ACT.19 決着と決別<2>
――ジャスバーは妹を愛していた。
いつも自分の背中をちょこちょこと追ってくる、か弱い妹。泣き虫で、のろまで、ドジで。でも、とても愛らしくて。
自分は彼女を守る為に居る、と悟了するのにそう時間は掛からなかった。少なくとも、物心つく前から、そういう立ち回りを自分はしていたと思う。
一人泣いていたらすぐ駆けつける。皆より遅れていたら追いつくまで待ち。転んで怪我をしたら負ぶってやる。
妹は自分を慕ってくれていた。兄さん、兄さん、と。
妹に頼られることは、この上ない喜びだった。妹は自分を信頼してくれている。ならその信頼に応えられる存在となろう。自然と心の内に決志されていた。
俺達が出生してから、冬が十の数と、その半分以上過ぎたある日。
暗い、僅かな灯りのみで照らされた薄闇で。
父の部屋から、妹の泣き声が聞こえた。きっと、今までで一番大きな泣き声。悲鳴のような、悲痛な叫び。
部屋の前の廊下は、ビリビリと、悲しみで振動していた。
「エイリアッ!」
勢いよく、扉を開ける。
中には病弱な父が横になっている筈だが、そんなことは頭の片隅にすら無かった。ただエイリアの事を考えていた。
「父様――父様――」
途切れ途切れに、赤いベッドのシーツを握りしめ、父の名を何度も呼んでいた。返事は無情にも返らない。愛する娘の呼びかけに、父は応える事はもう出来ない。
力が抜けたように膝をついて泣いている。凭れるようにベッドに顔を埋めて泣いている。肩を震わせ泣いている。
俺は直ぐに駆け寄り、エイリアの肩を抱いた。
次の日、正式に国王の死が発表された。四十二という短い時間に幕を下ろした。
国民はざわつき、臣下も動揺した。そしてエイリアは、笑顔を失った。
メディアは物哀しく追悼番組を編集し、放送した。しかしその数日経って直ぐに、同じ放送局で跡取り問題が取り上げられた。子息に居るのはまだ成年に満たない双子の兄妹。煽り、騒ぎ、掻き乱し、国民の不安を増大させ、不安定にさせる。――結局、国民は王が国の代表として機能すれば良いだけなのだ。
その身勝手さに、俺は静かに憤慨した。
――妹がどれだけ悲しんでいるのかも知らないくせに。
次の政権に関して、俺達が成年に達するまでは変わりの者が代行する。或いは外から養子を貰う。
そのどちらか――少なくともそれらと意味合いの似通った対策を取るものだと思った。
数日後、場内で決定した案は俺の予想に反し奇天烈なモノだった。
そのまま継がせたのだ。俺“達”に。形だけの、お飾りな王なら良い。しかし実質的政権を継承させたのだ。
当然世論は最悪。支持率なんてものは在ったものじゃない。
だが、俺も、成年間近までただ遊んで暮らした訳ではない。大学卒業過程の勉学なら既に履修し終わっている。経済学も学んだ。帝王学も学んだ。
「――俺はやる。王になる」
腹に力を入れ、応えた。臣下は俺の決意の声に満足げに頷いた。
こうなることは分かっていた。少し時間が早まっただけだ。
自分に問いかけた。
――俺がやらずに、誰が妹を護る?
妹は悲しみの折りに閉じこもったまま、出ては来なかった。
新しい王は国民を鎮める事が出来なかった。
たどたどしい演説の最中も、野次が止まない。
高い場所から演説し、皆を下に見下ろしている筈なのに、皆から見下され、囲まれているような圧迫感。最悪だった。
瓦解していくのにそう時間はかからなかった。
国民の不満は募り、メディアは煽り、更に不満は増幅し、メディアが増強する。最悪の循環だ。
俺達の国は資源が豊富だった。
それ故、辺境での紛争は当たり前、内紛でさえも少なくなかった。それら全てが威厳のある王によって抑えられ、統制されていたのだ。威厳を持って国民を制し、武力を持って外敵を排除する。それがこの国の習わしで有り、理想で在った。故に国民は、君主政権なる時代錯誤なものに付き従っているのだ。――何十年も、何百年も。
外交はそれなりに上手くいっていた。話術と賭け事に長けていた俺は、崩れかけた他国の信頼を持ち直す。しかし問題は国内での問題だった。
国境に近い町からポツポツと、やがては即座に警備隊で押さえられたが、城下町でさえデモが起きた。王を降ろせ、君主政治反対、今こそ革命の時だ、と。まるで感染症のように。人から人へ、街から街へ。このままでは、国民全員に広がるのではという恐怖。昼も夜も聞こえる罵声。
ジャスバーの脳裏に、かのヨーロッパで起こった大規模な革命が過る。
『クーデター』というものを本気で予感した。
今は民間の企業が軍と同じ技術を持っているのだ。国王軍制圧など、ある程度の民間企業が手を組め容易いだろう。
俺は思案した。
どうすれば国民を鎮められる? 納得させられる? 従わせられる?
