王殺し
目的地であるリール城は一際大きく、遠くから見ても目先にある建物の影で一部が隠れていようがはっきりと視認することができた。
そのためタナトスは街の道に詳しくなくとも、リール城を目指して行くのは容易のはずだった。
だが気づけば路地裏に出てしまい、城の姿を一片も見ることができない状況と陥っている。
自分の土地勘の無さにタナトスは呆れ返りながらも、どこへ行こうかと何度も分かれ道を見回した。
「やれやれ、迷子とは恥ずかしいな。仕方ない。こうなったら建物の上に登って……」
タナトスが独り言をぼやいては言葉通りの行動に移そうとしたとき、通路の奥で水色の髪が揺れるのを視界の端で捉えた。
すぐにタナトスはその特徴的な髪色でミズキだと思い、建物に登る前に声を掛けながらその水色の髪をした少女を追い始める。
「ミズキか。こんな所にいるとは奇遇だな。実は道に……って、おい!」
水色の髪の少女はまるでタナトスの言葉が耳に届いて無いかのように前へと走って行ってしまい、彼は慌てて追いかける。
明らかにタナトスの声は届いて聞こえているはずなのに、前方を走る水色の髪の少女から返事は無い。
ただタナトスを煙に巻くかのように、ひたすら無視して入り組んだ通路を進んで行ってしまう。
「ミズキ、待て!」
タナトスは走る速度を上げるが、水色の髪の少女はこのような細道に慣れているのか自分より早く走る。
路地裏に棄てられた廃棄物やら粗大ゴミを身軽に乗り越えていき、まるでタナトスの知るミズキではないかのような身のこなしだ。
それでもタナトスはミズキという名を呼んで追い続けていると、やがて細い通路から出ることが叶った。
しかも出た場所はリール城の近くで、リール城へ入るための門が目の前と言ってもいい距離だ。
だけどタナトスは目的であったリール城には目もくれず、大通りへ出れば周りを見渡してミズキの姿を目で探した。
さっきまでミズキは目の前を走っていたはずなのに、いくら見渡しても水色の髪の少女の姿は見当たらない。
「一体なんだったんだ、あいつ。まぁ…、釈然としないがいいか。とりあえず目的地に着いたようだからな」
どこか納得しなくて不満を漏らしながらもタナトスは念の為にもう一度見渡すが、やはりミズキの姿はいくら探そうと見当たることはない。
不思議に思いつつもタナトスはリール城へと続く道を歩き、見上げるほどに高い門を前にした。
リール城に続く正門というだけあって、いかにも堅牢そうな門だ。
更にその門の警護としてか、門前には三人もの兵士が立ち尽くしている。
いくら最大の城だとは言っても、こうも複数人が呆然と立っているなんて嫌に厳重だなという感想は抱いてしまう。
そしてタナトスが門へと近づけば、一人の門番が鋭い目つきで視線を向けて話しかけてきた。
「旅人…か?リール城に何の用だ?今日は特別な用事があり、入るのには許可が必要だぞ」
「いや、確かに入るつもりではあるが、入る前に一つ訊きたいことがあってな。今、リール城にはシャウという平和の勇者はいるか?いれば話をしたいんだが」
「平和の勇者様に用事か?すまない、確かに今はリール城では勇者達による会議があるため、現在は正義の勇者様以外の各勇者がいる。しかし火急の報せでなければ後にしてくれないだろうか。今は正義の勇者様が来るまで城内は大変忙しいのだ」
「あぁ、特別な日ってそういう会議のことか。どうりで警備を固めるために門番が多くいるわけだ。で、その勇者会議とやらはいつ頃終わるか教えてくれないか?」
タナトスの質問に、門番は顎に指を当てて考える素振りを数瞬だけみせた。
間もなくして返ってきた答えは、タナトスが到底望んだものではなかった。
「そうだなぁ、おそらく早くとも明日になるんじゃないだろうか。少なくとも今日は会議のあとは会食とかあるだろうさ」
「明日だって!?それは困る!俺は早く仕事にありつけないと、リンゴ十個を齧りながら一日を過ごす羽目になってしまう!」
「そう言われてもな。私の一存で、どうこう判断できるものではない」
