夜の宿
シャウとの朝食終えてから、スイセンは一人で行動していた。
それとなくアスクレピオス街で話を聞いてみたり、北区を見回ったり、ほとんどはただの時間潰しに過ぎない。
何をしても考えることは今晩のことだった。
そしてついに空が暗くなったときのこと、夕食を外で済ませてからスイセンは宿屋に戻った。
すると宿屋の玄関ホールでちょうどエリックとユウの二人に出会った。
二人がスイセンの存在に気がついて先に声をかけてきたのは、やはりと言うべきかユウだ。
「あ、スイセン様!今、戻られた所なんですね!」
彼女の嬉しそうな瞳がスイセンに向けられる。
どうしてこの子は私に好意を向けてくるのだろうと思いながら、スイセンは言葉を返した。
「えぇ、まぁねぇ…。そういえば二人はいつまで滞在するつもりなのかなぁ?大陸中を旅しているから、すぐにアスクレピオス街から出ちゃうんでしょう?」
「明日から数えて、あと二日間は居ようと思っています!スイセン様は?」
「私はアスクレピオス街で調査することがあるし、合流する人がいるから明確には決まっていないかなぁ。ただ、少なくとも五日間の滞在は確実だねぇ」
「そうなんですか…。では、それまでは一緒に居られますね!光栄です!」
大げさな発言と態度だと、スイセンはつい思ってしまう。
比べてユウの旅仲間であるエリックは最初と比べてかなり落ち着きのある態度になっていて、ユウの肩を掴んで一歩身を引いて話した。
「おい、ユウ。夜だし、スイセン様は疲れているだろうからあまりはしゃぐなよ。すみません、スイセン様。今、ユウを連れて行きますので」
「あ、ちょっと待ってエリック!まだスイセン様と話したいことあるの!ひ、引っ張らないでよー!」
「こうでもしないとユウはスイセン様にべったりだろ。ほら、さっさと行くぞ」
「あ、スイセン様お休みなさい!明日、よろしければ朝食にお付き合いくださいね~!」
そんな様子でエリックに連れて行かれるユウの姿を見送りながら、スイセンは軽く手を振った。
すぐに二人は階段を上がっていって、姿は見えなくなる。
元気な二人だと思っていると、次にちょうどシャウが外から宿屋に帰って来た。
この二人の目が合えば、シャウは疲れ気味に今日のことを話しだした。
「やっほー、スイセンちゃん。お疲れ~。それと先に言っておくけど、私は収穫無しだよー。まだ全員に話を訊けたわけじゃないけど、この調子だと意外に尻尾を掴めないって所かな」
「そうですかぁ。私もまだ手がかりは無しですかねぇ。……今は、ですけどぉ」
「うーん、もう少しは簡単に事が運ぶと思っていたんだけど、見通しが甘かったかなぁ。でも、まだ猶予はあるからね。それまでは諦めずに私は頑張るよ!」
「相変わらずですねぇ。では、私はもうお疲れ気味なので部屋で休ませて貰いますねぇ。お休みなさい、平和の勇者」
「あ、あれ?何だか私が空回りしているみたいな反応だなぁ、もう!いいもんいいもん、不貞寝してやるんだから!」
あっさりとスイセンが話を切り上げると、シャウは子供のように駄々をこねる発言をする。
しかしスイセンはその反応を無視しては階段を上がって行くので、慌ててシャウも付いて行くようにして小走りした。
すぐに二人は軽く挨拶を済ませてから、それぞれ別々の部屋へと入って行く。
静かな個室で、窓からは月明かりがほんのわずかだけ漏れてきている。
そして隣室からはシャウが飛び込んでベッドを軋ませる音が聞こえてきた。
「ふぅ……」
スイセンは溜め息を吐く。
暗殺のことをシャウには話していない。
暗殺のターゲットがシャウだから当たり前だ。
扉の前で立ち尽くしながら目を伏せて、数秒だけ考える。
意を決するのは容易じゃない。
だが行動に出れば、暗殺することに迷いは無くなるだろう。
問題は、暗殺を始めるこの時間。
混乱してしまいそうな想いが、今のスイセンにはどうしても生まれてしまう。
でも、実はもうスイセンは行動に出ている。
すでに選択してしまっている以上、迷いは断ち切らなければいけない。
「よし…」
スイセンは覚悟を決めて、しばらく時間が経つのを待った。
時間にして四時間ほど。
それほど経過すれば、多くの人が眠りに付き始める時間帯だった。
アスクレピオス街全体も静まり返り出して、暗殺するには好都合な夜となる。
ゆっくりと慎重にスイセンは部屋から廊下に出て、シャウがいる部屋の鍵を確認してから忍び足で205号室の前に立った。
続けて、静かに205号室に小さくノックをする。
