ACT.23 an upset<1>
枢と私は、何を言うでもなく肩を寄せ合いただ座っていた。
口を開かないのは別に話したくないからでも、話すことが無いわけでもない。何も言いたくなどなかったのだ。口を開けば時間が進みそうで、この時間が終わりそうで。
この時間が愛おしい。……好きな人と肩を合わせていられる時間が。この時間が過ぎてしまうことが恨めしい。そんなことばかりを考えてしまう。
単純な話だった。
そう、私は……どうしようもなく好きだったのだ。
いつから、とか。どこが、とか。そんなことは分からない。枢と一緒に寝たあの日からかもしれないし。不意にキスをした時からかもしれない。人を殺めてしまったという罪の意識に苛まれる優しい枢の心に触れた時からかもしれない。私に人を殺すのが怖いと言ったときからかもしれない。……もしかしたら、ネフィルとして現われてくれたあの日からかもしれない。
……けれど、私は何故あの時キス、なんてことをしてしまったのだろうか。――ああ、そう言えば、人は好きな人にキスをすると、誰かが言っていた気がする。そうか、そうだとしたら、私はあの時にはもう好きだったんだ。
どうしようもなく不器用で、言い訳もせずに事実を純粋に受け止め、抱え込んでしまう心優しい少年を。
隣に顔をやれば、直ぐに枢の顔が見える。心優しい目をした、純真な少年。
きっと彼は、あの事件に巻き込まれなければ、彼はどんな人生を歩んでいたのだろう。心が歪んでいない、普通の人生を歩める青年に成長したのだろうのか。……それともやはり、運命は変えられなかったのだろうか。
あの日から、運命に巻き込まれながら、彼は自分の両親の仇であるアウラに乗る事を決意した。
純粋に人を助けたいと想いながら。
枢は本当に優しい少年だ。
けれど、枢は今非常に精神が不安定だ。……無理もない。仇敵であるジルと対峙しているのだ。私だって気が狂いそうになる。
でも、そんな今は復讐よりも私は枢を気にかけている。その心境の変わりように、私自身驚いている。
ただ人を助けたいと、人を殺めて涙を流し、心を殺して笑う不器用な少年が堪らなく好きなのだ。
どうしようもない恋慕の想い。……私が、こんな感情を抱くなんて思わなかった。
――でも、彼の体はチルドレン。必然的に、もう長くはない。老化は急激に進んでいく。……もうあと数カ月もたてば意識を保てなくなってしまうだろう。そうなれば、もう彼の声を聞くことは叶わない。
――そして彼は……ジルの所に行くつもりなのだろう。それは自身の寿命を縮めること以外の何物でもない。力を使えば使うほど、体はチルドレンとして目覚めていくのに。
また、涙が浮かんでくる。
酷く彼が遠く感じるのだ。直ぐ隣で、肩が触れ合う距離で座っているというのに。
――どれぐらいそうしていただろうか。
不意に枢が隣で立ち上がった。
隣に感じていた温もりが一気に無くなり、言いようのない不安に駆られる。
「……さて、じゃあ僕は行くよ」
「え……何処に?」
いや、分かっている。彼が何処に向かおうとしているかなど。けれど……認めたくない。
「……ジルの所にだよ」
そう言うと思っていた。分かっていたのに。
分かっていた筈なのに、いざ言われると頭が冷えていく。言いようのない不安、それが私への冷却材。
「――ぁ」
自然と出た咄嗟の声。それは私の感情を強く反映した声だ。嗚咽によく似た、泣きそうな声。
分かっていたのに。その言葉を聞くと、この上ない不安に駆られる。
喉が渇き、心臓が強く刺激を刻む。
目の前に居る筈の枢が酷くぼやけて見えて、手の届かない星の様。
――いやだ!
