平和の勇者シャウ
リール街の外れにある草原の平地。
整備されていない野原に、一滴二滴と赤い血が滴っていく。
そんな野原の上でタナトスは激しく息を切らしては、汗を流しながら何度も浅い呼吸を繰り返していた。
それもそのはずで、タナトスは頭から酷く血を流していて他にも体の節々をケガしている。
彼の頭から血が流れているのは鐘の塔の瓦礫のせいで、他の傷に関しては奇跡の勇者の攻撃によるものだ。
あまりの様子にミズキは悼まれなくて、心配そうに声をかけた。
「タナトスさん、大丈夫ですか?」
「あぁ、これくらい何てことない。ただ、さっきのは死にかけたな。本当に危なかった」
鐘の塔が崩れてきたとき、タナトスはミズキを抱えて驚異的な身体能力を発揮して、本当に間一髪で押し潰されるのを回避していた。
ただ崩壊によって激しい土埃が舞っている中、崩れ落ちてきた瓦礫の一部がタナトスの頭に直撃して大きなケガを負う事態が起こっていた。
酷い頭痛にタナトスは歩こうとするも足元がおぼつかない。
だからミズキは慌ててタナトスの体を支えた。
「ちょ、ちょっと待ってください。そんないきなり動いたら危険ですよ!」
「今はまだ塔が崩壊したおかげで俺たちの生存は誤魔化せているが、どうせすぐに生き残っているのがバレて追われるんだ。いつまでもここに居られるか…!」
「でも、いくらなんでもこんな怪我だと…!」
タナトスの言葉は尤もで、ミズキは言いかけた言葉を濁してしまう。
ついには体に無理を利かせて、タナトスは移動を始めようとした。
だが、どこからともなく天真爛漫な声が聞こえてきて、その声はミズキの言いたい内容を言い放つ。
「そうそう!ケガ人は大人しくしないとね!ほらタナトス、こーんなに可愛い美少女達が気を利かせているんだから素直に聞き入れなさいって!」
聞き覚えがある声が聞こえてくると、すぐにタナトスは体勢をふらつかせながらも剣を構え直した。
合わせてミズキも鞘から剣を抜いて、リール街がある方角へと顔と剣の尖端を向ける。
すると二人の視線の先にはアホ毛を生やした茶髪の女性がいた。
青を強調した服装でミニスカートに短パンを穿いており、手には一メートル半の長さはある装飾された棒が握られている。
平和の勇者のシャウだ。
一度とはいえ昔はタナトスと共に戦った仲だが、彼はシャウの動作一つ一つに警戒して鋭い目つきで牽制するように威嚇する。
しかし、それに対してシャウは明るい笑顔で応えるだけだった。
「ふっふっふーん!そう警戒すなさんなって!奇しくも私は味方の立ち位置のつもりだから!」
「何をいきなり。お前は遠慮なく攻撃してきただろう」
「あれはその場だから仕方ないよ!私にも考えはあるからね!そもそもあの程度の追撃で、タナトスがやられるなんて微塵とも思っていなかったから!それに私はタナトスのことは信用しているよ!うんうん、聡明な私の判断は素晴らしいね!」
「よく平気な顔でそう言えるな…」
タナトスが警戒を緩めずに言葉を返すと、シャウはムッとしたように頬を膨らませて彼女なりに怒りの態度を表してきた。
ただ彼から見れば、そのシャウの表情は睨めっこという遊びで笑わせて来ているようにしか見えない。
それほどにシャウの表情は怒りが含まれてありながらも、可愛げに近いものがある。
「もう!味方だって言っているじゃん!どうせタナトスは国王様を殺してないんでしょ?もし殺していたら逃げる時に遠慮なく兵士達も殺していただろうからね。そもそも本当にタナトスが暗殺者なら、国王どころか城内にいる全員を皆殺しにしていた。そうじゃないの?」
「……別に俺は殺戮者じゃないが、ありえない話ではないな。でもよ、それだけで俺のことを信じるのか?まだ俺は何も弁解してないぞ」
「だーかーら、信用しているって言っているでしょ!信用したじゃなく、しているなの!この違い分かる~?だって、タナトスは私の命を救ってくれた恩人と言っても過言じゃないもの。そんな人を無条件で信用しないわけにはいかないよ!」
シャウは純粋無垢に、あっけからんとした態度で言ってくる。
これだけ言ってもタナトスが判断に渋っていると、ふぅ…とシャウは小さくため息を吐いてから、隙だらけの動きで頭のピンクのリボンを揺らしながら歩み寄った。
そして近づけばタナトスの体に素手で優しく触れる。
するとほのかに暖かい感覚がタナトスの体を包んでは、流血していた血が止まり始める。
その目の前の不思議な出来事に、思わずミズキは驚きの声をあげた。
「これが平和の勇者の力の治癒…!噂には聞いていましたが、初めて見ました」
「へっへーん!どう凄い?感銘でも受けちゃったかな!?とは言っても、私ができるのはあくまで本人が治せる傷を早く治しているだけ。だから不治の病や切り落とされた体は治せないし、蘇生みたいな真似事もできない。おかげで多くの仲間が死んじゃったんだよねぇ」
多くの仲間とは、魔王との戦いで死んだ仲間達を差しての言葉だとミズキは思った。
魔王がいる大陸である魔界大陸に上陸したときは、仲間は平和の勇者含めて六人だと記録に記されていた。
それが魔王を倒した時にはタナトスを除き、平和の勇者含めて僅か二名だけだ。
どのような戦いが繰り広げられたのかミズキには到底想像できないし、平和の勇者シャウの心境を察することもできなかった。
ただ無邪気に明るかった彼女の顔に、影が色濃く落ちたように見えた。
そしてタナトスのある程度の流血が止まって傷も塞がっていくと、シャウは手を離して一歩下がる。
