると何やら掛け布団が重い。何かに引っ掛かってる、いや乗っかっている感じだろうか。右側が捲れないので、左側だけ捲り、ベッドを出る。そしてドア付近にある電気のスイッチを手探りで探す。長年住んできた部屋なのでどこにスイッチがあるかは感覚で分かる。
電気を点ける。目にとっては急な光に目を細める。照らされたのは見慣れた僕の部屋。しかし明らかに異質な物体がある。
「……ア、アイリッ!?」
アイリがベッドに顔を伏せて寝ていた。
「……んぅ?」
アイリが目を擦りながら顔を起こす。その目は半眼で、明らかに眠そうだった。
「……おはよう?」
首を傾げながら朝の挨拶をしてくる。
「お、おはよう……じゃなくて! 何でアイリが僕の部屋に!?」
「……」
しかし僕の問いかけは虚しく、答えるべき人間は船を漕いでいる。今にもまた布団に突っ伏しそうだ。3度ほど首が垂れてはまた上に戻る、というのを繰り返す。そしてまた眼が開いたかと思うと、もそもそとベッドによじ登る。……相当寝ぼけているようだ。
「ちょ、ちょっと……アイリ?」
アイリは僕のベッドに、こっちを向くようにして寝る。そしてもそもそとさっきまで僕が掛けていた布団を肩まで引っ張る。
「……おやすみ」
「……」
そしてすぐに規則正しい寝息が聞こえた。既に本音入りのようだ。
「……はぁ」
諦めるしかなさそうだ。それにこんな可愛い、安らかな顔をして寝ている娘を起こすのははばかれる。それに、僕もとても眠い。
「ん……」
アイリが身じろぎする。そのせいで掛け布団が少し肩から落ちる。僕はその布団を掛け直す。
僕は押入れからもう一つの掛け布団を体に巻き、壁に寄り掛かって寝ることにした。
「――て。――て、カナメ」
肩を揺さぶられる。
「……ん」
目をゆっくり開ける。アイリが僕の顔を覗いていた。しかも超至近距離で。
「……うわっ! ……てっ!」
驚いた拍子で寄り掛かっていた壁から落ちる。ゴツッ、という音が響く。
「……起きた」
アイリはぼそり、とそう言うと部屋を出て行った。そして僕は1人部屋に取り残された。
「……。……んん?」
――おかしい。おかしいぞ。
とりあえず今着ている服……なぜかジーパンにセーターを着ているのだが、それを脱ぐ。壁に掛けてある霧宮高校の制服を手に取り、着る。そして着ているうちに寝ボケきっていた意識が目を覚まし始める。昨日の記憶を思い出し、今の状況を理解する。ただし、理解と言っても、あくまで認識しただけである。
ダイニングルームに行くと食卓の上には朝御飯が並べてあった。そして台所にはアイリがエプロン姿で立っていた。
「え、えっと……?」
状況が掴めない。僕の家にいるには明らかに異質な人がいる。
「……食べて」
「は、はい」
食卓に着く。スクランブルエッグなど洋風の朝御飯のメニューだった。
「いただきます」
両手を合わせて言う。そしてアイリも向かいの席に座った。卵を割って口に入れる。……うまい。
「――って! そうじゃなくて! 何でアイリがここに? ――昨日も聞こうと思ってたんだけどさ」
無言で食を進めるアイリに尋ねる。
「……とりあえず、様子を見ていた」
「様子?」
アイリはフォークをテーブルに置いて顔をこちらに向ける。
「カナメは、昨日気絶をした。……それはフェイクスとしての負担によるもの」
黙って耳を傾ける。
「医療室で一度目が覚めたけど、またすぐに寝た。……だから家に送った。そして私は、念のため護衛としてついてきた」
「なる、ほど……」
護衛――ねぇ?
