牢屋にて
タナトスの意識はぼんやりとしていた。
誰かが自分を背負っていて、何者かと話している。
それからどこか暗い所へ連れてかれて行った。
ここがどこなのか全く認識できない。
暗いから、地下なのかもしれない。
けどそれ以上を考えることはできなかった。
そもそも声を言葉として認識できないほどに、意識がはっきりとしていない。
ただ微睡んで、体に力が一切入らなかった。
そしてやがてタナトスは乱暴に放り投げられて、受身すら取れずに地面に転がった。
鉄の扉が閉められる音、遠ざかる足音。
土の臭いが鼻腔をくすぐる。
「うえつ…」
吐きそうになる。
酔いのせいか、薬のせいか分からない。
もうこれ以上は意識を保てず、再びタナトスは眠るようにして暗闇に呑まれた。
それからどれくらいの時間が経ったのか分からない。
どういうことか、タナトスの体に衝撃を与えてくる人物がいた。
まるで叩かれているような衝撃で、体が揺れて、厳しく声をかけられる。
それによりタナトスの意識は覚醒し始めた。
「いい加減、あなた起きなさいよ」
女性の声だ。
あまりうまく聞き取れないが、何者なのだろう。
ポメラの声にしては透き通り過ぎているし、シャウにしては落ち着きがあるし、ミズキやスイセンと比べて少し年齢が重ねられているような気がする。
なんというか、曖昧な感覚だがミステリアスな雰囲気がある声だ。
そして誰の声かを思い出す前に、ぼんやりとだが視界が理解できるようになってきて最初に色が分かった。
うっすらと照らされる灰色の鉄に、人の形が見えてくる。
肌色に、黄色…というより金色だろうか、そんな髪色で深緑の瞳に、白と赤のコントラストの服で……。
ここでタナトスの完全に目が覚めて、慌てて起き上がった。
「うおっ…!お前は…!?」
「あ~らあら、ようやく起きたのね」
よく聞けば充分に聞き覚えのある声だった。
それに姿だって数日前に見たばかりだから、よく覚えている。
信じられないことに、タナトスの目の前には奇跡の勇者アカネの姿があった。
よく見れば耳に小さなピアスをしている。
いや、そんなことより一体なぜここに?
あと、まずここがどこなのかも分からない。
敵の策でやられたことだけはおぼろげに記憶しているが、他の全てが分からなかった。
見れば周りは鉄の牢屋で、自分が入れられて捕まっていることだけは理解できるが…。
とにかく混乱が酷い。
しかしタナトスに比べて、アカネは冷静だった。
それも敵意に無く小馬鹿にするように薄く笑って、アカネは耳そばで衝撃的な言葉を囁いた。
「実は…私、反抗組織の一員なの」
「なっ、何!?」
「馬鹿ね、嘘よ。私も捕まったの。でないと、こんな鉄格子の牢に一緒に入っているわけないじゃない」
「…おいおい、お前な……」
「くすくすくす」
タナトスの驚く顔が予想通りだったらしく、楽しそうにアカネは静かに笑う。
奇跡の勇者アカネが初めて見せる人らしい優しい表情。
よく分からないが、ただタナトスは複雑な気分だった。
「それにしても私の顔を覚えてくれていたのね、嬉しいわ」
「お前の顔は、もう忘れたくても生涯忘れられないさ」
「あら、それって愛の告白かしら?照れるわね」
「…ずいぶんとお気楽な発言だな。それで、お前も捕まったってどういうことだ」
適当な会話をタナトスは切りあげて、真剣な口ぶりで本題に入る。
なのにアカネの表情は力なく、澄ました表情で答えるだけだ。
「あなた達を追ってアスクレピオス街に来たのだけど、私一人で休憩した矢先に毒を盛られたのよ。油断していたわけではないけど、予想外のことだったわ。まさか反抗組織が普通に市民に紛れているなんてね」
「…そうか、俺と似たようなものか。って、ちょっと待て。お前、反抗組織のことを知っているのか?」
「あらあら、それって馬鹿にしているのかしら?勇者全員、反抗組織の存在だけは把握しているのよ。とは言っても、国王が暗殺されるまでは誰も気にかけていなかったに等しいのだけど」
「なんだ、ということは国王暗殺も反抗組織の仕業だと睨んではいたんだな」