「はい、治療完了!どうかな、これで動けるでしょ?」
「…あぁ、ありがとう。シャウ」
「うんうん、よしよし!まぁこの治癒に関しては、私には敵意がないって事の示しのつもりだから!いいね?じゃあ早速行こうか!」
シャウは元気良く喋っては、勝手に先頭を取るようにして歩き出した。
半ばミズキとタナトスの二人は、シャウのその行動に呆然としてしまう。
だからかシャウは棒を手にしながら振り返って、ごく当たり前かのように驚きの声をあげた。
「なんで私に付いて来ないの!?このままだと追いつかれちゃうよ?」
「早く行動に移るのは賛成だが、その前に一つ訊いていいか?」
「えー、何かな?私がどうしてこんなに可愛いかかな?それに関しては、私が平和の勇者だからだね!可愛くて強くて人助けと、万能こそ故の美貌だよ!ついでに性格も良いと来たもんだ!」
「そういうつまらない冗談はいい。それよりもだ。まさかお前もついて来るのか?そもそも本当に俺たちの味方でいいのか?」
タナトスが至極当然な質問を投げかけると、シャウはきょとんとした表情を浮かべた。
まさに反応の通りで、なんでそんな疑問なの?と言いたげな顔だ。
それから数秒の間があいた後、シャウは今更と言わんばかりに答えた。
「もちろんだけど?ってか、二人でどうにかするつもりなの?」
「……いや、勇者の助力を得られるのは大変助かるが、シャウはそれでいいのか?仮にも俺とミズキは王殺しとして知れ渡っているはずだ。そんな人物に力を貸してしまえば、いくら勇者という立場でも無事では済まないだろ」
「んー、分かんない!でも、きっと大丈夫だよ!平気平気さ、わははははー!」
あまりにも楽観的すぎる発言だった。
そのため逆にこちらが心配してしまいそうなほどだが、ここで無理に断っても都合が良くなる利は無い。
むしろ好意に甘えるべきだとタナトスは思い、しばらく考えてから頷いた。
「先に言っておくが、何があっても責任は取れないからな。ではシャウ、これからよろしく頼む。ミズキもそれでいいな?」
「待ってください。あの、平和の勇者様が同行して下さるのはいいのですが、まだ私は何があったのか説明されていないのですが……」
思えばミズキは無理矢理に連れて来られたのと同然だ。
彼女の発言にシャウは頷きながら言う。
「うんうん、そうだねぇ。私も王が殺されたとしか聞いてないから、よくよく考えてみれば何があったのか、いまいち分かってないんだよね!だから具体的に何があったのか、是非とも説明を求むよタナトス君!」
「そう…、だな。とりあえず俺が遭遇した出来事を先に説明するべきか。ただここで立ち止まっても仕方ない。歩きながら話そう」
こうして三人はリール街から離れるように歩き出し、タナトスはリール街の裏路地で迷っていた所から話し出す。
裏路地でミズキらしき人物を見かけたこと、仕方なく城の窓から入ろうとしたら既に侵入の痕跡があったこと、そこでミズキらしき人物が王を殺害したこと、それからミズキと合流するまでのこと。
かいつまみながらの説明だったが、だいたいの情報は充分にミズキとシャウの二人に伝わる。
それらの説明が終わると、ミズキは気難しい顔をしてから戸惑いながら話すのだった。
「あのタナトスさん。その……、私に似た人についてですが…」
「なんだ?何者なのか心当たりがあるのか?」
「えっと…、その人は私が探していたという仲間です。はい、というより私の双子の妹なんですよ」
「はっ?双子の妹だと…?」
つい歩いていた足を止めかけるほどにタナトスは驚いて、素っ頓狂な声まであげてしまう。
それからしばらく路地裏から見かけていた水色の髪の少女の姿を思い出しては、思考に耽けてしまう。
ミズキの言葉を疑うわけではないのだが、双子だと言われてしまうと妙な説得力があって納得はする。
声をかけても反応は薄かったし、何より路地裏の動きはミズキにしては軽快過ぎていた。
「なるほどな。それが本当なら、俺が見かけたのは間違いなくミズキの妹なんだろう。それでだ、その妹についての動向は理解しているのか?王を殺した理由や、お前とはぐれている理由とかのな」
「いえ、正直私の妹が何をしているのか分かっていません。ただ最近、妙に家を空けることが多くてついには家出のような状態になってしまったのです。それで私は妹を探して、こうしてリール街まで足を運んだのですが……。よく、分かりません。分からないのです。本当にタナトスさんが見かけたのが私の妹なら、どうして国王様を殺害したのか分かりません。妹は……至って普通の女の子なんですよ」
混乱しているようで支離滅裂になりかけているミズキの言葉を聞いて、次にシャウが少し怪訝そうな顔をして呟く。
それはまるでミズキの言葉に違和感を覚えているような口調だった。
「普通の女の子、ねぇ…?」
「ともかくだ。そのミズキの妹を見つけ出さないと、俺たちはどうしようも無いわけだな。ただ逃げ回るより希望があって助かる。これでやることは決まった。まずはミズキの妹を探し出す。後の話はそれからだ」
「すみません、タナトスさん。なんだか私に原因があるようで……」
「気にするな。いつか俺にご馳走でもしてくれたら、それでこの件に関しては無かった事にしてやるさ。無事に事が済めばだが…。さて、では少し足を早めるぞ。このままのんびり歩いていたら追いつかれる」
こうしてタナトス、ミズキ、平和の勇者シャウの三人はミズキの妹を見つけ出すのを目的に、早足でリール街から離れていくのだった。