両親なき姉妹
ポメラは急いで動き出すが、スイセンの攻撃を阻止するには全く間に合わない。
このままではシャウどころかミズキの命すら危うい。
だからポメラは仕方ない気持ちがありつつも、大声で呼びかけた。
「タナトス、作戦変更じゃ!止めろぉ!」
「言われなくても分かっているさ!」
ポメラの声が山の中で響き渡ると同時に、木々の影から目を赤くしたタナトスが飛び出した。
そして誰よりも素早く加速して、一度の瞬きすら超える速度でスイセンの目の前へ移動する。
それから姿勢すら整わせずに、的確に腕を動かしてスイセンの手首を掴み取った。
更に足払いでスイセンの体勢を崩し、一気に地面へと叩き伏せる。
まさに一瞬という言葉に相応しい出来事だといっていい。
素早さでシャウやポメラを翻弄していたスイセンですら、自分が地面に押し倒されて拘束されていることに気づいたのは体が動けなくなってからだった。
「なっ…!?なんですか、これはぁ…!」
突然過ぎることにスイセンは動揺を隠し切れず、苦々しい表情を浮かべてしまう。
もちろん驚いたのはスイセンだけではなく、ミズキも同様だ。
考えてみればポメラが来ていれば、タナトスも救援に来ていてもおかしくない。
それでも予想外のことに、ミズキは震える声でタナトスの名前を呼ぶのだった。
「タ、タナトスさん…」
「悪いな、ミズキ。すぐに助けることはできたんだが、こっちも作戦があって簡単には動けなかった。本当はわざと逃がさせて芋づる式で一網打尽にしようと思ったんだが…。とは言っても、これも想定内の一つか。さてと…」
タナトスは見下ろす形でスイセンの方へ視線を落とした。
するとスイセンは怒りを含めた表情でタナトスを見上げ、苛つきが混じった口調で声をあげる。
「どういつもこいつも…!私の邪魔を……!許せない許せないぃ…!」
「怒り狂うのは勝手だが、これ以上は手荒な真似はしたくない。大人しくするんだな。まだ抵抗するというのなら、俺は腕を折るのも仕方ないと思っているぞ?」
タナトスは安易な脅しの言葉をスイセンに投げかけた。
しかしよほど頭に血が昇っているのか、タナトスの言葉はスイセンの耳には一切入っていないかのように身を捩らせて抵抗を続ける。
もし、本当に腕を折ってもスウセンはこの強気の態度を崩すことはないだろう。
すぐにタナトスはそう察して、ミズキに目配せをして声をかけた。
「ミズキ、俺はこいつを押さえ込んでおくから、説得でも何でもしてやってくれ。でないと、腕を折るだけでは済まなくなりそうだ」
「私ですか…?」
「何驚いているんだ。当たり前だろ。今、こいつの想いを理解できるのは、理解させてやれるのは身内のお前だけだ」
タナトスがそう言っている間にも、スイセンは必死の抵抗を試みていた。
手足が動かなくても何とかしようと足掻いている。
そんな哀れみすら覚えてしまいそうな妹の姿をミズキは見つめ、シャウの隣から離れて組み伏せられているスイセンの近くへと
足を進めた。
その行動をシャウは止めることなく、ただ見守るようにして息を切らせつつ遠い目で見る。
ポメラも似たように、下手に動いてスイセンに刺激を与えないようにと足を止めて、歩み寄ることはせずに事の成り行きを見守った。
血眼になって地べたで暴れるスイセン。
普通なら必死に訴えかけて、正気に戻るよう努めるべきかもしれない。
けどスイセンに優しい瞳を向けて、ミズキは膝をおって地面へと座り込み、そっと静かに囁いた。
「スイセン…」
ミズキが名前を呼びかければ、スイセンはすぐ目の前にいるミズキに助けを乞いた。
もちろん、スイセンが口にする言葉は誰も味方になれないものだ。
「ミズキお姉ちゃん…!こいつを、この男性を追い払ってよ!こいつが邪魔で平和の勇者を殺せない!みんなの仇である魔物の仲間を討てない!」
「スイセン、お願いだから聞いて。平和の勇者は…シャウさんは魔物の味方じゃないよ。それどころか、善良な人間の味方と断言してもいい。人を助けるために平気で自分の命を危険に晒すほどに、危なかっしいけど良い人なんだよ」
「違う…!お姉ちゃんは騙されている!だって平和の勇者は王様を支持していたんだよ!?そしてその王様は、裏では魔物を支持していた。そのことを平和の勇者が知らないわけがない!」
「ねぇ、スイセン。仮にそうだとしても……、間違いなく私はシャウさんに命を助けて貰っているの。それは一度や二度だけじゃない。この短い日数の中で、すでに数えきれいないほど助けてくれているんだよ。だから、いくらスイセンの頼みごとでもシャウさんの命を差し出すことはできない。たとえ、どんな理由があったとしても…!」
それはミズキの強い意思。
相手を殺そうと異常とも呼べる執念を持っているスイセンと比べても、決して気持ちの強さは劣っていない確固たる決意。
今まで見たことないそのミズキの表情に、スイセンは激しい動揺を覚えてしまう。
いつも一緒に居たはずなのに、双子の姉の気持ちが理解できない。
今まで、こんなに理解できなかったことなんて無かったはずなのに。
「なんで……なんでよぉ…!お姉ちゃんは憎くないの!?魔物は私達の親を殺したんだよ!それなのにどうして庇うようなことを…!分からない、どうしてどうして!そして、どうして分かってくれないの!私は復讐するために、こんなに頑張っているのに!頑張ってきたのに!」
