ACT.18 感情<2>
「んで? 話ってのは何なんだ」
イリウム――エイリアは不機嫌そうに、口調は早い。怒りと焦りが隠しきれていなかった。
彼女の姿は破けたジーパンにデニムのコートを羽織っただけのラフな格好。
「はい、こちらの文書なのですが……」
しかし彼女を囲む老人の姿は、まるで儀式するかのような神聖なものだった。黒い足もとまであるコート。胸には宝石の装飾を、背中には金のチェーンを。部屋には、赤いクロスによって高貴に装飾された大きなテーブルが置かれ、壁にも絵画やランプなどで飾られている。この空間では、エイリアだけが異常に浮いていた。
彼ら老人の内の一人が手に持っているのは見た目は何の変哲もない、ただの封筒だった。
「手紙? ――アイツからか?」
エイリアの瞳に炎が宿った――そんな錯覚を覚えるほど、エイリアが纏う気配が変わる。普段の飄々(ひょうひょう)とした姿ではない。
「恐らくは。そして、手紙と共にこれが」
「それは……」
紋章が掘られたバッチだった。
「この紋章を持っているということは……」
「少なからず、王家に関わっているということか」
エイリアは吐き捨てるように言った。
恭しく差し出した、封が切られていない紙をエイリアは乱暴にひったくる。
表の右端に『usber』と書かれていた。その文字を視界に捉えた途端に、アイツ――ジャスバーへの底意地の悪さを再認識する。
『jusber』から『j』を抜くと『usber』、ジャスバーは今ではウサベルと名乗っているようだ。そして、『j』はトランプで言うジャック。つまりは王子。『j』を抜く。堕ちた王子。ジャスバーは昔からこういう謎掛けののようなことが好きだった。
これは私へのメッセージだ。アイツなりの、私への静かな責め立てだろう。かつて私がアイツに手を挙げたことに関しての。
「これはどうやってここへ届いた?」
老人達はその言葉に渋い顔をする。
「……ジャスバー様がエイリア様のお部屋に立っていて、それで……」
老人達は歯切れが悪く説明し出した。
要は、メイドが私の部屋を掃除しようと部屋に入ったらフード姿のアイツが立っていた。その男はメイドに「これをエイリアに渡して欲しい」と言い、そのまま窓から飛び降りたという事らしい。窓の下を覗いてもその男の姿はなかった。
「その男は本当にアイツなのか?」
「間違いありません」
その男と立ち会った中年のメイドが一歩前に出て発言する。腰の前で組まれた指は、少し震えているように見えた。
「……顔に焼け跡がありました」
その言葉にエイリアは立ち眩む。渋く顔を歪め、テーブルに手を付け、崩れそうになる体を何とか押さえた。
「大丈夫ですか!?」
傍にいた老人が駆けつけ、肩を支えようとする。それを大丈夫だ、とエイリアは手で制す。
「分かった」
そう一言だけ漏らし、エイリアは封を切る。友人から来た手紙を開けるように、丁寧にではない。乱暴に、封筒を横に持ち勢い良く破り捨てた。
文面を声に出さず読む。
心にも無いくせに、突然で申し訳ないと謝っている。しかしそれもすぐに終わり用件が書かれていた。
「――何でもない、ただのアイツの嫌がらせだよ」
そう言って手紙を乱暴にポケットへと押しこむ。くしゃくしゃと、折り目をつけながら姿を隠した。
「要件はこれだけか?」
エイリアは周りを見渡す。誰も口を開くような様子は無かった。なら、とエイリアが口を開きかけたその時、重い空気を裂くように声を荒げる者がいた。
「何故! あの方が生きているのですか! エイリア様――貴女は知っていらっしゃったのですか!?」
その様子に、エイリアは彼女の名を無意識に漏らした。
先程のメイドだった。彼女はエイリアが幼少の頃からお世話になっていた、もはや乳母と言って良いほどの存在だった。そして、“現場”を直接見たのは彼女だけだ。それだけにショックがデカイのだろう。
「……あぁ。戦場で、アイツと会ったよ」
死んだ筈の――殺された筈のエイリアの双子の兄が生きているということは。
何もないなら俺は帰るぞ、と背中を向け扉を開けた。
「お嬢様!」
「……もうお嬢じゃないよ」
苦笑いを浮かべながら、かつての王女は呟く。声は先のメイドだった。
「大丈夫、ですか?」
柔らかな、心の底からの感情が籠った声を掛けられる。エイリアはゆっくりと振り向いた。振り向いてしまった。
そこには、何人もの人たちがいた。かつての私の側近だ。世話係や教育代わり、遊び相手、まともに接したことのない者もいた。けれど、彼らは皆、私のことを案じている。私の身を案じてくれているのだ。――人殺しの私を。
