ACT.25 アリア・キルスティス<1>
「枢……」
目の前に横たわる少年を慈しみながら、アイリは呟く。
撫でる髪は汗で濡れている。口の端には渇いた血がこびり付いている。
少年は、その身体に青い制服を布団のように掛けられていた。それはアイリの上着だ。袖には血がついている。それは枢の血染めの唇を拭いたから。
「――ごほっ」
「枢!」
枢は不意に、意識はないけれど咳をする。
グザファンが撤退してから既に十分。コックピットから引きずり出した枢は未だに目を覚まさないでいた。
どうしてなのか分からない。けれど想像はつく。きっと、もう限界だという事なのだろう。
チルドレン。半身を機械へと委ねた異端の人間。
人間というものは人間だから、人間なのだ。人間ではないものは人間ではないのだから、短命、などという人間と比較した表現は間違っているのだろう。チルドレンという“種”の寿命は、平均二十歳。ただそれだけ。
「でも、そんなのっ」
納得がいく訳なかった。
どうして。だっておかしいじゃないか。枢が何をしたっていうの? 何もしてないだろう。何もしてないのが罪なのか? だったら世界にごまんといる奴らはどうなんだ。
世界にはこんなにも死が溢れているというのに自分の身を他人に任せ、守られるのが当たり前だと当然のように輩。
悲しみに打ちひしがれた少年はここまで傷ついているというのに。悲しみを背負った少年は、尚も悲しい運命を背負っているというのに。
人は絶対に平等なんかじゃない。明らかに違いがある。
どうして枢で無ければいけなかった。自らの意志で世界を変えると決意し、死を撒き散らす存在にまで昇華して。だけど、枢は死を撒き散らすのをどこまでも嫌がっていた。
人を一人殺しただけで、自分が死にそうになるまで精神的に追い詰めてしまうほど優しい少年なのだ。
人の命は重い? そんなのは偽善であり詭弁だ。戦場何ていう異界では、全ての命は塵と同様だ。食事を取る時、その一つの命に哀しむか? 害虫がいたら泪しながら殺すのか? 違うだろう。旨い旨いと自分の糧として貪り、気持ち悪いと叩き殺すだろう。
それと同じなんだ。戦場で人を殺すということは。更に、空腹を満たすとか、不快だとか“どころ”ではない。
それを枢は、悲しめる人間なのだ。
初めて見る。そんな人間など。だって枢は――
――人を撃って一度も喜んでいない。
実際の戦場という場に居ながら、有人機を撃ち抜いて、一度だってやった、なんて喜んじゃいないんだ。
実際、これは有り得ない。戦場の匂いで感覚が鈍らず、殺人に罪悪感を抱くことはあるだろう。けれど、誰もが皆、敵を倒せば喜ぶだろう。
敵を狙撃して、やった、と拳を握る。自己の腕に陶酔する。枢は、それを一切しなかった。
自分に才能があると言われても、別に喜ばない。
そういう人間なんだ、枢は。
だから、惹かれる。
でも今、枢は大変なんだ。ジルという家族の仇を目の前にして、更には自身の寿命すら見えるこの状況。発狂しないだけ、凄いだろう。
加えて、戦争の世界に来たのは高々まだ四か月。たったの、四か月。季節が一度変わる程度で、戦争と無縁の世界から、戦争そのものの世界へと没入した。
だから、枢は強くて優しいんだ。どこまでも。きっと、世界で一番、枢は優しい。
今は閉じられた瞼も、開けばきっとアイリは安心できる。安らぎを感じて、でもちょっとの胸のときめきを感じるだろう。
でも、これからその瞳が向けられようとしている世界は、血。
きっと、枢はこれから二人目の人を殺す。多分、望んで殺すのは、初めて。
焦燥的に殺害したあのオルレアの時でさえ、罪の意識に苛まれて泪していた。それも、戦場という幾らでも言い訳のつく世界でだというのに、枢は自分を苦しめる。
ああ、何て悲しい。でも、何て優しいんだろう。
でも、枢はこれからその優しい手で殺そうとしている。父の仇を。母の仇を。妹の仇を。自身の、仇を。
枢は優しいから、絶対に人殺しなんてして欲しくない。
けれど枢は必ず行くだろう。アイリが説得しても、きっと無駄なのだ。今はまだ――いや、今は、枢にとってアイリよりも、復讐なのだから。