「確かに、今でも魔物を見たら私は嫌な気持ちになる。でもね、スイセン。私は復讐するためとかは一回も考えたことなんて無いよ。拙いけど、剣術を身につけたのは守るため。復讐するためじゃない。たった一人の大事な妹を守るために、失わないために、私は苦手な武術を会得しようとした。料理だって生きるために練習したんじゃない。大切な妹が、一回でもいいから多く笑顔になって欲しいから練習したの。裁縫だってそう。妹が、スイセンが少しでも楽になれるようにと得意になるように私は努力した。他のことだって全部全部、私は人のためになれるようにと頑張って…」
本心を暴露からの気持ちの昂ぶりのせいか、ミズキの瞳にうっすらと涙が溜まっていることにタナトスは気がついた。
そして対して本心を口にするスイセンの声も、どこか涙声となっていた。
「お姉ちゃんは優しすぎるよ!なんで、なんでそんなお姉ちゃんは私と違うの!双子なのに姉妹なのに、同じ時間を生きて同じ悲劇に遭っているのにどうして…!私はこんなに魔物を憎いと思って仕方ないのに、どうしてお姉ちゃんは違うの!同じ気持ちでいてよ!私と同じで…あって欲しいのに。双子なんだから独りにしないでよ……!ねぇ、ミズキお姉ちゃん…。私、嫌だよ。独りは嫌だ。忘れるのも忘れ去られるのも嫌だ。私にはあの時の辛い気持ちを無くすなんてできない。お父さんは頭を砕かれて、目の前で食べられたお母さんの声も表情も臭いも光景も今だって鮮明に思い出せる…!」
「スイセン……。大丈夫、私だって覚えているよ。お父さんとお母さんがどんな無残に殺されてしまったのか、私も思い出せる。でも、スイセン。思い出せるのはそれだけなの?お父さんとお母さんとの思い出は、言葉は、想いは、それで全部じゃないはずだよ。そのことを思い出して」
ミズキにそう言われて、スイセンは両親が殺されるもう少し前のことを思い出そうとする。
けれど記憶に霧がかかったようにして思い出せない。
両親が死んでしまう所は完全に思い出せるのに、まるで押さえつけられているようにして両親との楽しかった時間が何一つ出てこない。
思い出そうとすると、酷い頭痛がして表情が歪む。
「っい…!」
「む…?」
その様子には、ポメラとタナトスだけが違和感を覚えた。
そして頭痛の後に、スイセンが懸命に捻り出した言葉は曖昧なものだった。
「無理だ…、思い出せない…!思い出そうとすると、どうしても両親が死んだ記憶が強烈過ぎて他のことが頭に思い浮かばない。今だって悲鳴が聴こえて……」
どうしても思い浮かんでしまう映像が、スイセンを苦しめた。
悪夢の力は強く、もはや彼女が心の拠り所にするべき記憶すら蝕む。
そんな酷く困憊するスイセンを見て、ミズキは優しく頭を撫でた。
その僅かな暖かみと優しさが、今のスイセンにとってはどれほど救いなのか。
そして思い出せないスイセンのために、ミズキは言葉を連ねた。
「お父さんはね、今を大事しなさいと常に言っていたの。どんなに辛いことがあっても、これから辛いことがあっても、今を幸せに生きなさいと。そして周りが辛いと自分も辛い想いになるから、近くの人だけでもいいから、その人のためになることをしなさいって。そしてお母さんは……今を忘れないようにしなさいって…言っていた。幸せな想いだけじゃない。悲しいことも何もかも忘れないようにしなさいって。そうすれば、どうして自分が懸命に生きていたのか分からなくなることはないから…って」
更にミズキは言葉を続ける。
何もかもしっかりと覚えていることを裏付けるようにして、はっきりとした口調で全てを口にする。
「そして残してくれたのは、言葉だけじゃない。私がよく作っていた料理だってお母さんの物だったし、家のベルはお父さんが手作りしてくれたものだった。家族が帰ってきたら、一番に良い挨拶を届けてあげなさいってお父さんがベルを作ったの…覚えている?私とスイセン、どちらが早くお帰りさないって言えるか競ったことすら私は覚えているよ。そして遂には、スイセンの方が耳が良くて、ベルが鳴る前にすら挨拶に行ったことに驚いたのも思い出せる。他だって色々…」
「ミズキお姉ちゃん、私……」
昔話による影響か、どこかスイセンの雰囲気が変わっていた。
それは昔を思い出し始めたことで童心に返ったのに似ている。
目つきが変化していた。
「スイセン、復讐はダメとは言わない。でも、復讐のために他人を不幸するのは間違っているよ。それにスイセンのやり方だと、あまりにも不幸で悲しいだけ…。それとお姉ちゃんはね、復讐は手伝えないけど幸せになるための事なら手伝えるよ。一生懸命に一緒に考えてあげる。うぅん、というより私に頼って。だって、私は……スイセンの世界でたった一人の姉なんだから。ね?これからも一緒に生きよう?みんなが幸せで居れるように」
「お姉ちゃん……ミズキお姉ちゃん…!うぅ……うぅうううぅ…!うぅわぁ…あぁぁっあぁ……!」
ついに我慢できなくなったスイセンは泣き出した。
その泣き声と表情はとても幼く、姉に甘える妹そのものだった。
流れる涙は美しく透明なもので、スイセンの中の固まっていた辛い思いも一緒に洗い流していく。