――鞄を持ち、玄関に向かう。
「僕は学校に行くんだけど、アイリは……?」
ニュースを見ているアイリに話しかける。
「私も、もう行く」
リモコンでテレビを消して、アイリは立ち上がった。アイリが僕の近くまで歩いてくる。
「これ」
そう言い、小さな紙を渡して来た。受け取る。
「これは?」
中を開くと番号が書き記されていた。
「コスモスの、電話番号」
で、電話番号……。
「なるべく早く返事を欲しい。なるべくなら、今日までに。」
「返事……」
返事――コスモスに入るか、入らないか。今日中か……急だな。
「それじゃ、待ってる」
ドアを開けて、一度振り返りアイリはそう言って、僕の家を出て行った。
僕は自分の右手を見る。
「コスモス――か」
僕は右手を握り締めた。
――霧宮高校、2年1組の教室。
「つまりこれが仮主語だな。そして当然これが動詞だ。となると――」
教師は黒板に書かれている英文の下にOやらSやらを書き込んでいく。みんな授業を真面目に聞いている。何故ならばこの教師は生徒をかなりの頻度で指すタイプの教師だからだ。だから誰もがいつ指されても大丈夫なように、今何をやっているか理解しようとする。
だがやはり、聞いていない生徒が一人いた。枢である。
「……」
右手で頬をつき窓の外を眺めている。利き腕である右手を使っている時点でもはやダメだろう。
「じゃあ、今日は9日だから……久遠。ここの『that』が何を指しているか分かるか?」
しかしやはり反応がない。
「久遠……久遠!」
美沙都が腕を振り上げる。そしてその頭に手刀を振り下ろ――そうとした途端に枢は勢いよく立ち上がる。勢いよく立ち上がったせいで椅子が音を立てて後ろにずり下がる。その音に教室中の人間は驚く。
「……先生! 僕、具合悪いんで早退します!」
そう、言い放った。無論、元気いっぱいである。そしてすぐに荷物をまとめ始める。
「……は?」
思わず教師は間抜けな声を出す。当然の反応だった。周りの生徒も呆けている。美沙都など、口を振り上げた手をそのまま停止させていた。
「お、おい……久遠?」
「それじゃ、そういうことで」
そう言い扉へと向かっていく。
「久遠!」
枢は、その怒鳴る声にも止まらず出て行ってしまった。教室はざわざわとし出す。
「何なんだ? あいつ」
冬夜が美沙都に話しかける。
「……さぁ?」
腕を下ろしながら、美沙都は怪訝そうな顔でそう言った。
枢は携帯に、紙に書いてある番号を打つ。そして通話ボタンを押す。そして数秒ほど経ってから繋がる。
「……もしもし」
『もしもし』
その声はアイリだった。
「あ、アイリ?」
『そう』
「返事、何だけど……」
「うん」
「えっと、フィーナに直接言いたいんだけど今から大丈夫なのかな?」
「分かった、大丈夫」
そう言ったまま、電話は切れてしまう。
「……?」
僕は首を傾げる。まぁとりあえず首を傾げていてもしょうがないので歩く。
(昨日の場所は海だから校門を右に曲がって行けば……)
校門を出て右に曲がる。
「おわっ!」
するとそこにはアイリが無表情で立っていた。その手には、携帯電話が握られていた。
「な、何でここに?」
「……カナメをずっと監視、してたから」
「か、監視……」
僕は朝から――あの後ずっと監視されていたのか。……なんか怖いな。
「……行こう」
しかしそんな若干の寒気を覚えている僕を無視して、アイリは歩き始めた。
「……それじゃ、返事を聞かせて」
再び、フィーナの部屋――艦長室に招かれる。フィーナはデスクに座り、背筋を伸ばしてこちらを見ていた。蒼色の綺麗な瞳が僕を見据える。
「……コスモスに、入隊します」
フィーナはパァーッと一瞬明るい顔をするが、すぐに真面目な顔に戻る。その瞳は、依然僕の眼をまっすぐ見ている。
「……本当に、後悔しないね?」
「……うん」
その眼から逸らすことなく、僕は頷いた。そして再びフィーナの顔に喜びが色づいた。
「……分かった。それじゃあ、改めてよろしくね、枢くん!」
フィーナは右手を出す。僕もその握手に、しっかりと応じた。
「……ただし1つ、お願いしていいですか」
「……いいよ、私達で出来ることなら」
「妹を、今いる病院よりもっと良い病院に移してもらえませんか?」
今、妹を入院させている病院は、あまり大きいところではない。大病院に移したいけど、僕にはまだはまともに働けないので、お金がない。
「……私達の行きつけの所になるけど、良いかな? もちろん、腕は保障するよ」
