ACT.8 崩れ始めた世界<2>
「これか――」
軍服姿の男が目の前にあるモノを見上げる。ソレは光に照らされ、漆黒のそのボディが、雅やかに、神々しい姿を見せている。
「はっ。つい先ほど、こちらに搬入されました」
軍服姿の男に敬礼しながら、軍服姿の男は、軍服姿の見上げている男に報告する。それぞれの胸に付いているマークは、片や複雑な剣を模したような軍章と、片や星が3つのみで記されている軍章だった。
「これが――これが、我らの新たな正義か――」
その男は、ソレをみながら、恍惚の笑みを浮かべていた。
軍服姿の男が壇上に上がる。
「――我々は、これまで、虐げられてきた」
男が見下ろす前には、大勢の、同じ軍服姿の者たちがいる。マイクで声量を上げられた、力強い声が講堂に響き渡る。
「隣人を殺された者――友人を殺された者――家族を殺された者――自らの愛する者を殺された者――」
男の言葉に、皆聴き入っている。
「――数々の同胞が殺されてきた。――これは許せる事か。――許されるべき事か」
静かに、聴き入っている。
「――否!! これは許されざる行為! 悪事だ!」
男は声を荒げ、叫ぶ。
「故に報復を! 裁きを! 正義の鉄槌を下さねばならない!!」
男は叫ぶ。
「弱き者が強き者に虐げられる時代は、もう終わったのだ!!」
男は叫ぶ。
「そう! 今の我々には力がある! あの時の脆弱な、無力な我らではない!」
男は叫ぶ。
「今こそ! 弾劾の時である!」
男は叫ぶ。
「立ち上がれ! 我々は――正義だッ!!」
腕を振り上げる。
「決戦は明日! これは聖戦であるッ!! これは――正義であるッ!!!」
歓声が上がる。
我々は正義だ、故に悪には正義の鉄槌を――と。
「はい、じゃあ……IMジェネレーターは何故、半永久機関となっている?」
優紀さんがボードに書くのを止め、振り返り僕を指さす。
「えと……物質同士が、少しの振動で結合して、またすぐ分解して、それでその度に生成熱でエネルギーが発生するから、それを常に受け続けることによって……」
「はい、正解。じゃあ、さらに質問。これじゃ、常にエネルギーが放出され続けることになります。それを抑制するには、どうしたらいいんだっけ?」
「あーっ、と……−50度で凍らす」
「そ、まぁ正確には−53度だけど。そう、温度を低くすることによって反応を遅らせることが出来るのね。……うん、ちゃんと頭に入っているみたいね」
手元にある本をペラペラ捲る。
「じゃあ、今度は――」
――時が経つ。
「コラッ! 強引に行こうとするな! 可能な限り迂回して背後に回り込め!」
「はい! すみません!」
――時が経つ。
「じゃ、この場合はどうしたらいい?」
前にあるボードを見る。下の方に味方の印である青い点が、4つずつ横一列に3つの塊で並んでいる。そして真ん中辺りには8つの敵である証の赤い点が固まっている。
「えと……真ん中の部隊で牽制しつつ、左右の部隊で回りこんで、左右から攻撃する」
考えながら、ゆっくりとだが、確実に答える。
「そうそう。じゃあこれは……?」
音を鳴らしながらボードに書き込んでいく。先ほどあった赤い点の少し離れた後ろに、さらに6つの赤い点が書かれる。
「えーっと、左右の部隊が、真ん中の部隊と合流して一点突破を図る」
「そうそう、正解よ」
――更に時が経つ。
「よーし。かなり撃ち漏らしが無くなったな」
「ありがとうございます」
「じゃあ、今度はしっかりと照準器で狙わず、多少フィーリングで狙ってみろ。速度は落とすから。ただし、数は増やすぞ」
右手にしか無かったライフルが左手にも現れる。
「はい、分かりました」
――時が経った。
――艦長室。
『艦長』
「どうぞー」
突如響いたカニスの声に、フィーナは答える。
そしてカニスは、目の前の光景に絶句する。
「…………何をなさっているので?」
「え? ジェンガー」
それは何十年も前に発売された、積み上げた積み木を崩さずに抜いていくという玩具だった。
「…………例の搬入の件の書類は?」
「ん? ビートに任せたよ」
事も無げに、何の事でもないようにフィーナは答える。
「――あっ! ……くずれたー」
盛大に音を立てて、その積木は崩れた。
「…………」
カニスはその光景に、溜息をつかずにはいられなかった。
「……こちら、ネフィル搭乗者の訓練データです」
そう言って、カニスは資料をフィーナに差し出す。
「…………」
フィーナはそれを受け取り、吟味する。
「……やっぱり、凄いね」
数秒後、そのデータを見てフィーナが言う。
