ACT.4 少女の純真<1>
「――つまり、ここでnが無限大になると……ここはどうなるか分かるか? 久遠」
数学の教師が生徒を指名する。
「久遠? ……久遠!」
だが指された当の本人は窓の外をぼぉーっと見たまま微動だにしない。
「……って!」
後ろからチョップを喰らう。
「な、何? 美沙都」
「……!」
前! 前! と指を指す。
「……」
ぐぐっ……と首を前に回す……なにやら視界がスーツで埋め尽くされる。
「……」
視線を上に向ける。
「……」
ニコニコぉっと微笑みをこっちに向けている先生。
「……」
そして先生は無言で右腕を上に振りかぶる。
「ちょっ! 待っ」
ガツンッ!
「いってぇぇぇぇぇ!」
「ったく、居眠りしなかったら上の空か……全く。お前は成績は良いんだから、もっと素行を良くしろ」
教壇に戻っていく教師。
「ったく、何も殴らなくても……良いじゃん」
枢は殴られたところを痛そうに擦っていた。
“――で、この機体は何なの? イモータルなんでしょ?”
“‘一般アウラと違う’という点では肯定ですが、イモータルとは異なる存在です”
“じゃあ、何?”
“回答不能”
“えっ……?”
“回答不能”
“……”
“ですが、この機体は他のアウラを遙かに凌駕しています”
“……”
“そしてこの機体を扱えるのは、枢だけです”
“僕、だけ――?”
“そしてこの力を、どう扱うかは――マスター次第です”
“じゃあ――僕がフェイクスっていうのは?”
“存じません”
“そうか――”
――フェイクス。それはアウラの脅威を確固たるものとして裏付ける最大の要素だ。フェイクスとは、体中の神経に仕込んだナノファイバーを通じアウラと直結するシステム――を有するアウラの偽物の名称。感覚がアウラと直結してしまう。これにより自分の体と同じように扱う事が出来る――理論上は。現実は、通常には存在しない神経の移植による拒絶反応や、アウラ接続との相性など様々な問題が発生しているため、100%とは言い切れない。ここは、各々のフェイクスとしての適性が試される。
仮にも、頭と機械を繋ぐのだ。流れる情報も半端じゃない。使用者本人への負担は想像では測り知れない。適性が低い場合では初回の同調で神経が焼き切れ廃人となる者もいるらしい。
――しかし僕は、それをなんの苦もなく扱えた。
それになんで、なんで僕が“フェイクス”なんだ――?
――放課後。
全ての授業が終わり、放課後になった。僕は部活に入っていない為、特別なことがない限りすぐに帰宅する。というわけでまだ4時だというのに僕は1人帰路に付く。
どう扱うか……。僕は昨日のことを考えていた。セラフィの言葉。あの機体は僕にしか扱えないということ。そしてその機体の力は他の物を遙かに凌駕しているということ。
なら、そんなことは決まってる……戦争を、無くしたい。
「とは言ってもなぁ……」
はぁ、と嘆息する。
――それは、難し過ぎた。たかだか一介の高校生では出来ることがあまりに少ない。当然だ。
単独で戦争に介入し続ける? ――無理だ、そんなことは。情報も資金もない。
軍に身を置く? いや、それじゃネフィルは取り上げられる。
――ッ、ダメだ。何も出来ない。もっと制なく、揺るぎない理念があるところじゃないと――
「……いただきます」
1人の食事。もう慣れた事だ。聞こえる声は、テレビの中の笑い声のみ。
目の前には僕が作ったカレーが置いてある。カレーは楽でいい。それに作り過ぎる心配もない。ちなみに、僕は辛い物が苦手だったりする。そして甘いものは大好きだ。よく美沙都とパフェを食べたりしてる。だからカレーも甘口。前に一度辛いカレーを作ってみたけど完食出来なかったのだ。あの時は確か、捨てるのももったいないからって、冬夜と美沙都を呼んで処理してもらったんだっけ。それで結局冬夜は僕の家に泊って行ったんだっけ。
そんなことを思いながらスプーンを口に持っていく。テレビの中では、漫才のボケがツッコミに殴られていて、やらせの笑い声が飛び交っていた。
「……結衣、どうしてるかな」
――ガチャガチャ。
「――よし」
食事を終了し、食器を洗い終えた。冬場に皿洗いは大変だ。手が荒れてしまう。だからゴム手袋は必須なのだ。
「それじゃ、行くか」
自分の部屋に行き、ベージュのコートを羽織る。そして自転車の鍵と家の鍵、財布と携帯をポケットの中に入れる。
「……行ってきます」
ギギィ、と音を立てて、ドアは閉まった。
「――っていうか!」
ガーッと自転車を全力で漕ぐ。
30mある巨大なものを、山に、隠すとか、絶対、馬鹿、だった。
「ハァッ……ハァッ……」
息が切れるほど全力で漕ぐ。……そう、僕はネフィルを山に置いて――もとい隠してきたのだ。馬鹿だ阿呆だという事は重々承知しております。
――だってしょうがないじゃん! あんなデカイもの隠せる場所なんて!
