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ACT.10 殺すという意味と苦しみ

「「「いただきまーす」」」

「……あ、今日の味噌美味しい」

「あらそう? 今日はちょっと高いお味噌を使ったんだけど、やっぱり違うのね」

「違うよ。だから今度からこれにしようよ」

「んー、でも、高いのよねぇ」

「えー、いいじゃんいいじゃん。これにしよーよー」

「コラ、結衣。わがまま言うんじゃない」

「ちぇーー」

「まぁ……余裕があったらこれにするから、ね?」

「はーい……」

『昨日、深夜未明、оо県оо市にて、20代と思われる若い女性の全身が斬り裂かれた遺体が発見されました。警察はこれを連日の通り魔殺人犯によるものと――』

「怖いわね……」

「物騒だな……」

「でもこの辺じゃないから」

「……でも」

「……そういえば」

「「「……ここにも人殺しが」」」



「――ッ!」

 枢は目を開き、勢いよく起き上がる。

「……ハァッ!……ハァッ!」

 右手で顔を覆う。その顔、いや身体全体には汗をかいていた。膝が痛む。

「……ハア……ハァ」

 時計を見る。太い針は4を指していた。

「……1時間か」

 前にこの時計を見たのは。

「……ハァ」

 最後に深呼吸して、もう一度布団を首まで被り、眠りに就こうとする。

「……」

 枢は堅く目を瞑り、布団を堅く握りしめていた。




 ――目を開ける。何も干渉されていない、自然な目覚め。外では鳥の囀りが聴こえる。時刻は……5時。いつも通りだ。

 布団から出て、立ち上がり、洗面所に行き、顔を洗い、適当に目に余る寝グセを整える。あんまりないけれど。そして部屋にまた戻り、来ている服を脱ぎ、制服に着替える。

 思考は冴えている。いつも通りだ。


 リビングに出る。彼はまだ起きていない。いつも起きてくるのは6時だから。

 キッチンに向かい、冷蔵庫を開ける。彼は「当番制にしよう」と言うけど、仮にもお世話になっているのだから、このぐらいはするべきだと思う。私だって、そう思う。


 朝食が出来上がる。私には両親というものがいないので、家事は必然的に出来るようになった。


 少し待つ。


 少し物音がした。起きたのかもしれない。

「おはよー、アイリ」

 目を擦りながら、彼がやってきた。

「おはよう」

 私もその声に答える。本当に、こういうやりとりが出来るようになったのはいつ振りなのだろう。

「ご飯、出来てる」

「あ、うん。……ありがとう」

 そう言って、彼はテーブルに座り、手を合わせる。私も少し遅れて手を合わせて、食事にありつく。

「……」

 彼の顔を見る。……眠そうだ。だけどそれ以前に、顔色が悪い。目の下にはクマが出来ているし、全体的に青い感じだ。……やはりまだキツそうだった。




 ――1週間前のことを回想する。


 初め見た時、私は柄にもなく、凄く驚いた。

「っ!? ――どうしたの?」

 ハンガーから出て来た時、カナメはクリフに背負われていた。しかし外傷らしきものは全くない。

「いや……何かコイツ、放心状態でよ」

 カナメは目を開いたまま、その無の表情は微動だにしていなかった。まるで魂が抜けきっているよう。その瞳は、虚空を見つめている。

「……何で?」

 その頬には、涙が乾いたような跡が残っていた。

「……わからん」

 クリフは顔をしかめながら答えた。

「……とりあえず、俺はこいつを医務室に運んでいく」

「あ……、私も行く」


 そして医務室。ここにいるのは私とカナメだけ。

「……」

 カナメは未だ、戻っては来ていなかった。無表情のまま。視線は天井へ向いているが、天井を見てはいない。

 運ばれてから10分。状態は変わっていない。医務室の人達も、こんなことは初めてらしく、どうしていいか分からないらしい。もしかしたらフェイクスによる副作用かもしれないと、だから過去に似たような症状は無いか、とデータベースに調べに行った。それが10分前の事。

「……」

 ただ、カナメの顔をじっと見つめる。私が、どうしてここ来ようとしたのか、どうして未だここにいるのかよくわからない。でも何故か、今は離れちゃ、カナメを独りにしてはいけないような、そんな感じがする。そして、

「――」

 カナメの口が僅かに動いた。

「――!」

 でも、意識は戻っていないようだ。

「――」

 再び動いた。――何か、言っている?