そう叫ぼうとした瞬間、ごほ……と湿った咳を枢がした。
「枢!?」
折る腹に手を添えながら、枢の顔を覗きこむ。霧で気付きにくかったが、枢の顔は蒼白していた。
「大丈夫……大丈夫だから」
でも、少年は自分の体を否定した。――初めてじゃないから、と。
「初めてじゃ――ない?」
どういうことだ。
私が枢が吐血したことなど、初めて見た。この吐血は当然、チルドレンへと昇華することの副作用だろう。
けれど、彼は初めてではないと。
「熱源接近」
思考は斬り裂かれた。
セラフィの声と、プロセルピナの大気を裂くような警報が鳴り響く。
紅く燃えるような髪を棚引かせる灰色のアウラが在った。
それは岩肌に腰を当て、ぼんやりと星を見上げている。
アウラを介し見る星空は、何とも無機質だ。
人の目で見るより遥かに鮮明である筈が、フェイクスとして視界にリンクして見ている筈が、やはり何処か非現実めいている。
「ああ――皆、闘ってるんだな」
ぽつ、とイリウムは呟いた。
こちらは夜空だが、あの霧の地点は昼だろう。第一、あそこで夜間戦闘など、本当に戦闘は成り立たない。
世界を別つ大戦。連合とシュペルビアと――コスモスの未来が別れる大きな作戦。
けれど、そこに赴く気は起きることは皆無だ。はっきりと理由は分からないが、何となく理由は分かる。
あれから一時間ずっと、腹に穴を空けた自機と相を為すアウラの傍を離れられないでいた。
「――女々しいな」
鼻で笑い、再び涙を拭う。
震えそうになる声を強がりで説き伏せ、深く鼻で息をする。口で行えば、それは嗚咽に成り変わりそうだったから。
結局、弱いままだったのだ。
兄の背中に隠れ、脅えていた一人の少女。――結局はまた、兄に助けられた。
いっそまたこの手で殺せば踏ん切りが付くと思ったのだ。
過去との決別。未来への一歩。
けれど、そんなのは虚言だった。俺が心の中で言っていただけの謳い文句。現実に反映されない夢物語。
なんて滑稽なのだろう。
あれほど盛大に、ドラマチックに別れを言ったというのに現実を認めず、尚も過去にしがみつく。
たった一人の生命が潰えた未来に生きる自信が無い。
この手は、血で赤くこの上なく汚れているというのに。
「――――――ああ、そうか」
俺が殺したことで、皆こうなっていくのか。
友人。家族。恋人。
立場はあれど想いは同じ。
抱く感情も同じならば、移す行動も同じ。
――ああ、何て酷い循環
何が正しいのか分からなくなる。
自分は今まで正しいと思ってこの手で命を奪ってきた。
けれどそれは、何にとって正しい?
人類? コスモス? 環境? 一体何に?
「――――畜生」
壊れてきた。
自分の中ががらがらと音を立てて姿を変えているのが良く分かる。みすぼらしく、小さく、滑稽な姿へとなり変わる。
普段のあの、俺に戻れると思ったんだ。
何でもないことのように受け止め、顔を上げ、また笑う。
颯爽と帰還して、あの小さな艦長に“よっ、遅くなった”と笑顔で伝えたかった。またあの心地良い空間に戻ると思ったのに。清々しい気持ちと共に。
「――畜生」
これじゃあ、顔を上げられない。
人生全てを犠牲にして俺を生かせるために捧げてくれた人へ。
頑なまでに固執して、頑なまでに不器用に。
怖くも不思議と、暖かい。――ああ、また視界がぼやけている。
「畜生!」
脇の壁をスーツを纏った拳が音を立て殴りつける。
感情に任せ、拳を振るう。それで解決するものなど、やはり何も無かった。むしろ拭えぬ感情が浮き彫りにされるだけだ。
「畜、生――」
――腕の破損。
突如、アルメニア・アルスの右腕が“持っていかれた”。肘には大きな穴が空き、数センチ繋がっていた装甲も刹那も持たずに千切れて、そこの先から落ちてしまった。
「な――ッ」
けたたましい警告音が鳴り響く。
突然の出来事に、イリウムの意識は覚醒する。呆けた脳が、警告のアラートにより叩き起こされた。
右腕部損傷。しつこくコールが繰り返される。
――とりあえず今の感情はしまい込んだ。
人間としての感情など要らない。とにかくフェイクスとして、アウラを動かす部品として不慮なく稼働しなくては――
即座に石壁から背を放し、戦闘態勢へと移行する。
見れば、夜空に光る星のような物が上空にある。だが星とは決定的に何かが違う。
動いている。僅かに震えながら、瞬きながら、尾を引きながらこちら近づいていた。
その物体は夜空に紛れるように黒い。まだ遠き存在であるにも関わらず、それが放つ死神のような威圧感。
徐々に近づくあれを見、
「――ヴィレイ、グ」
