ACT.25 アリア・キルスティス<2>
「――誰も、いない?」
黒いコンバットスーツに身を包んだアイリは、自分にしか聞こえない声量で、自分に現状を報告する為言い聞かせる。
壁に背を当て、目だけで奥を覗き込む。いつもなら数人の警備員が固まっていたロビーへの入口。そこには人影は一つも無かった。
数十秒、周囲を観察するも誰かがいる気配も来る気配もない。
ならばこれが好機、とアイリ駆け出した。ロビーへと繋がる玄関口を目指して、身体を潜り込ませる。
――だが、誰もいないということはアイリの誤認だ。確かに生きている者は誰もいない。丁度、アイリの死角の壁の陰に、死体が数体転がっているだけだったのだから。
「――ごほっ」
思わず、中空に舞う埃で咳をする。光に照らされた埃の量で、如何にこの建物が放置されていたのかを再認識する。
柱に身を隠し、目だけ覗かせて周囲を覗き込むも、やはり人の気配は何もない。慎重に事を運ぶべきだが、もたもたしていてもしょうがない。ここに眠っているのはコスモス悲願の目的なのだ。早急に手に入れる必要がある。
目標地点である地下に潜りこむ方法は、大雑把に分けて二つ。正規のルートを通って辿り着くか、壁という壁をぶち破り強引に辿り着くかのどちらかだ。
当然、後者の選択肢などは有り得ない。故に正規のルート。正規のルートとは地下へと繋がる巨大な搬入口を使わなくてはならない。ならば、まずはブレーカーに辿り着く事が先決だ。ここの建物は実に七年近く放置されているのだ。既に電気系統は切断されている。供給が終わっていなければいいのだが、とにかくまずはブレーカーを上げなければならない。もしも電気が通らなかった場合は、その時はその時だ。
ブレーカーを前にして、アイリは愕然とした。上に上げることで電気系統が接続される目の前の機器は、既に何者かの手によって動かされていたからだ。それは無論、上へ上げられている。
アイリの脳裏に、嫌な予感が掠める。
その場から踵を返し、外へと向かい駆け出していった。
辿り着いたロビー。アイリは突然の振動に膝をつく。
「――何?」
ロビーを見渡し、何もない。だがしかし、玄関口の外には巨人がいた。
「クラウル!?」
先程の振動はアウラが降り立った際に生じたもの。当然、コスモスの今回の作戦にはアウラによる直接干渉を行うのはアイリのみである。ならば目の前に立っているクラウルはコスモスが所持しているものではない。……ならば、答えは一つ。
アイリは脚に力を入れ、駆け出そうとした。が、それを留まる。何故か。今飛びだしては目の前にアウラに踏みつぶされて終わってしまう。それでは元も子もない。アイリという作戦において重要なピースが無くなれば、今回の作戦は失敗に終わる。それだけは避けなければならないし、どうせ死んで作戦が失敗するのならば、死なずに作戦を失敗した方が良いに決まっている。
だからアイリは静観することにした。目の前のアウラがいなくなるまで。そうしたら、山に隠したプロセルピナに乗り込む。あとは目の前の相手との競争だ。
そう腹を決める。
――と、玄関口を見つめていると、騒ぎを聞きつけ警備員が集まっていた。数は十人。裏口から集まってきているのだろう。
来たは良いものの、拳銃しか携えていない人間にとってはアウラなど死神以外の何物でもない。一人の警備員が無線を取り出した。本部や、或いは警察、軍へと連絡を取るためのものだろう。汗を浮かべたまま、警備員は呼び出し音が終わるまで待っていると、その男の頭は撃ち抜かれていた。
驚いたように、拳銃を構えていた周りの警備員も顔を向ける。その直後、それらの警備員の頭部は吹き飛んでいた。
狙撃だ。脚部の体勢から考えて、クラウルが何かをしているとは考えられない。そしてあの銃弾の威力から、スナイパーライフルの類であると限定できる。
