ACT.23 an upset<4>
ジルは満足したように溜息を吐くと、
「良いぞ。こういう状況、堪らないな。もうシュペルビアは瓦解したと思って異はないな?」
「……」
「だんまりか。まあいい。とにかく俺はそう取った。契約も当然廃棄だな。そうだな……オクタウィウスに伝えておいてくれ。“長い付き合いだった。お前は最高に楽しませてくれたよ”ってな。…………あぁ、そうかすまない。お前がここでおっちんじまったら伝えられんなぁ?」
ルシファーのパイロットは息を呑んだ。それは苛立ちから。
突如、ルシファーの黒い装甲の背後から、紅い爪が飛び出した。その様はまるでキマイラの尾のようにおぞましい様を連想させる。
その数実に十。それぞれ“ネフィル”へと迫っていく。
「――っと、あぶねぇな。んな怒んなよ」
だがその不意打ちにも慌てた様子も無く、“ネフィル”はステップの一足で避けた。
地面に突き刺さるアンカー。異常なほど深く食い込んだそれは、地面に爪の全貌が呑まれていた。それをルシファーはゆっくりと巻き取っていく。
そのアンカーの動きにジルは違和感を感じるが、興味の無い事柄である故、即座に思考から追いやった。
代わりに関心は眼前の機体へと移る。
「大体だ……この機体に傷つけられんのかよ。えぇ? 新入りさんよぉ?」
不機嫌と共に吐かれたそれは、最もな言い分。
“ネフィル”の灰の装甲の奥に纏うはオーガロトン。捕食し吸収する生物鉱物。あらゆる衝撃を喰らうその前には、如何な檄も意味は成さない筈。
完全に未知のそれは何で傷がつくというのか。
「……無論」
「――ほぉ」
だが返る言葉は予想外のもの。
その声にジルは悦びを覚えた。よもやこの機体を手に入れてからは障害と認識できるものは、本当に枢しかいないと思っていたのだから。数年前に果たせなかった燻りを収めるには晃の息子と刃を交えるしかないと思っていたのに。
思っていたのに、目の前の悪魔はそれに値すると迷いなく答えた。
ならばとジルは自らに気合いを入れ直す。
「良いぜ、来いよ……遊んでやるよ」
武器も無く、素での指を曲げ、“ネフィル”は兆発する。
「……上等」
ルシファーはその黒い片手を横一線に空間を切った。同時、背後から再びアンカーが飛来する。
一芸しかないのか、と内心舌打ちをしながらジルは再びステップした。当然、アンカーは一直線に飛来し、地面に突き刺さるもの――と予想していた。
「――何?」
在ろうことか、アンカーは地面へと激突しない。軌道を変え、歪曲し、避けた“ネフィル”の方へと首を向ける。
そこでジルは先程の違和感の正体に気づいた。そう、アンカーはただ飛ばされている訳ではなかった。先程の違和感。それは巻き取られたアンカーは力の無いそれではなかったからだ。生きているかの様に、うねりながら戻っていくそれはとてつもなく奇妙。
凡そ九十度旋回し、“ネフィル”の頭部へと向かうそれを、僅か頭を傾けることで回避する。擦れ違うそれを見れば、背後には僅かに蒼白い光があった。それは十中八九ブースターの光。
「成るほど……お前、これ全部操作していたか」
その事実に僅か驚く。
間違いなく、敵のパイロットはフェイクスの術式を施していると断言できる。故に流れる情報は何もせずとも膨大。その状況で、十の爪を操るというのは常軌を逸脱していると言っていい。その事実にジルはまた心躍る。口元が知らず歪んだ。
通り過ぎたアンカーは徐々にスピードが落ちていく。どうやら前方にもブースターがついてる模様。
そして必然、アンカーは一つではない。確認した限りでは実に十。今展開されている数は五つだが、それでも厄介なことには変わりはない。
コックピットに二つ、脚部に一つ、頭部に一つそれぞれ再び飛来する。
ジルは三度、ブースターを吹かした四角を描き、よりアンカーの根元へと近づく。
見知らぬ男の舌打ちと共に、アンカーが再び三、追加され中空を突き進む。しかしネフィルはそれに対し見向きもせず、眼前に延びるコードへと左手を伸ばし、掻いた。
「――残り七本」
嗤う様に“ネフィル”の眼が煌めく。
振り降ろされた左手の軌道は空中に張るコードの三本を横切った。予め展開されていたオーガトロンはそのコードを捕食していた。
