不穏の始まり
それとなくアカネは標的から逃れるべく後ろに下がっていった。
タナトスは魔剣を構えていると、暗殺者カラスも戦闘の意思を見せて懐から短剣を取り出した。
向き合う両者。
このとき、タナトスは集中してカラスの動きに細心の注意を払っていた。
だがカラスが一歩踏み出してきた時のことだ。
彼の姿は消え、気づけばタナトスの目の前にいた。
同時に交差するタナトスの魔剣の刃と、カラスの短剣の刃。
一方は青い軌跡が描かれ、剣同士がぶつかって金属音を打ち鳴らす。
そして短剣の刃の方は破壊され、瞬時にカラスは後ろに下がった。
「おっと、いやはや…これは予想外。いきなり反応されるとはね」
「言っただろ。かなりの手練だと」
挑発的にタナトスは言葉を返した。
しかしタナトスが動きに反応できたのは、実は事前にカラスの戦法を知っていたからだ。
スイセンから聞いたのは身体的特徴だけではなく、戦闘の動きも聞いていた。
実際に見るまではいまいち理解していなかったが、こうして動きを目の前にしてよく分かる。
確かにいつ飛び込んでくるのか分からなければ、戦法を知っていても対処は難しい。
「悪いが、余裕が無いんだ。遊びは無しだ」
そう言うとタナトスは脱力して、魔剣の尖端を下ろしてしまう。
まるで自然体だ。
日常的な姿勢で、戦闘に見せるものではない。
更にそのまま歩き出して、二歩目を踏み込んだときだ。
タナトスの姿は消える。
カラスには、まさかと思う余裕すらない。
気づけばタナトスの姿はカラスの目の前に現していて、接近しきっていた。
「っこれは、だが…!」
これはカラスと同じ戦法の動きだ。
だがまだ慣れていないのか、タナトスの動きは鈍くて武器の振りにまで動作がなっていない。
ただ接近しただけだ。
だからカラスは別の短剣を振るって、タナトスの首元を抉った。
そのはずだった。
「なっ…!?」
まるで手応えがない。
空を切るような、ではなく完全に空を切った感覚だった。
そのことに驚いていると、タナトスは背を低くして魔剣を構えていた。
短剣はタナトスの遥か頭上を通り過ぎていたことになる。
錯覚?残像?全く別の戦法?
瞬時にカラスは余計なことを考えるも、それ以上の思考は許されない。
タナトスは魔剣を鋭く振りかざし、一瞬でカラスの腹部を貫いた。
「ぐぅっ…!」
流血する。
血が飛び散る。
痛み、驚き、焦燥、苦しみとそれぞれの感情が一気に押し寄せてきた。
すぐにカラスは後ろに下がることで無理に魔剣を引き抜き、腹部を手で押さえた。
三日前同様に酷い痛みだった。
スイセンに負わされた前の傷だって完治しておらず、彼にとっては二度目の深傷だ。
「いやはや……まいったな…。こうもあっさりと私を退けるとは…」
「本当さすがね。まるで相手が雑兵だったわ」
「私が雑兵…、ははっ……全くだ…。ぐぁっ…!」
アカネの言葉に反応して、話す度に腹部が酷く痛んでいる。
呼吸が荒れる。
血が止まらない。
戦闘態勢を保っておられず、カラスはこれ以上の戦闘はできない。
タナトスは魔剣に付着した血を振り払い、魔剣の刃を向けなおして、カラスにもう一度同じことを言った。
「言っただろ。かなりの手練だと。甘くみたお前の負けだ。大人しく退くんだな」
「見逃すと?いやはや…、甘いのはそちらだ。見ていろ…。私はこれ以上の失敗は許されない。私はこれ以上の失態による辱めを受けるのなら、死んだほうがマシだ。そして死ぬくらいなら、命を捧げて暗殺を成し遂げてやろう」
「……急に何を言っている?」
カラスがどこか不穏なことを口走り始めた。
そして自らの懐を漁りだして、手のひらサイズの球体を取り出してきた。
導火線がついていて、それはまるで小型の爆弾だ。
花火で放たれる玉みたいで、紙で包まれた球体。
それを手にしてカラスは笑う。
「こうなったら今日全員を始末してやろう。タナトス、奇跡の勇者アカネ、平和の勇者シャウ、裏切り者のスイセン。全員…抹殺だ」
何をしようとしているのか分からない以上、タナトスとアカネは警戒に徹していた。
するとカラスは近くのランタンを手に取って、その火で球体の導火線に点火させた。
まさか爆発させるつもりなのか、とタナトスは驚く。
ここで爆発されたらどうなるか、分かったものではない。
もしかしたら天井が崩れて生き埋めになる可能性がある。
だからタナトスは動き出そうとした。
「させるかっ!」
でも遅い。
道の目の前にいたカラスは引火を待たずに、ランタンの火に球体を押し付けた。
同時に球体が炸裂して、カラスの手元で小さな爆発が起こった。
「きゃあ!」
飛び散る火と熱に、耳を衝くような響く轟音でアカネが小さな悲鳴をあげる。
仕方なくタナトスは後ろに下がって、アカネを庇うようにして身を覆った。
爆発の衝撃で揺れる地盤に、崩れる天井。
出来事は時間にしたら数十秒もなかったことだが、これほど状況を理解できずに命の危機を覚えたことは数少ないことだろう。
しばらくして爆発による土の崩れが落ち着き、ようやくタナトスとアカネは自分の身の安全に安堵する。
それからアカネが周りの状況を確認しようとしたとき、タナトスの顔が近くて足蹴りした。
「ちょっと近いわ。守ろうとする気持ちはありがたいけど、もう離れなさい」
「咄嗟に動いただけだ。そんな無下にするな。で、これは……面倒だな」
タナトスはアカネの手を引いて立ち上がらせながら、自分の置かれている状況を確認した。
土砂崩れは酷いものではなかったが、肝心の通り道が塞がれてしまっている。
近づいて見てみると、調べたところ二メートルほどの厚さはある通行止めだと感じた。
もしかしたらそれ以上かもしれない。
とにかく容易に掘って進める距離ではなく、掘削する道具も無いので実質生き埋めの状態だった。
だが助けが来る場所でもないので、ここで待っているわけにもいかない。
タナトスは土砂崩れとなった場所に触れながら呟いた。
「なんとかここを出ないとな。あいつ…カラスの言っていたことが気になる」
焦る気持ちのタナトスとは対照的に、アカネはランタンの近くで座って静観するのだった。
そして一方では、カラスは血を垂れ流しながら洞窟内を歩いていた。
手元での爆弾の炸裂によっては全身は傷つき、片手は爆発で失っている。
そんな満身創痍の状態で向かう先は、医務室や治療するための場所ではない。
シャウとスイセンを暗殺するために、ある行動に出ようとしていた。
すると揺れで慌てていた反抗組織員が偶然カラスの近くを通りかかり、驚きの声をあげた。
「カ、カラスさんじゃないですか!その傷…、いや手が……酷い状態だ。急いで治療を…!」
「いや、いい…!それより私を魔物の牢へ連れて行け!」
「魔物の牢へ!?どうして今そんな…」
「アスクレピオス街に魔物を放つ。独断だが、今この街にいる平和の勇者を暗殺するために作戦実行だ…!早くしろぉ……!もう、悠長にはしていられない!」
反抗組織員はその言葉に酷く戸惑いをみせるも、確かに頷いて言われた通りに動き出した。
こうしてアスクレピオス街を舞台に、反抗組織の攻撃からシャウ達による防衛戦が始まろうとしていた。