数人残し、クラウルは足下のブースターを吹かし消えていった。その噴射に、警備員の身体、死体が吹き飛び、血が蒸発する。恐らくクラウルは、裏口へと回るのであろう。
残された警備員は地べたを這いずりまわりながら逃げようとする。だが、その努力空しく、腕、脚と撃たれ、最期に頭部を撃たれて人生の幕を下ろす。
その惨状に、アイリは息を呑む。
それは別にむごいとか、そういうものでは決してない。これから自分がどう行動を起こすかに対して息を呑んでいる。このまま飛び出せば、アイリの命が極端に危険へと晒されるのは明白だ。だが、いつまでも隠れている訳にはいかない。あのクラウルの目的は、十中八九ネフィルだろう。そうなればあのアウラの正体も自ずと分かるというものだ。そして、あのアウラに搭乗しているパイロットも。
アイリは頭を左右に振る。それはあらゆるものに対し、覚悟を決める為。
息を深く、吸う。肺に空気を溜めこみ、数分は呼吸が要らないようにする。それは当然、休みなしに全力疾走する為である。少なくとも、ここの企業の敷地を出るまでは。
自動ドアのセンサーがある足下へと瓦礫を投げる。重さを察知するセンサーはその瓦礫を感じ取り、人が来たと勘違いして扉を開ける。
同時、アイリは駆け出した。
地を蹴る脚は獣のように速く、豹の如く駆けていく。
玄関から身体が出た。これで狙撃手のサイトから身体の全般が捉えられたことになる。それでもアイリは躊躇せず、態勢も崩さず、前屈みのまま弾丸のように駆けていく。
一発、アイリの身体を掠め遠くの地面へと傷をつけた。アイリは冷えたもの感じるも、一心不乱に駆け抜ける。
やがて、アイリの体は一発も撃ち抜かれることなく敷地外へと出る事に成功した。
プロセルピナに乗り込み、機体を起動しながら疑問を走らせる。
自分が何故撃たれなかったのか。一度は確かに自らの身体を掠めていった。それはアイリが扉から身を出した時、確実に反応出来ていたということ。自分の走りが狙撃手のサイトから逃れられるほど速いなどとは決して起こらない。ならば、何故――。
しかしその疑問は考えていてもキリが無い。答えの出ない疑問は消滅させることにした。
トリガーを握った。余計な雑念は切り捨て、ネフィルを手に入れる事だけに集中する。
アイリが一度、深く息を吸い、目を閉じる。呼吸を整え、意識を整え、瞳を開ける。
画面には文字が浮かび上がった。“Proserpina Ready”
「行くよ――プロセルピナ」
中に入れば、そこは死骸の山だった。
薙ぎ払われた無人のアウラ――インフェリアアウラの無残な姿。穴を空け、刻まれ、爆散した成れの果て。アウラが通れるほどの広い通路に転がるそれらは、一体何にやられたのだろうか。
そんなのは決まっている。
「――姉さん、なの?」
転がる死骸を弾き飛ばしながら、一心不乱に突き進む。死骸があるということはここを通ったという事だ。これを辿れば、必ず会える。
通路とは思えないほど広い通路を幾らか突き進むと、また突然の振動が起こる。しかし先程の比ではない。爆音を伴って揺れた振動は、それを軽減する筈のコックピットにすら強く響いた。その揺れに身を固め、耐える。
爆発だ。
プロセルピナは歩を急いだ。
幾度も曲がり、辿りついたその床には、穴があった。金属で構成された強固な床が強引に吹き飛ばされた惨状がここにある。
アウラが入れる程に巨大な穴。先程の爆発はこれだろう。そして、この穴を開けられる存在など明瞭に分かる。
モニターのレーダーを見れば、熱源がある。迷わず、プロセルピナはその穴に飛び込んだ。
「――――」
降り立った目の前を見れば、そこには灰色を塗られた巨躯のアウラ。背部には巨大なブースター、肩には未知のミサイルハンガー。そして、腕の長さ以上ある巨大なレーザーライフル。
「ネフィ、ル――」
それは一発で分かる存在感、威圧感。これが、言われていた聞かされていた、コスモスの存在意義を占める“ネフィル”。