その間に首を向ける追加された三つのアンカー。横目に“ネフィル”はそれを睨むと、右手を開き、差し出した。自らを護る楯のように、飛来するそれを握りつぶすように。
が、アンカーはただ飛来するものではなかったようだ。 ジルは視界に、アンカーが瞬くのを捉えた。それは無論、ブースターの輝きではない。
黒い光に漂う紫電。その重厚な全てを押しつぶす光は、かのブラックホールを想像させる。
「――ハイペロンか!?」
即座に腕を下ろし、“ネフィル”はブースターを吹かし回避行動に移る。
ハイペロン。重粒子により構成される光さえ呑みこむ暗い光はあらゆる物を圧迫する。――そう、圧迫なのだ。オーガトロンが飲み込むのは衝撃に限られる。震動、熱……それらによるあくまで衝撃。だがハイペロンは“呑みこむ”。故にハイペロンが囁かれる俗称はブラックホール。その圧迫は押し潰すそれは“空間”だと言っても過言ではない。
オーガトロンが飲み込めるのは衝撃のみ。流石に、空間を圧縮する現象に耐えられるかは分からない。
「随分知らん間に技術が発達したもんだなぁ! オクタウィウス!」
「当然。彼の財力があれば不可能などない」
「――だろうなぁ!」
照射される黒い閃光にを紙一重で避け続ける。だが如何せん、数が多い。囲まれるように動きを封じられていくアンカーの動きに敵の技量が垣間見える。“ネフィル”とはいえ死を感じるこの状況。
――それでもジルの口元はこの上無く歪んでいた。
「――お前、一体どういうつもりだ」
脇腹を抉られたアルメニア・アルスを見て、疑問をジェノスは疑問を吐いた。それと共に、ジェノスはヴィレイグのコックピットを開く。何故かは分からない。直接邪魔なパイロットに鉛玉を穿ちたいからなのかも知れない。
二人の視線は交差する。
片や、開かれたコックピットから、適当な長さで散切りにされた黒髪を曝し。その髪の間から苛立ちに満ちた瞳を光らせる。
片や、電気が走る装甲の奥には、パイロットの身を守る強固なコックピットが半壊し、イリウムの顔が露わになっていた。穿たれた際に飛び散った破片に、頬を斬られ、額を切られ、左眼を切られようとも――その血が垂れた残りの片目で強くヴィレイグを睨みつけていた。
もうブレードも、ライフルも、アンカーですら無いというのに。レールガンを変わらず向ける黒いアウラへ怖気づくことなく対峙し続ける。変わらず、睨み続ける。
そのイリウムの確固たる意志を感じる表情が、ジェノスには全く理解出来なかった。
だから問う。
「何故、コイツを庇う? お前が殺したんだろう? 憎んでいたんだろう? お前があの国から身を外すことになった元凶はコイツなのだろう? コイツは幾人もの人の命を奪ってきたんだぞ? お前らの正義に於いて、ジャスバーは悪だろう?」
何度も問う。ぶつけるように、吐きつけるように理解出来ない疑問をぶつける。
その言葉にイリウムは肩で息をしながら口を開く。
「……ああ、俺だって自分でも意味分かんねェよ。別にソイツはもうぐちゃぐちゃに死んじまってるからこれ以上はどうしようもない。機体だって未練なんかない。全くもって、庇う理由なんざねェよ。……ああ、確かに憎かったし、死んで当然な奴だと思っていた。いや、今でも思ってるさ」
「じゃあどうして!」
さらに呼吸を苦しげに荒くして、それでも声をしっかり絞りイリウムは応える。
既に視界は霞み始めていた。頭部から流れる血の量は多く、視界は霞み、体は冷えを訴えて来ている。
それでも、イリウムは引くわけにはいかない。
「簡単じゃねぇか……大切な人だからだよ」
その言葉に、ジェノスは目を見開く。
予想だにしなかった事実。“愛”だの何だのとは無関係の世界で生きてきたジェノスにとって、その言葉は不可解なものでしかない。一番大切なものは自分の命のはずだろう。正義だの、愛だの友情だの。そんなものは所詮偽善だと。皆が謳うそれらは全て偽物だと、そう決めつけていたのに。目の前の女性はその偽物を本物として貫き通そうとしている。
彼女の身体が辛いということは一目で分かる。それでも、必死に意識にしがみ付いて守ろうとしているのだ。
「大切な人だったからこそ……俺は、俺がこの手で終わらせたんだ。ああ、そうだ、俺はコイツを愛していたさ。どうしようもなく不器用な兄で……でも俺の事を一番に常に考えていたんだ。いつでも、どんな時でも。だって、当然だろう? 大切なたった一人の家族だったんだ……護るのは、当たり前だ」