「はい……ありがとうございます」
結衣には早く、良くなって欲しいから――。枢は俯いた。
「それじゃ、色々用意しなきゃいけないからさ、説明とかは明日にして良いかな?」
「はい、分かりました」
――入口。前の扉が開く。登録されたため、僕にも開くようになった。奥にはパイプが無数に織り成す空間が見える。その上に網の通路が引かれる。そしてその通路を歩き、外に出る。ユスティティアと岸とを繋ぐ通路を渡りきる。そして枢はそこで振り返り、大きい戦艦を見る。
「……」
いまいち、まだ現実感がなかった。僕が正体不明のアウラに乗って傭兵部隊に所属する、なんて漫画やアニメのような展開。都合が良い、正直言って、そう思う。でも、今はこれが現実なんだ。昨日までの様な、ただ生きるだけの毎日ではない。目標が出来た。日々不満に思っていたこと。僕は、力を手に入れた。――あれに対抗し得る力を。
右手を握り締める。膝が、ちくりと痛んだ。枢はそのまま、また振り返り、帰路へと着いた。
「ふ、ふぁぁあぁ……。さむ」
大きく欠伸する。皮膚には肌寒い空気が制服を突き抜けて刺さる。昨日は正直、ちゃんと眠れなかった。頭が痛く、疲れてもいたんだけど、何か落ち着かない。まだ戦闘時の興奮状態が続いているみたいだ。
信号にひっかかる。待つついでに、膝をさする。この寒さは、この脚には結構堪える。
「おはよ、美沙都」
席について何かの課題をやっている美沙都に挨拶をする。
「あ、おはよう、枢……って、君、昨日はどうしたの?」
「いっ? あ、あれは腹が痛くなって、さ」
アハハ、と誤魔化す。
「まぁいいけどさ。先生、怒ってたよ?」
鞄を机の脇のホックに引っ掛ける。
「……やっぱり?」
たらー、と冷汗が頬を伝う。
「当然でしょ。あんな出方をすれば」
眼鏡を外しながら美沙都は答える。美沙都はそんなに目が良いわけではない。だから勉強する時など、細かい字を見る時はいつも眼鏡をかけている。
「……よし」
掛けた鞄を持ち立ち上がる。
「コラ。何所へ行く」
手をがしっと掴まれる。
「……ダメ?」
「ダメ」
溜息を吐きながらまた座る。今日の放課後はあるのかなぁとか考えていると、
「ビッグニュース! 転校生が来るぞ!」
クラスの男子が大声で入ってきた。
「マジで!? 男? 女?」
「女! めっちゃ可愛い!」
「おぉぉ! おい! 見に行こうぜ!」
「がってんだ!」
ドタドタと数人の男子が慌ただしく駆けていく。その中に冬夜もさりげなく混ざっていた。教室に残っているのはほんの一部の男子と女子だけになった。
「……枢は行かないの?」
美沙都が聞いてくる。
「うん、まぁ。あんまり興味ないかな」
「……ふぅん」
すると近くの女子が寄って来た。
「久遠君には美沙都っていう人がいるもんねっ!」
「だからっ! そんなんじゃないっていつも言ってるでしょ!」
その言葉に美沙都は顔を赤くしながら怒る。そして女子は逃げ出し、美沙都は追いかける。よく見かける光景だった。
「……はぁ」
溜息を吐く。周りでは数人の女子がこっちを見ながらくすくす笑っている。
「…………はぁ」
もう一度溜息を吐いた。
「えーまず、まぁ、みんな知っているようだが……転校生が居るんだ」
そしてざわざわと教室が騒がしくなる。
「んじゃ、入っていいぞー」
みんなが扉に注目する。僕も美沙都も注目している。ガラッと扉が開かれる。
出てきたのは身長150cmより低いくらいの小柄な女子。その体にしては制服が少し大きいように感じる。顔立ちは端正で、その表情はあまり緊張しているようには見えない。むしろ無表情だ。髪の色は金。目の色は蒼。どこかで見たことがあるような人だった。
枢は思わず顔を手で覆う。
「……何で、アイリが……」
そう、どこから見ても紛れもなく、アイリだった。周りでは男子の歓声が響く。女子でも可愛い可愛いと歓声が上がっている。
「それじゃ、自己紹介して」
アイリが教壇の横に立つ。
「……アイリ・イテューナ。……よろしく」
再び歓声が沸き上がる。
「見ての通り外人さんだ。まだ日本に慣れていないことが多いと思う。しっかりサポートしてやってくれ。じゃあ席は……」
後ろの方に空いている席が用意されている。が、
「カナメの隣がいい」
アイリは静かにそう言った。
「カナメ? ……知り合いなのか?」
コクン、とアイリは頷く。
「なっ!?」
冬夜が勢いよくこちらを向く。あえて枢はスルーする。
「……じゃあ、本人たっての希望だ。一人じゃ心細いだろうからな、叶えてやろう」