思わず、息を呑む。その天使の存在感に意識を奪われた。
そして気づく、奥の暗闇に、クラウルが膝を下ろしていたこと、そしてコックピットが空いていたことを。そこから分かる事は――。
不意に、ネフィルの目に光が灯る。腕が上げられ、レーザーライフルの光が収束する。
即座にプロセルピナはステップを踏んだ。直後に、尾を残しながら光は空間貫いて行く。
流れる視界の中、プロセルピナはマシンガンを取り出し、両腕を突きだし、弾をばら撒く。それを“ネフィル”は目が開けていることが憚れるような光量を発して回避してみせる。その光を発する様は、正に天使。
その熱量と、熔かす背後の壁。それを見れば、あのレーザーライフルの威力の程が理解出来る。
それに反応したのだろう。背後を見れば警備のアウラがやってきた。Rou―3、PRIMATE―1。
それらはあの天使とプロセルピナを敵と判断している。よって、銃口はそれぞれに向けられる。
だがそれより先にプロセルピナはターンして、横一文字にマシンガンで掻く。それは的確に銃弾をばら撒き、半数以上のインフェリアアウラを巻き込む。
もう一度、今度は左手で横に薙ごうとした瞬間、
「――後方より熱源多数。ミサイル、来ます」
AIの言葉に従い、頭部を左に傾け、視界の端にそれらを捉える。
蟲がいた。――否、それはミサイルだ。だが、そう思わせるほど微小な、細かいミサイルが殺到する。その進行方向に居るのはインフェリアアウラと、プロセルピナ。明らかにミサイルの軌道は全てを薙ぎ払おうとしている。
左腕を後ろに捻じり、マシンガンをばら撒く――が、
「追いつかない――」
数が多すぎた。とても一本のマシンガンでは捌き切れない。
そう判断し、プロセルピナはステップし、避ける。霞むように横切ったミサイルの大群は、そのままインフェイルアウラの部隊へと、壁へと激突していく。一つ一つは酷く小規模な爆発だが、その数故一つの爆発にさえ感じるそれは、一帯を包み込む。
炎が消えたそこにあるのは、動かなくなったインフェリアアウラ。特に外傷は見られない。だが動かない。訝しげに見つめるも、
「――後方より熱源多数。ミサイル、来ます」
AIの声に観察を中断。
ターンし、プロセルピナは天使を見据える。アイリは目の前に広がる光景に息を呑んだ。
――前方からミサイル。その数は凡そ二百。
面を伴い、こちらを覆うように広がり、包み込むように仄暗い中無数のミサイルが迫る。
「――ッ、――なんて数」
思わず私は独り愚痴た。信じがたい程の光景が目の前には広がっている。
ミサイル群に向け左手のマシンガンを構え照射する――様を脳裏に浮かべる。すると彼女が乗っている鋼鉄の巨人もそれと同じ動きをする。それは全体的なカラーは黒寄りの灰。毅然としたその様は屈強な護衛を思わせる。
ミサイル群はマシンガンの弾に当たり、爆発し、誘爆する。
しかし撒きこめたのは半分ほど。――いや、半分も消化していないかもしれない。
依然として、視界を覆う塵のようなミサイルはオレンジ色の火を吹かしながら向かってくる。
「クッ――」
呻きながら思考を巡らす。
あれは散布ミサイルの類いなのだろうか。だが、喩えそうだとしても爆発規模が異様に小さい。本来なら、その全てを誘爆へと誘える程の密集度の筈が、あまり効果が見られない。それに、高性能追尾ミサイルならまだしも、あの追尾性能はまず有り得ない筈。量と性質が矛盾していた。
――だがそれより異質な性質は、そのミサイルの着弾による影響。
ミサイルを避けるため、ブーストをミサイル進行方向に対し、垂直に吹かし、左へ回避する。そのブーストはあの巨大な塊を一瞬で加速できるもの。かなりの推力だ。
機体は地面を滑るように、横へスライドする。脚部と地面との接地摩擦によるけたたましい音が響いていた。
ミサイルは一瞬前まで自機が居た空間を突き抜ける――が、通り過ぎた瞬間、やや曲線を描きながら、90度旋回する――!