「はい。初回の訓練で既に並の兵士以上の数値は出していますからね。ここ数日の訓練で、既にAクラス相当かと」
「……確かに。……機体の性能がズバ抜けてるのもあるけど――」
「はい。何より、本人の才能でしょう」
彼は戦場でその才能を輝かす。皮肉なものだ、とフィーナは思う。
「……では、明日からはKレベルでよろしいですね?」
資料を見て黙っているフィーナに、カニスは話しかける。
「……うん、これなら十分だね」
資料を置き、カニスを見据える。
「彼には――ヒトを殺すことに慣れてもらわないと――」
「あぁーー……づがれだ」
“あぁ”も、濁点がついたような“あぁ”という声を発声させながら枢はテーブルに突っ伏した。
「お疲れ様……はい、みそラーメン」
僕の目の前にみそラーメンが置かれる。白い湯気が高々と立ち上り、バターが乗っていて、それが少し溶けている北海道っぽい、実に旨そうなラーメンだ。麺は僕の大好きなちぢれ麺。僕の胃は、目の前の食べ物に喜び、音を鳴らした。
「ありがとうございます。……いただきますっ」
パチンと割り箸を割る。……今日はうまくいかなかった。見事に折れてしまった。
だがそんなことは気にせず盛大にすする。箸で持ち、上げ、息を掛け、少し冷ましてから。
「ふふっ……本当においしそうに食べるのね」
昨日と同じことを言われる。
「そりゃ、ふっー、これだけお腹が減っていれば、ちゅるちゅる、がっつきますって」
シミュレーションでの体力消費は予想以上に多かった。勉強すると結構腹が減るのと同じ理屈か、それとも緊張状態が長く続く為か。なんにせよ、一回シミュレーションが終わる度にどんどん空腹になっていくことを実感できるほどに。
「まぁ、休めるのは今のうちだからね。午後の訓練に向けてがんがん食べて」
そういう優紀さんは普通の定食だった。
「……ちゅるちゅる、ごくん。――はい」
「食べながらは行儀悪いよ?」
優紀さんが嘆息しながらそう優しく言った。
「――よし、2機! ――3機!」
次々と迫りくる敵を撃ち落とす。両手にライフルを装備している。照準機能はない。いわゆる午前中に言われた“フィーリング”で撃つ、ということを模擬実戦で試しているのだ。これがなかなか、というかかなり難しい。よく映画とかで拳銃を両手に持って、敵を次々と撃ち殺していくシーンがあるが、あれは非常に難しい。まぁ、反動というちょっと別の理由ではあるのだが。
だから確実に当てるなら、拳銃なら顔の前に両手で構え狙いを定め、ライフルなどの突撃銃でならストックを脇に挟み狙いを定め、狙撃銃ならスコープで標的をガン見しなければならない。
「4――くそっ、外した!」
故に難しい。
左へとブースターを吹かし、スライドして距離を詰める。そして真正面にいる敵機を撃つ。
そして敵機が爆発する瞬間。
「あ、あれ……?」
目の前の光景が粒子に分解され、暗くなり、模擬コックピットが開いた。繋がれていた神経は切断される。そして、僕は模擬コックピットから吐き出される。
「え? ど――」
どうしたんですか? と聞こうとした次の瞬間。
『アウラ搭乗者は第一ミーティングルームへ集合。他、整備員以外のオペレーティングの者は第二ミーティングルームへ。整備班はハンガーに集合。至急、集まってください。繰り返します。アウラ――』
天井の赤いランプが発光しながらくるくる回っている。……あの時と同じだ。
「おい、坊主!」
クリフさんが駆け寄りながら、僕に呼び掛ける。
「第一ミーティングだ! 急ぐぞ!」
「は、はいっ!」
そして僕も走るクリフさんに遅れないよう、急いでついていった。
――暗がりの部屋の中、前には電子ボードが明るく光を放っている。そのモニターに映っている風景は、戦争。アウラとアウラが撃ち合い、斬り合い、爆発し、地上に人工物を撒き散らしている。地形は砂漠――いや、木が所々にある所を見ると森だった場所か。
30個ほどのパイプ椅子が並び、アウラのパイロット達が全員座っていた。僕を含めて。優紀さんも、イリウムさんも、アイリもいた。
「つい先ほど偵察班から、オルレア軍がイストリアへの侵攻を始めたと報告が入った。まだそれほど規模は広がってはいないだろうが、時間の問題だな。我々はこれに対して速やかに対処する」
カニスがモニターの前に立ち、説明を始めた。そしてその言葉に少しざわめく。
「……オルレア軍って、何ですか?」
しかし僕にはオルレア軍というものを知らなかったので、クリフさんに聞く。小さな声で。
