落石
落石による被害が出たのは、全員が状況を理解して間もなくのことだった。
正義の勇者アリストが一人の兵士を介抱し終えて、その場から離れようとしたときだ。
不自然に風を切る音がアリストの耳に届いてきた。
頭上から何か降ってくると彼女は感づき、咄嗟に近くにいた兵士の腕を掴んで引っ張る。
すると瞬きする時間もなく、兵士がいた場所に岩が落下してきた。
強烈な音と共に岩が粉砕して、破片が飛び散って辺りに転がった。
「危ないところだったねぇ」
間一髪の危機にアリストが安堵の声を漏らしたとき、後ろから衝突する音と兵士の悲鳴があがった。
近くでも落石が起きて、回避できずに潰されたのだ。
そのことをアリストは悲鳴で察して、動揺が広がる前に大声をあげた。
「あんたたち、落石が起きてるよ!頭に気をつけな!」
必死に警戒を呼びかけるが、それで防げるわけがない。
更に間隔的に落石と土砂崩れが発生していき、その度に誰かが被害を受ける事となっていた。
何一つ安心できない状況に、異様な危機感と混乱が起きてしまう。
突然の災害は足場が悪くて狭い暗闇の中で起きているため、嫌でも恐怖を抱く者が続出していた。
気づけば地の底は悲鳴や泣き言ばかりがこだましていて、まるで怨嗟にまみれた地獄の地だ。
これにはさすがに、普段は強気でいるアリストも苦い表情を浮かべた。
「ちっ、これは酷いね」
悲痛に助けを呼ぶ声も聞こえてきて、早急に手を打たなければいけない状況に全員が追い込まれる。
この悪くなっていく一方の現状にミズキとスイセンも身の危険を覚えて、混乱しながらもどうすればいいかと思考を巡らしていた。
でもどうすれば助かるのか、まるで分からない。
こんなときタナトスの力があれば、意識があれば助けてくれるのかもしれない。
そう思うと、ミズキは彼の眠る顔を見て名前を呼ぶしかなかった。
「タナトスさん、起きてください!大変なんです、起きて…!」
しかしいくら揺らして呼びかけても、タナトスは一切反応しない。
彼女の水色の瞳に映るのは、眠った顔のままで微動だにしない彼だ。
スイセンはその横で上を眺めていて、降ってくるであろう落石に警戒していた。
他人を助ける余裕はない。
今、スイセンにできることは自分とミズキの身を守ることだけだ。
そうして警戒していると、壁を転がって変則的に落下してくる岩をスイセンは察知した。
生き物だったら蹴り飛ばすことができるが、さすがに落下している岩を力尽くで弾く真似はできない。
そのため彼女はミズキの腕を引っ張って呼びかけた。
「お姉ちゃん!落ちてくるよ!」
「待って、タナトスさんが…!」
悠長に言い合いしている時間なんてない。
人を潰せそうなほどに大きなのある岩石は近くまで迫っていて、ミズキとタナトスを押しつぶそうとしていた。
だからスイセンは強引にミズキの体を両手で掴んで、脚に力を込めて飛び出した。
しかし緊急を要したとは言え、その強引な手段はミズキの手からタナトスの体を離してしまうものだった。
「嫌ぁ!」
地面にスイセンとミズキの体が滑り込むと同時に、ミズキは悲鳴をあげた。
そして間もなく岩石は地面に落下して、土埃が巻き起こされる。
潰された瞬間を目にしたわけではないが、彼女達の目にはタナトスが落石で押し潰されたように見えた。
このことには胸が押し潰される想いで、ミズキの体温は一気に冷え切って心臓の鼓動が跳ね上がる。
今のタナトスでは抵抗できずに死んでしまうだけだ。
でも土埃が落ち着いたときには、そこには正義の勇者アリストの姿がありタナトスを背負い込んでいた。
「ふぅ、危ない所だったね。あんた達も大丈夫かい?」
彼女は自ら落石をタナトスから庇ったらしく、足元には割れた岩が転がっていた。
岩石と衝突したにも関わらず、アリストは平然とした顔で安否を確かめる言葉を投げかけた。
ミズキは少し驚きながらも、彼女の質問に言葉を返す。
「え、えぇ。妹のおかげで、大丈夫です。それよりアリストさんこそ大丈夫なんですか?落石に直撃していたように見えたのですが」
「あたいは体を頑丈にできる力を持っているからな。シャウやアカネの不思議な能力と似たようなもんだよ。で、こいつの力を借りたくて来たんだけど、まだ目が覚めていないようだね」
「はい。いくら呼びかけても反応が無くて…」
「仕方ない。ここはあたい達だけで何とかするしかないね。とは言っても、言葉通り八方塞がりの状況だけどさ」
アリストがそう言って僅かに苛立ちの様子を見せていたとき、スイセンは夜目を働かせて次の落石に警戒して見上げていた。
すると見渡していて、あることに気がついた。
