最悪が続こうと果たせない約束のために
「最悪ね」
まるで他者に向けた愚痴みたくアカネは言葉を漏らす。
その姿は埃を浴びて汚れきっており、どんな時も優雅さを崩さなかったはずの表情は明らかに疲れ切っている。
しかし彼女の弱気な発言を聞くなり、すかさずシャウは愛想笑いで返しながら茶化した。
「わはははー。私達の冒険って事あるごとに最悪だらけで、絶え間なく最悪を記録更新している気がするよ。たまには身の危険ばかりが襲いかかって来るんじゃなく、予想外の幸運でも舞い降りて欲しいよね!」
「………まぁ、あれだけ激しく振り回されたのにも関わらず、まだ無事だと言える方で良かったのかもしれないわ。全員がカオスみたく気絶していたら、それこそ絶望的状況に陥っていたでしょうし」
アカネは改めた気持ちで前向きに話しながら、シャウに大人しく背負われているカオスへ視線を向けた。
常時あれだけ騒がしかった少女が寡黙になっているのは、何も隠密行動に徹しているからでは無い。
実は車が大破した後のこと、人々が集まって来るより早く全員は突撃してしまった建物から脱出できたのだが、肝心の案内役であるカオスが横転した際に受けた衝撃で気絶してしまったのだ。
そして、その際に負った傷の治療を終えようと、気絶状態から回復するタイミングは本人による。
そのためシャウ達は人目がつきにくい裏路地へ一旦身を隠す事で、カオスが目覚めるのを待っていた。
もちろん、本当なら今すぐ目的地へ直行したいと誰もが思っている。
だが、明確な場所が分からないまま広大な都市を歩き回って探すのは危険であるし、この隠れている間に高まってしまった緊張感と心臓の鼓動を落ち着かせるのには、ちょうど良い安らぎの時間だ。
心なしか生臭さが漂う路地裏の奥だから、あまり気分は良く無いが。
「アカネ様、これからどうしますか?」
シャウがなるべく汚れていない所にカオスを置いたとき、赤ずきんを深々と被ったユウが神妙な面持ちで問いかける。
きっと何らかのはっきりとした解答を求めての質問だとアカネは気づくが、手詰まりだから気の利いた返答はできない。
「今はカオスが起きるまで待つしかないわ。ダークエルフという種族だらけの街を練り歩いた所で、私達なんて誰から見ても目立ってしまうもの」
「そう……ですよね」
「あらあら、あからさまに鈍い返事ね。何か案があれば聞くわよ?」
「あの、おそらくカオスさんが目覚めても、やはり最初は所在地の確認になると思います。そしてずっとここに留まる事もできない。そう考えたら誰か一人、事前に逃走経路を確認するという意味合いも含めて、偵察した方が………」
まだユウが自分の意見を口にしている最中だった。
全員が敵対者の接近に気付かないまま、突如カオスの胸元には鋭く細長い銀の刃が突き刺さっていた。
隙を見せていたにしても、ありえない出来事。
強い殺意が込められた凶器は確実に少女の心臓を貫き、刺突された箇所から血がにじみ広がっていく。
「えっ?」
いち早く異変に気づいたのは、カオスを介抱するために寄り添っていたシャウだ。
だが、彼女達の中でも早く気づいたというだけの話であって、知覚そのものは遅れている方であるのみならず、状況を明瞭に理解しているわけでは無かった。
全員が周囲の警戒を怠っていたわけではなく、また気を緩ませていたわけでは無い。
それでも不意な強襲という要素に加え、カオスのみをピンポイントに狙うという所までは想定不可能であり、何より自分達が発見されていたとは思っていなかった。
「カオスちゃん!?そんなっ…!」
「駄目よ!離れなさい!」
シャウは致命傷を受けたカオスの身を心配して動揺するのに対し、咄嗟にアカネはシャウが回避行動を優先するよう叫んだ。
なぜならカオスが攻撃を受けたという事は、次に一番近い彼女が標的になるはず。
その判断は概ね正しいが、狭い路地裏で素早い対応を起こすのは難しく、最善らしい行動は不可能だった。
「そこまでだ」