そして冬夜は端の方の席に追いやられて、アイリは僕の隣の席に着く。
「……お約束だ」
枢は呟き、溜息を吐く。
そしてホームルームが終わり、教師が教室から出ていく。その直後、アイリの近くに男女共にわらわらと集まる。
「アイリ! ちょっと来て!」
その人混みを掻き分け、枢は強引にアイリの手を引く。
「あっ! 何だよ、アイツー!」
不満な声が沸き上がっているが、それらを無視して枢は教室を出て行った。
霧宮高校の校舎は、2つに別れている。1つの校舎は各クラスの教室がある北棟。もう1つは物理講義室、化学講義室、地学講義室等の特殊教室が集まっている南棟。そしてこの2つは各階にある渡り廊下で繋がれている。
北棟は職員室等がある1階に加えて学年分の3階、つまり4階立てである。南棟は6階と少し多い。だが多いといっても実際に使われているのは5階までなのである。6階は立ち入り禁止になっている。まぁ正直、立ち入り禁止だからと言って、無理に立ち入る程のものではないのだ。何せ6階の教室には色々な道具が置いてあるだけで、生徒の興味を引くには薄い。
「ハァッ、ハァ……アイリ、これは一体、どういう、こと?」
荒く息をしながら枢はアイリに質問する。反面、アイリの呼吸は全く乱れていない。
「……」
しかしアイリは質問に答えず、周りをキョロキョロする。
「大丈夫だよ、ここには、誰もいない……」
そう、僕はアイリを南棟に連れてきた。
「…………艦長の気紛れ」
アイリは視線を横に向けながら答えた。
「……ハァ!?」
気紛れ!? フィーナの!?
「それに、どちらにせよ、私の機体はまだ直りそうにないから」
「……まぁ、腑に落ちないことがたくさんあるけど。よろしく、アイリ」
枢は右手を差し出す。
「……よろしく」
――デスクに内蔵されているパソコンを起動し、大量の書類を打ち込んでいる。
「ふぅ……」
フィーナは手を伸ばしたり、肩を回したりとストレッチする。フィーナの目は、少し充血している。
通信が入ったことを告げる電子音が響く。フィーナはデスク上のボタンを押す。
『――艦長』
「なぁーにぃー……」
物凄く気だるそうな声で返事をする。
「ネフィルの、ことなんですが……」
その瞬間、フィーナの身体がピタリと止まる。そして今まで眠そうだったその顔が、真剣なものへと変わる。
「……何?」
モニター越しの男を見据える。
『やはり、通常のアウラとは大きく違うようです。IMジェネレーターもシステム自体は同じですが、エネルギー供給量、エネルギー保持容量、負担率、瞬間放出量、そのどれもが他のイモータルをも上回っています』
「……」
顎に手を当て、フィーナは思考する。
『何よりブースターは、謎に包まれていますね。調べた限りでは、通常通りなんですがね……他にも多分、認知できないものがあると思われます』
「そう……」
フィーナは昨日の戦闘を思い出す。
ネフィルが出した、あの赤い翼。あのヴィレイグとかいう黒いアウラの異常なステップブースター、それすらも軽く凌駕しているあの翼。恐ろしい。まるであの赤は、血のようだ――。
『多分、あれに間違いはないかと……』
「……そうね。ありがと。それじゃ、引き続き分析お願い」
『了解です』
空気中に発生していたモニターが消失する。
「……一体、どっちなのかしらね」
フィーナは1人、呟いた。
「アイリ、昼食はどうするの?」
今は授業が4コマ終わり、今は食事時間兼昼休みの時間だ。枢は終わるなりアイリに話しかける。
「……何も持ってきてない」
「分かった。じゃあ僕が購買行って買ってくる。何か希望ある?」
「……特に」
アイリは無表情で答える。
「じゃあ適当に買ってくる。じゃ、ちょっと待ってて」
女の子だから、甘いものの方が良いかな。
そう思いながら、枢は財布をポケットにしまいつつ、走って教室を出て行った。
購買に着く。
「どわっ!」
枢は購買に居る人の多さに圧倒される。
「いつもながら……凄いなぁ」
この学校の購買には某有名なファーストフード店などが入っているのでいつも人気がある。だから僕はいつも嫌って弁当を持って来ている。無論、今日も。
「おーい、枢!」
後ろから声がする。冬夜だ。
「あ、冬夜」
「おっす。珍しいな、お前が購買ってのは」
「うん、まぁね」
「ま、姫様の為だもんな?」
冬夜は枢の肩をポンッと叩く。
「姫ぇ?」
誰それ? といった顔をする。
「あれ違うのか? まぁいいや」
……あ、アイリの事か。……アイリが姫、ねぇ?
