正義の勇者アリスト
「ったく、手間かけさせやがって。観念するんだな」
タナトスは厳しい口調で食い逃げ犯に言って、体を強く押さえつける。
こうして見ると食い逃げ犯は幼い顔立ちをしていて、髪は短い黒色だった。
まるで身長だけはある子供といった印象を受ける容姿で、男性なのだろうが中性的な雰囲気がある。
そんなことを思いながら軽く相手の腕を捻ると、食い逃げ犯は苦痛の声を漏らした。
「いたたっ、分かった分かったって。降参だよ。まさか僕を追ってくる人がいるなんて……」
「ふん、少しは身体能力に自信があるようだったが、その程度で逃げ切れると思ったら大間違いだ。じゃあ、とりあえず店の方へ戻ろうか」
「待って。それは駄目だ。僕は今は一文無しだから、今店に戻ったってお金は払えない。怒られるどころか牢獄行きになってしまう」
「そんなこと知るか。運が悪かったと思って、大人しく諦めろ」
ごく当たり前のタナトスの発言だった。
でも食い逃げ犯は、彼の顔を横目で見てほくそ笑む。
意味深な笑みにはちょっとした不気味さがあり、タナトスは指摘した。
「なにを笑っているんだ。自暴自棄にでもなったのか?」
「…けへへっ、違うさ。よく見たら僕、あんたの顔を知ってるんだよねぇ?布で顔を隠しているけど、僕の目は誤魔化せないよ。なんたって僕は稀代の怪盗バンディ。宝石や財宝の効き目が抜群なついでに、人相を見る目も抜群だよ。ねぇ、国王暗殺したタナトス?」
「いつのまに名前まで出回っていたか。人との関わりはほとんど絶っていたはずなんだがな」
「門では身分証明時の名前の管理もしてるからね。顔がはっきりとバレていたみたいだから、名前はすぐに判明していたよ」
「そうか…」
思えば奇跡の勇者アカネも自己紹介していないにも関わらず、タナトスの名前を自然と呼んでいた。
そう考えると、指名手配が出回っていた時点で身分証明の内容も人々に知られているのかもしれない。
タナトスはそんなことを思いつつ、高圧的な態度は変えなかった。
「ずいぶんと情報通なんだな」
「まぁね、あらゆる変装が得意なもので…。それで、そろそろ犯罪者仲間のよしみとして解放してくれないかな?」
「いや、駄目だ」
「あ、そう。ならいいや。こっちも考えがあるから」
「なに?」
タナトスが疑問の声をあげたとき、怪盗と名乗った食い逃げ犯は笑みを浮かべては大きく息を吸い込んだ。
そしてタナトスが何か行動を起こす前に、相手は力いっぱいに大声で叫ぶ。
「誰か助けてぇ!ここに国王を暗殺した犯人がいるよ!殺される、誰かぁ!」
ここは屋根の上で、普通に考えて騒いでも人目はつかない場所だ。
でも屋根という場所には音を遮る遮蔽物がなく、彼の叫び声は街の中によく響き渡った。
だから多くの人の耳に届いていて、ざわついているのが見えなくても分かる。
突然の食い逃げ犯の行動で叫び続けているが、それでもタナトスは黙らせることはせずに冷静でいた。
「おいおい。いくら叫んでも、こんな所に助けが来るわけがないだろ」
そう言った直後だった。
一人の女性が屋根へと身軽に登ってきて、姿を現してきた。
離れた場所だったが、すぐにタナトス達の目につくと同時に突如現れた女性も彼達の姿を視認した。
思わずのことに、タナトスは間抜けっぽい驚きの声をあげる。
「んな、馬鹿な」
ここで見知った人物だったのなら特別驚きはしなかったが、その女性はタナトスにとっては初めてみる人物だった。
セミショートの黒髪に、大きく鋭い目に凛々しい顔つき。
それと大人の女性らしい体型で、年齢は見た目からしてポメラと同じくらいだろうか。
動きやすそうな旅人用の服装で、両手にはグローブを着用していて、黒タイツにロングブーツを履いている。
ただその女性を見て驚いたのはタナトスだけではなく、食い逃げ犯も同じで呟いた。
「え、正義の勇者アリストだ。これはちょっと、僕も危ないかも…」
「あの女が正義の勇者だと?」
勝手に正義の勇者を大男だと思っていたタナトスは内心衝撃を受けるも、すぐにその場から離れようと動き出した。
しかし正義の勇者アリストの方が接近は早く、まだ食い逃げ犯を押さえているにも関わらず拳を振りかぶって飛び込んできた。
このことに食い逃げ犯は悲鳴をあげる。
「ちょ、離して離して!僕ごと殺されるって!」
それからの出来事は一瞬のことだった。
タナトスは食い逃げ犯を解放すると同時に拳を受け流すために、まず正義の勇者アリストの拳を受け止めようとした。
でも触れた瞬間に、タナトスは手から圧倒的な破壊力を感じ取った。
重く、びくともしない有り得ないほどの威力と勢い。