「ハァッ……ハァッ……」
それにその山っていうのは父さんの会社の直ぐ裏だし、あそこはあの廃墟を不気味がって普通なら誰も寄ってこない場所だし。だからとりあえずということで――
「ってうわ!」
辺りが暗く視界が悪かったせいで気づかなかっただけかもしれないが、前方に不意に少女が現れた。僕は急ブレーキを思いっきりかける。キキィ、という甲高い耳障りな音が鳴る。
「ハァッ、ご、ごめん。ちょっと急いでて……」
少女といっても僕とあまり変わらないようにも見える。暗いせいで容姿ははっきりとわからない。とりあえず、ちょっと変わったスーツを着てるな、ぐらいしか分からなかった。
「……久遠 枢」
「は、はいっ!」
突然少女に名前を呼ばれる。
――って呼ばれて答えちゃったよ、僕。
「……え、えーと」
戸惑う。もしかして知りあいだったりするのだろうか?
「……ついてきて」
そう言い、すぐに歩きだしてしまう。こっちの意思は無関係なのだろうか。
「えっと、ごめん。ちょっと今から用事あるから……」
少女は振り向く。
「……ついてきて」
銃を手に持ちながら。
「いっ!?」
銃をまじまじと見る。
「えぇっと……それはおもちゃ――」
パシュッという音と共に、バギッという音を立て自転車のハンドルが見るも無残に曲がってしまった。
「じゃないようですね……」
青ざめた顔でゆっくりと両手を上げる。っていうかこんな近距離で撃ったら兆弾とかいろいろ危ないんじゃ……。
「……ついてきて」
「……はい」
従うしか、ないじゃん。
――歩くこと5分。方角から判断するに、海に向かっているように感じる。
僕は特に拘束されるわけでもなく、銃を突き付けられているわけでもなかった。ただ目の前の少女は僕に背を向け、淡々と歩き続けている。
どうも誘拐ってわけじゃなさそうだ。状況が全く理解できない。
……少女には全く振り向く気配がない。
これなら逃げられるんじゃないか――
「……」
などと考えていたら少女は立ち止まってじっと僕を見つめていた。……どうやらそんなことは不可能なようである。
「あのさ……」
勇気を振り絞って声を出してみる。
「今から行く場所って何処?」
「……」
無言。
「え、えっと、じゃあ、どうして僕を連れてくのかな?」
「……」
無言。……うぅ、なんか言ってくれても。
――そしてさらに歩くこと5分。海に着いた。すると少女はなにやらインカムを取り出す。
「任務完了。……入れて」
その数秒後、水面に波が立つ。段々とその波が大きくなる。そして水が山を作る。
「うわっ……せ、潜水艦!?」
突然、海から超巨大な潜水艦が浮上してきた。その大きさは僕の学校の校庭よりも大きく感じるほど。その形は、潜水艦なのだが船と言われても納得出来るような、上部が平べったい形だった。
その潜水艦からドアが開く。そしてそこから通路が出てきた。少女はその通路に足を一歩踏み入れ、こっちを向いた。
「……ついてきて」
そう言い、また歩き出す。どうやらこの娘は、あまり口数が多くないらしい。一体この娘は何者なんだ……。
――それにこの声、どっかで聴いたことある気がするんだよなぁ……。
潜水艦の中に入った途端、通路が格納され、扉が閉まる。そして淡い3つのランプが照らすだけの頼りない明るさになる。カシャカシャと音を鳴らしながら、網状の通路を2人で歩く。暗くてはっきりとは見えないが、周りにはパイプのようなものがたくさんあるように見えた。
「おっと……」
キョロキョロ辺りを見回していると、不意に少女が止まり、ぶつかりそうになる。