イリウムは自分に置かれた状況に対し絶句した。
「――ほぉ、上出来なようですね」
突然、コックピットに若い男の声が響く。
クリフと優紀は驚き肩を強張らせ、即座にレーダーを見た。しかし敵軍としての熱源反応はない。
だが、聞き覚えのない声。決して雄軍などではない。それは明らかに近くに存在しているはずなのに。
「誰だ、お前!」
クリフは叫ぶ。霧の中で通信が出来ているのだから、公開回線であることは必至。ならば、遠距離からの通信である筈がない。何より霧の中では通信可能距離がとんでもないほど削られるのだから。
しかし、声がする。背筋に悪寒が走るのは造作もない事だった。
「それにはお答えできません。答える必要がありませんから」
クリフの訴えは拒否される。
その男の声は冷静で、何処か見下したような気が含まれていた。悪寒と共に、クリフは苛立ちを覚える。
「……クリフ、上よ」
優紀は震えた声で呟いた。その声には優紀にしては珍しく余裕がなく、脅えているようだった。
「上――?」
優紀に言われ、ウルカヌスの顎を上に向ける。
漂う霧は白。遮る視界。醜い光景。
そこに紛れた深緑の巨人は、そこに在った。
「どういう、ことだ?」
その敵機との彼我の距離、凡そ四百メートル。鮮明に視認できる距離であり、実際に目というものを使い見えている。
突きぬけるように鋭利に伸びた肘と膝。肘は、その肘から指まで二倍の長さほどある長い鋭利な刃の様で、僅かに曲げられた膝は腰の上あたりまで伸びている奇妙な形状。
だが、その深緑の機体の奇妙な点はそこではない。
まず、浮遊している。それはケツァールのように強引に浮かされている訳ではない。通常の推力程度に見える噴射で、正体不明は虚空に漂っている。
そして、熱源に全く感知されていない。
「一体何……? その機体は」
「それもお答えできませんね。貴方方が知るべきことではありませんので。申し訳ありません、レディ」
落ち着いて紡がれる言葉は何処までも紳士的だが、同様に見下しているように聞こえる声色だ。
黄色に光る眼も、同じ事を言っているように感じる。
「では、失礼致します」
そう言うと、深緑の機体の伸びた肘が折り返した。背を反っていた刃らしきものは腕の下に添えられ、赤く光った。
――その様は、刃そのもの。
「やる気かよ、てめぇ!」
クリフはトリガーを握る。それに続いて、優紀も目を見張り戦闘へと切り替える。
ウルカヌスは腰に携えたレールガンを、ミネルアは単分子ナイフを逆手に持った。
深緑の背が瞬いた。
その噴射量はステップのそれ。だが向かう先は、ケツァール。
「な、に――?」
二機と僅か離れた所、四肢を失い残骸のように横たわるケツァールへと一直線に墜ちていく。
碧き流星。
流れるような速さで軌跡を描き、ケツァールの直ぐ真上に降り立つとそのままコックピットに赤い刃を突き刺した。
紫電が漏れ、焼き切られた装甲は橙に変色する。
既に刃はパイロットへと到達していた。刃に斬られたことにより流れた血液は刃に付着し、刹那も待たずにまた蒸発する。――腹部を両断。
「お前――!」
ウルカヌスはレールガンを奔らせた。紫電を帯びた弾丸を、短い彼我の距離を突き抜けていく。
だが深緑機体は刃を下ろしたまま、ステップした。
必然。
刃はケツァールの装甲を尚削り、損害は広がっていく。股の下まで刃は裂き、そのまま深緑の機体はケツァールから離れた地点に漂う。
斬られた箇所は動力炉。それが斬られ、空気に曝された。
従って――
「爆発する――!」
天翼を広げ、“ネフィル”は駆けていた。
後ろに流れていく景色の情報、身体への急激な圧迫、高速に移動している故の機体バランスの崩壊。それらをジルは自らの手で押さえていた。
彼はチルドレンではない。ただのフェイクス。だが、彼はその天使の手綱を握り、正確に操っている。
それは一言に、彼の才能だった。
圧迫に堪えている理由は彼の身を包んでいる漆黒のスーツによるものだが、情報は別問題だ。
強制的に流れる情報を喰い止める術はない。かと言って、流れる情報を制限する事も決して出来ない。流れる情報を必要なものと不必要なものとを選定するなどは決して出来ない。複雑怪奇に混ざり織りなす膨大な情報を選定するなど、不可能。
故にジルは全てを受け止めていた。
流れる景色の配色、熱、速さ。空気がぶれ乱れた流れを感知し対処し、地面の隆起の流れに対応――。
それらをジルは“素”の状態で受け止めている。
才能。
アウラ操縦技術に於いて、恐らく彼の右に出る者は既に生存していない。