ふと静かに影が降り立ち、若い男性の声が聞こえた。
ただしシャウが声を認識した瞬間には強烈な打撃が見舞われ、勢いよく間近の壁へ打ち付けられる。
「っうぅ……!」
彼女が痛みで呻き声をあげたとき、襲撃者はカオスの胸元から銀の刃が引き抜くなり、間髪無くシャウの肩を刺し貫いた。
今までの負傷に比べたら決して致命傷では無いが、容赦ない追撃を受けてしまったせいで彼女は怯んでしまう。
「シャウ!」
この状況に対し、すぐさまアカネとユウは応戦しようと道具を手に取る。
しかし二人が能力を発現するより早く、男性は一切の予備動作無しに雷撃魔法を放ってみせた。
「…これ、は………!?」
まるで能力の全容を把握されているみたいに、雷撃は二人の道具だけを優先的に弾き飛ばしてきた。
これには場慣れしているアカネでも焦りを隠せない。
しかも次に男性は銀の刃でシャウの肩を引き裂こうと、腕に力を込めながら振りかぶろうとした。
さすがに四肢欠損となれば、仮に治癒で治せても体力を大幅に奪われる。
だが、一番反応に遅れたミズキが仲間に対する残虐行為を許さなかった。
「これ以上はさせません!」
シャウの肩が切り裂かれ始める寸前に、彼女は自身の不調を省みず魔王の力を発揮させた。
それによって咄嗟の衝撃波を巻き起こし、男性を派手に吹き飛ばす事で阻止する。
相手は壁に激突してもおかしくない威力を受けたが、それでも華麗な受け身とステップでほぼ無傷に体勢を整えてみせた。
そこでようやく相手の姿をまともに視認でき、彼女達は改めて武器を手に身構えた。
「もう痛いなぁ!一体何者なのさ!あと、路地裏で麗しき乙女に襲い掛かるなんて失礼過ぎでしょ!」
金髪と銀髪が入り混じった髪色を持つ男性に警戒しつつ、シャウは肩に刺さったレイピアを乱暴に抜いて自分の武器として持った。
治癒能力によって傷は塞がるが、威勢良い文句とは裏腹に最初の打撃のせいで視界が揺らぐ。
そして男性は身構える彼女達の存在を無視して、カオスの方にだけ視線を向けていた。
「前回同様、やはり致命傷を一度与えた程度では殺しきれないか」
そう呟いた直後、カオスは過度な痛みによって目覚めたらしく、寝ぼけ気味の様子ながら自力で立ち上がってみせた。
そんな彼女の体には血が付いているが、それ以上に黒い紋様が体全体に広がり出していた。
「いったぁ~…!すごく息苦しいし、酷い目覚めってやつですよ~!」
どうやら悪魔化という自己強化能力により、命に別状は無いようだ。
アービス国王が全身黒焦げになるような大爆発を至近距離で受けた前例を思えば、心臓に穴を開けられたくらいで死なないのは当然かもしれない。
むしろ激痛が目覚めのアラーム代わりになった程度の雰囲気であり、ただ一人呑気なカオスは襲って来た男性を見て驚いていた。
「あっ!幼い女の子をストーカーする宣言していたマンドリンさんじゃないですかぁ!まさかまさかの都市に居たんですね!」
「ずいぶんと厭らしく、わざとらしい言い方をしてくれる。挑発のつもりか?…しかし、どうでも良い事だ。どんな指摘をされようと、僕にとって都合が良い状況に変わりない」
マンドリンと呼ばれた男性は拳銃を手に取り、悠然とした動作で銃口をカオスへ向ける。
更に相手の名前を聞いたシャウ達は、襲ってきた人物こそがアエルの探していた標的だと察するのだった。
お互いの状況と立場を踏まえたら、もはや相手が見逃してくれる道理はない。
仕方なしにシャウ達は応戦する姿勢を示すが、未だカオスは危機感が薄いまま会話を始め出した。
「それで、なんでこんな所にいるんですかぁ?結果的に接触できたとは言え、私の始末を優先していたら前線に出ていた方が良いと思いますけど」
「………外で暴れている他にも、内部にネズミが紛れ込んでいてね。先にそっちを炙り出そうとしていた中、君の反応があったから様子を見に来た」
「はぇ?様子を見に?というか、私の反応って?もしかして久しぶりに楽しくドライブしていた事ですかねー?」