そしてすぐに前の扉が開く。それと同時に、明るい光に包まれた。僕は思わず、目を細める。
「……」
直ぐに目が慣れる。そこには、白い綺麗な通路が広がっていた。
「うわ……」
気が付くと、僕は脅されてついてきたという事をすっかり忘れていた。……っていうか、こんな可愛い少女にやられてもあんまり緊張感が……。
さっきまで暗く、分からなかったが、少女の髪は長く、綺麗な金髪だった。そして、軍服のように見えるのだが、それにしてはちょっと派手な感じもする服を着ていた。
2人は歩く。右に曲がり左に曲がり、ジグザグに歩く。結構複雑だった。
そして、作業服の若い男とばったり出会う。
「おっ、アイリ、そいつはお前の恋び――ぐはっ!」
その少女は男の腹に拳を叩きこんだ。容赦がない。
「じょ、冗談だって……あれだろ? ……例の」
腹を押さえながら苦しそうに喋る。
「……」
少女は無言で頷いた。
僕が目の前の出来事に呆けていると
「こっち」
そう言って少女はまた歩き出した。その少女は綺麗な深緑の眼だった。
そしてある扉の前に着き、立ち止まった。
「連れてきました」
扉の横のパネルを押しつつ、少女は話しかける。
『はいはーい、入って入って!』
中からかなり幼い声が聞こえる。そして扉が開いた。
「やぁ、いらっしゃい」
その声に違わぬ、幼い少女がデスクに座っていた。年の程は12、13だろうか。銀色の長い髪を後ろで一つに束ね、ポニーテールにしている。
「じゃ、そこに座って」
デスクの前に応接用の2つのソファーとテーブルがある。そのソファーは、茶色のよくある社長室にあるような堅いソファーではなく、ピンク色のファンシーな感じのソファーだった。その片側を指して言う。そして自分ももう片側方に座った。僕を連れて来た少女は、既にソファーに座っていた。
「じゃ、どうしてここに来たかは、聞いたから分かるよね?」
僕は首を傾げる。
「……いや? 全然」
銀髪の少女の動きが止まる。そして。
「ちょっとアイリ! 何にも話してないの?」
がぁーっと年相応と言った様子で怒る。
「……うん」
なんとも無い事のようにさらっと言いのける。
「あぁっ! もう! やっぱりアイリに任せるんじゃなった!」
うがぁーっと髪を両手で掻き毟る。綺麗な銀髪のポニーテールが乱れる。
「ねぇっ! アイリにどうやって連れてこられた!?」
慌ててこっちに顔を向ける。かなり忙しい感じの子だった。
「え、えっと……。こう、銃を向けられて、バンッと」
親指と人差し指で銃の形を真似て、さらに撃つ真似もする。
「発砲!? んあぁぁぁぁあぁぁぁぁ!」
さっきよりもさらに激しく髪を掻き毟る。さらに銀色の髪の毛が乱れてしまった。
なんか、おもしろい子だな。
「あのね、これだけはわかって欲しいんだけど! 別に誘拐とかそういうんじゃなくてっ!」
身振り手振りであたふたと説明する。
「うん、そ、それは何となくわかってたから。と、とにかく落ち着いて」
こっちも焦りながら銀髪の少女をなだめる。
「あ、ご、ごめん……」
スーハースーハーとその膨らみの無い胸に手をあて数回深呼吸する。
「えーと、じゃ、まずは自己紹介から。私はフィーナ・アラカリア。よろしく」
小さい右手を差し出す。
「よ、よろしく。僕は――」
「あ、それは知ってるから大丈夫」
――そうですか。
「んで、こっちはアイラ・イテューナ。……ま、ほとんどの人はアイリって呼んでる」
俺の隣にいる少女を指さして言う。
「それじゃあ単刀直入に言うね。枢くん、君、昨日アウラに乗っていたよね?」
「え……、どうして、それを……」
「アイリの声、聴き覚えない?」
声……?
