義父の目論見
タナトスの息は酷く切れていた。
口の中に入った川の水を吐き出し、荒い呼吸で浅瀬から這い上がるので精一杯だった。
斬られた右腕からは止まることなく血が流れていて、激痛が伴っている。
右腕がちぎれそうだ。
「はぁはぁはぁ……!」
タナトスは足を川の水に着けたまま仰向けになり、空を見上げて呼吸を整えようと努めた。
しかし深刻なダメージが彼を襲い、気持ちが休まることはない。
それどころか意識が遠のく気さえしていた。
体に力が入らなく、ただ流血するばかりだ。
体力以上に気力が消耗している。
意識が定まらないタナトスは視界が暗転して揺らぎ、眠りに落ちかけていた。
顔に張り付いた濡れた黒髪を指で動かすこともできずに、このまま意識を失いそうだ。
そのとき、突如星空を見ていた視界を水色の髪が遮ってきた。
更に水色の瞳が顔を覗き込んできて、月夜に照らされた白い肌を露わにしてくる。
整って小さな顔に大きな瞳、そして綺麗なまつ毛をしていて目立たない鼻に、少女らしい桃色の唇。
それは見覚えるのある顔で、タナトスは呟いた。
「これは幻覚か…?ミズキの顔が見える」
「幻覚じゃないですよ、タナトスさん!」
タナトスの言葉をミズキは遮って、はっきりと答えた。
それから水色の瞳にたくさんの涙を溜めて、訴えかけてきた。
「もう心配したんですから!騒ぎがあって、探して…!やっと見つけたと思ったら、こんな酷いケガまでして…!」
「くははっ、すまない……。ところでお前一人なのか?」
タナトスが途切れそうな口調で訊くと、別の場所からゴーグルがかけられた水色の髪が覗き込んできた。
「お姉ちゃんとお楽しみのところ悪いですけど、残念ながら私もいますよぉ」
そう言って、スイセンが口元をマフラーで隠しながら声をかけてきた。
他に反応ないところを見ると、シャウとポメラは別行動をしているようだ。
そのことを察したタナトスはスイセンに声をかけた。
「スイセンもいたのか。なら糸と針を持ってないか?右腕がちぎれそうなんだ」
「くひひっ、見ないうちにずいぶんと大ケガしましたねぇ。いいですよぉ、私に任せてください。薬で局所麻酔もしちゃうんで、大人しくしていてくださいねぇ。まぁ、せいぜい私ができることは応急処置ですけどぉ」
「あぁ、充分だ。頼む…」
手当を頼むと、スイセンは早速タナトスの右腕の傷に縫合手術を始めた。
持っている道具を取り出して、慣れた手つきで治療していく。
そして傍らで、痛みをこらえながらタナトスはミズキと会話を続けた。
「それでミズキ。シャウとポメラはどうしているんだ?」
「シャウさん達は正義の勇者アリストさんとお話しているところだと思います。タナトスさんのことをシャウさんがうまく聞き出して、言いくるめている間に見つけようと私とスイセンが捜索に動き出したんですよ。探している間に魔物に襲われたりもして、大変だったんですから!」
「そうか。心配をかけたようで悪かった。守ると言っておいて逆に迷惑をかけてしまって、すまなかったな」
「いつも私が迷惑をかけていますので、別に今回のことはいいんです。それよりこんなにまでなって、一体何をしていたんですか?」
少し強い口調で問い詰めるようにミズキは訊いてきた。
本当に心配でたまらなく不安だったのだろう。
タナトスはそのこときに気づきながらも、視線を合わせずに夜空を仰いで答えた。
「反抗組織の拠点を潰していた。アルパ街でも、アスクレピオス街と同じ騒動を起こすつもりだったらしくてな。偶然だが、その計画を阻止した」
「お一人でですか!?そんないくらタナトスさんでもお一人でなんて…!」
「別に計画の阻止は単独でも問題なかった。ただ、問題はそのあとだ。拠点を探索していると、反抗組織の統括者と名乗る人物と接触した。それで統括者の護衛と戦闘して、そのときに右腕に傷を負ったんだ。あいにく、こんなケガまでしてみすみすと統括者を逃がしちまったがな。情けない話だ」
「逃がしてしまったのは仕方ないことですけど、それよりタナトスさんがご無事で何よりですよ!それで、反抗組織の統括者というのはどんな人だったんですか?」
