ACT.15 任務の休日<3>
「……」
ぼすっとベッドに腰かける。そして腕を組み、心を落ち着かせる。
「……ふむ」
今、僕がいる部屋は数日お世話になるであろう、例の中世ヨーロッパの古城風ホテルの一室だ。外の外見に反して、部屋の中はテレビもあるし、普通だった。
今、アイリはお風呂に入っている。シャワーの音が微かだけどここまで聴こえていた。
「あー……ダメだ。落ち着かないぞ」
当然だった。今日はアイリとこの部屋で寝るからだ。もちろん、僕は同じベッドで何て寝るつもりはない。幸いここには大きいソファがある為そこで寝るつもりだ。
とはいえ、こんな状況は当然初めてなのである。女の子と同じ部屋で止まるなんて。何があるわけでもないが、落ち付かないのは仕方のないことなわけでして。
ベッドから立ち上がる。とりあえず落ち着かせるために何か飲もう。確か玄関の方に備え付けの冷蔵庫があった筈だ。確か案内の人がその中の物はご自由に、とか言ってたから……。
と、僕は玄関の方へと向かう。お風呂の扉を通り過ぎて。……おぉ、あったあった。その冷蔵庫の中にはいくつかの瓶があった。上の青い瓶を取り出す。……げっ、アルコール飲料だ。再びしまう。いや、まぁ一回飲まされてるから今更って感じはあるんだけどさ、一応、ね。未成年が飲むのはよろしくない。
瓶同士が接触し、かちゃかちゃという音がする。
「んー……」
なんか良いのは……これは? ともう1つの青紫色の液体が入っている瓶を取り出す。ラベルを見る。そこには葡萄の絵が描かれていた。おそらくブドウジュースだ。アルコールも入ってないようだ。
「良し、これでいいか」
瓶を取り出し、冷蔵庫の扉を閉める。そしてすぐに近くにあるグラスを取り出す。
歩きながらグラスにジュースを注ぐ。ぶどうジュースは結構好きなので、こういう所に置いてあるジュースがどんな味なのか楽しみだ。溢さないよう気をつけながら注ぎつつ歩いていると、
「おわっ!」
風呂場への扉が急に開く。
「おっ、とっ、つぁっ、……痛っ!」
両手にグラスと瓶を持っている状態で何とかバランスを取――ろうと努力するが虚しくも尻もちをついてしまった。グラスの中身を盛大に零すという惨事は無かったが、尻もちをついた拍子にグラスに注いであったジュースの液体が数滴飛ぶ。その数滴は目の前の裸足に着いた。…………裸足? その裸足は膝辺りまで白い綺麗な肌色が見えていた。
「……」
ぐぐっ、と顔を上に上げる。それにつれて、当然視線も上がるわけでして。自然と視界に目の前の人物が入ることになる。
「っ!?」
そこにいたのは、何故か裸のアイリだった。
「ちょ! な、何で裸なの!?」
「……バスタオル忘れた」
「だったら言ってくれれば良いのに! ほ、ほら、早く中に入って!」
「分かった」
視線をグッ、と外しながらジュースを置きに行く。その間にアイリは風呂場に引っ込んでいく。そして玄関にあるタオルを取り、中を見ないように腕の太さだけ扉を開けて、
「あぁもう、全く! ――はい! アイリ!」
手を突っ込み、タオルを手渡す。
「ありがとう」
タオルの感触が無くなる。そして腕を引っ込め、扉を閉めた。
「……はぁ」
何だってアイリはあんな風に無防備なんだよ、全く。ベッドに腰掛け、グラスを口に持っていく。
そういえば初め、僕の家に住み始めた時も普通に素っ裸で歩いてた気がするな……幸いその時はリビングとのドア――廊下とリビングを繋ぐドアはちょっとモザイクが掛かってるようなデザインになっている――越しだったから直で見ることはなかったけど……。初めてあった時もあんまり感情を出さない女の子だなぁ、と思ってはいたけど、まさかここまで周りをあまり気にしない子だとは思ってもみなかったな。……もしかして僕は男として見られていない? …………そしたら泣けてくるな。
「……?」
などと思っていると左の方に気配を感じたため、そっちへ向く。
「――ぶっ!」
思わず盛大にぶどうジュースを噴き出してしまった。何故なら。そこに居たのは、再び一糸纏わないアイリの姿だったから。
「――だから! 何でアイリは裸なの!?」
「……服、忘れた」
前を隠そうともせず、奥にある荷物類を指さす。
「あー、もう! そういうのは言ってくれれば良いのに!」
急いで取りに行く。服が入っている袋を掴む。そして首を思いっきり左に傾けながらアイリに近づき、服を渡す。アイリは、典型的な幼児体型とは言え、僕には直接見ることは出来ない。だから頑張って視界に入らないようにする。ちなみに服は、ユスティティアにいる時に着るジャージのような服のようだった。
「はいっ!」
「……ありがとう」
静かに礼を言い、アイリは再び風呂場へと引っ込んだ。