アイ――ラさんを、見る。アイラさんは僕を見る。――あ、昨日の!
「もしかして、昨日の?」
「……そう」
アイラさんは静かにこくりと頷く。
「思い出したみたいだね。そういうこと。あの後ね、君の事を調べさせてもらったんだ。悪いと思ったけどね」
ピラッと脇にあった資料を手に取り、捲る。
「……“久遠 枢。年は16。性別は男。生年月日は2029年3月16日。晃と裕美との間に生まれる。妹、結衣が1人。現在は1人暮らし”」
「なっ……」
驚く僕を無視して、フィーナさんは淡々と続ける。
「“学歴は高未幼稚園に入園。同園を卒園。皆原小学校に入学。同校を卒業。皆原北中学校に入学、卒業。霧宮高校に入学。趣味は読書とパソコン弄り。ジャンルは主にミステリー物を好む。そして7年前に父親、母親ともに他界」
――やめてくれ。
「現在、結衣は入院生活」
――やめろ。
「本人も義足を使用している」
――やめろ。
「その原因はあの7年前の『ヘルズタワー事件』に――」
「――やめろっ!」
「ッ!」
僕は力一杯叫ぶ。フィーナさんは僕の声に驚き、身を強張らせる。
膝がキリキリと痛む。
「ご、ごめん。軽率、過ぎた」
慌ててフィーナさんが謝る。
「あ――。ぼ、僕も急に大声出して、ごめん」
「……」
場が静寂する。
「え、えっと、じゃあ説明してくね」
切り替えをつけるため咳払いをする。資料は脇に追いやった。
「今日来てもらったのは、枢くんに私達……『コスモス』に入って欲しいからなんだ」
「コス、モス……?」
「そう。私たちはね……そうだなぁ、傭兵部隊みたいなもんかな?」
「傭兵、部隊……」
「君はあのアウラの搭乗者だよね?」
「……うん」
僕は頷く。
「だから、私達の、仲間になって欲しいんだ」
フィーナさんは僕の目を、まっすぐ見ながら言った。
――僕のやりたいこと。戦争をなくしたい。だけど僕がアレに乗るということは……僕が戦争をするということになってしまう。僕の大切なものを奪った戦争を――。アウラを――。
――僕は、どうすればいんだろう……。どうすればいいのかな、結衣――。
「ごめん……わからない」
僕があの力を手に入れた意味。その僕のやるべきこと。まだ分からない。そう簡単には、決められない。簡単に決めるには、大き過ぎる力だから。
「ちょっと、考えさせてくれないかな?」
「……分かった。でもあの機体は、預からせてくれないかな? あんなもの、いつまでも山なんかに隠しておくわけにはいかないでしょ」
「う……やっぱ、分かる?」
「当たり前。あんなでっかいの隠せるわけないじゃん」
うう、やっぱり……。
あんな山に置いとくよりはこの人達に預けた方が安全、か……? それにセラフィの言う通りなら、あの機体は僕にしか扱えないはずだから……。
「……預かるのはいいけど、何もいじらないでおいてくれないかな?」
一応こう言っとけば……確か最初の時もネフィルは無人で稼動していたし……少なくとも無抵抗ってことはない、だろう。
「うん、了解! ……よしっ!」
フィーナさんはぴょこっと立ち上がりデスクに駆けてく。アイラさんは2つ目の煎餅に取り掛かっていた。
デスクのパネルの数字を何回か押す。そして机に向かって喋る。
「あ、バンドー? 急いで例の機体取りに行って! 全速力! ……え? ううん、そういう訳じゃないけど、あのまんまじゃダメでしょ? そう、そう……そういうことだから、速攻で! んじゃよろしくね!」
スイッチをまた押して戻ってくる。
「どうする? すぐにここまであの機体持ってくるけど……」