「なんなの――このミサイルは」
今度は右手のマシンガンを向け、乱射する。先ほどより長く、満遍なく。
そして全てのミサイルを撃ち落とす。
――どうやらこのミサイルに当たると、原理は分からないが、問答無用に機体が停止するようだ。このミサイルに巻き込まれたここの企業の警備機は全て例外なく停止していった。機体に外傷は全くないというのに、だ。
しかしいつまでもこんな対処の仕方をやっているわけにはいかない。残弾がそろそろ底をついて来ている。端に表示されている弾数表示をちらりと見、歯軋りした。
『後方から熱源反応。敵機からレーザー、照射されます』
コクピット内に響く、抑揚のない無感情な声。それはこの機体のAIだ。自機に迫る状況を事務的に伝え続ける物。
片側にブースターを一瞬だけ、最大出力で吹かす。これによりまるで機体が瞬間移動したかのように一瞬その場から消失する。瞬発的な回避を要求される時の常套手段だ。
灰の巨人は瞬間移動する。しかし、間に合わない。直径が自機の大きさ程あるようなレーザーが、尾を引きながら右腕をもぎ取っていく。
『右腕部破損。解除すること推奨します』
巨人の右腕の肘から先が、全て消失していた。失くなった断面から、火花がバチバチと散っている。
「ええ、お願い」
肘から先が無くなってはただの重りでしかないので、パージする。重低音を立てながら、残った右腕は切除され、地面に落ちた。
『右後方より熱源多数。ミサイル、来ます』
AIが危険を知らせる。先のミサイルだ。またあの群棲が、押し寄せる。
「ッ!」
右前のブースターと、左後ろのブースターを高出力で吹かす。それにより、一瞬でその場で旋回することが出来る。
旋回した。目の前に展開されているのは視界を埋め尽くす、圧倒的な数のまるで蟲のようなミサイル。その一発一発が致命的なダメージを与えるおぞましいもの。
後ろにブーストを吹かし後退しながら、両腕のマシンガンでミサイルを撃ち落と――
「このッ!」
――そうとするが、右腕は既に存在しないことに気づく。
「――ッ!」
片腕のマシンガンで円を描くようにしてミサイル群を撃ち落とす。視界が、今度は爆風で埋め尽くされた。
「やった……?」
あの驚異的なミサイルの量を片腕で防ぎきった……と少し安堵する――
『……微小熱源、二』
――が、爆風の中から二発、誘爆を逃れたミサイルが突き出て来た。
「――ッ」
不意を突かれ、回避行動に移れない。
一発、ミサイルが胴体部の部分に当たってしまった。その瞬間、今までずっと噴射し続けていたブースターが止まってしまう。
「――当たった!?」
ガチャガチャと、操縦桿を必死になって引くが、全く反応が無い。
『メインブースターに異常発生。詳細原因は現在不明』
このままではまずい、と思ったその瞬間。
『前方から熱源反応……回避不能』
爆風が収まったその向こうには巨大なレーザーライフルを構えた、背中に白い天使の羽のような武器を持つ、薄黒い機体が見える。
いや、武器ではない――ブースターだ。そのブースターから、羽のように青い光が散布されている。
その様は天使。まるで、断罪しに来た天使のようだ。青い眼が黒い機体を捉える。ライフルは、青い光を帯びていた。それは既にチャージが完了している証拠。
「あ――」
思わず声を漏らしてしまった。
それは恐怖からか諦めからか、絶望からか。
そして不思議と彼女の目には、世界が妙にスローモーションのように感じていた。――これが走馬灯なのか、他人事のように思う。
レーザーが発射された。直径が自身の機体の大きさほどあるような、馬鹿に太い、青く眩いレーザーが。
思わずその、レーザーに圧倒される。間に合わない。今からでは、回避は間に合わない。あと数瞬後には、私は、自分の機体諸共あのレーザーに焼かれ、跡形もなく蒸発するのだろう。
「――ッ!」
私は目を思いきり瞑り、操縦桿を握り締め、身を強張らせた。
私は、死を覚悟していた。
「……?」
――しかし、数秒後も私の意識は健在していた。
死んで魂だけの存在になったわけでも、走馬灯のように自分だけが時間を長く感じているわけでもないようだ。
ゆっくりと、目を開ける。
脳に映りこむ光景から認識できるのは、自機の目の前に何かが立ちふさがっているということ。
まるであのレーザーから私を庇う様に。無防備に背中を見せて。その背中は、不思議と暖かく安心する。
あの天使のような機体もそうだが、今、目の前に居る機体もまた、彼女が今まで見た事がない機体であり、天使のようだった。
ボディカラーは穢れを知らないような純白。華奢な細身のフォルム。
それはまるで無翼の――
そう――“無翼の天使”