そう、彼と肩を並べた腕を持つ者など、今は。
けれどそれでも、彼の心を奮い立たせる存在がいた。
「お前の息子は最高だよ――アキラ」
思い出すように、ジルは目を瞑る。
この世に生を受けたその瞬間から、戦争の歯車として存在していた一人の少年。天使を模した存在を我が手とする為に人間を生まれながらに捨てさせられた一人の少年。――彼には、普通の人生を歩むなど不可能だった。
機械の半身を受ける少年。染色体異常を運命づけられたアウラ操縦における究極の存在。パイロットの腕など、是非を問う意味はない。
だがその父親も――それに見劣りするとはジルには思えなかった。
脳裏に浮かぶ様は、灰色のアウラが森林を荒野を暴れまわる様。現存するアウラより三分の二ほどの大きさでしかないソレは、しかし現存するアウラに匹敵するほどの恐怖と威光を撒き散らしながら手に持つ銃を奮っている。
その弾丸が貫くのは戦車、ヘリ、戦闘機――従来の主力戦力をたった一機で薙ぎ払っていく様はまさに“機神”と呼ぶに相応しい。
外敵を寄せ付けない圧倒的な舞武。その銃は正確無比に撃ち貫き、その剣はあらゆる敵を両断していく。
究極の生を持ち、絶対的な死を振り撒く一人の男。――久遠 晃。
「けど、呆気無かったよなぁ……」
今は亡き者へ、独り呟く。
そこに含まれる色は、若干の悲しみの色。だが、落ちた声を拾う者は誰もいない。
その悲しみは決して、死を悲しむ者ではない。死ではなく、失くなることへの憂い。
それは命とか、そんな尊い理由ではなかった。
けれど少なからず、ジルが悲しみに似たモノを抱いている事も事実であった。
ジルの手、及びシュペルビアの手により引き起こされた悲劇の事件。
被害者の内、確認された生存者は三名。久遠 枢、アリア・キルスティス、アイラ・キルスティスのみ。それ以外の場にいた客、従業員は全て死亡。関わったシュペルビア兵、救助特別消防隊、救助特別警察隊、日本軍、及び滞在ラインズイール軍の半数が死亡。その中には、久遠 晃、シザリス・キルスティスも在していた。
そう――そこに晃の家族がいたのは完全に偶然の産物だったのだ。
作戦の目的はキルスティス首脳閣下の抹殺、及び実娘の確保。晃がその場にいたことは完全に偶然だ。
晃の死は滑稽だった。アウラに乗る事で誰もが恐れ、今のアウラ蔓延の一役を担った英雄とも悪魔とも取れる人物。
その偉人の死が、テロリストに巻き込まれたという無様な死。
それがジルにとっては滑稽であり愉快であると同時に、納得できないことでもあった。
今でもそれを思うと、僅かに拳に力が入る。
「――ん?」
ジルは前方に何かが浮遊している事に気づき、R.O.B.を停止させた。まだ米粒程度にしか視認できない距離であるが、警戒するに越したことはない。
ブースターを止めるも、音速の領域に入っていた速度はなかなか止まらず、しばらく地面を削っていた。
そして止まる頃には、その米粒も人差し指程の大きさになっていた。
脚を止め、“ネフィル”は身構える。右腕を力なく下ろし、左肩を前に置いた。
人差し指大の機影は背中に光を溢れさせながら、徐々に近づいて来ている。やがて中指大になり、それ以上に大きくなっていった。
奇妙だ、ジルは目を細める。
一つは敵機の熱源を感知できないこと。もう一つは、中空を苦もなく漂っていること。
「……お前、何だ?」
不躾な問いかけ。
「――――」
しかしその問いかけに返答はなかった。
近づいてくる機影を覆う霧が薄くなり、はっきりと視認できるようになる。
その様は深淵に堕ちているかのように黒い。関節や装甲、眼の下に泪しているように刻まれた血の刻印。眼は血そのものを映しているかのように紅黒い。
「……お前は何者だ?」
尚も問いかけた。
ネフィルの変態した様が堕天使なら、漂う機影はその残留していた天使すら捨てた本当の悪魔。
その様に、ジルは僅かに既視感があった。
「……何者だ?」
三度の問いかけ。これが最後だ、とでも言う様にジルは力を込めて問うた。殺気を籠め、叩きつけるように。
意外にも、答えは返ってきた。
「――――『ルシファーΞレプリカ』」
ただそれだけ呟いた。
その声は男とも女とも判別の付きにくい中性的な声。魅惑的な響きを持つ声は、ただ簡素にジルの問いに答えた。
「――クッ、ハハハッ! そうか、そうか!」
突然、腹を抱えてジルは笑い始めた。首を上下に振り、身体を折りながら高く笑い続ける。
一頻り笑うと、口を歪めなら、一つの結論を口にした。
「――そうか、ついに俺を切ったか。オクタウィウス」