占有する感情は復讐。根に深く刻まれ感情を理解しながら、逆らわず。
その事実がアイリには無性に悲しい。
――と、そこで何かの限界が来てしまったらしい。涙が溢れてきて、
「ぁ……れ?」
止まらない。
「――――っく」
嗚咽が漏れてしまった。
ダメだ、耐えられない。このままでは、泣いて――
「――う、ぁ、うぁああああああああ」
もう、ぐちゃぐちゃだった。訳が分からない。もう、何が悲しくて、そもそも悲しくて泣いているのかすらも分からなくなってくる。
でも、止まらない。
「枢――枢ぇ――」
枢の顔を抱き寄せ、ただただアイリは泣く。泣かないと、枢の前では泣かないと決めたのに。涙が流れる。
「枢……」
胸から話して枢の寝顔を見る。とても安らかだ。何か夢でも見ているのかも知れない。穏やかな、幸せな日々。
その中に私が居れば良いな、なんてアイリは思う。
そしてこの笑顔は目を覚ました瞬間に崩れてしまうんだ。
幸せという夢を見るのを終えて、悲劇という現実を見る為に。
どうか、どうか枢には幸せな日々を送って欲しい。それが叶わないのなら、幸せな夢を見続けて欲しい。
そう思った瞬間、アイリは――
――枢に銃を向けていた。
五年前、とても幼い少女はユスティティアへと現れた。
「――アイラ・キルスティス。コスモスに入隊したい」
「あぁ、何だ? この子供は。何で浮上中のユスティティアの場所がばれてんだ?」
黒い髪の長い男は怪訝そうにアイリを見た後、後ろに立っていた小さな銀髪の少女にガンを飛ばしていた。
「うっさいなぁ、クリフ。……情報は漏洩していないと思うけど――ああ、この子が来てる時点でどっかから洩れてるのか」
少女は瞼を擦りながら、頭痛いのジェスチャーをした。
殆ど同じ目線の少女は気持ちアイリの顔を覗きながら
「……ごめんね。どうやって私達を知ったのか知らないけどさ、そう簡単に入れる訳には行かないんだ。……それに、帰る場所あるでしょ? だったら――」
「――ない」
その言葉に、この場にいた全員が固まってしまった。それでも、アイリは色のない瞳のまま続ける。
「もう、帰る場所なんてない」
空気は変わらない。背の高い赤茶色の髪の粗暴が悪そうな女の人も、黒くて長い髪の穏やかそうな女の人も目を伏せていた。
纏う空気は、彼女の年頃の少女が帯びるそれではなかったからだ。
それを言葉に乗せて、少女は口を動かす。
「これでも、いけない?」
そういって、ポケットにしまっていた一枚のディスクを取り出して、目の前の少女へと強引に渡した。
フィーナは少女から受け取り、そのディスクケースの裏表を吟味する。
「これは?」
「見ればわかる」
「……そう。じゃあ、とりあえず、応接間まで来てよ。立ち話も何だし、ね」
そう言うと、周りの人たちは溜息を吐きながら肩を落とした。
皆呆れているのだが、浮かべる表情を見れば悪い呆れではないのだろう。
「……やれやれ」
「まぁ……こっちのが、らしいだろ」
「……そうね」
そのまま、数人だけが応接間へと移動した。未だ仕事に残っているクルーは皆持ち場についてしまい、残ったのは赤茶の女性と、黒髪の女性と、長髪の男と、銀髪の少女。
「こ、れ――」
端末のモニターを見ていたフィーナは手を口に当て、難しい顔をした。
「どれどれ?」
とイリウムに続き、クリフ、少し遠慮がちに優紀も続いてモニターを覗いて、同じような反応をした。上に乗っかる連中をフィーナは軽く睨みつけ、すぐにモニターと視線を戻す。
皆が驚くのも無理はない。そこに浮かんでいたものは、アウラの設計図だからだ。それも無論、ただの設計図ではなく、イモータル。記された構造、思想、性能、ありとあらゆる物が現在と同レベルの技術水準を誇っている。
「……これ、どこで?」
「家にあった」
家に!? と四人全員に驚かれる。それに無表情にアイリは頷いた。アイリには何を驚かれているのかよく分からない――否、別に驚いていることに関心などないのだ。今、彼女が関心を抱いている事柄は、コスモスに入れるかどうかだけだろう。
「これ、旧レヴァティンだろ?」