ミズキに聞かれて、タナトスは反抗組織の統括者の顔と名前を思い出す。
わざわざ名乗り、素顔を見せてきたあの人物。
タナトスはしっかりと記憶していて、はっきりと答えた。
「白髪混じりの年老いた男性だった。目の下に傷跡があり、年の割には体格はがっちりしていた。そして名前は確かリボルト…。リボルト・ウェルミスと名乗っていたな」
タナトスが反抗組織の統括者リボルトの名を口にしたとき、ミズキは唖然とした。
同時にスイセンも手が止まり、目を見開いて言葉を失った様子を見せる。
そのことにタナトスは気がついて、声をかけた。
「おい、どうした急に…」
「……ふ…です」
「え?」
唐突にミズキがぽつりと小声で呟いたため、川のせせらぎで聞こえなかったタナトスはつい聞き返した。
すると今度は震えた声でありながらも、ミズキは聞き取れる声量で言葉を漏らした。
「…義父です。幼かった私とスイセンの……親を亡くした代わりに育ててくれた、親代わり……」
「なに?」
「魔物に襲われて両親を失った私とスイセンを養子として迎え入れると、養父を名乗り出た方がいました。私達はお義父さんと普段は呼んでいましたけど…、名前はリボルト・ウェルミス。目の下に傷があって……、兵士長を務めていたこともある元軍人です」
思い出せば、ミズキは親代わりに剣術を教えてもらったと言っていた。
そのときは親代わりの人物が剣術を少し嗜んでいる程度だと思っていたが、まさか兵士長の経験がある人物だと思っていなかった。
いや、そんなことより驚くところはミズキとスイセンの親代わりが反抗組織の統括者だったということか。
それで統括者リボルトが娘を頼むなんて言葉をかけてきたのかと、タナトスは気づいた。
でも不自然だ。
最後のリボルトの言葉は、まるでタナトスにミズキ達を預けるみたいで何か目論見があるように思えた。
けれど目論見があるのなら自ら保護すればいいだけだろうし、知っていて放置するなんてわけが分からない。
タナトスはそんなことに気をかけながらも、リボルトについてミズキから問いだそうとした。
「反抗組織の統括者…、リボルトが怪しいと思ったことはなかったのか?生活していて親としては不審な動きをしていたとか、妙に隠し事が多かったりとか」
「分かり…ません。元から、毎日いつも一緒というわけではなかったんです。朝食だけはよく一緒にしていて、でもあとは仕事だからと会う機会そのものは家族として考えたら少なかったと思います。それでも少ない時間の中、私達二人に護身として剣術を教えてくれたんですよ。優しく、温かみのある言葉で、本当の家族みたいに…」
ミズキは最初こそは言葉を選んで答えていたが、やがてうなだれてしまった。
どうも義父だったリボルトが反抗組織の統括者だと信じきれておらず、もしかしたら人違いなのではとすら思っているようだった。
心の整理がつかず、頭の中の思考も滅茶苦茶だ。
それはスイセンも同じで、さきほどまで黙々と治療していたが弱々しい言葉を口にし始めた。
「私を反抗組織への手引きをしたのは、リボルトのお義父さんだった。多分、元からそういう駒として扱うつもりだったんだろうねぇ。最初に私達を養子として育てると言ったときからぁ」
それだけだろうか。
ただ手駒にしたいという理由で、家族としての最低限の生活を一緒に送るのか怪しいところだ。
どこか、すでに何か見落としているのがあるのかもしれない。
ミズキかスイセンのどちらにか、または二人共には何か他人とは違うものを持っている可能性がある。
けれど今までの旅を振り返っても、それらしいことは思いつかなかった。
気づいていないだけかもしれないが、少なくとも今のタナトスに思い当たる節はない。
それはミズキとスイセンも同じで、自分を特別など一切思っていない。
特にミズキに至っては平凡な少女に等しく、彼女こそ何かあるようには感じられない。
ますます考えれば考えるほど、リボルトがミズキ達をタナトスに任せるような言葉を残したのか謎だった。
何も理由が思い当たらない。




