魔人と魔王
死は目の前までやって来ていた。
タナトスが必死に手を伸ばせば、何とかミズキの足に指先が触れそうな距離にまでなっていたが、まだ届かない。
仮に届いたとしても、このままでは助けることができない。
この瞬間、タナトスは頭の中の思考を限界まで働かせた。
どうすればミズキ達を助けることができるのか。
魔剣を振るって魔神の一振で地面に更に割れ目を作ることで、海水までの穴を開けるか。
駄目だ、それは無理だ。
そこまでの斬撃は刃が直接、地に触れてなければできない。
ミズキ達を掴んだときに自分が下敷きになって、衝撃をできるだけ殺すこともできる。
でもそれも無意味だ。
その程度では落下衝撃は殺しきれないし、運が良くても助けれるのは一人だけだ。
右腕が使えないせいで、ミズキを掴んでも崖に捕まることもできない。
「助けるんだ、俺が…!俺がぁ…!」
もはや死が直前で、時間の流れが緩やかに感じてきた。
それからタナトスの脳裏に流れてくるものは、助ける手段ではなく過去の記憶ばかりだ。
今まで戦ってきた人物や魔物。
ミズキやスイセン、シャウやポメラとの旅での出来事。
多くの災難と感情の起伏を思い出す。
そして記憶を辿り、思い出の過去を遡り、シャウ達と初めて会うより前のことがタナトスの頭によぎった。
頭によぎったのは、父親である魔王に言われたもの。
自分がまだ魔王幹部になって日が浅くて、強さが欠けていたころのことだ。
「タナトス、今一度問おう。お前が強くあるのにはどうすればいいと思う?」
それは父親からの突然の質問だった。
けれど、それについての問いの答えは彼の中にはできあがっている。
だから彼はそのまま自分が思っていることを口にした。
「それは親父に小さい頃から、よく言われているから分かっているさ。強さとは肉体だけではない。心である精神も強くなければ真の強さは身につかない、だろ。実力だけに頼った未熟な心は、決して強くはない。どれだけ飛び抜けた能力を多く持とうと、絶対的な力で相手を圧倒しようと、精神が未熟だったら生物としては最弱だ。力で物を言わす魔族なのに、妙な言葉だと俺は思うぜ」
「妙な言葉、か。でもその言葉の意味、お前には分かるだろう。それでは、もっと具体的にはどうだ。その精神の未熟さとは何か、心が強いとはどういうことか分かるか?」
「精神が未熟…ってのは、まぁ自分の考えを貫き通す意思を持っているかどうかの違いじゃないのか?一人でも強くたくましく生きるという、そういう何者にも負けたくない確固たる決意があれば心が強いだろ」
「くはははっ、心の話しとは言え抽象的だな。それに、それでは駄目だ。そういう心こそ弱い」
予想外の駄目だしだった。
それにまるで子供に対して浮かべるような、ちょっと小馬鹿にしたような余裕ある笑みまで見せてくる。
そのため、つい彼は突っかかるように問い返した。
「はぁ?じゃあどんな心が強いんだよ」
「他者を慈しみ、他者を守り、他者と助け合う心だ。お前は辛いことがあったから、誰かに助けて欲しいと思ったことはあるだろう。もし自分の力が強ければとどれだけ願っても、それは空想に過ぎないと分かっている。だから他者の力に助けてもらいたいと願ったはずだ。それは恥ずべきことではない。弱さでもない。むしろ弱者の行動だと思う心、恥辱だと思う心。その心が一番弱いものだ」
「……よく分からねぇな」
「いいか、タナトス。心や精神には、肉体以上に強くなれる可能性が溢れている。だからまず心を強く持て。肉体と同じように焦らずに少しずつ強くしていき、他者を救えるほどの心を持て。少し考えれば思い当たることが多くあるはずだ。いつだって他者を救うのは力じゃない、心だ。私ですら、常に他者を守れる存在でありたいと思って生きている」
「他者を守れるほどの強い力、そして強い心……」
タナトスの視界は暗闇に包まれた。
さっきのは今まで忘れていたに等しい、魔王との会話だ。
俺がミズキ達を助けれないのは力が足りないからなのか、心が弱いからなのか。
仕方ないとか、運が悪かったとか、そんな妥協は嫌いだった。