 私は耳をカナメの口に近付けて、聞こうとする。――今思えば、聞かなければ良かったかもしれない。

「――父さん、母さん」

「ッ!」

 そうだ――カナメは、あの、“ヘルズタワー事件”の。

「……」

 その瞬間、私は神の前にひざまずき、懺悔したくなるような気持ちに駆られた。

「――父さん、母さん――」

 カナメが再び呟く。まるで置いてかれた子供のように。迷子になった子供のように。

「……」

 私は、カナメの手を握った。わからないけど、そうするべきだと思った。今彼を、孤独にしてはいけない。

「……」

 そして、カナメの目から一筋の涙が零れ、流れ、伝った。ベッドにシミを造る。

「……」

 私は、残った片側の手で涙を拭った。その瞬間、私が握っているだけだった手に、力が入り、握り返される。

 そしてそのまま、カナメは初めて目を、静かに閉じた。そして数秒後、定期的な寝息が聞こえるようになった。

「――そうか、カナメは――」

 私はそう1人、呟いた。




「――め」


「――なめ」


「おい、枢?」

「えっ?」

 不意に聞こえた声に驚く。

「え、じゃねぇよ。もう授業終わったぞ」

 そこには冬夜がいた。

「え――、あ」

 教室には数人しかいない。

「次、物理講義室だぞ?」

「……あ、そうか」

 どうりで、人がいないわけだ。教科書を探すため、机の中を漁る。

「……お前、大丈夫か?」

 冬夜が顔を覗き込んでくる。

「そうだよ、何か、顔色悪いよ。ここ一週間ずっと」

 美沙都も話しかけてくる。

「……そう、かな?」

「そうだよ。……保健室行ってこいって。先生には俺らで言っておくからさ」

「…………そうする」

 教科書を漁るのを止める。

「1人で大丈夫?」

 美沙都が心配そうに話しかけてくる。

「うん……大丈夫」

「……そう、分かった」

「……」

 アイリも、美沙都達の後ろでこっちを見つめていた。


 ――ベッドに横たわる。保健室。病院のように、白い部屋。

「……はぁ」


 ――ここ一週間、僕は同じことばかり考えている。“人を殺めたこと”。それが、僕に重く圧し掛かっていた。毎日、夢に見るほどに。

 覚悟していなかったわけではない。僕がコスモスに入った時点で、覚悟はしていた。――つもりだった。

 僕も、同類なんだ。母さんや父さんや結衣を、そして僕を傷つけた者と。

 人を殺めたという事実は、予想以上に、遙かに重かった。


 もし――冬夜とか、美沙都とかに言ったらどんな顔をするんだろう。“僕が人を殺した”って言ったら。冗談だと思って信じないんだろうか。仕方無い事だとでも許してくれるのだろうか。それとも、“人殺し”と罵るのだろうか。――ダメだ。卑屈になってしまっている。


「キツいんだったら帰る?」

 保健室の先生が僕の様子を伺いながら聞いてくる。

「あ、いえ……大丈夫です」

「それなら、寝なきゃ意味ないわよ。せめて今の授業の時間だけでも寝てなさい」

「…………はい」


 ――あの日から、寝るのが怖い。夢に、出てくるから。初めは、“僕がただ人を殺す”そういう夢だった。だけど、最近は違う。僕が、母さん達を殺した者たちと同じということに気づいてからは――混ざるようになった・・・・・・・・・

 あれは――たまらなくキツイ。耐えられない。耐えられないんだ。自分の、大好きな家族からあんな目で見られ続けるのは。それでも――見てしまう。見たくないけど、見てしまうんだ。