――俺はある一つの解を導いた。それは、とても単純なモノだった。
「――そうか、残念だ」
カルトヴェニア・アルスは腰からライフルを取り出す。。それはヴィレイグと同じ電磁砲。
「私には心的外傷は無いのでな。使わせてもらうぞ」
銃口はアルメニア・アルスのコックピットへと即座に向けられる。視界は悪い。それはさながら、肉眼で捉えるのとほぼ同義の追加情報の少なさ。
アルメニア・アルスは右前方へとアンカーを射出、同時に脚部のブーストは最大出力で放出した。爆音と同時に、機体がぶれる。
「クッ――」
その動きに反応できない。二人はフェイクスであるが、チルドレンではない。機械の目を持たない彼らは、音速の領域に踏み入れかけた速度は視認できない。
白のアルスは空中を駆け抜けながら黒のアルスへ向かってもう一つのアンカーを射出した。
しかしそれも当たらず、右の肩を掠めただけだった。エイリアは舌打ちした。メインカメラが無ければ力の半分も出せない状況だった。イリウムはクラウルの自動修正(システムを入れとくべきだった、と心で後悔した。自動予測、自動修正、自動補正。イリウムは喉から手が出るほど今求めていた。
黒は銃器をその場で放す。
白は両手のブレードを握りしめ、黒は右手のブレードを握りしめる。
二人は遠距離戦は頭から消去する。
ただこの場にあるのは、剣を直接交えるのみ――。
「ああァァぁあアぁあァぁ――!」
イリウムは吠える。小惑星は再び流星となり、黒のアルスを目掛け突き抜ける。逆手のブレードは自機の目の前で身を護るように、右手のブレードは再び腰に構え、コアを目掛け刃を立てる。
対するカルトヴェニア・アルスは右のブレードを逆手に持ちかえた。鏡のように前方へと持っていく。違うのは左手。武器を持たず、右の下に添えるだけだった。
両機は近づく。
ジャスバーは近づく流星目掛け左手を向け、甲を下げるようにして手首を見せる。それは――
「――ッ!」
――アンカーを射出する構え。
イリウムは刹那の間に意図に気づき、光となり近づいたまま、右の刃を護るように構える。二つの刃はコアの前で交差する。
ジャスバーは構わず射出する。
手首から離れた刃を持ったアンカーは、そのまま交差した部分へ吸い込まれる。
ギィィィィ――と金属が喰い合う音を鳴らしながら、二つの刃はアンカーを四分割する。
ライフルで撃たれた衝撃とほぼ同等のモノを受け、二つの刃はずれる。分割されたアンカーは弾となりアルメニア・アルスの装甲へと突き刺さる。
コアの前で交差された刃はずれた。しまった――とイリウムが呟く間もなく、
「ぬァッ――!」
ジャスバーの咆哮と、振り上げた刃が二つの刃が弾く。更なる衝撃に刃はずれ、右手からブレードを落とした。
黒のアルスは月を背後に右腕を天に仰ぐ。
「終わりだ――ッ!!」
そのまま剣先をコアへと突き刺――せぬまま、二人は呻く。
右手が動いた瞬間に、白のアルスは地面を滑りながら、黒のアルスは地面に根を張りながら、二つの鉄の巨人は衝突した。
鍔迫り合いを予測していた白のアルスは計算不可の障害物に為す術もなく、黒のアルスは右手を振りあげたまま無防備に、二つの機体はもつれ合い、地面を削り、飛んでいく。
「クソッ――」
「チッ――」
揺れるコクピットのまま、二人は悪態を吐いた。
白は左の刃を持ち直す――黒は剣先を白の背中へと突き立てる。
イリウムとジャスバーはトリガーを握る手に力を入れた。――二つの機体は徐々に離れていく。
白は左のブレードを再び振り上げる――黒は振り下ろす筈の右腕が硬直する。
ジャスバーは息を呑んだ。
――躊躇してしまった。
カルトヴェニア・アルスの左腕、コアの左上部が斬り裂かれる。切断部はバチバチと火花を発し、
「ぐぁッ!」
コアを斬られたことにより、コックピットでも火花が起きた。
――躊躇してしまった。
その火花が顔に飛び散り、焼けた跡を更に焼く。
黒と白は速度を違えて、無様にも地面の上に停止する。カルトヴェニア・アルスは背中から。アルメニア・アルスは腹這いに。
停止した時点では、二機は重なってはいなかった。
白のアルスは空いた右手で地面に着き、肩膝を立て体勢を整える。