希望的観測や、現実を拒否するための楽観的な思考で自分の心の弱さを誤魔化すのはもっと嫌いだ。
俺は弱い。
強くありたい。
他者を守れるほどの強い心を持ちたい。
今すぐ力が必要なんだ。
少しずつなんて気長に待っていられるか。
実力に見合う心を持てというのなら、それだけの強い精神を持ってやる。
他者を救うことを絶対に諦めない。
それが一番強いというのなら、俺はその強さを持っていると示してみせよう。
今ここで、全員を救うことで証明しよう。
「うおぉおぉぉぉおぉおぉおぉぉ!!」
タナトスは目を見開いた。
その瞳は赤色から金色へと変色しており、今までの魔人の状態とは違うものへと化している。
毛先だけが赤色だった黒髪が、全て赤く染まっていてまるで別人だ。
金色の光りが彼を包み、光りは意思を持っているかのように変幻自在に動いた。
まさにそれはオーラであり、タナトスの力と心の強さを実体化したもの。
光りが溢れ、暗かった世界を照らしてしまう。
地割れの中を全て呑み込むような莫大な金色のオーラはミズキとスイセンの全身を抱擁し、彼女達の落下速度を緩めていった。
まるで金色のオーラが保護するようで、ゆっくりと静かに彼女達を地面に着地させる。
この光景をミズキは見上げていた。
助かったと実感は一切持てないが、自分の体が地に着いていることで生きているのだと分かる。
そして理解不能な光りに包まれた中、同時に思い出した。
鉱山の街レイアに向かう途中の馬小屋に着くときに、シャウが話していた魔王との戦闘のことを。
何気ない会話だったが、ミズキは覚えていて口にした。
「シャウさんは言ってた…。魔王は赤髪で、片目は赤色でもう片方の目は金色。そして不思議なオーラを使っていた……。タナトスさん、あなたは一体何者なんですか…?」
今のタナトスの姿は、まさにシャウの言っていた魔王の姿に近かった。
でもこれが彼の本来の力だ。
魔王を殺した王殺しの力であり、魔王と同じ力。
まさに魔人ではなく、魔王の状態へと化したタナトスだ。
昔の感覚を取り戻したタナトスは地割れの奥底に静かに着地するなり、すぐに上を見上げた。
ミズキ達を助けたが、まだ安否の確認をする余裕はない。
なぜなら真上から建物の瓦礫が大量に降ってきているからだ。
「タナトスさん!」
ミズキは叫んだ。
でもタナトスは何も焦らず、ただ冷静に呟いて言葉を返す。
「待っていろ。一瞬で片付ける」
タナトスは魔剣を左手で引き抜き、上へ振り上げる構えをみせた。
そして視界で全てを捉え、金色のオーラで全てを認識する。
まだ多くの人が建物と共に落下している。
このまま落下してきている建物を防いでは、他に落下してきている人は助からないだろう。
でも、今のタナトスには何の問題も無かった。
どんな状況だろうと、その場にいる全員を救うだけだ。
彼は魔剣の柄を握る手に力を込めて、刃に金色のオーラを集中させた。
それは眩しくて、一切の曇りがない高潔さに溢れている。
狙いをつけてタナトスは魔剣を振るうと同時に、金色のオーラが斬撃として放たれる。
放たれた金色のオーラは全てを呑み込むもので、触れた建物を全て粉砕させて消滅させた。
それだけではなく、更に金色のオーラは落下していた人たちをミズキ達の時と同様に全身を包んで、緩やかに地面にへと着地させる。
まさに神業だった。
平和をもたらす奇跡であり、正義と呼べる行いだ。
この出来事にはミズキも唖然とするばかりで、何が起きたのか理解できなくなる。
ただ多くの人がタナトスの手によって助かったことだけ、それだけは分かった。
一方、全員の窮地を救ったタナトスは黒髪と黒い瞳に戻るなり、大量の汗を噴き出しては地面に倒れ込んだ。
そのことに気づいたミズキは急いでタナトスの元に駆け寄るなり、安否の確認をした。
「汗が酷いけど、呼吸は安定してる。脈も異常がない…。気絶のようにも見えるけど、これは睡眠に陥っている…?」
突如の力の上限の開放はタナトスの精神力が追いつき切れず、多大な疲労感を与えていた。
それにより彼は深い眠りの中へと落ちていき、呼びかけても起きないほどで気を失ったに等しかった。