「……うん、じゃあ来るまでちょっと待ってようかな。本当は僕、山に行くところだったから……。……あの、それで、さ、ここって傭兵部隊なんだよね?」
「うん、そうだよ」
フィーナはまた座り直す、と思ったらまた立ち上がる。
「ってことはアウラも使うんだよね?」
またパネルを押す。
「うん、使うよ。アウラがなきゃやってられな……あっ、ジュースとお菓子お願い! ジュースはオレンジで! あ、枢くんは何が良い?」
「へ? あ、じゃ、コーヒーで」
「はいはーい。そゆことで、お願いね〜……あ、ごめんね。アウラがないと、今の世の中やっていけないからね」
そしてまた戻ってくる。
「君たちも、乗るの?」
「私は乗らないけど、アイリは乗るよ。何しろこの娘は、これでもウチのエースだからね」
へぇーこの娘が……。と横を向く。自分が話題になっているにも関わらず、アイリさんの表情は無表情のままだった。
「フィーナさんは乗らないんだね」
やっぱり、と言った感じで答える。
「フィーナで良いよ。こんなちっさいのにさんづけなんて要らないって。で、うん、私は乗らないよ……あ、でも私、アウラには乗らないけど、この部隊の創立者だから」
にこぉーっと満面の笑みで、自分を指さして言う。
「へぇ、そうなんだぁー凄い……え!?」
僕は驚愕する。だって目の前にいるのはこんな、こんなちっちゃい娘なのに!?
「ってことは……」
「そう! 私がこの部隊のトップ! リーダー!」
ぶいっと手を嬉しそうに体の前に突き出す。し、信じられない……。
『おい、持って来たぞ』
僕の聞いたことのない声が部屋の中に響く。
「どうぞー」
扉が開く。すると外からアイラさんの着ている服の男版といった服を着ていた男が――
「ったく何で俺が配膳仕事なんぞを……」
――何やら文句を言いながら入ってきた。
「いいじゃんいいじゃん、どうせ暇なんだからさー」
その男は机にお盆を置いた。乱暴に。それに僕はちょっとビクッとする。
「ひ・ま・じゃ、ねぇ! 俺はお前から回された報告書を必死こいて打ってんだよこの馬鹿野郎!」
頭を掴み、ぐりぐりする。
「そ、そうでした! あっ、わっちょっ、やめ、やめて!」
さらにもっと頭がぐちゃぐちゃになる。そして最後にチョップを食らわす。
「ったく。それじゃあ戻るぞ」
そういい扉に男は向かっていく。
「いったー……あ、うん、ありがとねー」
扉が開き、男が部屋を立ち去っていく。
「……ささ、どうぞどうぞ」
「あ、どうも」
コーヒーを手に取る。コーヒーは綺麗な湯気が立ち、独特の良い匂いが広がる。
「砂糖はいらないの?」
「うん、僕は、コーヒーは砂糖無い方が好きなんだ」
「えー、あんな苦いのに」
フィーナはその味を思い出しているような苦い顔をしていた。
僕はよく、コーヒーを飲む。特にテスト前はお世話になるものだ。……ずずっ、とゆっくりすする。
「――おいしい」
「でしょぉー。ここのコーヒーはブラジル直産の直接取り寄せだからねー」
そう言いながらオレンジジュースをストローで吸う。そして一口飲んだ後、逆に息を送り込んでいる。ぶくぶくと泡を出して遊んでいた。……まるっきり子供だった。
そして僕はもう一口コーヒーを飲む。……うん、おいしい。
少しコーヒーを味わっていると、部屋の中にピーピーっと、電子音が響く。
するとフィーナはまたデスクに駆けていった。そしてパネルを押す。
「はい……あ、ホント? ありがとう」
またボタンを押す。
「枢くん、あの機体、運び終わったよ!」
にこっ、とこっちを見て言う。
「あ、じゃあネフィルの所に連れてってくれないかな?」
