暗殺者の短剣
そしてタナトスは気づかれぬ内に毒殺しようと、毒仕込みの短剣を素早く蜘蛛の魔物バエルに投げ飛ばした。
すると見事バエルの頭部に短剣が突き刺さり、毒が回ったのは目に見えて分かった。
「よし、これで…」
仕留めた、と続けて言葉を漏らしかけたとき、母体のバエルは暴れて動き出した。
さっきまでの子蜘蛛とは明らかに様子が違う。
その違いにスイセンが敏感に反応し、眉を潜めて言うのだった。
「どうやら毒が効いてないみたいですね」
「なに?なぜだ」
「恐らく子蜘蛛にはまだ免疫が無かっただけで、母体である成虫には効力が薄いんだと思います」
「となると、頭を切り落とすのが一番ってことか。なら、今度は二人で仕留めるぞ。正々堂々と攻めて一瞬で終わらす」
タナトスとスイセンは隠れていた岩陰から身を乗り出し、スイセンは一本の短剣をタナトスに手渡して互いに武器を構え合う。
すると攻撃に反応したバエルは、虫の羽の音のような鳴き声をあげて、容赦なく大量の粘液をタナトス達に向けて吐いた。
すぐに二人は散開して避けては、手早く攻撃を仕掛ける。
まず最初にタナトスが短剣を振るいながら飛びかかると、バエルは前脚についている鎌の刃で受けて、金属音を鳴らしながら斬撃を滑らした。
続けてスイセンは下腹部から攻めてやろうと、跳んで真上から落下して攻撃を狙う。
これで一気に下腹部を突き刺して裂けるはずだ。
しかし意外にも短剣の刃が下腹部に到達する直前、スイセンは慌てて柄に細いワイヤーがついた短剣を壁に投げては突き立てた。
それからワイヤーを掴み、遠心力に身を任せて攻撃から離脱する。
「どうしたスイセン!?」
「こいつ、どうやら体を覆う毛が全て刃のようになっているみたいですぅ!捨て身の攻撃は危険ですよぉ!」
実はスイセンの言うとおりで、バエルの体毛全ては鋭利な刃に近い状態となっていた。
それは剛毛と言うにはあまりにも鋭く、切り裂く力はなくとも触れると危険な程度ではある。
しかし、それならこのまま足を切り落としてやろうとタナトスは一歩踏み込んだ。
初撃であるバエルの足の鎌を受け流すと、タナトスは素早く切り返して短剣を鮮やかに振るう。
血が出るのが切断された後に起きるほどに素早く、綺麗に、そして一切の無駄も躊躇もない斬撃。
このタナトスの二度目の振るいは、見事にバエルの前脚の一本を鎌ごと切り落とす。
だがこのバエルは虫だから痛みに鈍感なのか、全く堪えた様子はなく、別の脚を動かしてタナトスに鎌の刃を振るった。
「くそっ!」
短剣で鎌を受けると、意外にも体に力の負担がかかって衝撃で僅かに怯んでしまう。
すると続けざまに、バエルは切断された脚の断面から高速で脚を再生させてみせた。
体液でどろりとした新しい前脚は鎌も健在で、何ら変わりなく動かして更にタナトスに追撃を振るう。
「おっと…!」
この連撃はタナトスには予想外で、つい受けきれず体勢を崩してしまう。
しかもバエルの連撃は済まされず、連続でタナトスにめがけて脚の鎌が振り下ろされた。
それら全てをタナトスは後ろに下がりながら紙一重で躱したり、寸前の所で短剣で受けて軌道をずらすことで対処する。
だがバエルは猛攻を緩めることはなく、素早く前進しながら外敵を排除しようと攻撃を繰り出した。
そんなバエルの一撃の重さは地面に当たれば抉れるもので、獲物に当たったら脚ごと貫通させると一目で分かる。
いくらタナトスでも、受ければ死は免れない攻撃なのは間違いない。
それほどの重い攻撃を防戦一方ではあるが、タナトスは冷静に受けていた。
「タナトス君!今、…助けますよ!」
攻撃の離脱からようやく次の行動に移れるようになったスイセンは声をあげて、岩壁に身を寄せながらワイヤー付きの短剣を手にとった。
そして狙いを定め、バエルの体に短剣を投げつける。
ザシュ、と硬い皮を持つ果物に刃物を入れた音が鳴った。
スイセンの投げた短剣がバエルの一本の足に刺さったのだ。
すぐにスイセンは刺さったことを確認すると、ワイヤーを引くことでバエルの動きを鈍らせようとする。
その狙いは良かった。
だが、肝心の単純な力量の違いが出てしまい、逆にスイセンが引っ張られてしまうことになる。
「きゃっ…!?」
スイセンは足場が悪かったこともあって踏ん張りが一切効かず、間抜けな悲鳴と共に身を放り出される事となった。
しかもワイヤーを手にしているため、バエルの鋭利な毛を持つ方へと引っ張られてしまっている。
そのことにすぐに危険だとタナトスは察知して、短剣を構え直して大きく振るった。
大きく振るわれた短剣によりバエルの鎌を弾くことで仰け反らせる。
だが、回避を捨てて大きく振るった隙のせいで、バエルの鎌がタナトスの肩を浅く傷つけた。
それでもタナトスは出血など気にせずに駆け出し、救出のためにスイセンに向かって弾丸のように飛び出した。
「掴まれ!」
タナトスは空気を身で裂く速さを発揮させながら叫び、髪をなびかせてスイセンを掴む。
慌ててスイセンもタナトスの腕を掴み、タナトスの持っている短剣を視界に入れると、短剣も掴みとってワイヤーを括りつけた。
手持ちの短剣にワイヤーが括りつけられていることにタナトスは気づくと、高速で壁に足をつけては短剣を壁に突き刺した。
この一瞬、バエルの脚についているワイヤーが壁への短剣と連なっていて、引っ張り合いが起きてバエルの体を硬直させる。
すぐに壁に突き立てた短剣は抜けて、バエルは自由になるだろう。
だからこそ、この一瞬のタイミングを逃すわけにはいかなかった。
タナトスはスイセンを抱き抱えたまま、壁を蹴り上げてバエルへ一直線に向かう。
「スイセン!武器を!」
「武器と言われても、短剣は全て…!」
使い切ったと言いかけたとき、スイセンはタナトスの服の方から馴染み深い感触を覚える。
それはスイセン自身の短剣だった。
その短剣はシャウの家の火事の時、スイセンが罠で仕掛けた短剣をタナトスが受け止めて回収したものだ。
なぜ短剣があるのかスイセンは分からなかったが、自分の短剣だと気づいたスイセンはタナトスの体から短剣をすりとった。
「ありました!はい!」
「助かる、これで終わらしてやる!」
スイセンが短剣を手渡したと同時に、タナトスは短剣を音速を圧倒的に超えた斬撃を振るった。
その斬撃は一種の美しさがあり、軌跡は見事な血の色を飾った。
バエルの頭は大きく切り飛ばされて、溶解する粘液を激しく散らす。
そして鋭利な毛に包まれた体を捩らせては、タナトスとスイセンが着地した時には、蜘蛛の魔物バエルの命が途絶えるのだった。