今まで張り詰めていたものが緩んだ。飄々とした態度を装い、心が剥き出しにならないように温い、柔らかな鎧を着ていた。でも彼らはその鎧を外し、剥き出しの私の心を優しく、暖かく包んでくれる。
エイリアの眼に、少しの涙が溜まる。しかし堪えた。私は自ら家を出た。王の名を継ぐことを拒否した。人に手を掛けた自分が継承する訳にはいかない。自分が決めたこと。
それでも彼らは、
「お嬢様、いつでも、お戻りください」
優しく包み込む。それは私を弱く、されど傷を癒してくれる。
「ありがとう……私は、大丈夫だ」
再び、固く決心する。
私は私の出来ることをする。彼に迷惑をかけることはしてはならない。彼らは幼い私を守ってくれた。
私は、彼らを守るだけだ。
エイリアは拳を握り、部屋を去った。
“深夜零時、あの谷で待つ”
それが手紙に書かれていた内容だった。
――よく、失くしてから大切だったものを悟ると言う。
正に、その通りなのかも知れないと私は思った。
例えば、何気なくつけていたキーホルダーを人に譲ってからそれが無いと気づくと無性にもう一度欲しくなったり。
例えば、ある本を売った後にまた無性に読みたくなったり。
例えば、ホームシックに駆られたり。
例えば、それは日常であったり。
例えば――人であったり。
――チルドレンは寿命が短い。
それは当然だった。途中で擬似的に金属伝達部を取り付けるフェイクスでさえ、毎日の薬物摂取は必須なのだ。胎児を弄るなど、掛かる負荷は計り知れない。
チルドレン計画が始動したのは今から二十一年前。つまり二十一年前に第一世代のチルドレンが生まれた。合計で十人。その全員が、既に他界していたことを確認した。無論、戦死した者も少なくはない、が内七人が衰弱死。
詳しいことはまだ解明されていないが、端的に言えば、彼らチルドレンは自らの体に馴染んでいる筈の金属細胞が成長を妨げるらしい。金属が劣化する……という意味なのか分からないが一種のがん細胞のような物に変異し幼若化してしまうらしい。転移はしないのだが、彼らはその細胞を体全体に持っている。ともすれば、臓器を中心に体が衰弱していくのは目に見えていた。実際、当時の医療技術で、細胞の分子配列を弄り金属細胞に変えられるということを半端にやってしまったことが元々の発端なのかも知れない。
物を食べても栄養が取れず、点滴を打っても呼吸器官が失われていく。たとえ心臓も、肺も、機械に任せても、脳が死んでいく。現状では、為す術はなかった。
金属細胞は要するにナノマシン、劣化しない、不老不死で、病になど掛からない理想的な細胞。――そんな物を自分たちで創りあげられたと勘違いしているだけなのだ。
ナノマシンもがん細胞も分子の配列が紙一重しか違わない。計画の切り口であるこの要素が、この計画の終末を迎える要素となってしまった。
寿命の最長が二十年八ヶ月で、最短はたったの十八年と一ヶ月。
つまり、下手をするとカナメは――――
「アイリ! アイリ!」
私を呼ぶ声で、はっと我に返る。かなり深くまで思考に耽っていたらしい。
「な、何?」
「何じゃなくて、呼び出しが掛かってる!」
そこで初めて、耳障りな機械音が鳴り響いていることを理解した。発信源は私の端末だ。形は携帯に似ているが、携帯よりも無骨だ。
「もしもし」
やっと繋がった、というフィーナの声が耳に入った。
そして何となく、ただ何となく頬に手をやると、
「あ……」
そこには涙が垂れていた。――私? 泣いてるの? 何で? どうして? ――分からない。
まだ耳元ではフィーナが愚痴を零していた。それを話し半分に聞き流しながら、私はカナメに悟られないように指先で涙を拭う。久々に流した涙は、何だか雪のように冷たい気がした。
「――いいか、今回の作戦、何が起こるか本当に分からない」
長い、椅子に座りながらギリアムは声を上げた。その椅子と同じ物が向い合わせに一つ置いてある。座っているのはギリアムだけではない。キョウヤにティアナを含め、計十一人の軍人が腰かけていた。全員軍服で、それは全てラインズイールの軍隊――セントテイル軍の物だった。
「まず、相手は歴史上最悪の規模のテロリストだ」
人差し指を立てながら言う。皆、真剣に耳を傾けていた。ギリアムが話さない間は、静寂にギシギシと揺れる椅子の音だけが響いていた。
「そして、また大規模な連合軍だ。正直、予想外での、即座の国家間の連携は期待出来ん。だから意識は自分の部隊に集中しろ。自分の役割をしっかり果たせ。それで勝てる」