「分かった、じゃあ、アイリ。ハンガーまで枢くんを案内してあげて」
「……了解」
そしてアイラさんは立ち上がる。
「あ、コーヒーごちそうさま」
軽く会釈する。
「いいっていいってー」
フィーナは体の前で手を横に振る。じゃ、と軽く僕は手を上げ、アイラさんに急いでついていった。
――枢が立ち去った後、フィーナしかいない部屋の扉が不意に開く。入ってきたのは、初老の体格のいい男だった。服装はさっきの軍服姿と同じもの。
男は、ドアが閉まるのを確認してから。
「……いいのですか? あんなにあっさりと帰してしまって」
ソファーに座ってジュースを飲むフィーナに向かって男は静かに話す。
「うん。出来れば彼には、自分の意志で私達の下に来て欲しいから」
ずずっとジュースを吸う。
「しかし彼は、例の――」
男の言葉をフィーナは遮る。
「分かってるよ、カニス。……その時は、それなりの対処をする」
ジュースを視線から外し、カニスの目を見る。
「……了解しました」
――辺りは静かだった。そして大量のアウラが待機している。……が、人はあまりいなかった。ハンガーというともっと整備士がドタバタとあっちへこっちへ奔走しているものだと思っていたから。
「人、結構少ないんだね」
返事を期待せずに言う。
「……」
案の上、返ってくるのは無言だった。お互い無言で歩く。ハンガーに入って右に曲がり、さらに左に曲がる。先には下へ降りる為の階段があった。ここの通路は今までの通路と違い鉄か何かの金属で作られており、歩く度に高い金属独特足音が響く。
階段を降りながら、僕はまた口を開いた。
「……アイラさんの機体は、どこにあるのかな?」
同じく期待せずに聞く。……が。
「アイリ」
「……え?」
「アイリで良い。皆、そう呼んでる。……それにアイラは嫌い」
意外にも答えが返ってきた。
「あ、うん。……アイ、リの機体ってどこにある?」
「……あそこ」
奥の方を指で指した。一番奥――発進リフトから一番遠い場所にあった。昨日見た、黒い機体だった。
「そういえば、昨日は故障したみたいだけど、もう治ったの?」
「……」
無言。やはりこの娘はあまり感情を出さない娘のようだ。
「……これ」
そしてネフィルの前に着いた。
「え? あ、……ありがとう……。セラフィ!」
機体に呼び掛ける。すると、またあの時のように手が目の前に下ろされる。そしてその手に乗る。
「ごめん、ちょっと中に入る!」
そう言い終わった瞬間、コクピットへと収納される。
「認証を」
「え……あ、あぁ。えと、久遠 枢、です」
操縦桿を握る。
「声紋確認。静脈確認。マスター、久遠 枢と認証」
無機質な声が響く。そして数秒後、セラフィに話しかける。
「『コスモス』って人達に捕まっちゃってさ」
無論セラフィからの回答は無い。
「それでネフィルを一時的に預かってもらうことにしたんだ。いつまでも山に隠しておくわけにもいかないし」
「了解しました」
僕は目の前のスイッチを押し、カメラを起動し、外の様子を映し出す。アイリが暇そうに……だと思うんだけど、イマイチ無表情なので分からない……まぁ、とにかく立っていた。
「それでさ、『コスモス』に入らないか? って言われたんだ。それで……どうしようか悩んでるんだ。確かにこのままじゃ何も出来ないしさ。ネフィルをほっとく訳にはいかないし。……コスモスってどんな組織なのか知ってる? どうも軍隊とかじゃないみたいなんだけど……」
「微量ですが、インプットされてるデータの上でなら説明出来ますが」