先程からの落石による衝撃か分からないが、壁の四メートルほどの高さがある所に一メートル近くの円形の穴がある。
地割れの影響で崩れていて簡単には気づかなったのだろうが、その穴は逃げ道になるように見えた。
そのことを確かめるために、スイセンは素早い身のこなしで動き出した。
「お姉ちゃん、ちょっと待ってて」
「スイセン、どうしたの?」
問いかけに答えず、スイセンは身軽に壁を登って円形の穴を覗き込んだ。
穴の中は真っ暗で分かりづらいが、風の音が響いていて深い洞窟なのが分かった。
どこに繋がっているのか、それとも外には繋がっていない穴蔵か分からないが落石から身を隠すには充分だ。
スイセンは穴の周りの土を蹴り飛ばして崩し、侵入口を作った。
それから洞窟の中へと入り込み、かすかな光りを頼りに確認する。
「暗くて分かりづらいけど、鍾乳洞なのかな?だとしたらどこか外に繋がっているかも」
鍾乳洞は、水が一部の岩を侵食して削ることでできる穴だ。
つまりどこかから水が流れていて、外に繋がっている可能性がある。
問題は海に繋がっているか、それとも地上に繋がっているかだが考えている時間なんて無いし、崖を登る手段が無いから選択する余地も無い。
スイセンは穴から顔を覗き込ませて、アリストとミズキの二人を呼びかけた。
「正義の勇者とミズキお姉ちゃん!ここに洞窟があるよ!どこか外に繋がっているかもしれない!」
外に繋がっているかもしれないという言葉を聞いたら、考えている余裕がない状況には鍾乳洞の発見は素晴らしいものだった。
すぐにアリストは全員に対して大声をあげた。
「あんた、よくやったよ!みんな、こっちに洞窟があるよ!早く洞窟に避難するんだ!」
この言葉を聞いた兵士たちは言葉通りに動くしかなく、洞窟がある壁の方へと集まってきた。
先にアリストとミズキがスイセンの手を借りながらも壁を登って、鍾乳洞へと足を踏み入れた。
それからはアリストが大声で呼びかけながら、次々と兵士を鍾乳洞の穴へ入るのを手伝っていく。
ただ兵士の中にはすでに落石で負傷している者もいて、思うように作業は進まず手間取っていた。
穴まで四メートルほどの高さと言っても、一人で登るのは簡単ではない。
手伝っているにしても流れ作業のように綺麗に人が登っていくわけもなく、露骨に焦りが出てきていた。
そうして何人か兵士を穴まで連れ込んだとき、タイムリミットは訪れた。
余震のような軽い地響きが起こり、全員の体勢が崩れた。
「きゃあ!」
悲鳴があがったと同時に連続的な落石と土砂崩れが発生して、自然は地の底を岩石で満たそうとし始めた。
まだ登りきれていない兵士が四人ほどいる。
一人でも多く救おうとアリストは必死に手を伸ばして、恐怖で顔が引きつっている兵士の手を掴もうとする。
しかし揺れのせいで、相手の姿勢が崩れていることもあってすぐには掴めなかった。
「ほら、早く掴むんだよ!」
そう叫んでいると、何とか一人の兵士の手を掴むことができた。
急いでアリストは全身の力を使って引き上げようとし、兵士を穴の近くまで連れていく。
そしてまだ地の底に残っている他の兵士達が手を伸ばしているなか、無情にも岩石は落下してきて彼らを押し潰した。
もはや悲鳴や助けを呼ぶ声さえ途絶えてしまい、助けるべきだった人がいなくなってしまう。
「何をしてるんだ、あたいはっ!」
どうも目の前の人を助けれなかったことに、アリストは自身に対して強い嫌悪感を抱いていた。
目の前で助けを求めているなら絶対に助ける。
そんなアリストの強い正義感がミズキとスイセンには垣間見えた瞬間だった。
やがて土砂崩れは激しくなり、穴を塞ぐ高さにまでなっていた。
完全に視界が効かなくなるほどの暗闇に包まれて、助かったにも関わらず全員の不安は強かった。
そのことをアリストは気づいて、自分の葛藤を無理やり押さえ込んで声をかけた。
「みんな、手を繋いで歩きな!負傷している奴には肩を貸してやるんだ!ここも安全か分からないんだ。休まずに洞窟を歩いて行くよ!」
この言葉に異議を唱える者がいるわけもなく、それぞれ他人の存在を認識するために、できるだけ手を繋いで声を掛け合いながら鍾乳洞を進むことになった。
先頭は唯一暗闇の中でもかすかに見えているスイセンが歩き、そのスイセンの手をミズキが繋いで他が後ろに続く状態だった。
アリストはタナトスを背負い、スイセンをミズキと挟む形で歩くことになる。
酷く悪い足場と冷たい空気、それとかすかな石灰の臭いが漂う洞窟だ。
彼女達はこの道が外に繋がっているという可能性に賭けて、脱出する希望を持って歩き出した。




