ACT.13 潜入護衛<3>
「――ッ!」
プロセルピナは自機に巻いていた森林の擬装用ネットを剥ぐ。遠目では、いきなり森が剥がれた様に見えるだろう。それだけ偽装率が高い代物だった。
そしてプロセルピナが立ち上がる。その姿は、白と黒が調和していた。白を基調としているが、関節部など、所々が黒い、細身で鋭利なフォルムが特徴的だった。前のプロセルピナと違い、高機動戦に重点を置かれていた。
そしてプロセルピナは青白いブースターを噴射し、浮上する。そして空中で停止した。
「コードA」
アイリがそう言った途端、プロセルピナは手を収納し、頭部を収納し、脚部を収納し。可変した。
――可変機。それがアイリに新たに渡された“プロセルピナ”だった。
「……」
レーダーの位置をアイリは一瞬だけ確認する。そしてすぐに出力を最大にする。プロセルピナは青白い閃光を閃かせながら、加速していった。
『ハハハハハハッ! 逃げろ! 逃げろ! 逃げろ! 傲慢な人間よぉ!』
左手にあるマシンガンで適当に弾丸をばら撒き、右手のライフルで工場を撃ち抜いていく。何かの蟲の様に、撃つ度に施設内から人間が湧いてくる。その湧いてきた人間に向かってマシンガンを撃ち込む。そのマシンガンの弾に、足が、腕が、腹が、頭が当たった者と様々だった。辺りの地面は赤に染まっていき、逃げることが不可能となった人間が転がっている。
『良い景色だ! ハハハハハハハハッ! 最高だぜぇ!』
男は狂喜している。足を失い、歩けない者。手を失い、立ち上がれない者。そんな人達に肩を貸し、一緒に逃げようとする者。様々だった。しかし男はそんな人間たちに、さらに銃弾を浴びせる。目的は工場破壊のはずなのに、人間を執拗に狙い続ける。
『良いなぁ。この色、この動き、悲鳴! どれをとっても最高だ! ――そうだ、誰かが言っていたな。苦痛な悲鳴はまるでミュージカル――んん?』
奥の方から警備のカエルが武装して駆けてくる。カエルはブーストをまともに使えないので文字通り駆ける。そして5機は一列に並び、一斉に銃を構える。
『――チッ! いちいち水差すんじゃねぇ!』
苛立った声を発しながら、マシンガンとライフルで外側から順々に、あっという間に脚部を撃ち抜いていく。
『ぐあぁあ!』
避けれず、カエルは倒れこむ。
『だせぇ、だせぇなぁ』
漆黒のアウラは歩み寄る。そして内1番端ののカエルを右足で踏みつける。
『この程度避けられねぇでどうすんだよ? おい。いまのは目ぇ瞑ってても避けられるもんだぜ?』
漆黒のアウラはカエルを覗き込むように頭部を動かす。
『ひ、ひぃぃぃいぃ!』
男のコックピットにパイロットの悲鳴が聴こえる。
『……はぁ、もういいよ、お前。じゃあな』
コックピット部分に銃口を押しつける。
ダダダダダダダダッ!
ありったけのマシンガンを叩きこむ。明らかに過剰に。
『はいお疲れさーん。じゃ、次ー……』
ゆったりと、右に歩き、また踏みつける。
『はい、今のお気持ちをどうぞ』
男はまるでインタビューでもするかのような軽いノリで訊く。
『死にたくない死にたくない死にたくない』
返答はその言葉をただ繰り返すだけだった。
『……0点』
ガンッガンッガンッガンッ!