ギリアムはここまで一息に喋ると、腹に空気を入れる。
「さらに、ミスト・ゴーフでの戦闘だ。あそこじゃ通信障害が出る。だから個別回線は十中八九使えん。無論、初めはそれを試すが……直ぐに公開回線に切り替えろ。この際、敵に聞かれることなんか無視しろ。元々そんな精密な作戦じゃないんだ、気にするな、むしろ味方間の連絡が全く無い方がヤバい。ここまで良いな?」
個別回線では一定の振動数、一定の振幅、一定の波長で電波が送られるため、何かと潰されやすい。しかし公開回線では一定の振動数、複数の振幅、複数の波長で送られるため、拾い易い。
その問いに、誰もが頷いた。更にギリアムは続ける。
「アルファは右翼、ブラボーは左翼から援護だ。突破は俺とキョウヤでやる。良いな?」
キョウヤは直ぐに力強く頷く。その姿を、隣に座っているティアナは見つめていた。
「……ティアナ、大丈夫だ。キョウヤの腕と洞察力は俺が保障する。そんなに心配するな。そんなんじゃ逆にキョウヤが心配して腕が鈍るぞ」
「……はい」
冗談めかして言ったギリアムの言葉に、ティアナは重く返事をした。キョウヤは手を握り、大丈夫だから、とティアナに囁く。
「大佐ー……空気読んで下さいよぉ」
一人の軍服の男が溜息混じりに、飽きれながら。
「なっ! 俺は空気を読んだ上でだな――」
「そんなんだから四十過ぎても結婚できないんですよ!」
今度はさらに別の男が口を挟んだ。その言葉にどっと笑いが起きた。
「んだとテメェ!」
唾を飛ばしながら、ギリアムは叫び、頭部の天辺に拳の鉄槌を入れた。結構本気で。いてぇ!と呻く声が響く。それと同時に笑いも響く。ティアナもつられて、笑っていた。
「ったく」
ギリアムは上げた腰を豪快に椅子に落とした。
「んじゃあ、そろそろ時間だ。――最後に一つ。死んだら俺が殺してやるからな」
にやり、と笑いながらギリアムは言った。
これは、ギリアムが部隊員達に行動前にいつ言う言葉だった。
これから行われる国連の作戦では、多くの人が死んでいくだろう。
戦争は人の命を軽くする存在。
武器は命を脆くする物。
だけど俺は、そんな場所に行き、そんな物を手に、人を殺している。
傍目から見て、俺の姿はどう映っているのだろう。
テロリスト? 正義の味方? 戦闘狂? 平和の使者?
――クリフは暗い部屋の中一人、酒を煽る。度数の高いアルコールは、喉を焼くように通過していく。
暇があれば、考える事が最近はある。
後ろで糸を引かれるような奇妙で、寒気がする、おぞましい感覚。
それがいつも背中にこびり付いている。
今までは良くも悪くも、戦争なんてなかった。マスコミでよく言う造語、“戦争飽和状態”だからだ。不景気の循環のように良いものとは言えなかったが、少なくとも、人は死ななかった。
けれど今はどうだ? 次々と人は死に、強力な新兵器は導入され、新しく兵士は駆り出され、死ぬ。
――再び酒を煽る。一息で五口ほど飲み干す。
大体、あのテロリストは何処からあの蟲のように湧いて出る兵器を創り出す。
考えられる可能性として大まかに二つ。企業から引くか、自給するか。自給は到底考えられない。独立して、さらに隠匿した上であれだけの兵器を持ち出すのは不可能だ。だから恐らく裏で企業と繋がっている。
しかしそれこそキリがない。今、最も儲かっているのはアウラ産業――要は武器商人だ。世界にごまんと、そんな企業は在る。一々調べていたらキリがない。それでも可能性としては二つ。細かくあらゆる企業から支給を受けているのか、一つの大きな企業から受けているのか。
どちらにせよ、曖昧だ。
大量の企業から支援を受けていたら、何処からか必ず情報が漏洩する。かといって一国家の軍隊程の兵器を提供できる大手の企業なら、国連なり公的な調査が入るはずだ。
だから、最も難しいが、あのシュペルビアを何か公的な機関に偽装出来れば、全て解決する。しかし、それは前提が難しすぎる。
――更に酒をあおる。逆さにしても、液体は垂れてこない。飲み干してしまったらしい。クリフは乱暴にベッド脇へ投げ捨てた。
何か前提を間違っているのかもしれない。
これは自然的な現象ではなく、何かしらの意図が在るとしたら――。
――瞼が意識せずに降りてくる。酔いが回って来たようだ。
事を起こす利害関係。単純に、端的に考えて――
――もうほとんど、眼は開かない。身体の力も入らない。
最も――
まどろむ。とても心地良い瞬間。それに抗えなくなる。
得をするのは――
――クリフはゆっくりと、眠りの淵へと落ちて行った。