設計図に書きこまれたマーク、肩口の部分描きこまれているデカールをクリフは指で示し、真下にいるフィーネへと聞いた。その質問、というよりその顔の近さにフィーナはいらっとしつつも耐える。その間、少し後ろから覗いている優紀が返答した。
「ええ、それも、作成日が十五年前よ……」
「有り得ねえ、な」
とイリウムも眉を顰める。
その事実に対し、フィーナに過った一つの可能性は、目の前の少女が自ら作ったということ。作成日ぐらい好きに弄れるし、彼女の年齢でアウラの設計図を組めるという事もまぁ、有り得ない話ではない。世の中には必ず天才というものがいるものだから。
けれどちょっと待て、と思考に停止を呼びかける。一つ引っかかりがある。そうそれは、彼女の名だ。
「ちょっと待って貴女……アイラって言ったかしら?」
こくん、と気づくか気づかないか微妙な動きでアイリは顎を下げて、
「私の名前は…………アイラ・キルスティス」
少女は本名を名乗る事にした。半分だけ。
「もしかして、じゃあ……キルスティス首脳閣下の」
「娘」
そこでまた、四人の表情は驚きに包まれた。
「――――ハッ、とんだバケモンじゃねぇか」
腕を組みながら、頭上に設置された大画面のモニターをイリウムは視界に納めながら、吐き捨てた。
「そう、だね……」
フィーナも開いた口がふさがらないほど、呆気に取られている。
モニターに映る景色は爆炎、密林、砂塵、銃弾、――アウラである。つまりは戦闘シミュレーション。モニターしたにある球状の仮想訓練装置に横たわっているのは優紀と、アイリである。そのアイリはまだ誰もアウラ搭乗の技術を享受していないというのに、この現状なのだ。
対峙したアウラはミネルアと、実物はまだ無いがデータのみ入力したプロセルピナ。十五年前に設計された、存在しない筈のイモータルアウラである。
「何この子……本当に――強いじゃない!」
右腕で左肩の格納部から引き抜いたナイフを、そのままミネルアはそのまま投擲する。銀の直線を描いて灰色のプロセルピナを突き抜ける筈もなく、彼方の巨木に突き刺さるのみ。
それを見向きもせず、プロセルピナは右手に持つマシンガンを正面に構え、ミネルア目掛けて照射する。
その銃口の軌道を見、優紀は息を呑んだ。明らかに銃口の動きがおかしいのだ。
大抵、銃というのは反動が一方方向に及ぶもの、上だったり、下だったりと。だから狙った照準から外れぬよう、その逆方向に力を加えずれないように試みるのが常識の範囲。
しかしどうだ、目の前の少女はそんなことはしていない。
アイリは、銃身を左右に傾けながら撃っている。それはつまり、あらゆる方向に衝撃が分散するということ。それを、アイリは利用している。
ミネルアはまるで“散弾銃”のように飛来するマシンガンの弾を、普段なら考えられないほどのオーバーステップで回避する。
そう、プロセルピナの放つラマシンガンは、ショットガンと同意の面を伴って撃ち抜こうとしているのだ。それはアイリが発砲時の衝撃を敢えて分散させ、避けにくくしているとうに。マシンガンの意義はその大量の弾をばら撒く事にあると言える。ならば、その点に於いて、このマシンガンの射撃は頂点に立っているだろう。
大幅に長い時間ステップを行ってしまった為、噴射口の熱耐久のアラームが鳴る。分かってる、と心の中で飛ばしつつ、思考の中から追いやる。気にしていたら、それこそ蜂の巣と化してしまうから。
だが、ミネルアに対峙するアウラは決して猛攻を緩めたりはしない。
二秒、二秒、二秒と区切り断続的に撃たれるそれは、避けにくい事この上ない。その度に蜂の大群のような弾丸が、もはや球の様に空気を裂いてくるのだ。もはや大砲を思わせると言ってもいい。しかもミネルアの動きに完全に追従し、或いは不意に先回りしてくる。ただ円を描いて動くだけでは即座に墜とされてしまう。十字を描き、曲線を描き、とにかく不規則な動きを行うしかない。
それを何度も、何度も繰り返す。定石なら、マシンガンの弾が切れるのを待つべきだろうが、両腕のマシンガンを巧みに使用するせいでまるで弾は無限にあるように感じてしまう。