同じようにライフルでコックピットを撃ち抜いた。
『はいお次の方どうぞー』
再び右に歩み、踏みつける。
『クソッ!』
カエルは突然、左手で踏みつけている脚を掴む。そして、
『喰らえ!』
右手に持っているマシンガンの銃口を漆黒のアウラに向ける――が
『良いねぇ、そういう反応が欲しかった』
その右手はライフルによって撃ち抜かれていた。手首から先がない。
『でも残念。もう少し早く動こう。次回を期待していまーす』
右手のマシンガンを腰につけ、胸に装着されている単身のナイフを取り出す。そのナイフを逆手で持ち、コックピットに突き刺し、ぐりぐりと動かした。
『うが、がぁ、あああぁーー!』
その巨大なナイフが腰に突き刺さり、動かし、掻き混ぜられていた。血がどくどくと溢れ出し、そのナイフに付着する。
『良い音色だ』
ナイフを引き抜き、そのカエルから離れる。
『はい、お待たせいたしましたー。次のお客様ー?』
再び踏みつけるが、そのパイロットからは全く反応がない。
『――おい、気絶ですか? ――チッ、糞が』
ガンッガンッガンッガンッ!
心底がっかりしたようにライフルを撃ちつけた。そして最後の1機。
『はい、貴方がラストでーす。何か言いたいことは?』
『た、助けてくれ! い、命だけは!』
『――はぁ。命乞いかよ』
左手のナイフを振り被る。そしてコックピットに突き刺す。
『ひっ――!』
しかしそのナイフは、パイロットの体にギリギリ届いていない。
『?』
ナイフは横になり、また切り裂く。まるで肉を切るように。そしてコックピットが露出された。パイロットの目には青い空と、漆黒の悪魔が肉眼で見えていた。
『命乞いなんていうチキンハートのあなたにお勧めです』
そしてその空いた穴を踏みつける。足の裏が――ローラーがちょうど見える。そして装甲が、メキメキと唸っている。あと少し体重を駆けるだけで潰れそうだ。
『ま、まさか……』
『それでは、ウェルダンでいきましょうか』
ローラーが高速回転する。それと同時に強烈な熱が発生し、パイロットのスーツを、皮膚を焼く。
『あぁ、、熱い! 熱いーー!』
断末魔が響く。ギシッと音を立てながら脚部がそのまま踏みつぶすかのように下がってくる。そして次第にローラーは、パイロットに触れた。
『ああぁああぁああぁ−−−−!』
パイロットの体が潰れ、削れ、引き千切れる。コックピット内に大量の血が散らばる。血だけではなく、肉も。まるでひき肉されたように飛び散っていく。そしてローラーに付いた血肉はあっという間に弾かれ、コックピットの中に飛び散る。
『――失敬。ミンチにしてしまったようだ』
その男の口の端は、強烈に吊り上がっていた。
――レーダーの位置上空に到着した。人型に変形し、プロセルピナは降り立った。
しかしそこは、既に事が終わった後だった。プロセルピナがレーダーに察知してから到着まで要した時間は20秒。駆けつけるには全く問題がない筈だった。しかしそこには何もない。ただ焼け切った屑が舞っているだけだった。
――全壊。これはヴィレイグのE.G.社破壊以上に徹底していた。そしてそこにいた機体は――
「――“ネフィル”」
アイリは呟いた。そう、そこに佇んでいたのは、枢が搭乗しているネフィルではない“もう1つのネフィル”。枢のネフィルとは対照的な、屈強で巨大なフォルム。
「ッ!」
“ネフィル”が動き出す。両手で巨大なレーザーライフルを構える。アイリの脳裏に、あの時の記憶が蘇る。
あれは強大な力だ。紙一重なんて言っていたら――消される!