とてつもなく重い拳に腕が折れそうになったところで、タナトスは反射的に自ら後ろに倒れこみながら手を離して体を捻って避ける。
すると正義の勇者アリストのからぶった拳が屋根に接触したとき、拳を叩きつけたとは思えない強烈な衝撃音が鳴った。
彼女の拳は足場となっていた屋根を打ち砕き大きな穴を開けて、耳がつんざくような音のなか三人とも家内へと落下した。
もしさっき自ら倒れこまなかったら、あのまま拳の勢いに押されて屋根に叩きつけられて、腕どころか
体が潰されていただろう。
「くっ!」
タナトスは落下したためにめぐまるしく変わる視界のなか、建物の中に綺麗に着地した。
建物はどうやら食材の販売店だったらしく、多くの人が驚いた眼差しでこちらを見ていた。
でに向けられる眼差しは驚きのものだけではなく、敵意ある眼差しも向けられている。
崩れた瓦礫の中から殴りかかってきたアリストは平然と起き上がり、タナトスを睨む。
そして何事もなかったように、彼女は格闘の構えをとって言ってきた。
「アンタが国王を暗殺したタナトスだね?あたいは正義の勇者アリスト・テレサ。大人しく投降しな。そしたら痛い思いはしないで済むよ。でも、もし抵抗するならケガを負うことを覚悟するんだね」
正義の勇者アリストは、男勝りの力強い口調だった。
話し方だけで強気なのが充分に分かる。
そして自分の正義のための行動なら、躊躇わずに建物を破壊することを考えると強情なのも見て分かった。
ある意味、奇跡の勇者アカネより面倒な相手だと言える。
なぜならアカネは状況によってはまだタナトスの話を聞いてくれそうだが、アリストという正義の勇者は猪突猛進な性格だからだ。
自分の考えを貫き通し、目の前のことを成し遂げるために全力を尽くす。
まさに良くも悪くも行動力が極端にある人物だ。
とにかく、今は街中でもあるために下手に相手をするわけにはいかない。
目的は反抗組織の調査であって、勇者の排除ではない。
そのためタナトスは出入り口を確認した。
店の出入り口は正義の勇者アリストの後方にある。
だから何とか突破しなければなと考えながら、彼は言葉を返した。
「悪いが、そう簡単に捕まえるわけにはいかないんでな。逃げさせてもらう」
「はははっ、あんた面白いこと言うね。そう簡単に逃げられると思ったら大間違いだよ」
「どうかな。必要なら抵抗はするぜ」
タナトスはそう言って、黒い瞳で睨み返してはアリストに向かって素早く走り出した。
向かってくるかと彼女は力強く身構える。
こうして両者が接近したとき、タナトスは瞬発力ある拳でアリストの顔を狙った。
普通なら顔を防御するために両腕を上げるところだ。
でも彼女は一切防御の動きは取らず、カウンター狙いでタナトスに向かってアッパーを繰り出そうとしていた。
先にタナトスの攻撃が当たれば、相手の姿勢は崩れてアッパーどころでは無くなる。
だから彼は気にせずに拳に力を込めて、圧倒的に上回る速さでアリストの顔に殴打を叩き込んだ。
殴打音と共に確かな手応えがあった。
しかし同時に違和感もタナトスに手から伝わってくる。
まるで分厚い鉄の塊を叩いたように、異常な程に硬い。
「なっ!?」
しかもアリストは全く応えていないらしく、一切姿勢が崩れることなく鮮やかにタナトスにアッパーを打ち込んだ。
耐え切れる痛みと衝撃だが、予想外の完璧なカウンターにタナトスは大きく怯む。
その間に更にアリストは踏み込み、次の拳を振り下ろしていた。
今のタナトスには防ぐ手立てはなく、彼女の殴打を後頭部で受けてしまう。
「がはっ!」
受けた衝撃は異常なもので、重く響きそうな殴りつける轟音が発生していた。
そして途方もない威力がタナトスを襲い、殴られた衝撃で床へと強く叩きつけられた。
それも床の板が割れるほどで、尋常ではないダメージを受けたのは誰の目からも明らかだった。
普通なら頭が砕けて死んでしまいそうな威力で、完全に受けてしまったタナトスもただではすまない。
頭から血を垂れ流し、床に伏したまま動けずにいた。
まさに一撃必殺と呼べる拳を振るったアリストは、タナトスを見下ろして呟いた。
「ふん、どうやら気を失ったみたいだね。しかし他から聞くほど、たいした男じゃなかったね。リール街の門を破壊したと聞いていたから、とんでもない奴だと思っていたんだけど。…さて、とりあえず連れて行こうか。じゃあね、お食事中お邪魔したよ!」
アリストは店内の人たちにそう言って、動かなくなったタナトスをどこかへと連れて行くのだった。
その様子を、食い逃げ犯は客に隠れて眺めていた。