すると扉が音も無く開かれて、黒服を身にまとった暗殺者カラスが姿を現した。
朝の時とは違って目つきが鋭く、ひと目でただ者じゃないと分かる風格がある。
スイセンはそんな目つきで見下ろされながら、カラスに暗殺の決行を手短に話す。
「平和の勇者は203号室で眠ってますよぉ。鍵は私がピッキング済み。私は配置に着くから、二分後に突入して」
「分かった。二分後だな。いやはや、任された」
そう言ってカラスは廊下に出ては、壁に寄りかかった。
まるで無用心に見える行動だが、彼の気配の殺し方はスイセン同様の繊細さで、もし階段に人が通りかかっても違和感を覚えさせないほどだ。
それほどまでに異常に雰囲気に馴染んでいる。
気配が無いカラスの姿を後ろ目に、スイセンは足音を立てずに廊下を進んで階段を下りていく。
そして誰にも気づかれずスイセンは宿屋の外へと出てから、近くの木を駆け上がり、建物の屋根へと登っていった。
このとき、シャウは部屋で全身を布団で覆い被せて、ぐっすりと深い眠りに入っていた。
暗殺者カラスはその間、ただスイセンに言われた通りに二分間だけ待っていた。
窓を見ればスイセンが屋根へ登ったのを敏感に察知できたし、準備が整ったことをすぐに把握できた。
それは一分足らずのことだったが、ひとまず時間通りに動くため気配を消し続ける。
暗殺するにおいて二分間という時間は長い。
待ち伏せで暗殺することもカラスにはあったが、その時も数分の時間が長く感じたものだった。
でも、長く感じるということは彼がリラックスできているからこそ他ならない。
決して乱れない呼吸と鼓動、揺るがない意思で無機物のような感情。
それがカラスには備わっていて、故に彼は凶器そのものだと反抗組織の内部でも囁かれていた。
彼は魔物を滅する以上に、殺害において快楽を覚えているのではないかと。
「さて…」
二分ほど経過して、カラスは動き出した。
203号室の扉の前に立ち、念の為に耳を済ませておく。
203号室からは寝返りでもうったのか、僅かな音が聞こえてくるだけだ。
すぐにカラスは短剣を取り出して、慎重にドアノブを捻って扉を開ける。
扉を開閉することで起きる空気の流れに気をつけて、服の擦れから扉や足音の一切の物音を立てず、203号室に侵入した。
室内を見れば、ベッドの上で布団に包まっている人の形が見えた。
頭まで隠れていて、寝づらそうにさえ思える。
それにこれだと、相手はカラスの息遣いの気配を肌で感じ取ることはない。
だから気づかれずの暗殺が容易だ。
カラスは素早くベッドに近寄っては、短剣でターゲットの首を狙う。
そして無情にも腕を振るって、深く切りつけようとした。
「っく!」
だがカラスが短剣で切りつけるより早く、布団に包まっていた人物は起き上がると同時に別の短剣でカラスの首元を斬ろうとした。
それは素早く的確な狙いの刃だったが、カラスの動きが早くて見事避けてみせる。
すぐに布団に潜んでいた人物とカラスは間合いを取り、二人は構え合う。
そしてカラスは相手を見て嘲笑うのだった。
「いやはや、これはどういうつもりなのかな?スイセンさん」
カラスが武器を構える先には、屋根で待機しているはずのスイセンの姿があった。
どういうつもりなのか分からないが、何か小細工を仕掛けてきて策に嵌めようとしてきたのは明白だ。
つまりは敵だ。
スイセンはカラスの動きに要注意しながら、彼の質問に簡単に答えた。
「すみませんねぇ、実は朝の内に平和の勇者と鍵を交換して貰っていたんですよ。あとは窓から入って、待ち伏せしていただけに過ぎませんからぁ」
喫茶店で朝食を済ませたあと、スイセンはシャウと寝室を交換していた。
それは説明するまでもなく、暗殺者カラスを仕留めるためだ。
あとは言葉通り、屋根に上ってから窓を通して部屋に入ってベッドで武器を手に潜んでいただけだ。
そんな明らかに裏切りと捉えれるスイセンの行動に、カラスは目を細めて言った。
「そうですか。まぁ、そんなことはどうでもいいのですが、その行動が意味すること分かっているのですかね」
「分かっていますよぉ。私は平和の勇者を守る行動を取った。つまり反抗組織に平和の勇者の暗殺は絶対に不可能。私が守りますからぁ」
「……そうですか。いやはや、大した自信だ。それだけに残念。予定にはなかったのですが、平和の勇者共々始末しておきましょうか」
短剣を手にカラスはそう言って、静かに歩いてスイセンに近づいて行った。