 僕は弱いのかもしれない。肉体的にも――精神的にも。

 怖い。眠るのは、堪らなく。あの夢は嫌だ。あの夢は――みたく、な、い――。


 そう思いながらも、枢は一週間ほとんど寝ていないに等しく、衰弱し切った身体は耐えられない。

 眠りに就いてしまう。あの悪夢を視に。




「――じょぶ!?」


「――っと大丈夫!?」


「久遠君っ!」

「ん――」

 肩を揺さぶられる。目を開ける。そこには慌てたような先生の顔があった。

「――せん、せい――?」

「大丈夫? なんか、凄くうなされてたんだけど……?」

「……あぁ……は、い」

 起き上がる。

 意識がはっきりしない。思考が働かない。焦点が定まらない。視界がぼやける。世界が揺れる――いや、揺れてるのは僕の方、か――。

「ちょ、ちょっと、ホントにだいじょ――ッ!」

「あ――」

 そして、意識が途切れる。力が抜け、横に倒れる感じを一瞬だけ、僕は感じた。


 枢の体が横に倒れる――ところを、傍にいたアイリが抱きしめる。

「きゅ、救急車を――!」

 そう言って先生は電話の所に走ろうとする。

「いい」

 しかしそれをアイリは引き留める。

「いいって――今、久遠君は気を失ったんですよ!?」

「いい。私が、彼の家へ送りますから」

「ちょ――それじゃ理由に――」

 アイリは先生の瞳をまっすぐ見据える。

「…………わかりました。でも、容態が変化したらすぐに病院に電話するように」

「はい」

 そして先生は早退用の書類を書き始める。

「――って貴女一人で――」

 先生は振り向き、アイリを見る。

「はい?」

 アイリは、その小さい体で自分より体の大きい枢を、おぶっていた。その表情に辛いものは全く浮かんでいない。

「――だいじょぶそうね」

 実は女の子並に軽いのかしら? と首を傾げながら用紙に記入する。

「じゃあこの紙を――まぁ良いわ。私が出しとく。――帰っていいわよ」

「はい、わかりました」

「気を付けてねー」

 自分より重い枢を背負いながらアイリはお辞儀をして、部屋を出て行った。

「……それにしても」

 椅子に座る。

「あの2人ってどういう関係なのかしらね」

 と、ちょっと気になったことを1人呟いた。



「――ん」

 目を開ける。と、そこは僕の部屋だった。

「――あ、れ?」

 何で、僕の部屋に? 確か保健室で寝ていた筈。僕は体を起こす。すると額に乗っていた、濡れたタオルが落ちた。すると扉が不意に開いた。

「――あ、起きた。……大丈夫?」

 アイリだった。その手には水とタオルが入ったプラスチックの桶を持っていた。

「何で、僕はここに?」

「――体調が悪そうだったから、早退させてもらった」

「アイリも?」

「――別に気にしなくても良い」

 アイリは僕の隣に立膝で座る。プラスチックの桶の中にあるタオルを取り出し、吸っている水を絞った。

「――寝てて」

 そして起きている僕の上半身を寝かせる。僕は言われたままにする。さっき絞ったタオルを僕の額に乗せる。

「……ありがとう」

「……気にしなくていい」

 そしてさっき落ちたタオルを拾い、水に浸した。

「……何か、食べた方がいい。もうお昼だから」

 時計を見る。1時近くを指していた。

「でも、食欲は……」

「無くても、食べなきゃダメ」

「…………じゃあ、果物なら」

「分かった」

 そう言って、アイリは部屋から出て行った。

「……」

 額に当たる、冷たいタオルが気持ちいい。

「……」

 頭がボーっとして、何も考えられない。ただ、何も考えずに天井を見つめる。


 数分経っただろうか。アイリが再び部屋に戻ってきた。

「……はい、リンゴ」

 上半身を起こす。

「ありがとう」

 と手を伸ばして林檎を受け取ろうとする、が何故かくれない。

「?」

 そして自分でリンゴにフォークを刺す。そして僕の口元へ持っていく。こ、これはもしや――

「……あーん」

「……」

 や、やはりこういう展開か!

