ACT.11 忘却の彼方、その報い<1>
ラブコメは苦手だということを悟りました。
「………………」
目の前の数字を凝視する。周りでは一喜一憂といった様々な喧騒で包まれている。
「………………」
ゴシゴシ。よし、もう一回。立ち歩き、何人かで固まって色々話している人もいる。
「………………」
おかしい。僕の視力は2.0の筈だ。冬夜も呼ばれて、教壇まで歩いて、紙を貰う。
「おーい、枢! 何点だった?」
冬夜が後ろから肩を組むように抱きついてくる。
「――げっ。何、その点数」
「……やっぱり、冬夜にもそう見える?」
「おう……ひどくね?」
「……酷い」
そこに書いてある数字は、8。
「おーい、枢ー、どうだっ――げっ」
美沙都も同じ反応する。
「か、枢、それはいくら何でもないよ……」
「……だよねぇ」
色々と、ホントーに色々あって忘れていたが、なんと、定期テストがあったのだ。しかし、哀しいかな、気づいたのは当日の朝、登校した時だった。何か教室の雰囲気が違うと思い、美沙都に訊ねたことで発覚した。テストは2日間に渡って行われる。10教科を2日に分けて行うのだ。つまり、5教科は、必然的に僕は“ナチュラルな”状態で受けることになってしまった。しかも最悪なことにその1日目には数学がなかった……。
そして今返ってきたのが英語と云う名の外国語だ。無論、1日目の科目だ。
「んじゃ号令ー」
長い黒髪を背中で適当に束ねている先生、柊先生が号令を促す。
「気をつけー、礼」
「「ありがとうございましたー」」
そして各々休み時間を過ごし始める。もう一度点数を見直し始める者もいれば、次に返ってくる教科に憂いている者、全く関係ない事を話し始める者など、様々な生徒がいた。ちなみに僕は……
「あ、久遠ー、ちょっと職員室来てー」
「……ハイ」
呼び出しを喰らっていた。
――そして職員室。
「……んでだ、何で呼ばれたか、分かる?」
ギシッ、と回転式の椅子に腰かける。
「……おおよそ」
「言ってみ?」
「テストの点数が低い」
「その通り」
そして机の上にあるノートパソコンを開き、何かの表を開く。エクセルとかそういうソフト。そしてマウスのホイールでそれをスクロールしていく。
「いやー、まぁ、はっきりとは言わないけどさー、その点数じゃかなり下だよ? かなり」
“かなり”を強調して言う。
「……ハイ」
「その点数じゃマズイでしょ?」
「……ハイ」
「だから君には、追加課題を出すことにした」
「……はぁ」
近くにあったプリントを掴み、広げて見せてくる。
「これを全文訳してくること。分かんなくても良い、合ってなくても良い。とにかく全文訳してきなさい」
そのプリントはA4サイズのわら半紙の片方刷り5枚という、僕にとっては非常に最悪な量だった。
「……わかりました」
嫌だけど、むしろこれは、喜ぶべき救済処置なのだから。そして振り返り職員室を出ようとする。
「ま、頑張れ」
そう言って柊先生は、僕の背中を叩いた。
「あぁーーーーー」
生気が抜けたような足取りで、枢は自分の席に着く。
「あ、枢。何だったの?」
美沙都が僕に話しかける。
「え、あぁ……これ」
ピラッとプリントを見せる。
「課題?」
「そっ……はぁ」
「……まぁ、気にしててもしょうがないよ。ほら……インフルエンザとか、あったしさ」
「へ? ……あ、あぁ。そうだね」
そうか、インフルエンザってことになってるんだったっけ。
「あー、次のテスト嫌だなぁー」
と、枢はそのまま机に突っ伏す。
「……」
美沙都はその背中をじっと見つめていた。
「そういやアイリちゃんは何点だったの?」
美沙都が尋ねる。
「……」
黙ってテストを見せる。
「きゅ、98点……。そ、そっか、アイリちゃん外人さんだもんね」
枢はまた机に突っ伏している。両手を前に出し、本当に“ぐでーっ”とした感じで。その手には一枚の紙を掴んでいる。
「おーい、枢?」