レーザーライフルの銃口に光が収束していく。明るい、白い、青い光の粒子が。
「――クッ!」
プロセルピナは左に瞬間移動する。自分よりも大きい、青白い光を放ちながら。何十メートルも一気に移動する。しかしそれでも回避には足りない。レーザーライフルはもう、照射間近。
プロセルピナは左手のライフルを構える。少し長めの、速度を優先した設計。銃口が光る。その瞬間、弾はレーザーライフルに当たる。その当たった衝撃で、レーザーライフルの銃口が右にずれる。
その直後。半径何十mもの巨大なレーザーが照射される。そのレーザーは1000m付近では既に、拡散し、空気中に消滅していた。射程はあまり長くないようだ。
「――ッ」
今、敵機はエネルギーを消費している。攻め入るならチャンスだとアイリは踏み、背後のブースターを瞬かせる。プロセルピナの後ろに爆発的な青白い光が生まれる。一瞬だけ、辺り一面が強烈な光で照らされる。彼我の距離を700mから200mまで一気に詰める。――が。
「――ッ!」
ぶわっと背後からミサイルが湧き出る。まるで蟲の様に。――あの時の正体不明のミサイルだ。あれには絶対に触れてはならない。何故かは知らないが、アウラの駆動系をやられてしまう。
プロセルピナは後退しながらマシンガンをばら撒く。徹底的に。しかし足りない。左肩に装備したバズーカのような形をしたグレネードランチャーを、肩に乗るように展開する。装弾数は少ないが、使いやすい武装だ。
そのグレネードランチャーをミサイル群に打ち込んだ。たちまち広範囲の爆発が展開され、ミサイルは一掃された。しかし爆発後の爆風で視界が最悪だ。早く場所を移らなければと思い、右へと瞬間移動した。
――瞬間。
『ROブースター、オープン』
ズサァーと地面を削る音と火花と共に巨大なモノが爆風から飛び出て来た。それは左手に自分の腕の長さ程のレーザーブレードを手の甲から展開していた“ネフィル”だった。
「――ッ!!」
そのブレードは一瞬前にプロセルピナがいた場所を通過していた。
アイリは背筋に予感が走る。コイツはバケモノだと。
「――ッ」
両腕を前に突き出し、撃つ。ライフルとマシンガン。その両方が撃ち出され、“ネフィル”に着弾した。
「――えッ?」
その幾重もの弾が消えた。いや、飲みこまれたというべきか。その装甲に当たっているのだが、穴を空けるわけでもなく、傷をつけるだけでもなく。ただ緩やかに弾丸が飲み込まれていた。
“ネフィル”が方向転換する。あの巨大な機体ではかなり動きが緩慢だった。その間にもう一度撃ちこむ。今度はマシンガンとグレネードランチャー。後退しながら、両方を同時に撃ち込んだ。目の前で巨大な爆発が起こる。そしてすぐに爆炎は風に流されて消失する。
――そこにはやはり、無傷の“ネフィル”がいた。
「なんでっ」
アイリは困惑する。明らかに直撃しているのに、何故か効果がない。傷を負わせられない。掠り傷でさえ。
『ROブースター、オープン』
「――ッ!!」
アイリは反射的に、本能的に左へ瞬間移動した。それとほぼ同時に“ネフィル”の背部に巨大な赤い光の翼が生える。そして瞬間移動。“ネフィル”が前方にブレードを突き出したような態勢で移動した。プロセルピナは避け切れず、右腕を切られる。断絶面から、火花が散る。
アイリは一度俯く。操縦桿を持つ手に力を込める。そして唇を噛み締め、
「――姉さんッ!」
アイリが耐え切れなくなったように、呼びかける。
「ねぇ! 姉さん何でしょ!?」
『……』
“ネフィル”のパイロットに呼び掛ける。しかし反応がない。
「姉さんッ!」
『……ROブースター……ぅぐ、あ、あぁぁ!』
「――!?」
突然苦しむような声がする。“ネフィル”のパイロットから。
「姉さん!?」
『あぁ――ッ。……はぁ、はぁ。――RO、ブースター、オープン』