タナトスが突然声を荒げても、門番は困った表情を浮かべるばかりだ。
すぐにタナトスは門番の反応でこれ以上の言葉は無意味だと悟り、気持ちを早々に切り替えて別の行動へと移るために門番とは早々別れの挨拶を交わす。
「分かった。では、また明日来る。シャウ……平和の勇者にもよろしく伝えておいてくれ。それでは」
タナトスは門に背を向けては、早足でさっきまで迷っていた路地裏の通路へと身を隠した。
それから軽い身のこなしで建物の壁を駆け上がって、リール城を囲う外壁を見つめる。
高いが登ることは難しくない。
リール城の外壁に向かって跳躍して剣を突き刺し、脚力を活かして更に上へと駆け上がる。
すると外壁の頂上に到達した事により身が風に煽られては、辺りを見渡せば街の風景が地上とは少し違って見ることができた。
外壁の上に居ても変わらずリール城は見上げる高さだが、外壁からは街を一望できて構造がどのようなものか何となく分かる。
一番に目についたのは街に入った時は人ごみに圧倒されて気付かなかったが、リール街の門の近くには非常に大きい鐘の塔があることだ。
仕掛けか強烈な衝撃を与えでもしないと鳴り響きなさそうな巨大な鐘で、塔は横幅だけでも民家の倍以上は余裕にあって高さは城に負けていないほどだ。
「ずいぶんと立派な鐘があるな。あれがミズキが言っていた鐘の塔というやつか。…さてと、では俺は礼儀正しく入城でもするかな」
タナトスはリール城の方へと向き直れば、太陽による自分の影に細心の注意を払いながら、兵士に見つからないようにと城の壁に飛び込んで駆け上がり始めた。
城の壁を蹴っては指先で一瞬だけ石壁の隙間を掴み、器用に素早く登っていく。
まるで猿が木に登るようにあっという間で、数分もしない内にタナトスの姿は城の最上階付近にまで到達していた。
タナトスはすぐに城に飾られていた旗を掴んではぶら下がり、近くの窓から室内を覗き込もうとする。
しかし覗き込む前に、彼は違和感を覚えることになる。
窓が不自然な形で割れているのだ。
「これは……、外から意図的に割られたのか?妙だな。俺みたいに礼儀正しく侵入しようとした奴がいるなんて」
窓の破片が室内に散らばっている所を見ると、誰かがタナトスと同じように城外を登って行って侵入したのが分かる。
酷い偶然にしろ、どういうことだと思いながらもタナトスは窓から室内へと顔を覗かせる。
すると彼が覗いた部屋は広く豪華で、まさに王族関係が住居するための部屋に思えた。
赤い絨毯に豪華な家具たち、灯りを放っている立派なランプ、それと高級感だけではなく清潔感に溢れている雰囲気。
だがそれらの高価で貴重そうな物による派手な内装より、タナトスの視線は別の物で釘付けになっていた。
水色の髪の少女が、身分を表す豪華な服を着衣して王冠を被った老人の前で短刀を高く振り上げているのだ。
「王よ。あなたには死んでもらう」
水色の髪の少女が冷酷に呟くと、王と呼ばれた人物は言葉を発する暇もなく振られた短刀によって首をかき切られた。
短刀の鋭利な刃は間違いなく王の喉を切り裂いていて、王は赤い絨毯の床へと体を崩れ落として服を赤く染め始める。
タナトスが部屋を覗き込んで、状況も何も理解できないほどの一瞬に近い出来事だった。
王と呼ばれた人物は全く動かない。
あまりにも唐突の出来事にタナトスの思考は停止して言葉を失っていたが、水色の髪の少女が短刀をしまいこんで王の体を漁り始めた頃に正常の思考へと戻った。
素早く割れた窓から室内へと滑り込み、確認をするためにも声をかけた。
「お、おいお前!ミズキ……なのか?」
この街に来るまでよく見た後ろ姿。
それに一緒に居た時間は短くとも、水色の髪や纏っている雰囲気がミズキと酷似しすぎているのがタナトスには分かる。
タナトスがミズキと呼んだ少女は声をかけられても振り返らず、すぐに自身の懐から何か小さな球体を取り出してみせる。
不穏な動きに勘を働かせたタナトスは、警戒と先制の意味を含めて剣を鞘から引き抜いた。