「――もう、埒が明かないわね!」
ミネルアは地を掛けながら腰を落とし、携えたハンドガンを取り出した。
直後、ミネルアは高く飛翔する。アイリの口から、僅かに驚きの息が漏れた。
そのままミネルアは背部のブースターを吹かす。ハンドガンを握る右手に左手を添え、空中に身を曝しながら狙い打つ。
プロセルピナも反撃せんと顎を上げるが、虚像の太陽の光が差し込んでしまい、アイリは目をまともに開く事が叶わない。
よって、反撃は中断。プロセルピナはステップを四角く描き、ハンドガンの弾丸から回避していく。
そして、ミネルアは不意にブースターを停止させ、上空へと逆噴射する。故にミネルアは重力と推力の相乗の速さを持って飛来する。
それを霞む視界の中、アイリは捉え、左手のマシンガンを手放した。何故なら、ハンドガンの下から伸びるブレードが見えたからである。
手放し空いた左手、腰に付いたブレードを逆手に引き抜き、身を捻る。
同時、ミネルアは地面へと着地。同様に身を捻る。
お互いに機体は背中合わせ。そこから両機はお互いに逆回転を描き、刃を遠心力に乗せ――
「スト―――――――――――――ップ!!!!」
何故か、フィーナの声。
「お、え? わわ……」
回転を即座に止め、お陰でたたらを踏むミネルア。
「――っ、――く」
同様、プロセルピナ。
両機のモニターに映るフィーナの笑顔。
「……引き分けだよ、お二人さん」
――アリア・キルスティス。
旧レヴァティン首脳閣下、シザリス・キルスティスの娘であると同時に、アイラ・キルスティスと双子の妹という関係にある一人の少女。
コスモスにとって、彼女らシザリス・キルスティスの娘達は完全に抹殺されたか、或いは敵対するテロリストに身柄を拘束されたものとばかり思っていた。そんな中、彼女――アリア・キルスティスは現れた。アイラ・キルスティスの名を騙って。
アリア・キルスティス――コスモスにとってアイラ・キルスティスは、まさに闇の中見つけた一筋の光明と言えるだろう。
何故なら、コスモスにとって唯一ネフィルに繋がるパイプラインだったのだから。
ネフィルに乗る資格を持つ人は顕著に限られている。それに当てはまる者はチルドレン計画に関わっていた者のみ。つまり、アリア・キルスティス、アイラ・キルスティスらも密接に関わっていたことになる。
ネフィル、チルドレンの両者を生み出す計画は、日本とレヴァティンとの秘密裏に行われた共同の“国家公認”で動いていた。
故に、お互いに最後の実験体を提供することにした。信頼の確認と、裏切りを無くす為の予防線として。それぞれ、お互いの国の代表者の――未来ある血縁を。
日本の機関である夜桜会から、久遠晃が代表として、丁度身籠っていた子息を提供することに決定した。これは超人的なアウラ操縦技術を持つ晃のサラブレッドに期待を寄せた結果だった。
旧レヴァティンの軍からは誰も出さず、閣下自らが名乗り上げることとなった。これは、閣下の正確に起因していた。或いは、双子である事かも知れない。片方を差し出せば済む事なのだから。
時点で、既に生産され、現世に放たれた子供達は二十人。五度に渡る実験は、概ね成功と言えた。
たった一つの大きな欠点を除けば。
そう、寿命である。やはり幾ら人間として出来上がる前の生物だとしても、既に身に受けた設計図を変更することは出来ない。出来ても、それは身体へと如実に現われてきていた。
ここで、チルドレンを生みだす計画に際し、並列的に同時に行われていた計画があった。それが、ネフィルを製造すること。
偶然をきっかけにして手に入れた人外の生物、オーガトロン。ある程度の神秘を解き明かした直後の人間の脳裏に浮かんだ事柄は、その金属生物を兵器に運用することであった。
こちらはチルドレン以上に成功していた計画だったと言える、装甲に塗したオーガトロンの暴走というデメリットもあるが、これはメリットとも取れる――――そう思っていた。
事実は違った。出来あがったネフィルに、操作された細胞に馴染み切れなかったチルドレンを試験的に搭乗させることにした。