そしてそのまま“ネフィル”は翼を生やし、立ち去っていった。あっという間に“ネフィル”の姿が小さくなっていく。残像のように赤い線が残っている。追いつけない。あの速さでは。それに追いつけたところで何も出来ない。
プロセルピナ――アイリは独り、廃墟の中に残される。アイリは脱力する。
「――――――姉さん」
アイリはそう独り、呟いた。右目から一筋の涙が零れた。
『はぁー。クソみてぇだなぁ』
漆黒のアウラはカエルから踏みつけていた足を退ける。首を左右に傾け、ゴキゴキと骨を鳴らす。
『んじゃ、お仕事の続きでも――ん?』
レーダーに反応が出る。左側からだ。
『なんだ? ……んだよ、またお前か』
左前方からはカエルが走っていた。漆黒のアウラ目掛けて。一直線に。その手には武器は握られていない――いや、アサルトナイフだけを右手に握っていた。
『もう、お前ら、飽きたんだよ』
ライフルを構え、照準をカエルに合わせる。一直線に走ってくるため、特に容易だった。
『バイバイ、カエルちゃん』
トリガーを押す。ライフルの銃口が光る。その瞬間、カエルはステップした。
『お?』
ブースターを使ったステップではない。左足を左前方に大きく出し、それに合わせて右足も左前方に出して移動する。正真正銘の踏込みだった。
もう一度、すぐに照準し直し、トリガーを引く。またもそのカエルはステップし、弾丸を紙一重でかわした。
『ハハッ! すげぇ』
2発、3発と繰り返す。しかし、見切られているのか、性能が劣悪なはずのカエルに次々と右へ左へと回避される。
『すげぇ! お前すげぇよ!』
距離を詰められる。お互いに両手を伸ばして届くか届かないかの距離。
「ぅおおおぉぉぉーー!!」
走っている慣性をそのまま利用し、カエルが漆黒のアウラに向かって勢いよく飛び付く。
『おぉーーー?』
カエルはしっかりと漆黒のアウラの腰に両手を回していた。2機は絡んだまま、地面に倒れこむ。
『ハハッ!』
男の笑い声が響く。カエルは上半身を起こし、漆黒のアウラを膝に敷きながらマウントポジションを取る。そして右手に持っているナイフを振り被る。
『おっとー』
その右手にナイフを突き立て返される。右腕が動かなくなってしまった。
『残念。おしかったな』
右足をカエルの腹部辺りに持っていき、蹴り飛ばした。カエルは盛大に吹き飛び、地面を転がった。
「ぐっ!」
「きゃ!」
カエルのコックピット内にその際の衝撃が走った。生身で乗っている2人は、その衝撃に呻く。
「くそっ!」
うつ伏せに倒れてしまっているカエルの身体を起こそうと、左手を使い起きようとする――が。
ガンッ!
ライフルが発射される。漆黒のアウラはすでに立ち上がっていた。弾丸は肘に当たり、左腕の肘から先がなくなってしまった。支えがなくなり、カエルは地面に再び倒れた。
ガンッガンッ!
2発連続で撃たれる。両の脚を撃たれてしまった。これで、四肢がもう動かない――。
「クッ――!」
頭部を動かし、眼前の敵を見据える。
『惜しかったなぁー。まぁ、お前は今から死ぬと思うけどさ』
銃口を向けながらカエルの横に回り込む。そして蹴り、カエルを仰向けにさせた。
『顔くらい、拝ませろ』
銃を突き付けながら言う。
「……」
枢はモニターを睨む。
「……」
ミィルは不安を少しでも解消しようと、胸の前で手を握っていた。
『オラ、早くしろ』
さらに銃口を近づける。
「……ミィルさん。姿が見えないように、シートの後ろに隠れて下さい」
ミィルは慌てたように頷き、シートの後ろに座りこんだ。そして枢はパネルを操作する。するとコックピット前部が展開された。枢の姿が、外から丸見えになる。男の目にも、枢の姿が映った。
『……ん!? お前……』
左手を顎にやり、何かを考える。そして口の端が吊り上がる。
『…………ハハッ! そうか……そうだ、お前、アイツの息子か! ハハッ! 笑えるぜ、これは! ってことはアレも近くにあるのか……まぁいい』
「!?」
なんだ? どういうことだ?