「うん、それでもいいから。お願い」
「了解」
左右にあるモニターに、何やら写真が映し出された。アウラを展開した戦闘風景だった。
「コスモス。神出鬼没の、どの国にも属さない、極秘独立傭兵部隊。アウラでの戦闘に限らず、生身での要人護衛なども行う、護衛組織でもある」
モニアー上では、アイリは1人無表情で立っていた。
「基本的に依頼を受けて任務に移るわけではなく、自らが手に入れた情報で動く傾向が見られます」
「どこにも属さないのに、資金はどうしてるんだ?」
「データには存在してません。続けます。彼らの掲げる理念は――」
ビーッビーッとけたたましい、耳障りな音がハンガー内に響く。
「な、なんだっ!」
僕は慌ててコクピットから顔を出す。天井では赤色のランプが回っていた。
「どうしたの!?」
下にいるアイリに声を掛ける。この警報の中でも、アイリは変わらず無表情だった。
「……わからない」
それは、ギリギリで声が拾えるくらいの小声だった。
『ユスティティアのレーダーに機影を確認。数は3。急速接近中。速度から判断するに戦闘機の類と予想されます。交戦までの予想時間650』
どこからか女性の声が響き渡る。艦内が次第に騒がしくなる。
『コードA。早急に各員所定の位置に着いて下さい。繰り返します――』
ハンガーにもたくさんの人がなだれ込む。灰色の作業服を着ている人がほとんどだが、ちょこちょこと黒いパイロットスーツのようなものを着ている人もいた。
『戦える場所が甲板だけだからね! 出撃はイモータルだけ!』
下では戦場の様に慌ただしいが、そこに響くのは場違いに幼いフィーナの声だった。
――下では。
「俺の機体は行けるなっ!?」
ヘルメットを脇に抱えている、1人の黒髪のロンゲの男が整備員に半ば怒鳴りながら聞く。
「大丈夫です! 70ほど時間を下さい!」
作業をしながら整備員も周りの喧騒に負けないくらいの大声で喋る。
「上等! 装甲は任せた! 中は俺がやっとく!」
「お願いします!」
そういうと、男は軽快にジャンプし、胸の辺りにあるコクピットに乗り込んだ。他のアウラの2倍ほど、胴体部や椀部、脚部が太い。そんな超ド級重量機体へと乗り込む。その機体は燃えるように紅い。
――黒、いや、少し色素が抜けていて青く見える髪を肩で揃えている女性パイロットが同じく整備員に聞く。
「ミネルアは出れるわね!?」
返事も待たずにコクピットから垂れているロープに捕まる。
「はい! 50秒ほど時間を!」
整備員は既にコクピットへと上昇している女性へと叫んだ。その機体は細く、灰色の鋭利なフォルムのアウラ。
「私のは……」
アイリが整備員に尋ねる。
「すいません、まだブースター不動の原因が分からず……」
「そう……」
静かにそう言い、アイリはくるりと振り返り、そこから立ち去る。枢の下へ戻るようだ。心なしか落ち込んでいるようにも見えた。
アウラに乗り込んだ2人のコクピットの中。同じ回線がモニターに映っていた。そこにはフィーナと初老の男が立っていた。
『さっきも流れた通り、敵機は不明よ。識別信号も当然出てないし、それに早すぎて判断なんて出来ない。多分あれはマッハ4とか5は軽く越えてる。十中八九、戦闘機の類。だから多分、一撃離脱よ。お年玉でもくれるんじゃない?』
フィーナは横に手を広げる。
「そりゃ嬉しいね。早めのお正月だ」
男はパチパチと上下左右のスイッチを弄る。そして丸い筒状のものを鍵穴らしきところに差し込む。ヘルメット後部の金属部とコンソールの金属部とを合わせる。
モニターの真ん中には“Vulcanus READY”のテキストが点滅する。
