アスクレピオス街の危機
時刻は昼前のことだ。
タナトスが拉致されたのをポメラが観測し、拠点の居場所を特定してから一晩経っていた。
それまでにシャウ達は救出するための準備を済ませており、あとはスイセンの目が覚めるまで待機していた。
新たに武器を調達したミズキとポメラにはそれぞれ長剣を、シャウは変わらず三節棍の武器だ。
そして各自戦闘の準備を終えている三人は、スイセンが眠る部屋で何気ない会話をしていた。
始めに、椅子に座っていたシャウが、壁に寄りかかっているポメラに確認するように訊いた。
「それで、拠点の場所は西区にある門の近くの住居なんだよね」
「ふむ、そうじゃ。詳しい場所はあとで案内するが、見た目としてはただの住居と変わりない建物じゃった。おそらくあの建物の中には、通路となる穴でも掘ってあるんじゃろうて」
「穴ねぇ。よくやるもんだよ。そこまでするなんて感心しちゃいそう」
「そうじゃな。おそらく魔物との戦争時から準備していた穴なんじゃろう。元は戦争のための穴蔵だったんじゃろうが、今は拠点として活用している。そんな所だろう」
「一応彼らなりに戦闘には備えていたってことになるのかな。ってミズキちゃん、浮かない顔をしているけど大丈夫?」
ベッドに腰をかけているミズキが思い悩んだ表情をしていることにシャウが気づいて、心配の声をかけた。
するとミズキはスイセンの頭を軽く撫でながら、目を伏せて沈んだ声で答える。
「タナトスさんのことが心配で…」
「わはははー、タナトスは平気でしょ。なんたって、ミズキちゃん達の奪還を一人で成し遂げているんだから。奪還に比べたら、今回の捕縛されることなんて温いね」
「そ、それでも万が一のことがありえます。そうです、例えば私たちの想像がつかないような実力者がアジトにいたり…、とんでもない罠がある事も考えられます」
「そうだね。そういう話になっちゃうと、あらゆる可能性が出てくるかもしれない。でもね、ここは一つタナトスを信じるべきだよ。それにタナトスを超える人物なんて私が知る限りでも一人だけだし、対等に渡り合える人物だって片手で数えれる人数しかいないから。とても窮地に陥っている姿が想像つかないかな」
「私の貧困な想像力でも、タナトスさんが窮地に陥る姿は想像がつきません。…うーん、でも何でしょう、ものすごく胸騒ぎがするんですよ。こう、タナトスさんでも、どうしようもできないことが起きそうな……」
ミズキがそこまで言っていた時のことだった。
宿の外から、街中に響き渡るような複数の鐘の音が重なって聞こえてきた。
何度も激しく鐘が打ち鳴らされて、甲高い音が無意識に危険信号として認識して、ただ事ではないと詳しい状況説明が無くても理解できた。
しかし何が危険なのかまでは分からない。
だから唐突のことにシャウは驚いて椅子から飛び上がり、ポメラに慌てて声をかけた。
「うわわ、ポメラ師匠この鐘の音なんだろう!明らかに物騒な感じだよね?」
「むぅ、魔物の戦争時では警報としてよく鐘の音を鳴らすことがあったが、同じ理由で鳴らすことは考えづらい。もしかしたら魔物がどこからか、アスクレピオス街に侵入したのかもしれん。様子を見に行くぞ、シャウよ」
「うん、分かった!あ、ミズキちゃんはここで待っていて!スイセンちゃんを放置するわけにもいかないから!念の為に気をつけてね!」
シャウは目配せして言って、すぐにポメラと一緒に急いで客室から出て行くのだった。
だからミズキはただその背中を見送ることしかできず、遅れて小さな声で武運を祈る言葉を口にした。
「シャウさんとポメラさんも気をつけてください…」
そうしてミズキは再び目を伏せ、心配そうな眼差しでスイセンを見下ろした。
それからシャウとポメラは建物内だということを気にせず、一気に階段と通路を駆け抜けて外へと飛び出た。
外に出れば警鐘が聴こえてくるばかりで、見渡すだけでは具体的に何が起きているのか分からなかった。
それは他の街の人も同様で、シャウ達と同じく急いで外に出てきただけで戸惑う姿ばかりだ。