「当然ね。それであなたという謎の人物が現れたのだから、反抗組織の一員だと思っていたのだけど……」
そこで言葉を区切り、アカネはタナトスを横目で見る。
意味深な視線にタナトスは不思議そうな顔をすると、どういうことかアカネは溜め息を吐いた。
「はぁ…。私同様に捕まっている姿を見る限り、当てが外れたってわけね。何だか自分が情けなく思えるわ。とりあえず、ちょうどいい機会よね。お互いに武器が没収されているわけだし、大人しく情報交換とでもいきましょうか」
「情報交換か…。どうかな、先に言ってはなんだか、俺はあまりお前のことを信用していないんだ。正直に話すかどうか、分からないぞ」
「あらあら、そんなこと言っていいのかしら。話の内容によっては協力者になってもいいのよ?まぁ、よっぽどの内容でもなければ、協力はありえない話なのだけど。あと、信じるかどうかは私の勝手。あなたはただ話すことだけに徹しなさい」
「自分勝手な奴だ…。けど、そうだな。少しでもこっちの苦しい事情を理解してくれるのなら、充分ありがたいことではある。とりあえず話すだけ話すが、まず俺が反抗組織の協力者や同士じゃないのを大前提に話す。いいな?」
これからタナトスがアカネに話そうとしている内容は、かなり繊細なことだ。
少しでも言うことを間違えれば、一気に疑いを持たれて悪い聞き分けをされるだけだ。
だから、とにかくタナトスは最初に念を押しながら話す。
「いいか、何度も言うが俺は反抗組織とは無縁だからな。国王暗殺は濡れ衣だ。分かったな?」
「しつこいわね、分かったわよ。早く内容を話しなさい」
「よし。じゃあ、そうだな。最初に国王が俺の目の前で殺害されたことを話そうか。お前も…」
「お前ではなく、アカネ様と呼びなさい」
「あいにく、敵意を持ってくる相手に敬称をつける器量はない。アカネで呼ぶぞ」
「無礼な人ね、不敬罪になっても知らないんだから」
アカネは呆れてぼやいてくるが、タナトスとしては自分が呆れたい側だった。
でも今はそんなことを気にしている場合ではない。
気を取り直して、タナトスは説明を再開した。
「刃を向けた相手に今更だな。それで、国王暗殺がどのようなものだったかアカネも一番に知りたいことだろうから、最初に説明させてもらうぞ」
「そうね。はい、どうぞ」
どこか投げやりに促さて、タナトスは怪訝な想いを抱きながらも国王暗殺について、かいつまんで説明した。
もちろんいちいち不法侵入だとか、行動がただの賊ね、と文句を言われたのを無視して話続けた。
その話を聞いて、アカネが自分の中で簡単に要約して口にした。
「そう、つまり国王暗殺は本当に偶然に居合わせただけで、愚かな行動のせいで冤罪を負うことになったのね。一言で言うなら、自業自得ね。それでその女性の暗殺者とやらの罪を背負って、あとはどうしたのかしら?」
「そのあとは…お前たちの追撃から何とか逃げて、リール街の外でシャウが協力を申し出たんだ。俺の事を信用しているから、協力して真犯人を捕らえようと」
「あらあら、ずいぶんとシャウちゃんと仲が良いのね。嫉妬しちゃうわ。もしかして恋人か何かの仲なのかしら?」
アカネはシャウのことをちゃん付けで呼ぶのかと思いながら、うまく探りを入れてくる言葉にタナトスは正直に答えた。
「シャウとは昔一緒に戦った仲だからな。それで信用されているって所だ。それ以上もそれ以下でもない。で、更にもう一人の女性…ミズキって言うんだが、そいつも俺の仲間として鉱山の町レイアに向かったんだ」
「ミズキねぇ。まぁその子については連行しているから知っているわ。知っているのは顔と名前だけではあるけれど」
「そういえばそうだったな。それで鉱山の町レイアでシャウの師であり仲間であるポメラを仲間に加えて…更にミズキの双子の妹、スイセンも仲間として加わった」
「スイセン……。あぁ、あなたと一緒に私に襲いかかって腹部に穴を開けてあげた子ね。それで?あなた達は何を目的にそんな大所帯で、このアスクレピオス街まで来たのかしら?何か情報か目的があって来たのよね」