『お前、生きてたんだなぁ……どうだ? 妹は元気か?』
「何、を……?」
この男は何を言ってるんだ? 何故、僕のことを、結衣の事も知っている? ――まさか
「……忘れたか。まぁ、当然だな。……枢ぇ」
馴れ馴れしく、枢を枢と呼ぶ。
『だから今から知れ。覚えろ。そして忘れるな』
漆黒のアウラのコックピットが開く。パイロットである男の姿が見える。その姿は、
「ケレ、ス?」
テレビに映っていた、あの男だった。
「いや――違う。お前は」
――点滅する。重なる。男と地獄の光景が。
「この声、この顔、このアウラを」
自分を親指で指す。
「お前は――、お前が――」
――地獄の中で男は見下す。そうだ――コイツは――あの時も笑っていた。
「そうだ。俺が――お前の両親を殺した」
口の端を吊りあげながら、心底愉快そうに言う。
「――――ッ!!!!」
その瞬間、枢の目が見開かれ、その表情が怒りと憎しみに包まれる。そうだ、コイツが、コイツが――!
「お前が――! お前が――! 母さんを! 父さんを――!」
操縦桿を握る手が、かつてないほど力む。憎悪を籠めて、目の前の男を睨みつける。
――蘇る。意識が朦朧とする中、男が僕の母さんと、父さんだった死体を蹴退かしながら、歩み寄ってくる男。口の端を吊りあげ、見下す男。
「そうだ。俺があの時のアウラに乗っていたんだ。撃ちこんでやったぜぇ? お前の父親に、母親に。確かお前の父親は全身がバラバラになったな? 母親は真っ二つだっけか? ありゃあ、良かったな」
喉で男は笑う。
『ハッ……笑えたぜ』
歪みきった表情で男は言う。
「お前ぇッ――!!!」
枢の喉から、低く声が発せられる。その声には痛々しいほどの憎悪が込められている。
『――だから忘れるな。この俺“ジル”と、このアウラ“イシュトーヴァ”を。これはお前の――仇だ、枢』
愉快そうに言う。
『――じゃなあ、枢。また会おう』
そう言ってコックピットを閉め、銃を突き付けるのを止め、ブーストを吹かし走り去っていった。
「――ッ、ジルーーーーーーーー!!!!!!!!」
枢の咆哮は、廃墟の中、虚しく響いた――。
――イシュトーヴァの姿が見えなくなる。
「クソッ!」
枢は手元のパネルを力を込めて叩きつける。
「――ッ!」
その音にミィルが驚き、身を強張らせる。枢は顔を下に向け、身を震わせていた。その表情は怒りに包まれ、歪んでいる。しかしミィルにはその表情は見えない角度だった。
「あの……久遠、さん?」
ミィルが不安そうな声で、おずおずと呼びかける。
「ッ!」
そして枢はその声に反応し、表情を崩す。そして一度深呼吸をした。
「――――はぁ。……ごめん、ミィルさん」
枢は顔を被せるように指を広げ、額に手を当てながら言った。
「いえ。……その、大丈夫、ですか?」
「はい、もう……大丈夫です」
枢は顔を上げた。
「とにかく、一旦出ましょう」
――結局、生存者はいなかった。僕と、ミィルさんを除いて。残った物はガラクタだけ。僕は、一体何の為に此処にいたんだろう。護るためだろう、彼らを。何をやっているんだ、僕は。自分の無力さが、情けない。
それに、ミィルさんの傷も、僕のせいで抉じ開けてしまった。無力で――最低だ。
しかし、僕には落胆している余裕はなかった。今はネフィルを積んだトラックへと来ている。先程までミィルさんは泣き崩れていたが、今は少し落ち着いて来ているようだった。
「えーっと、指紋認証、静脈認証――パスワードを、えーと……“495872648596079742”、IDカード挿入……よし」
トラックのコンテナが、左右上下へと展開する。中にはネフィルが蹲っていた。そして枢はコンテナをよじ登り、ネフィルのコックピットへと向かい、手で触れ、空けて中に入った。