しかし彼が剣を手に取ったと同時に、水色の髪の少女は手に持っていた球体を絨毯へと勢いよく投げつける。
それにより水色の髪の少女の足元から炸裂音が室内に鳴り響いては、大げさと言わんばかりに濃い煙幕が広がって血に負けない赤い炎が迸った。
あっという間に煙幕は完全に視界を殺してしまい、彼は水色の髪の少女の姿を見失う。
すかさずタナトスは気配を探ろうとするも、火が燃え上がり始める音と臭いしか分からず水色の髪の少女の気配を掴むのは容易ではなかった。
しかもそれだけではなく、明らかに水色の髪の少女は息を殺して気配を絶っていた。
「くそっ、どういうことだこれは…!」
タナトスは襲われる可能性を危惧して、その場で剣を構える。
だがその判断は数秒後には間違っていたと、本人は思い知るだろう。
つい先ほど炸裂音があったせいで、室内の異変に気がついた兵士が部屋へと荒々しく足音を立てて飛び込んで来たのだ。
「国王様!ご無事ですか!?今、妙な音が……い、いや……この状況は一体…!?」
やって来た兵士が戸惑うのは仕方なかった。
なぜなら破られた窓による換気で煙幕が薄らいでいけば、室内には血まみれで倒れた国王がいるのだから。
しかも室内は燃え上がり始めていて、剣を手に立っているタナトスの姿だけがあった。
すぐにタナトスは既に水色の髪の少女が脱出しているのだと気づくと一緒に、この状況の不味さも理解してしまう。
だからタナトスは駆けつけてきた兵士に慌てて説明して弁解しようとするも、不法侵入して剣を手にしている彼が話す前に兵士は大声をあげてしまっていた。
「た、大変だ!暗殺者だ!国王様が殺された!早く…早くみんな来てくれぇ!ここに暗殺者がいる!」
「待ってくれ!これは俺のせいじゃない…!俺では…!」
タナトスは何と言えばいいのか分からず、言い淀んだ。
もはや何を言っても無駄だと、頭の中で分かってしまっているのだ。
そして多くの兵士がこの王室へと駆け込んできて、タナトスの顔と姿は多くの者に目撃される事となる。
声を聞いて救援としてきた兵士達はすぐに王様に駆け寄る者と、剣や槍と武器を手にタナトスへ襲いかかる者に分かれていた。
タナトスは自分に向けられた攻撃を剣で鮮やかに振り払っては後ろへと下がり、表情を引きつらせて訴えかける。
「いいか、俺はやっていない!そいつが王だったなんて俺は知らなかったし、そもそもやったのは水色の髪の女の子だ!」
「なに、他にも仲間がいるのか!すぐに見つけ出してやる!まずはお前から…!」
「くっ、やっぱり話は聞いてくれないか!駄目だ…これだと……!」
タナトスは剣を手に襲ってくる兵士の剣撃を足の軸の動きだけで躱し、気は引けるが持っている剣の柄で兵士の腹部を突いて跪かせた。
続けてすぐにこれ以上襲われる前にと、すぐにタナトスは割れた窓へ身を乗り出して、城外へと勢いよく飛び出る。
当然、そのことに一人の兵士が慌てて叫んだ。
「暗殺者は外へ逃げたぞ!追え!おい、国王様の容態はどうだ!?」
「そんな……この傷は……あぁ…!駄目です、即死です…!あんまりだ、喉を裂くなんて…これではどうしようもありません…!なんて残忍なんだ…!」
「な、なに?あの暗殺者め…、よくも国王様を!絶対に許さん!誰か会議室にいる勇者様達に協力要請しろ!城内にいる平和、奇跡、殺戮の全員の勇者様にだ!全員に暗殺者の始末を頼んでくれ!」
一人の兵士が怒声混じりに命令を出すと、すぐに別の兵士が王室から急ぎ足で駆け出した。
そして王室にいた兵士のほとんどは火の鎮火の行動に移り、王様の遺体に全員が酷く胸の内を痛める。
それほど好かれた王様だったということだ。
これらの一連の出来事により、勇者達に連絡しに行った兵士は王室で起きた事と依頼をざっくりと早口で伝える。
国王が殺されたという一大事により勇者達は仲間と共に動き出し、暗殺者であるタナトスを抹殺しようとそれぞれが武器を手に取った。
こうして冤罪をかけられた彼が知らぬところで、人類の最高戦力同然の人物達との戦闘は避けられないものとなり始めていた。