「なぜ君は、僕が律義に教えると思っているんだ。つくづく発想が突拍子無い子だ」
「うーん、私あまり誘導尋問だとか詰問って得意じゃないんですよねー。だから、こういう訊き方しかできないわけです」
とても諜報活動してきた人物の言葉には思えないし、国王の懐刀に相応しくない振る舞いだ。
いくら幼いにしても、まるで積み重ねを感じさせない。
比べてマンドリンは彼女の思考をコントロールしてみせ、話に応え続けた。
「なら僕が答えるより先に、まず君から質問に答えてみたらどうだ。敵同士であれば互いに一問一答していく形式は望ましいだろう?」
「悪くない提案だと思いますけど、さすがに質問内容によりますよー。ご存知の通り、悠長にしている時間もありませんし」
「とりあえず一つ目の質問として、どうしてわざわざ都市に戻って来た?しかも相当無策のようだ」
「無策と言われても、私は突発的に付き添っているだけですからね!目的の薬が欲しいと言われたので、ここまで案内していたわけです!」
「薬?特別な薬が欲しいなら医療都市部は別方向だ」
「用があるのはウイルス研究施設です!」
考えるより先に口に出てしまう性分なのか、単に天然なのか、カオスは具体的な目的地まで明かしてしまう。
しかし、この言葉を聞いたマンドリンは意外な事に戦闘態勢を緩め、今度はシャウの方へ交渉を持ちかけ始めた。
「そうか。もし薬が欲しいだけなら、僕が手に入れて渡してやってもいい。研究施設の警備が特殊である以上、上手く忍び込んだ所で目的の物を入手できるとは思えないからね。ただし、交換条件としてカオスの身柄は引き渡して貰う」
この提案にカオス一人が面をくらう。
なぜなら彼女はタナトスとユウ以外を信用しておらず、本当に薬と自分が引き換えにされると直感したからだ。
だが、当然シャウは若干怒り混じりに即答してみせた。
「ばっかじゃない?マンドリンだか何だか知らないけど、君が大人しく取引に応じてくれる信頼性は何一つないでしょ。そもそも丁寧な言い方はしても、結局は仲間の命を引き換えしているのと同じ。なら、これで悩んだらカオスちゃんへの裏切り行為同然だよ」
「その厄介娘が君たちの仲間だと言いたのかい?本気か?その子こそ、僕達……アービス国王を裏切った少女だというのに」
「その事は知らないし、私には関係無いよ。とにかく私達の仲間で、今は大切な友達に変わりないの。その確固たる事実がある限り、どんな理由をつけた所で取引に応じるつもりは無いから」
仲間同士の相談すら無しに容赦ない対応をされて、彼女の義理堅さにマンドリンは付け入る隙が無いと知る。
勇ましい目つきからして決意が固いのは分かり、どれだけ説得に時間を費やしても彼女は絶対に考えを変えることは無いだろう。
そうと分かれば、他者からの思いやりで感動しているカオスにマンドリンは再び喋りかけた。
「これだけ想ってくれている仲間のため、自分から命を差し出そうと思ったりしないのかい?」
「あいにく期待に応えるのが仲間というものらしいので、そう簡単に乗ったりはしませんよー」
「…驚いたな、君が仲間を語るのか。いつも単独行動で暴走していると聞いている」
「そのように見られてしまうのは否定しませんが、私なりに義理通しはしますよ?あと根本的な勘違いをしているようですけど、私の行動は常にアービス様への恩義に基づいていますから。当然、今もです」
「これだけ好き勝手に暴れておきながら、まだアービス国王を第一に想っての行動だと言い切れるのか。主の命令に従えなかったら、それは駒の反逆に変わりないだろう」
「あのですね、誰しも表に出している意志表示だけが真意とは限りませんから。特にアービス様は自分を平気で偽りますよー。そして私は真意を汲み取って、代わりに行動するわけです」
おそらくカオスは、アービスが真に思い描き願っている光景を叶えたいと伝えたいのだろう。