教科書の背で軽く枢の頭を叩く。
「………………」
しかし無反応。
「あぁーーーー、こりゃ、死んだな。……どれどれ?」
そう言って冬夜は、握られている解答用紙抜き取る。
「あー……」
「どうだったの?」
美沙都が覗きこむ。それに合わせて、冬夜も見やすいようにずらす。
「あー……」
冬夜と同じ反応を美沙都もする。
「枢ー、昼休みだよ?」
「……」
「飯食うぞ、飯」
「……」
「「……はぁ」」
2人揃って溜息を吐く。
「……アイリちゃん、またいつも通りお弁当なんだよね?」
美沙都が、一部始終を黙って見ていたアイリに話しかける。
「そう」
「じゃ、とりあえず枢、復活しないから、食べちゃおうか」
「そうだな。もう腹減って死にそうだし」
「……うん」
そうして枢を置いて、皆は机を動かし始めた。
「――だよなー? ……ん?」
冬夜が横を向く。
「お、起きたか」
枢がむくっと起き上がる。
「……お腹空いた」
「おぉ、食え食え。早くしないと昼休み終わるぞ」
「……はぁ」
溜息を吐きながら、枢は机を動かした。
「それで? 他には何を出されたの?」
美沙都が聞く。
「古典と……、古典だけだね」
枢は英語の他に2回、呼び出されていた。
「ふぅーん……」
美沙都は購買に売っている紙パックのレモンティーを啜る。何かを考えているようだ。
「……」
そして紙パックを置く。
「……ね、課題手伝ったげよっか?」
「んむぅ?」
枢は口に唐揚を含みながら美沙都の方を向く。冬夜はにやにやしていた。
「枢、古典苦手でしょ?」
「……んく。……まぁ、確かにそうだけど。良いの?」
「良いよ。その……、普段のお礼ってことで」
「お礼? 僕別に、何もしてないよね?」
「い、良いの。……じゃ、そういうことだから、家に来てね」
「あ、うん」
美沙都は文系科目に強い。僕としては、手伝ってくれるなんて、願ってもない事だ。
美沙都はレモンティーを啜る。冬夜の顔は尚一層にやにやしていた。
――そして会話が途切れて数秒後。
「……私も」
「「「え?」」」
不意にアイリが口を開いた。
「私も、行く」
「「「……」」」
僕と美沙都は驚く。だけど両者の驚きの色は微妙に違う。そして冬夜だけは、相変わらずにやにやしている。
「えっと、来てもつまんないと思うよ?」
枢が問う。
「別に、良い……。……ダメ?」
美沙都に向き、無表情で聞く。
「……ダメな、訳じゃない、けど……」
「……?」
枢は何故アイリまで来るのかと首を傾げる。美沙都の歯切れの悪さも気になる。が、結局答えは見いだせない。
そこで会話が途切れる。
「あ、じゃ、俺も行っていい?」
片手を上げて、にやにやしながら冬夜も言いだす。
「……何で冬夜まで来るのよ?」
美沙都は三白眼で冬夜を睨む。
「いやいや、楽しそうだからさ」
にやにやしたまま言う。
「……」
そして再びレモンティーを口にする。
冬夜が机の下で僕に肘でつついてくる。
「?」
「大変だな、お前も」
「……?」
何やらよく分からないことを言っていた。あぁ、課題がってことか? そして結局、冬夜は終始にやにやしていた。
――表札には『立川』の字。美沙都の家に着いた。
「ただいまー」「「お邪魔しまーす」」「……」
4者3様の態度を見せる。僕と冬夜、特に僕は結構美沙都の家には昔から来たことがあるのだ。そして無論、アイリは初めてだ。
「おかえり。あらいらっしゃい、枢君、冬夜君。……? この可愛い娘は?」
アイリに向きながら、美沙都のお母さん――美奈子さんが尋ねる。
「ほら、前に言ってた転校生のアイリちゃん」
靴を脱ぎながら美沙都は話す。
「ああ! あの外国から来たっていう! え、えーと……うぇ、うぇるかむとぅまいはうす」
ぎこちない英語で美奈子さんはアイリに言う。
「……大丈夫。日本語、分かる」
アイリがそう、ぼそっと言った。
「え? あ、あぁそうなの……恥ずかしい」