そして、そこで起こった出来事に、誰もが悪寒を覚えた。
突如、ガラスで囲んだ実験場の中でネフィルは暴れ出した。壁を殴り、ガラスを頭で叩きつけ――まるで苦しむように。
即座に試験は停止され、他のアウラでネフィルを無理やりに押さえつけた。そして、乗りこんでいたチルドレンを取りだそうとコックピットを開けるとそこには、誰もいなかった。当然、消える筈もない。脱出も出来ない。なら考えられることは一つ。喰われたのだ。
生物にとって、体内に居る不純物は酷く不快だったのだろう。存在自体が否定されたように、跡形もなく乗り込んだチルドレンは姿を消していた。
チルドレンは寿命という、ネフィルは搭乗者の補食という共に大きな問題を抱えていた。しばらく悩むも、一人の科学者がある考えを提示した。
――オーガトロンを使えば良いと。
「――よし! アイラ! オレとやるぞ!」
腕捲りをしながら、優紀が出てきたシミュレーターへと足早に向かうイリウム。それをフィーナも止めようと腕を伸ばすも、呆れたように溜息をついて止めた。
出てきた優紀の肩を掴み、ずいずいイリウムは退かす。その姿を見ながら、シミュレーターから出しているアイリの顔は、あまり良い表情ではなかった。
その様子に優紀は気づき、駆け寄った。
「どうしたの? もしかして、嫌?」
覗きこむ優紀の瞳を少し見つめ、アイリは首を横に振った。
「別に、良い。それで私を此処に入れてくれるなら」
と、凍った顔のまま再びシミュレーターへと身を潜らせた。その言葉に対し、優紀は呆気に取られたような顔を見せている。
シミュレーターが閉じた後、変わらずモニターを見上げるフィーナに駆け寄り、
「え、彼女、入れる気ないんですか?」
「まさか。彼女には入って貰わなきゃダメでしょ。実力も申し分ないし、何より……」
そこでフィーナは目を伏せる。
「でも彼女、これを入隊試験か何かかと思っているようだけど」
「ああ、まあ、流れ的にはねぇ……」
そう言って、共に呆れた息をつく。
向けられたのは、血気盛んなイリウム。
「ま、マジかよ……」
完全に組み伏せられたアルメニア・アルス。それに刃を突き立て馬乗りするプロセルピナ。
力なく地面に横たえた腕の先からは、切断されたアンカーのなれの果て。遠くには、弾痕をつけ真っ二つに割れたブレード。
プロセルピナの右手に逆手で握られているのはブレード。左手で突きつけるライフルの先にあるのは頭部。
完全に、イリウムの敗北であった。
「――アイリ」
静寂した空気の中、酷く場違いな少女の声が通る。
「は?」
「私の事を、アイラと呼ばないで欲しい」
「……りょ、了解した」
シミュレーターから億劫に出るイリウム。自身の顔を手で覆っていた。恥ずかしいなどという感情はなく、ただ信じられないかのように。
「おつかれ」
にやにや、という表情を浮かべるフィーナ。実際フィーナはそのイリウムの姿に楽しさを感じていた。それはあまり見る事の出来ない光景だから。仮にも一国を護る、言わば護衛団長の如き国の頂点に立つ腕を持つ彼女には。
その言葉にイリウムは顔から手を引き剥がし、
「うるせぇ! 反則だろ! アンカーのコード撃ち抜くとか! どうしようもねぇよ!」
頭を掻きながらイリウムは不満を叫ぶ。
だが、確かに、銃器を持たない彼女の機体に於いてその言い分は最もなものであった。
アイリの射撃は的確だ。優紀の時のように妙技を見せる事もあれば、ただ純粋に洗礼された腕も魅せる。そう、まさしく魅せる。跳躍するアルメニア・アルスを牽制するようにライフルを撃ちこみ、アンカーが放たれれば直ぐにコードを撃ち落とす。驚異的な洞察力と、脅威的な反射速度とを持ってそれらを行っている。
その様はまるで、プロセルピナと一体になっているように見えた。
天才、よりは化物の方が形容する言葉としては合致しているのかも知れない。
「お疲れ様」
優紀はアイリに頬笑みながら声をかけた。その頬笑みの意味は、本当に純粋にシミュレーションを労う意味と、これから仲間になる少女への歓迎を込めたもの。
それを一身に受けるアイリはただ無表情に、