しかし本人が口にしてない限りはカオスの勝手な妄想であり、一方的に決めつけた願望でしかない。
少なくとも彼女が国王の真意を理解しているとは思い難い。
まして現状アービスが成そうとしていることに彼女が反しているのは覆らない事実で、多く出揃っている状況証拠からマンドリンは判断を下した。
「所詮は身勝手な意見だ。……だから僕は君を始末する。それ以上でもそれ以下でもない。そして僕は、そういう駒であるべきだ。任務を遂行するのみ」
余計な考えを排除した彼の語気は冷徹で、機械的に言い放つ。
やはり戦闘は避けられないかとシャウ達が思った直後、次の瞬間にはマンドリンの姿が忽然と消失してしまう。
それは今までの戦闘にあったような、移動が速くて見失ったというものでは無い。
突然現れ、突然消える。
まるで意味不明な現象に驚くものの、ひっそりとミズキが大きなため息をこぼした。
「…ふぅー………対象だけを飛ばすのは初めてでしたが、上手くいったようですね」
この発言から彼女が魔王の力を使ったのは明白であり、シャウが思いついたように応えた。
「え、もしかして瞬間転移させたの?」
「相手が現れた時から試みていたのですが、思っていたより狙いを定めるのに時間がかかりました。でも、何とかできて良かったです。……ちょっと相手に申し訳ないタイミングだったかもしれませんが」
「おっどろいた。いきなりは無理でも、そういう使い方ができるようになったんだ。ちなみに、どこへ飛ばしたの?」
「どこか遠くの平地だと思います。その、移動先を把握するほどの気は回せなかったので…」
そうであれば、前にミズキが言っていたように敵が地中に埋まっているなんて珍事も有り得るわけだ。
まさしく相手からしたら理不尽でしかない現象。
しかし、これまでの使い方やタナトスの強大な能力を思えば、むしろ至極当然の結果だろう。
同格か、または同様の能力を持っていなければ戦闘にすらならず勝敗を着けてしまう。
その絶対的にして強制的なルールが、ミズキにも適用されただけの話だ。
これにより眼前の脅威を追い払ったのは確実であり、カオスが目覚めた今、この場所に留める必要性が無くなった。
またカオスはマンドリンの存在を気にかけている様子は無く、彼女から行動を促してきた。
「とりあえず退けたわけですから行きましょうか!相手の口ぶりから察するに、私には発信機が付いているようなので!またいつ襲われるのか、分かりませんよー!」
「発信機って?」
「簡単に言うと、居場所を報せる道具ですねー。私の排除が極秘任務扱いなのか知りませんが、マンドリンさんだけが発信機を辿れているようです!それでも彼が真っ先に応援を呼ばなかったのは、悪手だったと思いますけど!」
「カラクリに疎いから分からないけどさ……、それなら発信機だかを見つけて外せばいいんじゃないの?体のどこかにあるわけ何でしょ?」
「そうしたいのは山々ですけど、アービス様からの支給品を気軽に捨てたく無いですからねー。それに体内に埋め込まれている可能性だってありますので、探すだけ時間の無駄でしか無いかも、です!」
あまりシャウ達が言えることでは無いが、やはりワガママな子だと改めて思わされる。
良く聞こえる風に言い直せば、拘りやら信念を意地でも通す。
それだけに、必ず任務を果たすという意地を持っていたカオスに対してタナトスがどう説得して改心させたのか、シャウ達には想像つかない。
何にしても移動すると決まれば、すぐ彼女達は隠密行動を再開させる。
だが、今度こそ安全に移動できるという事にはならなかった。
「居たぞ!あいつらだ!」
ようやく移動を始めた矢先、シャウ達に向けて男性の野太い怒号が飛んでくる。
声が聞こえた瞬間に彼女達は急ぎ都市の大通りへ出て逃走に専念するが、なぜ即座に発見されたのか謎だった。
「なんでバレたの!ここ一帯の警備が万全だから!?それとも騒ぎ過ぎた!?」
どんな理由があっても発見されるのは不思議では無いが、順番待ちしていたかのような災難続きだからシャウは大声をあげてまで戸惑いを露わにする。