「オルレア軍ってのはイストリアの隣国、オルレアの軍隊だ。オルレアはイストリアの加盟国。……まぁ、加盟国って言っても、事実上は植民地だがな」
腕を組みながらクリフさんは答える。
「先の事件で、アウラの原動力を失ったイストリアの前線隊は本国に駐在している本隊への撤退は免れないだろう。それだけは絶対に避けねばならん。何としても、我々で食い止める」
「てことは……」
クリフさんは前を睨みながら答える。
「あぁ。……イストリア軍があのIG社|(イリミテイテッド・グローバル社)の後ろ盾を失った今が好機と取ったんだ。……いわゆる反逆だよ」
歯を噛み締めながら語る。
「本国に入って……暴れるつもり?」
さらに睨む眼光を強める。
「……多分な」
「我々が戦地に着くのは今から約1時間後と予想される。その頃には、戦線がイストリア本国まで迫っているだろう。……下手をすると、既に市街戦になっている可能性も否めん。戦線がどうなっているか分からない以上、今はまだ何も言えん。諸君らパイロットにはまた追って作戦の概要を送る。……今回はIM搭乗者が少ない。加えて、未確認アウラが使用されている。性能が分からん。十分留意しろ。……それでは各員、万全の体制を。……以上。解散」
その言葉と同時に、人々は部屋を出ていく。僕はどうしようかと思っていると
「枢、先にネフィルのとこに行ってろ。そこにいる整備員の指示に従ってくれ」
その表情には、怒気を孕んだ迫力があった。
「は、はい。わかりました」
その気迫に圧されるように、枢も自動ドアをくぐり、部屋を出た。
扉が閉まる。そして数秒の沈黙。しかしそれは、男の声で引き裂かれる。
「――おい、偵察班は何をしてたんだよ。なんでドンパチ始めるまで分からなかった。張ってたんだろう? 最短で5日後なんだろう?」
カニスを睨みながら、クリフは問い詰めてる。
「……その筈だった」
「――ッ。……それにどうしてオルレアがあんなもんを持っている? それも分からなかったっていうのか?」
モニターにはオルレア軍のアウラが映っている。それは見たこともない、最新鋭機だった。
真っ黒な、何処までも深い漆黒を塗りたくっている鋼の装甲。人型。加えて重装備の割には、中量級の速度とほぼ同等に、素早く動き回っている。
「ああ、そうだ」
「――ッ!!」
クリフの顔が一気に激怒に包まれる。
「――ッ。いや、すまねぇ。アンタに当たっても、しょうがないな」
あがりかけた手をどうにか止め、怒りを静める。その右手は、硬く握られていた。
そしてひるを返し、扉へと向かう。
「…………悪い」
そう背中越しに言って、クリフも部屋を後にした。その背中を、カニスは静かに見つめていた。
カニスが独り部屋に残る。
「…………」
カニスはただ、静かに電子ボードを見ている。その瞳には、若干の悲しみが色付いていた。
クリフは誰もいない、けれど喧騒に包まれている廊下を、1人歩いている。その歩調は、普段より幾分早い。
「……おかしい」
歩きながら、呟く。
「……おかしいんだよ」
1人思案し、呟く。
「何故こうも急に崩れ始める……?」
その表情は険しい。
今まで、かろうじて均衡を保っていた世界が。激しく崩れ始めている。
例の機体の搭乗者の覚醒、コスモスを襲った、漆黒の機体の技術力、先のIG社事件。そして今回のオルレア軍反逆。
世界が激しく変わり始めている。比例ではなく、まるで二乗しているグラフの様に――。
――IG社の事件により、オルレア軍反逆は予想されていたことだった。……ただし、劣勢になるのはオルレア軍の筈だった。
当然だ。いくら後ろ盾を失ったとはいえ、今まで植民地として支配し続けていた国の軍に、圧される筈がない。加盟国になった時点で、オルレアの軍事力は常にイストリアより劣るようにコントロールしていた。そうしなければ、いくら敗戦国とはいえ反旗を翻されれば危ない。――だが、オルレアは、主を超える軍事力を持っていた。隠し持っていた。ならどうやって? その力を手にした? 独自開発? ――有り得ない。
ならば考えられる線は、外部からの支援。だがそれは、イストリアからの監視の目を、さらにはコスモスの偵察班の網目を掻い潜って行えることではない。それに例え極秘に持ち込めたとしても、オルレアにとってあの事故は突発的な、予期せぬ事である筈だろう。
用意が良すぎるんだ。淡々と進みすぎている。何もかも。事が重なり過ぎている。まるで――
「いや――」
今は余計な事を考えるのは止めよう。
戦場で脇目を振ることは――命を落とすことと同意だから。
それに今は――
「侵攻を、何としてでも喰い止める――!」