そう言って顔を赤くして手で顔を隠す。
「こっちも恥ずかしいよ……」
美沙都も少し顔を赤くした。
「ま、まぁ、とにかく上がってよ、3人とも」
そして美沙都の部屋。前に来た時とあんまり変わっていない。ちなみに美沙都の部屋はぬいぐるみとかが可愛く置いてあるような部屋じゃない。
「んしょ、と。……それじゃ、ちょっと待ってて。枢、その間に少しでも自力でやっててよ」
美沙都はテーブルを置いてから、下に下りていった。
「……はぁ、何からやろうかな」
そう言って鞄をあさる。
「どっちの方を早く出さなきゃいけないんだ?」
冬夜が聞いてくる。
「んー、古典かな。でも量は圧倒的に英語の方が多いんだよね……」
結局両方の課題をテーブルに並べる。
「……ま、俺にゃ関係ない話だ。頑張ってくれ」
と手をひらひらして本棚の方へ行く。
「あ、ひでー」
「知らん知らん」
からからと笑いながら漫画を開き始める。
「……んー」
これは多い方を先にやった方が良いかな。と、いうことは英語か? そう思いながら英語のプリントを手に取り、見る。すると、
「……英語なら、私が教えてあげられる」
とアイリが言った。
「あー、そうか。じゃ、そうし――」
「――お待たせー。我が家特製ローズティーとクッキー持って来たよー」
と美沙都が入ってきた。そしてテーブルの真ん中にクッキーを置き、それぞれにカップを渡す。
「ありがとう」
「……ありがとう」
「サンキュー」
みんな受け取る。そして一口飲み。
「うまい」「うめぇ」「……おいしい」
それぞれが口にした。
「うんうん、良い反応だよっ」
美沙都は満面の笑みだった。
ここ立川家母娘の共通の趣味が“お茶”なのだ。和洋中問わず。キッチンには使い方がよく分からないような専門っぽい道具がたくさんある。昔見せて貰ったけど、中国のお茶の道具とかは、本当に特殊なのが多かった記憶がある。
「……で、何からやるの?」
美沙都もテーブルの近くに座り、紅茶をすする。
「や、英語からやろうかな、と」
「……だから、私が教える」
紅茶を飲んでいた美沙都の動きがビタッ、と止まる。冬夜は漫画から目を放し、3人を見ながらにやにやしていた。
「いや……先に古典片付けるべきじゃない? 枢、古典の方が嫌いでしょ? 1人じゃやらないんじゃない?」
「うっ……それは言える」
美沙都は痛いところを突いてきた。
古典は非常にやりたくない。あの日本語っぽいのに日本語じゃないところが嫌いだ。現代と同じ音の言葉を使ってるのに意味が違っているのも非常に嫌な感じだ。まぁ、そういう訳で古典は嫌いだ。
「じゃあ……古典からやろうかな……」
そう言って僕は古典のプリントに手を伸ばす、が
「でも、英語の方が量が多い……」
しかしアイリは食い下がった。
「む……」
「まぁー、そうなんだよね」
アイリと美沙都はそれぞれが何を枢に教えられるかお互いにちゃんと分かっている。アイリは無論、英語を。何せ本場なのだから。アイリに教えてもらうということは、もはや英会話教室で個人授業でもしているのと同義だろう。美沙都は英語が苦手ではないけれど、そんな相手には敵わない。
逆に、古典では美沙都の独壇場だ。アイリは日本語をぺらぺらに喋れるけど、古典などはからっきしだろう。そして古典は美沙都の得意教科だ。2人の分野が、明確になる。
――つまり今、枢をいかに自分の戦場に持ってくるか――これがこの戦争をどちらが制するかの鍵――!
「……」
「……」
今、お互いに様々な思考を巡らせているだろう。いかに巧みに、自然に、枢を言葉で誘導できるか。
「……」
「……」
部屋が異質な空気で満たされていく。妙な緊張感。
「……? ……?」
枢はこの異様な空気に戸惑いを見せる。何故か両脇の2人が怖い……。
「……」
そして少し離れた所で冬夜は、持っているだけの読んでいない本を広げながら、その3人の様子をにやにやと見ていた。