すると、彼女の疑問にカオスがあっさりと答える。
「タイミングからして、今しがたマンドリンさんが通信で知らせたんでしょうねー。彼の暗殺任務に関係無く、私達って相当な暴動を起こしていますし」
「暴動の規模はカオスちゃんの行動力によるものだけどね!というか、それならあのエルフは無事なんだ!」
「マンドリンさんはエルフじゃなくハーフエルフですよー。もっと言うとクローンですから、えぇっと……」
「どっちでもいいよ!私からしたら一緒みたいなものだから!」
本当に余裕が無いのか不明なくらい、無駄に声を張り上げて会話を繰り返している。
その間にも追っ手は一気に増えて行き、やがて装甲車まで現れ、更に前方からも敵が出て来て瞬く間に先の道を封鎖されてしまう。
封鎖というのは、まだ恩情な方かもしれない。
なぜなら今のシャウ達は既に甚大な被害を与えたテロリスト同然であり、問答無用で銃殺されても不思議じゃないのだ。
更に都市内である事を考えに加えたら、ますます相手からすれば即刻沈黙させた方が利口な判断だと言い切れる。
「こんな事ばかりで大変ね。また最悪を記録更新してしまったかしら?」
「わはははー……本当、私達は災難に恵まれているよ。それで、うん……どうしようか?」
多くの修羅場を越えて来たシャウですら危機的状況に窮してしまい、場を濁す苦笑いをした。
もし無抵抗で捕まったとして、きっと打つ手が無くなって時間切れを待つだけ。
また逆に、全力で抵抗した所で銃殺されるのは避けられないだろう。
そして何より悩んでいる猶予すら無い。
もう軍人達が武器を構えて、油断せず着実に距離を縮めて来ているからだ。
やがて相手から怒声が飛んでくる。
「そこから動くな!動けば抵抗の意志があると見なし、処分させてもらう!」
明言されてしまった今、シャウ達は無抵抗の意志を示す他なくなってしまう。
だが、無鉄砲なカオスだけは違う。
余裕ある笑みを浮かべている彼女は前方一点のみを見つめたまま、小声で指示を出してきた。
「皆さん、私が合図するまで動かないで下さいね。巻き込みたくないので」
「へ?カオスちゃん、何かするつもりなの…?」
「何事も先手を打った者勝ちです。……燃え立つ赤き理、際限無き暴力の如く黒炎は万物を屠る網へ成り、悪鬼を籠の外へ幽閉す。黒炎の有限結界!」
敵達に完全包囲されている状況下でカオスは叫ぶ。
おそらく相手は少女が叫んだ事より、何らかの魔法的波動を察知したのだろう。
そのため猛威を振り撒かれる前に始末しようと、複数個所から発砲が行われた。
しかし、カオスの魔法発現は飛び交う銃弾より圧倒的に早い。
道路を溶かし尽くすほどの黒炎が瞬間的にシャウ達の周囲に出現し、身を守る壁となってくれたのだ。
その黒炎の壁は熱く、そして高層ビル高く、向かって来る銃弾を完全に溶かしてみせた。
これは完璧な防御手段に間違い無いが、同時にシャウ達まで溶かされそうで一歩も動くことができない。
それでもカオス本人はしっかりと先を考えた上で魔法をコントロールしているらしく、変わらず呑気な様子で喋った。
「包囲している状況で発砲だなんて、味方への誤射を気にして無いんですかねー。どうでも良い事ですけど」
そんなことを言いながら、彼女は握りこぶしを作っては手を開く。
すると手の動作に合わせて黒炎は一瞬で燃え広がった。
その燃え広がり方は尋常では無い。
まるで爆発の際に突き抜けて行く烈風のような広がり方で、数キロに及ぶ範囲が黒炎で埋め尽くされたのだ。
当然このような無差別的な燃え方はシャウ達も巻き込まれるのだが、どういう理屈なのか全く熱を感じない事に気づく。
「うわっ…ちょっと…!って、熱くない?え?なんで?確かに炎に包まれているのに」
夢の世界に等しい光景で、とても不思議な感覚だ。
あらゆる全てが燃え盛って見えるのに、熱量だけが無い。