初めて会った時の銃を取り出している姿を思い出す。正直姫とは程遠いと思う。確かに顔立ちとかは綺麗だし、銃持ってしかも容赦なく発砲する姫が居ちゃダメでしょ。
「とまぁ、そんなことは置いといてだ。お前、これじゃ買いに行くのは辛いだろ」
人混みを見ながら冬夜は言う。多分、何も知らない人が聞くと何でかわからないだろう。
「……ん、まぁ」
遠慮がちに答える。彼が言っているのは枢の脚の事だ。冬夜との付き合いも短くはない。僕の脚のこともしっかりとわかっているのだ。
「だから俺が買ってきてやる。何、どうせ俺の分のついでだ」
「……ごめん。じゃあ頼んで良い?」
「おうよ!」
そういって冬夜はYシャツを腕まくりして人で出来た海の中に突入していく。さすが運動部だ。人をその両腕で掻き分け、ぐいぐいと進んで行く。そしてレジまで到達する。
「……あ、何買ってもらうか頼んでないや」
――結局、冬夜が買ってきてくれたのは焼きそばパンとコロッケパンだった。男としては嬉しいけど、焼きそばパンとかって喜ぶのかなぁ?
「アイリ、買ってきた」
パンを掲げながら言う。
「ま、実際にレジまで行ってくれたのは冬夜なんだけどね」
アイリにパンを差し出す。アイリはその2つのパンを興味深そうに見ながら受け取った。
「……じゃあどうする? 何処で食べようか? ……あ、1人の方が良かったりする? それとももう他の人と――」
「カナメと食べる。なるべく人が、いないところが良い」
まっすぐ見つめられる。何となく、気恥ずかしい。
「わ、分かった。……じゃあ他の場所に行こう」
立ち上がったアイリの手を取って歩き出す。すると後ろから美沙都に声をかけられた。
「枢っ!」
「ん? 何?」
振り向いて答える。
「え、えと、一緒にお昼ご飯食べよ?」
「ごめん、アイリが人いない場所が良いって言うから」
枢は顔の前で右手を立てながら答える。そしてすぐに歩きだしてしまった。
「むぅ……」
美沙都は三白眼で2人の繋がれている手を睨む。
「振られたね、美沙都」
近くの女子が話かけた。
「そ、そんなんじゃないわよ!」
そして冬夜が枢の席まで歩きながら、
「おーい、枢、一緒に食おう、ぜ……あれ?」
そして冬夜は右を向く。ちょうど入口からアイリと2人で出ていく枢の姿が見える。
「振られたな、冬夜」
近くの男子が話しかけた。
渡り廊下の途中にある、大きい踊り場で食べることにした。ここなら座れるベンチもあるし、人もいないし……まぁ、ちょっと肌寒いんだけど。
「……それにしても驚いたよ。アイリが転校生として出て来た時には」
弁当を開けながら呟く。
「私も……聞かされた時は驚いた」
アイリはパン2つを交互に見ている。片方を手に取っては、また片方を手に取る。
「……アイリとの関係は男子に詰問されるわ、女子からは好奇な目で見られ続けるわで……今日は一段と疲れた」
無論、授業中に手紙が回ってきたことは言うまでもあるまい。
「……迷惑?」
焼きそばパンを開けようとしていたアイリに聞かれる。心なしかその表情は不安の色を表われているようにも見えた。
「いや、そんなことは、全然ないよ」
弁当の唐揚を口に運びながら答える。
「そう……」
そう言ってアイリは焼きそばパンを開けて、小さい口で小さい一口を食べ始めていた。
黙々と、止まらずに食べているところを見ると、どうも気に入ってくれたみたいだ。わざわざ買いに行った甲斐があった。実際に買ったのは冬夜だけど。
「……あ、お金」
全部食べ終わって、オレンジジュースを啜っていたアイリが不意にそう呟く。
「いいよいいよ、そんなの。……まぁ、じゃあ、僕からの転入祝いとでも受け取って」