「――――――はぁ……」
……疲れた。何だってアイリはあんなに……。まぁ、今更悩んでも仕方無いことなのか。
「……はぁ」
枢は再び、深い溜息を吐いた。
――ある、一つの国があった。
その国には、複数の神が在た。
その国には、互いに異説を掲げる学者たちが在た。
その国には、飢餓で苦しむ者が在た。
その国には、国を護り命を散らす騎士が在た。
その国では、情勢がとても不安定だった。あちこちで内紛は起き、あちこちで隣国との小競り合いが起こる。
その国には、高い技術力が在った。
その国には、豊富な資源が在った。
周りは羨んだ。我の手に。我が国の物に。まるでハイエナのように群がった。
――――故に求められるは強大な力。自らを護る力。
その国には、力を外部に流出させる意思はなかった。それは戦火を新たに広げてしまうことだから。
――――求められるのは圧倒的な君主。絶対的な君主。国の象徴であり、国を護る存在であり、国を導く存在。敗北を見せない。膝を屈しない。決して倒れない、強靭な存在。
その国の王は、勁捷であり、志慮がなければならい。あるようにならなければならない。
王を冠する資格は王の直結の血筋を持つこと。つまり王の子にのみ、次の王になる資格が与えられる。性別は問わない。勁捷で志慮であれば。
だがしかし、ある年の子は、双子だった。一卵性双生児。その二人はよく似ていた。肌の色も、髪の色も、目の色も、顔立ちも、遺伝子でさえも。違うのは性別と――思想。
周囲は迷った。
兄と妹。幼児期こそ、二人とも天真爛漫だった。自国の情勢など知らずに。二人はよく似ていた。しかし成長するにつれて、その違いが明白に、浮き彫りになっていく。遊び事、振舞い、言葉使いなど。
片や、物静かな、物事を深く考える性格へと成長していった。
片や、活発な、明るいおてんばな性格へと成長していく。
片や、虫をも殺せぬほど、やさしい性格。
片や、虫けらなど意に介さぬ、非情な性格。
そして、二人の齢が成熟するかしないかの時、王が死んだ。疲労で弱り切ったその体は、四十年という短い月日の後、幕を降ろした。
この時からか。両者の間に大きく差異が生まれたのは。
それからであった。更なる混乱が、国に巻き起こった。
周囲は迷った。どちらに継がせるか。
片や、人道を無視し、国を動かす。外政や内乱の処理。全てを機械的に解決していく。感情がないかのように。命は“駒”でしかないとでも言うかのように。国は落ち着きを戻すだろう。国民の信頼と引き換えに。そして恐怖を得る。
片や、命を最優先とする。内紛にも、武力を用いて解決することを極端にためらう。こちらは無抵抗。解決は話し合いで。その為、武力を使用すれば、早期に解決出来る筈の内紛も長引いてしまう。結果、理想と反し、命という犠牲は増える。国民は、役立たずだと罵る。しかし、民の全てを護りたいという王たる意思はあった。民にも、その意思は伝わった。民との同一の想いではあった。しかし、王としては役立たずだった。
周囲は迷った。どちらに継がせるか。
どちらにも、利点があった。国にとって、利益はあった。どちらにも、国にとって必要な素質があった。神の悪戯か。一つの血を分かち、一つの細胞さえ分かち合った二人は、それぞれ異の才能を持ってしまった。これがもし、双子でなかったら、どうなっていたのか。
しかし、次第に激化する。
二人は、まずはやはり国の内乱を抑えるべきだと思った。内側から崩壊する訳にはいかないから。
しかし、望む結果は同じでも、過程と、方法が正反対だった。
片や、話し合いで納得させるべきだ。堪えてくれと。こんな醜い争いは止めてくれと。武器を取らぬ方法を取ってくれと。説得すべきだと言った。民主的な体制を取ろうとした。
片や、話し合いなどは時間の無駄だ。生温い、と。強攻的に、恐慌を行うべきだと。所詮、人間に争うことを止めろ、などと言っても無駄だと。独裁的な体制を取ろうとした。
二人は口論になった。長い間。月日を掛けて。
しかしある日、事が起こった。
片や、その胸に兇悍を刺されていた。
片や、その腕に兇悍を持っていた。
片や、兇悍により自らの血塗られた手に、怯える。
片や、その兇悍で、もう息をすることはない。
周囲は決断した。事の全てを、隠匿することに――。
「ねぇカナメ! 一緒に寝ようよ!」
「いや、だから!」
「嫌なの!?」
「違う、別に嫌って訳じゃ……」
「じゃあ何でダメなの?」
「それは、その、なんていうかですね……」
「……やっぱ嫌なんだ……」
アイリは俯いて目を細める。そして次第に目の端に透明の液体が……
「分かった! 分かった! 一緒に寝るから!」
「ホント!?」