何なんだ、何なんだ、何なんだ、と。目の前の女性が何を言っているのか理解出来ない。大切な人? 家族? 愛する人? そんなものは冗談としか思えない。
誰も自分を愛する者などいなかった。気付けば一日の一部始終を観察され、薬物を毎日投与され、無機質なメスで体を解剖され調べられる毎日。そいつらがいなくなったかと思えば、自分は既にアウラに乗っていた。操作も、戦術も徹底的に叩きこまれた。褒められるのかと一所懸命にやれば周りは脅え、かと言ってうんさりして何もやらずにいれば役立たずと罵られる。
シュペルビアに身を置いても、皆他人になど興味を示さない。
こんな状況で、愛など信じられるはずなど無かった。けれど現実として、一人の家族を愛した女性が目の前に立ち塞がっていた。
「下らない」
ガチガチと、自分の歯が震えているのが分かる。
「下さない――」
水気が無くなり、喉が張り付くのが分かる。
「下らない――!」
何故か、トリガーを引く事が出来ない。
「下らない――!」
そして、咄嗟にアルメニア・アルスが目の前に立ちふさがった時、自分が銃口をずらしたことに気づく。
「下らない――ッ!」
血を顔に貼り付け、睨んで来る女性諸共殺すという簡単な動作が何故か出来ない。
「下らないッ!」
退かす、ということも出来ない。目を離すことすら出来ない。何故だ。何故だ。何故だ。
「下らない下らない下らない!」
気づけば、自分が叫んでいることに気づいた。
何故かは、よく分からない。頭の中がごちゃごちゃしていて理解が出来ない。チルドレンへの昇華により膨大な量の情報を並列に消化できるというのに……正体不明の感情如きを制御できない。
「下らない下らない下らない下らない下らない――!」
その声に、いや、ジェノスの顔にイリウムは思わず目を訝しんだ。霞む視界にはよく分からないが、ジェノスは確かに――
「――お前、泣いてるのか?」
とそこで、初めてジェノスは気づく。
片手をトリガーから手を放し、ヘルメットをしていない頬に手を這わせると。
「……何、で」
そこには滴りが降りていた。血でもなく、汗でもなければ、この液体は何なのだろう? ――涙? 嘘だ。自分が涙を流すなど……一体何に対して? それともこの世に愛というものが存在していたことに哀しんでいるのか? 彼女の愛に感動したのか? それとも彼女の愛が――羨ましいと?
――よく、分からない。
けれど、現実として自分は涙を流しているのだ。それはきっと、少なからず自分の心に深く干渉してきていると、影響を及ぼしているということだろう。
ジェノスの冷えた心にとって、こんなことは初めてだった。
ジェノスは冷静に受け止めた。そして……知りたいと思った。
「……分かった」
何を、なんてことは分からない。
気づけば、言葉を紡いでいた。
「ソイツに弾を撃ち込むのは止める。機体にも何も傷は与えない」
その言葉にイリウムは驚いている。言うべき言葉が分からず、ただ口を開いているだけ。
だがそれも、ジェノスにとっても同じ事だった。自分でも何を言っているのか理解出来ない。自分でさえ何のためにこんなことを言っているのか分からない。
「その代り――」
けれど勝手に唇が動くのだ。意識せずとも、勝手に。
「――僕をコスモスに入れろ」
「…………は?」
いや、自分でもジェノスは理解していない。なら尚、イリウムには理解出来ないだろう。
「二度言わせるな。僕が……コスモスに入ってやる。そう言ってんだよ」
何となく、ジェノスは目を逸らしながら言う。
その様子をイリウムは霞む中必死に見、どういうことか思考を働かせようとするが、叶わない。既に限界は来ていた。既に意識は朦朧としている。ジェノスが言ったことが現実なのかどうかさえも分からないのだ。だけどぼやけた視界に見えるその青年染みた表情は、何処か幼い子供の様で、何だか色々な感情が吹き飛んでいた。
あぁ、眠い。イリウムは瞼を下ろす。けれど最後に一言だけ。
「意味……分かんねェよ」
「!? おい!」
砕けたコックピットの中、イリウムの意識は途切れた。
まさかのツンデレジェノス