「ミィルさん、乗って下さい」
ネフィルはミィルの前に片膝を着け屈み、右手を伸ばす。
「は、はい」
恐る恐る、といった感じで片足から順に手の平へと乗せていった。そしてそのまま気をつけてコックピット部まで持っていき、同様に中に招き入れる。
「…………」
ミィルさんはそのコックピットの開閉の仕方に驚いていた。無理もないと思う。まるで魔法みたいな方法だから。
あの場にいる意味も、もう無い。僕にやれることはなくなった。そしてミィルさんをあの場に放って置く訳にもいかないので、とりあえずユスティティアまで保護して欲しいと言われた。
だから、今、僕はネフィルでユスティティアとの合流地点へ向かう。
「…………」
「…………」
道中、僕らは無言だった。それも仕方無い。ミィルさんは過去の心的外傷と全く同じ状況に見舞われた。その深い心境は、僕にも理解できない。会話をする気になれないのは当然だろう。
そして僕は、分かっていたくせに、無力だった。護れなかった。最悪だ。僕には、彼女に掛ける言葉がない。
そして更に数分経ったとき、沈黙は破られた。
「…………あの、久遠さん」
「……何ですか?」
このままお互いに黙っているかと思ったが、ミィルさんから口を開いた。
「久遠さんって……何者なんですか?」
尤もな疑問だ。本当ならあまり話すことではないのだろうけど、この状況で何も言わないことは僕にはできなかった。
「とある、傭兵部隊に所属してるんだ」
だから、はっきりとは言わないけれど、事実を言う。
「そして、貴方たちを、このアウラで護るはずだった」
「……」
僕はミィルさんに打ち明けた。
「……ごめん」
枢の目から涙が一筋垂れる。
「ごめん――、皆を、護れなかった――!」
「……私に謝られても困ります」
そして一時の間。
「――でも、自分を責めないで下さい。貴方は、皆を護ることは出来なかった。――けど、私を護ってくれました」
後ろから首に優しく腕を回される。
「でも――でも!」
不意にミィルさんが目の前にやってくる。
「――ッ!」
そして前から抱き締められる。
「……ミィル、さん……?」
ミィルさんは僕の胸に顔を埋めたまま動かない。肩が少し震えている。泣いて……いる?
「私は――あの時、もう本当に、死ぬかと思ったんです! あのアウラに、皆のように――」
ミィルさんは僕の服を握り締めている。
「――でも!」
ミィルさんは勢いよく顔を上げた。
「貴方が――貴方は、私を護ると、言ってくれた!」
ミィルさんの綺麗な深蒼の相貌に見つめられる。
「だから――そんなに自分を責めないで、下さい」
再び顔を埋める。服を握る力が強くなる。ミィルさんは、涙を流していた。僕の服は、ミィルさんの涙で濡れてしまったが、そんなことは全く気にならない。
僕は、また、あの時のようになってしまったかもしれない。今度は人を殺したのではなく、人を助けられなかったから。
事実は変わらない。僕が皆を護れなかったという事実は変わらない。
だけど、僕はミィルさんだけは助けることが出来た。それで良いとはもちろん思わない。けれど、ミィルさんのお陰で、僕もまた救われたことは確かだ。
「貴方は私を、ちゃんと護ったんですから」
僕に笑いかける。涙でくしゃくしゃの笑顔だったけれど、それはとても、とても温かい笑顔だった。
「――私は、ここにいます」
枢の瞳を見つめて、ミィルは言った。
「――ッ」
再び枢は、その瞳から涙を流した。
枢とミィルは、2人でしばらく、静かに、静かに泣いていた。
ここには、涙でくしゃくしゃになった人間しかいなかった。