アイリはパーッと顔を上げる。
「ほんと、ほんと……はぁ」
「やったーー!」
僕の溜息はアイリの耳には入らなかったようだ。両手を上げてアイリはベッドの上をボンボン飛び跳ねる。落下に合わせてベッドのスプリングがギシギシと音を鳴らす。こらこら、ベッドが壊れるでござるよ、アイリ殿。
――さて、何故、今、僕がこのような状況になっているのかおさらいしてみようか。まぁ、大体予想がついているとは思うけど、目の前のアイリは酔っ払っている。ここのホテルには、全ての部屋に備え付けの飲料がある。僕は未成年なのでお酒は控えたが、アイリは違った。まぁ、コスモスの人たちは未成年とか何とか気にしてなかったしね。だから、アイリは僕が風呂に入っている間、暇だったのかお酒をずっと飲んでいたらしい。とは言っても、僕が入浴していた時間というのも十分からせいぜい十五分くらいだった筈だ。だからそれだけの短時間で酔えるのは、凄まじい勢いでそれこそ蟒蛇のように飲んだか、もしくは、ある意味の才能が成す事象か。……まぁ、両方な気がするんだが……。
「んーーー」
薄い、毛布の下、僕とアイリは一つのベッドの上にいた。二人して、横になっていた。僕はベッドの外側を向いているのだが、アイリが背中から腕を回して、抱き締めてくる。眠れない。この状況じゃ、全くもって、眠れるはずがない。
「ねぇーカナメー」
「んー?」
呆れ気味に返事する。
「こっち向いてぇー」
「……遠慮しときます」
「えぇー」
この状況で内側に顔を向けてみろ! ただでさえ密着状態なんだ! お互いに向き合ったら、息がかかるような距離になってしまうじゃないか! それこそ! キ、キ、キ、キ――。
「やっぱり、迷惑だったんだ……」
「え?」
濁点が付いたような“え”。もしやこの展開は……またですか。アイリの服を掴む力が強くなる。背中が微妙に濡れて来ている気がする。もしかしなくてもまた泣いているのか!?
「あー、もう! 分かった分かった!」
「やったぁー」
“たぁー”も“らぁー”みたいな発音になっている。相当酔ってるな、アイリ。それにしても、アイリは酔うと泣き上戸と絡み上戸なのか? なんと迷惑な……。………………とか思いつつ何だかんだ内心で少し嬉しい自分にムカつく! ってか、アイリは僕の性別を理解しているのか……。確かに、よく女の子みたいとか言われるけど、一応男だぞ……僕は。
「……はぁ」
もそもそと動き、体を反転する。変わらずアイリは僕を抱き締めているので自然、抱きしめ合っているような感じになる。もちろん、僕は腕を回してはいない。
「えへへー」
アイリは僕の胸に頭を埋ずめ、ぐりぐりと頬ずりするようにする。
「……」
思わずその姿に、僕は苦笑する。目の前のアイリの姿は、まるでハムスターのような小動物だった。その小動物のようなアイリの頭を、僕は撫でる。
「んーーー」
猫の喉を撫でると、猫は喉を鳴らすように。アイリの頭を撫でると、猫のようにアイリは気持ちよさそうな声を漏らした。
「カーナメー」
「はいはい」
アイリは埋めていた顔を、僕の方へ向ける。何度目か分からないアイリの呼び掛けに、僕は呆れながらも答えた。顔を下に向け、アイリの顔を覗く。
「――ッ」
思わずアイリの唇に目がいってしまった。思い出すのは学校でのこと。アイリの突然のキス。あれの意味は……。僕を落ち着かせるためだけのもので、他意はないのだろうか。あれからなるべく意識しないようにはしてきたが、この状況では難しくなってしまった。
「……」
丁度いい、機会なのかも知れない。あの時のことを聞くのは。酔っ払っている時に聞くというのもなんだけど、まぁ、普段では、本当に聞けるか怪しい。僕は意を決する。
「ねぇ、アイリ」
「……」
返事はない。けれど続ける。
「あの時さ、僕にキスしたのは、何で?」
気になっていたことを、ついに口に出した。我ながら女々しいとは思うが、ずっと気にはなっていたのだ。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……?」
ん? 返事がない。
「……アイリ?」
「…………すー……すー」
「……………はぁ」
寝ていた。今までのテンションは何処へ行ったのか。アイリは安らかに、可愛い寝息を立てていた。
「はぁ……」
なんか拍子が抜けた。目の前にいるのがこれじゃあ……僕も肩肘を張るの馬鹿らしくなってきた。
「…………」
頭を撫でる。するとアイリは少し身動ぎした。
というわけで寝るとする。多分、寝れるだろう。とうに緊張などはなくなっていた。自然と、アイリの温もりは僕に馴染んでいた。
――おやすみ、アイリ。また明日。今日は、良い夢が見られるのだろうか――。