それはシャウ達を捕まえようとしていた相手全員も同じらしく、痛みとかでは無く驚きの声しか聞こえてこない。
あとは視界が非常に悪いというだけであり、少しばかり呼吸しづらい程度の害しかないのだ。
この限定された効力をカオスは意図的に行っているらしく、魔法の発現を持続させながら自慢げに答えた。
「私の黒炎は他の炎魔法と違うみたいですからねー。普通は炎に乗って空を飛んだり、熱を無くしたりできないらしいです!」
「……ともかく、これで相手は私達を見失っている状態だね。とは言え、ここから逃げ隠れるにしても接触は避けられそうに無いけどさ」
「包囲されているには変わりないですからね!でも、またまた私にお任せ下さいな!」
そう勢いよく言った直後、カオスは一部の黒炎だけ特性を変化させて前方の集団のみを吹き飛ばしたようだ。
だから相手から悲鳴が聞こえて来て、すぐさま彼女達は敵が冷静さを取り戻す前に先へ突っ切る。
おかげで相手からの包囲どころか、追跡すら振り切ることに上手く成功する。
こうして結果だけを見たら、絶望的な状況だったにも関わらずカオス一人の力で完全に打開している。
これはとんでもない事実で、アカネは疾走しつつ強い感心を表に出した。
「もしかして炎が及んでいる範囲内は自由に操れるのかしら?だとしたら凄い能力だわ。それこそ魔王幹部と何も変わらないレベルよ」
「やっぱり私って凄いですよねー!元々が超絶大天才ですし、上達まで限界知らず!これぞ鬼神の黒炎者カオスちゃんの真価です!」
「魔法に精通しているわけでは無いけれど、貴女の才能は本物だと断言できるわ。少なくとも私達だけだったらミズキちゃんに頼るしかない状況だったもの。ただ……、走っている先も炎だらけって変な気分ね」
視界不良や息苦しさに慣れてくると、まるで自分達が炎そのものにでもなった奇妙な気分だ。
だが、黒炎に包まれている場所全てがカオスの領域下と化していると思えば、隠密している時より気楽で自然な心持ちで居られる。
どちらにしろ先を急ぐから呑気にしていられないが、走っている途中にミズキが別の異常に気付いた。
「カオスさん?今気づきましたが、次第に黒い模様が酷くなっていませんか?」
言われて見れば、カオスの体に表れている黒い紋様が禍々しく広がっている。
やがて少女自身の意志に反して漆黒のオーラまで纏い始めて、あまり喜ばしくない変化だと悟るのだった。
「ありゃりゃ、どうやら暴走しているみたいですねー。前にタナトス兄さんから悪魔化の使用を控えろと言われましたが、これは思わぬ反動って感じです」
「その割には余裕ある反応をしますね…」
「力が湧き出るほど気分が良くなっちゃいますからね。なんというか、凄く解放的で高揚感を覚えますよ。少しずつ精神が悪い方へ浸食されているのが、よーく分かります」
まるで他人事みたいに言っているが、どう聞いても処置が必要そうな様子だ。
けれど、彼女は自分の身を大切に思っていないのだろう。
特に能力を抑えようとせず、平気な表情で言葉を続けた。
「これで死んだら、それが私の運命だったのかもですね。結局は私の未熟さが招いた事になるわけですし」
「そんな悲しい事を気軽に言わないで下さい。もうカオスさんは大切な友人であり、かけがえのない仲間なのですから。それに本当に危険だった時は全力で助けます」
「……自分から言うのもなんですが、私って凄く気ままな性格ですし、真摯な想いで気遣っても気疲れを起こすだけですよー」
「でも、カオスさんは私達の事を気遣ってくれているじゃないですか。これだけ懸命に協力してくれて、自分の命を省みずに力を使ってくれているのが何よりの証拠です」
「あー…うーん?言われて見れば、なぜでしょうねー。なぜか自分より知人を優先しちゃうんですよね。もしかしたら自己犠牲精神が遺伝しているのかも?」
どこかカオスの話は取り留めが無く、自分の事なのに考えが読めないものとなっていた。