そう笑いながら話す。
「……ありがとう」
そう、小さな声でアイリは呟いた。
「――日直。号令を」
「起立、礼」
――放課後。特に予定のない僕はこのまま帰路に着く。いつもの事だ。……しかし今日は違った。
――てくてく。――てくてく。
校門を出て、僕の家への道を歩く。実は、先ほどから僕の足音の2倍は音が聞こえている。別に心霊現象で背筋がゾクッとする訳ではない。原因は分かっている。しかし、ここまで王道のパターン入られると嫌なので……いや、まぁ、別に嫌いっていう訳じゃないんだけど、むしろ……いやいや! えーと、なんだ……そう! 教育的に! 教育的によろしくないのだ! うん。僕はまだ高校生だし。だから目を逸らし続ける。先程から僕の第六感を刺激し続けるものから。
だけどこれ以上は無理だった。耐えられなかった。枢は立ち止り、後ろへ振り返る。
「ねぇ……、アイリ」
学校からずっと僕の後ろを歩いているアイリに話しかける。
「……何?」
相変わらずの無表情で答える。
「えと、アイリの家ってこっちなの?」
「家……。宿泊する場所を指しているなら、肯定」
「……それってさ、皆原って場所にある?」
「書類にはそう書いてあった」
「2丁目?」
「そう」
一滴の汗が頬を伝う。
「3の14?」
「そう」
何滴もの汗が垂れる。
「…………久遠さんってお宅?」
「そう」
…………やっぱりな。絶対そうだと思ったよ。どうせあれでしょ? 冬夜か美沙都とかクラスメイトに一緒に登校しているところを見られて妙な噂立てられて違うよそんなんじゃないよとか必死で否定してもまたまた隠さなくてもいいよとか言われていつの間にかクラス公認カップルになって冬夜とかにあんな可愛い子と羨ましいぞ畜生とか言われてドロップキックとか食らわされたりいつの間にかアイリ非公式ファンクラブとか立っててそれに追い回され――
枢は1人大量に汗を流しながら苦悩している。アイリはそんな枢の奇想天外な光景を不思議そうにちょっと興味深そうに見ている。そしてアイリはふと思い出したように――のはずだが無表情に、鞄から1つの封筒を出した。
「カナメ。これ、艦長から」
「え!? あ、あぁ、うん」
1人トリップしていたせいでアイリに急に話しかけられて驚いた。
「なになに……」
中身の便箋を開けて読む。何故か字は筆で書かれていた。しかも凄い達筆で。
「えーと、アイ、リを、枢くんの、家でよろしく。……PS.女の子と2人、きりだからってへんな、事はしないように。……命が惜しければ」
枢は溜息を吐く。嫌、嫌ではないんだけどね。むしろこんな可愛い子と一緒にいられるのはむしろ嬉しいし。でもなんか気を使いそうだし、夜は寝不足になりそうだし……。
「そういうことだから……よろしく」
ぺこり、と無表情のままアイリはお辞儀をした。
「あ、うん。……でも良いの?」
「……良い、というのは?」
アイリがなんのことかわからないと言った様子で聞き返してくる。
「いや、あの狭い僕の家で良いのかとか」
ユスティティアのプライベートルームは、少し見ただけだが、かなり充実しているように見えたのだ。豪華だし、風呂トイレ付きだし。
「別に」
アイリはなんでもないように答える。
「僕も一応年頃の男なんだけど?」
「構わない」
「……ソウデスカ」
彼女は特に気にしないようです。
「それに」
「それに?」
僕が聞き返す。
「何かしてきたら、潰すだけ」
「……」
……何を? 何をなんでしょう……。嫌な汗がだらだらと垂れてくる。
「……はぁ」
僕はアイリに聞こえないよう、小さく溜息を吐いた。