誰もが、どうして警鐘が鳴っているのか把握できない。
「ポメラ師匠、屋根に登ろう」
「うむ」
シャウの提案をポメラは受け入れて、状況確認のために二人して宿の屋根へと駆け上がっていった。
それから見渡すまでもなく、すぐに彼女らは空へと昇っていく黒煙を見つけた。
しかし見つけたのは一つや二つだけではない。
飛び火によるものか分からないが、すでにいくつもの建物が燃え上がっているであろう現状が遠目でも見受けられた。
二人してそのことを視認して、シャウは真剣な口調でポメラに声をかける。
「どうやら火事みたいだね」
「あっちは西区に当たる場所じゃな。あそこだと、ちょうど拠点の近くになるかもしれん。シャウよ、行こうか。街中に響く警鐘となると、ただの火事とも思えん」
「うん、そうだね。このまま屋根の上を駆けていこうか」
すでに路地は混乱している住民が多く居て、混雑している有り様だった。
だから二人は持ち前の身体能力を活かして、屋根を足場として駆けては跳んでいき、西区の方に向かいながら次々と屋根を跳び移って行った。
西区に近づけば近づくほど悲鳴や怒声が多くなり、兵士が住民を誘導させる姿が見受けられる。
このことにシャウは不安が混じった疑問の声を漏らした。
「なんだろう、何だか尋常じゃない雰囲気だね。もしかして本当に魔物が攻めて来たとか…?」
「どうじゃろうな。考えづらいとは言ったが、まさに怪しい雲行きじゃ」
それから十数分間ほどの移動を続けて、やがて西区にたどり着くときのことだ。
足元を見れば、路地で兵士達が住民を守りながら魔物と争っている姿が見えた。
その光景でようやく予感は確信に変わる。
どこからか魔物が侵入してきて、住民を襲っているのだと。
それも警鐘を鳴らすほどの頭数で、街全体に避難を促すまでの規模にまでなってしまっている。
このことにシャウは焦り気味に、ポメラに指示を仰ぐ。
「うわわ~、これは酷いね。どうしようポメラ師匠。私達も救援に動いた方がいいかな」
「それは得策かもしれんが、タナトスのこともある以上最善とは言えまい。もしかしたらこの騒動、タナトスの方と関係しているかもしれん」
「え、じゃあどうするの。もしかしてこの混乱の中、私達二人だけで反抗組織のアジトに向かうべき?」
「それがどう解決に繋がるのかも難しい所ではあるのう。仕方ない。まず目先の問題として、ここは一度住民の避難に協力を…」
ポメラが話している途中、突然シャウは屋根から飛び降りた。
一体何事かと視線で動きを追えば、シャウが着地する先には魔物に襲われている子供の姿があった。
魔物は凶悪な牙を持った小柄な狼で、子供を喰らおうと飛びかかる。
それにより子供は後ろへと仰け反って転び、無様に尻餅をついては魔物の牙で身が切り裂かれそうになった。
しかし牙が子供に触れる直前、シャウが落下の勢いと共に三節棍を振るって魔物の頭を叩き割る。
頭が砕けるような音と同時に魔物の頭は地面に叩きつけられて、そのまま動かなくなった。
すぐにシャウは子供の方へ振り返り、優しい口調で話しかけた。
「大丈夫?ここはお姉ちゃんに任せて、早く逃げなさい。ほら、どこもケガをしていないから」
シャウはそう言いながら子供の手を握り締め、転んだ拍子に負った傷を治癒して元気づける。
このことに子供は驚きを覚えるも、すぐにシャウの言葉通りこの場所から逃げていった。
「う、うん!ありがとうお姉ちゃん!」
シャウは離れていく子供の姿を路地で見送り、小さく手を振る。
そして彼女の傍らにポメラも着地して、同じく視線で子供の後ろ姿を見つめながら言った。
「いきなり動き出すから何事かと思ったぞ。全く、人の危機には敏感な良い馬鹿弟子じゃ」
「わははは、そう褒められると照れるね。さて、まずは民間人を助けるんでしょ?じゃあ早速行動しなきゃ!」
「そうじゃな。まずは目先の急用を片付けていこうではないか。面倒な問答はそれからじゃ」
これからの行動を口にして、ポメラとシャウは民間人の避難を第一に魔物の退治を始めていった。