「……あーん」

「あの、じ、自分で食べま――」

「あーん」

「あの――」

「あーん」

「……」

「あーん」

「……あーん」

 ついに負けて口を開ける。そこにアイリはリンゴを入れる。口を閉じて、リンゴを噛み切る。するとリンゴはシャクッという小気味いい音を出した。口の中に甘い汁が広がり、潤す。

……うまい。

 シャクシャクと、リンゴを食べる。

「……んく」

 そして噛み終わり、飲みこむ。

「……あーん」

 そしてアイリから追加のリンゴが来る。

「……あーん」

 枢は恥ずかしそうに顔を赤くして、口を開いた。




『かーんちょー』

 イリウムの声が艦長室に響く。

「どうぞー」

 ドアが開く。

「どう? なんか分かった?」

「ううん、なーんにも」

「んー、そっか。そりゃ残念」

 イリウムは両腕を頭の後ろで組む。

「そんなに強かったの?」

 肘をついて、訝しみながら聞く。

「あぁ。それはそれは、相当な腕前でしたね。あれは少なからずフェイクスだ」

「でもねぇー」

 デスク上にホログラムを展開する。


 ――結局、あの見た目はホークス、中身は多分フェイクスの機体には逃げられた。オルレア軍が再奮不能なまでに壊滅した途端に、逃走してしまった。何故、あれだけの腕前のパイロットが前線に、先遣部隊に参加しなかったのか。フェイクスの筈なのに。

 ――いや、この際フェイクスじゃなくても何でも良い。とにかく、つわものだ。それだけでイリウムの興味を引くには十分すぎた。


「オルレア軍には、フェイクスはいない筈なんだけどねぇー」

「あんだけの動き、フェイク以外ありえねぇーって」

 イリウムは顎に手をやって思案する。

「何かもっと特徴はなかったの?」

「ねぇよー。戦場でちょっと一戦交わしただけなんだから。分かるわけないっしょ」

 2人してハァ、と溜息を吐く。

「――ってか私は、枢くんの方が心配だよ」

「カナメ? ――あぁ、あの天使の坊やね。……何でさ?」

 イリウムは首を傾げる。

「彼にまだ、人殺しの訓練・・・・・・させてなかったから、さ」

「人殺しの訓練ー? ……何。あいつそれでウジウジするっての?」

 信じられん、と言った様子でイリウムは吐き捨てる。

「そう言わないでさ。イリウムだって分かるでしょう? ……人を殺すことの重さは」

「………………さぁね。そんなの、忘れた」

 そうイリウムは、また吐き捨てた。

「――心配だなぁ」

 はぁ、と溜息混じりにフィーナは言った。




「ありがとう、アイリ。もういいよ」

「……そう」

 リンゴは半分くらい残っているが、これ以上はあまり食べる気になれない。アイリには申し訳ない感じで、悪いけど……。

「……」

「……」

 部屋を沈黙が支配する。アイリもリンゴを片づけるなどの気配は見せず、2人はそのまま口を開かない。

「……カナメ」

「……何?」

 アイリがその沈黙を破る。

「……まだ、気にしてるの?」

「……何を?」

「……ご両親のこと」

「…………気にしてないって言ったら、嘘になるね」

 壁に寄りかかりながら、視線を下に落とす。

「でも、それより、さ。……人を。僕が、この手で、殺したっていうのが……ね」

 僕は自虐するように苦笑する。

「色々、人を助けたいとか、なんとか言ってても……結局、僕も、人殺しだ」

 右手を見る。――この手はもう、血に染まってるんだな。

「……」

「ははっ……、笑えるよね。……自分は、戦争の、アウラの被害者ぶってさ……。結局、僕も……」

「……」

 その言葉に、アイリは何も答えない。再び部屋を沈黙が支配する。今度は、空気が重い。

「……ごめん」

「……」

 また沈黙。ただ、時計の針が動く音だけが、変わらず部屋に響き渡る。

「……あまり、気にしない方が、良い」

「……」

「……私は……カナメは、正しい事をしたと思う」

「正しい、事?」

 人の命を奪うことが?

「カナメが、あの戦争に介入することで、救えた命は、たくさんあるから」

 少しの人が命を落とすことで、沢山の人の命が救えた。そういうことか。

「……」

「……でも」

 ――でも?