まるで自己形成が途中の子どもみたく、そして自分の振る舞いについて見つめ直した事が無い人のように。
一番成し遂げたい事以外の優先順位がデタラメで、自信満々な態度なのに異様な自己評価の低さが垣間見える。
これは単純な理由で、彼女は生まれた瞬間から他者によって役割を与えられ続けていたからだ。
何か自分で確立させたものなんて、たった一度も無い。
常に与えられた役割をやりきることで自分の価値を見い出していたから、こうして今も案内人という役割を全力で成そうとしている。
簡単な言葉に言い表すならば、人と遊ぶ経験が不足しているのだ。
遊ぶという交流経験が浅いせいで相手を満足させる方法が分からないから、彼女の優しさには思いやりが欠けていて、他者からしたら極端に偏った行動を起こしている。
そのため少女は自国の街で暴れることに躊躇いが無くて、誰よりも暴走しやすいわけだ。
さすがにミズキはここまで深読みしたわけでは無いが、彼女は自身の命を軽視することは止めて欲しくて、自分なりに言葉をかけてみた。
「私も投げ捨てかけることは多いですが、命を大切にしてください。大切にするだけで成し遂げられることは増えていきますから」
「なんとなく哲学的ですねー」
「そうでもありませんよ。……では、友達として一つ約束しませんか?事が落ち着いたら私と一緒に料理をしましょう。この大陸の郷土料理には興味ありますし、私から教える事もできますから。そして大切な人に食べさせる楽しみも生まれます」
「おぉ!それは一石二鳥というやつですね!そう聞くと、料理は素晴らしいですねー!やった事ありませんけども!」
「経験が無いなら、尚更新しい世界に感じられて楽しめるはずです。あと料理以外もしてみましょう。裁縫といった創作だけじゃなく、花火や劇場鑑賞に観光、それに女の子らしくオシャレも良いですね。この大陸では未経験な事ばかりですし、私の所との違いについて話す事もできます」
「そう聞いたら、やりたいことが多いですねー。しかも約束と来ました!これはもしかして、やりたい事が多すぎて終わらない約束になっちゃいそうな予感!」
「それは良いですね。果たし終えられる事だけを約束にしなさい、って決まり事はありませんから。でも、どんな約束事であれ生きてこそですよ。一生の友達なのですから、なるべく約束を破らないよう気を付けて下さいね」
ミズキは本心からの言葉だけで、カオスの意識を前向きに変えさせた。
当然、大げさに気取った言い方をした部分はあるが、別に偽ったわけでも無ければ、場を取り繕っただけの口約束でも無い。
本気で言ったつもりであり、この親心にも似た彼女の想いは幼い少女に伝わっていた。
「はい、カオスちゃんは頑張りますよー!頑張って生きて、たくさん楽しめるよう精一杯生きたいと思います!そして…うふふふ、色々思い出をつくってみたいですねー!」
カオスが決意を口に出した途端、明らかに悪魔化の浸食は引いていった。
これは想いが変えたとも言えるが、厳密にはカオスが能力をコントロールしようと強く意識したからだ。
生きようとしてなければ浸食を手放しにするのは当然で、逆に何とかしようと思えば試行錯誤して足掻くから、一時的ながらも浸食を防げる。
そうしてカオスは走っている間にも、自発的に能力のコントロールを少しずつ覚え始めた。
これはミズキが魔王の力を体得して間もない頃と同じで、感覚を掴むというもの。
蛇口で水の勢いを自由に操作するくらい簡単で初歩的な事だが、何するにしても思考停止で蛇口を全開にしていた今までに比べたら重要な成長の一歩。
それから彼女達は移動を続けた後、ついにウイルス研究所らしき施設の付近へ到着する。
しかしマンドリンに目的地を明かしたせいだろう。
そこには多くの兵が待ち構えていて、どうしても近寄ることはできず、遠目で確認することが精一杯となっていた。
だから手詰まりとなりかける一方、物陰に隠れる彼女達に忍び寄る二人の男性が居て、その男性らは静かに肩を叩いてきた。