アカネの推測通りで、痛い着眼点だ。
包み隠さず言うべきなのだろうが、タナトスは少し迷い躊躇った。
スイセンがその国王の暗殺者張本人と聞いたら、間違いなくスイセンはアカネに狙われる。
だからタナトスは少し言葉を変えて、うまく隠して説明した。
「実はな、そのスイセンって子は反抗組織の一員だったんだ。今は身内であるミズキのことを優先して裏切っているんだが、そのスイセンがこの街に反抗組織の拠点があるって教えてくれた。それで俺たちは国王の暗殺者と反抗組織の親玉を捕まえることで無実を証明しようと、行動に出たんだ」
それだけの言葉で理解してくれたのだろうか。
アカネはタナトスの言葉を何度か頭の中で整理しては繰り返し、状況と思惑を理解しようとする。
考える時間は短いものだったが、タナトスとしては落ち着かない辛い時間だった。
時間が経てばアカネは小さく頷き、自分の中の結論を言葉にした。
「なるほどね。全てが本当なら、よく分かったわ。きっと反抗組織もあなたの濡れ衣は予想外で、何とか自由にできる手駒にしたかったのね。この捕まっている状況で、そのことが充分に推測できるわ。それと私たちに捕まったら無実を証明する機会が失われるから、抵抗した理由も分かる。あと国王暗殺を除けば、負傷者はいるけど誰も殺害していないから実質無罪に等しい」
そこまで言ったところでアカネは一息吐く。
そしてついにアカネは、タナトスにとっては好ましいことを言った。
「つまりあなたは全くの無罪で、それどころか反抗組織を敵にして動いている国の剣士ってことね。全部を信じたわけではないけど、ひとまずはそういうことにしましょうか」
「そう言って貰えると助かる。これで俺が言えることは全てだ。それでだ、一応これは情報交換なんだろ。こっちは全て話したんだ。もちろん、そっちも何か情報を口にして貰えると嬉しいんだが」
「厚かましいわね。私はたいして無いわよ。強いて言うなら、私は野菜が好きって事かしら。特にトマトが好きよ。はい、情報提供終わり」
「おいおい、いくら何でもあんまりだろ」
「もう、うるさいわね。私のプライベートな情報は王族のトップシークレット級よ。じゃあ、いいわ。代わりに協力してあげるわよ。できる限りだけどね」
どこかいい加減にアカネが言うものだから、本気で言っているのか判断しづらかった。
だからタナトスはしっかりとした認識にするために、しつこいと言われるのを承知で確認した。
「できる限りってどれくらいだ?ちゃんと言ってくれ」
「できる限りはできる限りよ。そうね、せいぜいあなた達を見逃して、反抗組織の殲滅に協力するぐらいかしら。あとここからの脱出。言っておくけど、私にも私の立場があるから別に守るわけじゃないわよ。それとなく立ち回るだけだから、他の勇者や兵士や傭兵に襲われても止めたりしないし、守りもしない。手助けはしないってことよ」
「充分だ。それだけ確かなら、俺たちにはありがたい話だ」
「ずいぶんと長々と話したわね。もう口が疲れちゃったわ。さて、ここにも飽きたし動きましょうか」
アカネはそう言って、自分の金髪を耳にかけ直す仕草をする。
耳にかけている小さなピアスがうっすらと輝いて見えた。
そしてアカネの視線は牢の鉄格子に向いており、静かに歩いて近づいた。
その彼女の後ろ姿を見て、タナトスは質問を投げかける。
「動くってどういうことだ?」
「言葉通りよ。あなた、いつまでもここに居るつもり?逃げるのよ」
アカネが最後の言葉を言うと同時に、小さな光りが発せられて牢の扉にかけられていた南京錠を閃光が切断して破壊した。
すぐにアカネは何事も無かったように扉を開けて、あっさりと牢の外へと出てしまう。
「さぁ行くわよ。言っておくけど、私はあまり能力を使えないから護衛を頼むわよ。素敵な剣士のタナトス君、くすくすくす…」
奇跡の勇者アカネはミステリアスな微笑みをみせて、タナトスと共に脱出を試みるのだった。