「んじゃお先に、ユーコ」
紅い機体をリフトへと移動させる。
「了解。私もすぐに行くわ、クリフ」
青髪の女性も先程の男と同じように機体を立ち上げていた。
『今回はアイリがいないからね。んで例によってあの男は間に合わないと思って良いわ。とはいってもまともな戦闘にならないと思うけど。万が一に備えて甲板にて待機。各自判断で応戦を』
「「了解」」
男女2人の声が被る。
『もちろんこっちでも牽制くらいするけど、当たらないから、期待しないでね』
「アイサー」「分かったわ」
「て、敵襲!? ……どうしよう、セラフィ。ぼ、僕達は」
アイリが自分のアウラに向かってしまったので僕は仕方なくまたコクピットの中へと入っていた。
そして僕は物凄くうろたえていた。
「マスターが参加する事に意味はありません」
スパッ、言い切るセラフィ。AIなだけに容赦がない。まぁ、確かに僕が出て行っても足手まといになるだけだろうし……。それに、今度のは有人だろう。僕には、引き金を引ける自信がない。
ピポッ、と変な音が入る。すると左側のモニターにフィーナの姿と、初老の男の姿が映った。
『ごめんね、枢くん。まさかこんな早く見つかるなんて思わなかったからさ』
顔の前で手を合わせる。初老の男はフィーナの横で、まるで守護する騎士たるように半歩後ろで直立していた。
「あ、う、うん……」
『まぁー下手な場所に逃げるよりその中にいた方が安全でしょ? そのまま待っててね。すぐ終わると思うからさ。いつもは深海に身を潜めてるからねー、バレないんだけど。ま、こういうのは私達は慣れてるから安心して。私達恨みはいろんな所からわざわざ貰ってきてるからさ!』
アハハ、と笑う。そんな軽い問題じゃ……。
『じゃ、そういうことで。一応外の様子のモニタも送っとくね』
バイ、といってそのウィンドウは閉じられた。
そして言った通り甲板の様子が分かる3つのウィンドウが開かれた。それぞれ映している角度が違った。
「なるほど、これはありがた――うわっ」
ガンガン! とコクピットの入り口を叩かれる。アイリだった。
「どうしたの?」
僕はネフィルにしがみついているアイリに尋ねる。
「入れて」
「え?」
「外の様子が、分からないから……入れて」
「あ、ああ。成程」
ちらっと下を、モニターを見る。セラフィの同意を求める意味で。
「問題はありません」
無機質な声が響く。
「……いいよ、入って」
「……ありがとう」
かなり狭いので2人では辛かった。それでもアイリは無理矢理入ろうとする。
「ちょ、ちょっとアイリッ!?」
そのせいで股が僕の首にかかる。ちょうど肩車しているような感じ。
「ちょ、ちょっとま、まって……」
よろよろとよろける。足下が狭いためうまくバランスが取れない。
「……カナメ、しっかりして」
よろけながらも、なんとか耐える。そんなこと言う前にもっと計画的に入って来てくれよぉ、と心の中で愚痴る。
すると、背もたれの部分に当てていた右腕が急に重力に引かれ、落ちる。見てみると背もたれが後ろに倒れていた。さらに肘掛の部分も横に、むしろ下まで垂れた。
「リラックスの為、用意されています」
セラフィが言う。
「……」
何となく、拍子が抜けた感じがした。でもこれで、ある程度楽になる。アイリには椅子に腰を掛けさせ、僕は寄り掛かるように立つ。少々モニターが下になってしまい見にくいが、まあいいだろう。
そしてしばらくモニターを無言で見る。
「……来た」
アイリが呟く。モニターには紅い機体が、甲板へと上がっていた。