「人の命を奪った事実は、変わらない」

「……」

「例えどんな事であろうと、生命いのちを奪うっていう事は、重い事だと思う。もちろん、人だけじゃない。――このリンゴだって」

 アイリの手によって斬り裂かれたリンゴに、アイリは視線を落とす。

「でもそれは、罪になって、罰を受けても、そんなことしても、何も変わらない。“償う”なんてことは出来ない。結局、そんなのは、人間の自己満足だから」

「……」

「だから、この事実を、認めて、受け止め、受け入れ、背負うべき。――死ぬまで。――どんなに悩んでも、どうしようもないことだから」

「……」

 僕は、受け入れてないのか。否定しているのか。僕が殺めたという事実を。受け入れたから、あの夢を見ていた。そういう訳じゃ、ないのか。

「……でも」

「……?」

「……でも、カナメはあの――“ヘルズタワー事件”の、あいつらとは違う。――絶対に」

 “絶対に”という部分だけ、アイリにしては珍しく、感情が篭っていた。それも、怒りのような。

「……」

 ちょっと驚いて、僕はアイリの顔をじっと見つめてしまう。

「……ごめん。私も、何が言いたいのか、よく分からない。――とにかく、あまり気にしないで」

 そして立ち上がり、僕に背を向ける。ドアまで歩き、ノブに手をかけた所で動きが止まる。そして少し振りむき、肩越しで、

「――だから、元気、出して欲しい。――カナメには、元気で、いて欲しい」

 そう言ってドアを開け、立ち去って行った。数秒後、ドアが閉まる。部屋には、僕1人になる。

「……」

 布団を被り、横になる。目を瞑る。そして、アイリの言葉をもう一度、ゆっくり、噛み締める。


“カナメは正しい事をした”


“背負うしかない”


“あいつらとは違う。――絶対に”


「――あれ?」

 気がつくと、頬に何かの液体が流れていた。いや、分かっている。涙だ。僕は今、泣いている。

 ごしごしと、袖で拭う。しかし、そんなもので対処できないほどに溢れてくる。

「――おかしいな。――止まらない」

 ごしごしと、一心不乱に拭う。しかし止まらない。

「――っく」

 そして嗚咽が漏れ始める。……マジ泣きだった。

「――ぅく。――ぅっく」

 袖は湿り切り拭けなくなったから、うつ伏せになって、枕に顔を押しつける。

「っく。――っく。――ひっく」

 声が漏れないよう抑えようとするが、ダメだった。それでも、口も枕に押し付け、外に漏れないように、1人泣く。



 ――結局、あれから数分、僕は泣いていた。声を押し殺して。

 僕は、吐き出したかったのかもしれない。僕は、誰かに許してもらいたかったのかもしれない。だけど、許される行為じゃないことは分かっていたから誰にも言わなかった。

 けれど、アイリに吐き出した。それによって、僕の心が苦痛から、解放されたのかもしれない。多少なりとも。

 だから、あんなに涙が出たのかも知れない。

 分からないけど――分からないことだらけだけど。


 ――僕は泣き終わると、次第に眠りに就いていった。まるで泣き疲れた子供のように。悪夢は――視ないだろう。そう思った。

 心地のいい、落ち方だった。




「……おはよう」

「……おはよう。……眠れた?」

「……おかげさまで」

 アイリに笑いかける。――そう、悪夢は視なかった。

「……そう。……よかった」

 そう言って、静かに、優しくアイリは微笑んだ。

「……」

 とても、優しい笑顔だった。僕はその笑顔に、思わず見とれた。

「……? どうしたの?」

「や、なんでも……ない」

 僕は照れ隠しに頬を掻きながら、アイリから目を逸らした。とても可愛くて、優しくて、温かい笑顔だった。




 ――僕が視た夢。


 暗い、暗い、ところでただ独り、佇んでいた。ただ独り、孤独。光が一切差し込まない、深淵の闇。だけど、不意に大量の光が差し込む。誰かが、この部屋の扉を開けた。その眩しい光を背に、誰かが手を差し伸べてくれる。手を握る。その手は小さくって細いけれど、あったかくって、優しかった。

 僕はその手に引かれて、暗い、孤独な部屋を飛び出していった。


 ――そんな、夢。

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