黒のアルスは存在しない頭部の先の岩壁に右手のアンカーを射出し、巻き戻す。
既視感。
違うのはイリウムが圧倒的に有利に立っていたということ。
しかしイリウムの思考には敵を倒す、以外に過る物があった。
「お前、何で手を止めた?」
それは他でもない、もつれ合った時の事だった。
――街が消滅した、とメイドから聞いた時は耳を疑った。
爆弾らしい。アウラの動力部を暴走させ、ただエネルギーを瞬間的に発生させるためだけに特化した特殊な爆弾。その規模と威力はかの核に次ぐ物だった。
反政府組織の街となっていた座標に一発。その街は一夜にして地図から消え去った。
私と兄に政権が譲られたのは知っていた。けれど耳を塞いでいた。もう疵付きたくないから。
けれどそれを聞いた時は一心不乱に兄のいる部屋へと掛けた。熱を出した身体も気にせず。布団を蹴りあげ、寝間着のままで飛び出した。
――仕方ない
それが兄から聞いた“言い訳”だった。
仕方ない? 街を消すことが? 死者を一万人以上出したことが? 民を護る王たるものが――民を殺す?
気がつけば、私の手の平には痛みを帯びていた。
初めて人に手をあげた。初めて殴った相手が親愛なる兄。けれど後悔はしていなかった。躊躇いも、戸惑いも、罪の意識も感じない。
妹はそのまま兄の部屋を後にした。
それから数日後、資源の国には二つの王者が実質的に存在していた。
在り方は正反対。まるで鏡の様に。
その時から二人の道は違えた。
「……いや何、これから取り込む相手を殺してしまってはいけないだろう。それにその機体は私の機体の半身だ。破壊してしまう訳にはいかない」
――兄は民にも外敵にも武力を持って終わりを決する。
「……半身? ただの多重存在だろう?」
――妹は誰にも武力を振るわない。
「違う」
ジャスバーは断言する。
――かつて王の家系では兄弟というものはいなかった。同じ親から血を分けた存在はいない。これは王の座を相続させる上で対象を明確にする為で“も”あった。只の一度も。これまでは。
「カルトヴェニア・アルスは火器類の扱いに特化している。これは一方的に相手から略奪するために」
――端的に言えば、王の性質は半々(フィフティーフィフティー)。
「アルメニア・アルスは剣類の扱いに特化している。これは護る為に。我が身を削り、他人の身を」
ブレードを壁に突き立てると、黒のアルスは背中から更にライフルを取り出した。深い黒をしたその銃の先端は槍のように鋭利な形状だった。
――母性的な包容力を民に。攻撃的な武力を外敵に。
二つの感情と性質を両立させ、使い分け、世俗に浸透する。
――異形の血は狡猾に。
それはもはや呪いの域。血に染み付く異形は――金属血液。
「白黒の機体は合わせ鏡だ。――機体だけではない、私達もだ」
ゆっくりと、鋭利な先端をアルメニア・アルスに向ける。
――しかし祈るる神のいたずらか――ヒトの手か、双子が生まれた。
血を分け、遺伝子を分け、愛情を分け合った、性別の異なる“半身”。
上下など僅かな差しかない、対等な存在、対照な存在。
性質すら分け合ってしまった合わせ鏡の存在。
裏があり表がある。
表があり裏がある。
「従ってこれは多重存在ではない」
それらの存在は儚くも似か寄り。切ないほど真逆。
――それは王の座に就いたことで色濃く証明される。
呪いの血筋。――理想の血筋。
「外を攻めるモノと中を護るモノ。内へ取り込み、外へ吐き出す。凶暴性と母体性」
これらは酷く似ている。双子の、かつて仲の良かった兄妹と。
――合わせれば、歴代の国王に。
「汚れ役と英雄。存在理由も、生まれた意味も違う」
敢えて被せた。アイツらは知っていた。――忠実な振りをしていた家臣どもめ。
「理解出来るか? この意味が」
俺達はモルモット。
カラスの檻で観察された下弱な下等種族。
いつからかは分からない。十年前か、百年前か。
「分かるか? これらの在り方が」
何処まで図ったかは分からない。けれど――
――あの檻は確かに狂っていた。
万象が。
「この二つは――」
ジャスバーは泪する。己と――妹の悲遇さに。
「私とお前だッ――!」
二人の道は違わされた。
戦闘ショボッ!