「私はここに入れるの?」
ただそれだけ告げる。
「え、ええ。腕も申し分ないし、入る事になると思うわよ」
「……そう」
「――――」
その向けられた瞳に優紀は驚く。
喜びも、安堵も、何もない。
その麗美な碧色である筈の瞳は、奥が見えず空虚で、色のない瞳だった。
――その瞳は、季節が一周しても色が灯ることはなかった。
話しかけてもただ眼球としての機能を果たすだけ。そこに感情は決して籠らず、奥には何も見えない。
眼というものは人の感情が如実に分かる器官の一つだ。喜怒哀楽が明確に理解できるし、その視線というのが何処に向けられているのかも重要な因子だ。
だけど、アイリは凍った碧の瞳を“ただ”向けるだけ。話している相手を見るのと、捉えるのでは根本的に意味が違ってくる。
アイリの瞳は人を見ていない。視界に納め、捉えているだけ。それが、酷く悲しい。
だから、いつかその瞳の氷が融けて欲しい。いつかその瞳の寒さを暖める人が来て欲しい。それはアイリの周りにいる人間の誰もが思う事だった。
無表情、無感動。積み木を崩すことは簡単だ。けれど積み木を組み直すのは苦労する。
そう、人格とは積み木のような物だ。時間を掛けて丁寧に丁寧に積み上げて。愛を込めて丁寧に丁寧に積み上げる。積み上げるのはとても難しい。それも繊細に、複雑な積み上げが必要だ。人の心は傷つきやすく、積み木のように崩れやすい。だけど、アイリはその積み上げる途中で崩れてしまった。父の死、母の死、姉の失踪が原因で。
だけど一度、そのアイリの凍った心に暖かい火が灯り始めたことは確かにあった。
微笑みを浮かべる青年。いつもアイリのことを気にかけていた記憶のない少年は、何処かアイリに似ていた。
色のない無色。それを笑顔で隠す青年。アイリも無色だったのだ。感情を灯さない瞳は色が存在しない。砂金の様に流麗な髪に反し、アイリという少女は酷く、無色。
だから、彼はアイリのことを気にかけていたのかも知れない。
だけどアイリは知ってしまった。青年は自らの仇であるという事実。仲間を傷つけ、コスモスの元を去っていってしまった。一度、温度が戻り始めたというのに、また冷えてしまう。心を開きかけた青年に、裏切られる。それは何処か、大切な人を失ってしまったのと似ている。
また、アイリの心は氷の扉に閉ざされてしまった。
アイリが唯一色を見せるのはプロセルピナを見つめるときだけ。それはきっと、父の存在をその機体に感じるから。
例え周りから人殺しだと罵られても、アイリは自分の父が大好きだった。父のしたことは赦されないかも知れないけど、父が心を痛めて行っていたことだと分かっていた。それは、父が心優しい人間だということを理解していた。だから父の事が好きだった。
プロセルピナを見ていると心が落ち着く。けれどそれと同時に、父が死んだという深い深い悲しみと、殺した奴らへの黒い黒い憎しみが、心の奥で滴る。
父の存在を感じるものが次世代殺戮戦闘機動兵器で、自分が温もりを感じる対象が次世代殺戮戦闘機動兵器で――――父と母の命を奪ったものが次世代殺戮戦闘機動兵器。
――何という絶望だろう。
「“目標”は日本、旧エクステンション・エレクトロニクス社ビル、その極秘地下エリアにあるらしいの。長い間放置されている廃墟と呼んで差し支えない建造物だけど、情報を裏付けるようにきっちり警備が張り付いてるみたい」
「日本のど真ん中か……。行き成りアウラで進行するのは問題があるな」
「クリフの言うとおり、場所が場所、国が国だけに表立って目立つような行動は控えるべきだね。こっちはこっそり潜入してこっそり目標だけ回収できればそれ以上の用件はないんだし、派手に戦力を動かしてもいい事は何もない」
「それでこの少数精鋭か。実際に回収するのはアイリで、俺たちはそのサポートって事だな」
変わらぬ表情のまま、アイリは心を引き締めた。
ネフィルというコスモスに於いて最大の目的、最終地点。そして、自分の始発点。姉と繋がるパイプライン。様々な思考がぐるぐる回っては、一点へと渦巻いて行く。
その虚ろな瞳には、僅かに色が灯っていた。




