雨上がりの朝は熱く
鉱山の街レイアに輝かしい朝日が降り注ぐ。
夜空を覆い隠していた雨雲から一変して空は快晴となり、地面にできた水たまりが日光を反射している。
そんな眩しい陽の明かりがタナトスの顔を照らし、彼は深い眠気から目を覚ますことになった。
「ん……あぁ、朝か」
タナトスは目を開けて調子が乗らない口調で呟いては、すぐに体を起こして自分の状況を確認した。
空っぽになった酒瓶、食べかけの菓子、かけられていた毛布、そして自分がソファの上にいること。
それらの状況証拠でタナトスは自分がどうしたのか、だいたいは把握する。
「飲んでる途中で寝ちまったみたいだな。…まだ、ぼんやりとする。飲みすぎたか?」
頭を抱えて自分の髪を掻き、それから何度か寝ぼけ眼をこする。
ようやくいくらか意識が鮮明になったところでタナトスは顔を洗いたいと思い、適当にリビングを徘徊して近くの扉の開け閉めを始めた。
すると彼は一階のほとんどを回ったところで、浴室への扉を引き当てる。
どういうことか浴室にはシャウの服が干されており、まだ湿った状態で放置されていた。
「なんだあいつ、何故こんな所で下着まで干してるんだ?かび臭くなるぞ」
雨が降っていたことすら知らないタナトスは、相変わらずシャウは愉快な思考回路をしていると思ってしまう。
そして洗濯物を気にせずに、浴室に置かれていた桶に溜まっていた水で顔を簡単に洗った。
冷水によって酔いと眠気は完全に覚めて、次のことを考え始める。
「ふぅ…、少しは気分が良くなったな。さてと、ミズキ達はまだ寝ているのか?」
朝とは言え、何か行動を起こさなくてはいけないという意識があったタナトスはミズキ達のことを気にかける。
昨日は昨日で大変だったと思うが、どれほど疲れようと今は時間が惜しい時だ。
ポメラと話をしてくると言っていたシャウのこともあるし、何かあればシャウから報告を聞いておかないといけない。
それに朝食も済ませたいと考え、タナトスは眠っている女性達を起こす事に気が引けながらも、ミズキ達の様子を見に行くことにした。
しかしリビングから玄関の方へ移動したとき、タナトスは起こすことに気が引けるという遠慮は一切なくなるのだった。
「…なんだこれは。お酒や果実ではないな。もしかして血か?」
引きずったような有りさまで、伸びた血痕が玄関にはあった。
血痕は階段から垂れていて真っ直ぐ玄関の方へ出て行っており、二階か三階で異常があったのが嫌でもひと目で分かる。
若干、早朝で気が抜けていたタナトスだったが、異常を察した途端に鋭い目つきへと変わっていた。
早足で一度リビングに戻ってフォークを手に取り、フォークを武器として二階へと上がる。
更に耳を済ませて音を探り、鼻を働かせて臭いを嗅ぎとる。
だが家内は無音で、臭いは血特有の鉄臭い物と薬品独特の鼻を衝く臭いしか感じ取れない。
酷い虚無感に包まれた空間で、まるで荒らされた跡の廃墟にいるような感覚に陥ってしまいそうだ。
「血は三階へと続いているのか。…さすがに嫌な胸騒ぎがするな」
この状況に表情を少し歪めて、タナトスは焦る気持ちを募らせた。
一体自分が眠ってしまっている間に何があったのか、まるで分からない。
もしかしてサタナキアが襲ってきたのかと思いはするも、それはありえないとすぐに思い返す。
サタナキアが来たなら自分を見逃すわけがないはずだ、とタナトスは妙な確信を持っていた。
しかしサタナキアでは無いのだとすると、もうタナトスには思い当たる節がなかった。
とにかく状況を確認しないといけない。
「ダメだ、嫌な予感しかしない。血が気になるが、先に急いで二階を調べるか」
タナトスはまだ敵が潜んでいる可能性を考慮しながらも、手早くシャウの自宅の二階を調べまわった。
すると一室だけ開かない扉を見つけることができた。
その扉は階段からあがって右手側の通路突き当たり、つまりはメメと父親が居た部屋だ。
まさかと思い、タナトスは慌てた手つきでドアノブを何度も捻り、扉を激しくノックした。
「おい、起きているか!?起きているなら返事をしろ!」
すぐに反応は返ってこない。
一刻を争うと思ったタナトスは舌打ちし、仕方なく扉を破壊することにした。
一度瞬きをしてから目を赤くさせ、拳を小さな動作で扉に叩きつけた。
すると木が割れるような音が鳴っては、扉に大きな亀裂が生まれる。
そこからタナトスは軽く蹴り飛ばし、扉を四散させる形で叩き割って部屋を開放した。
そしてタナトスは急ぎ足で部屋に入り、薄暗い室内の状況を確認する。
ベッドには馬小屋の主人と、そのベッドに顔を埋めている主人の娘であるメメという少女がいた。
どちらも起きている様子はない。
更に他の人の姿はなく、まるで二人を閉じ込めるためのだけの部屋だったと思わせる。
「大丈夫か、メメ?おい、起きろ!」
タナトスは床に座り込んではベッドに寄りかかっているメメの肩を少し乱暴に揺すって、声を荒らげながら呼びかける。
メメに触れたときはまだ温かく、眠っているだけで生気をはっきりと感じられた。
だから決して死んではいないが、この状態で眠りに陥ってしまっているのは異常だった。
「うぅん…?ふぅ…っん…?」
数秒間、体を揺すって何度か呼びかけたところでメメは目を覚ます。
ぼんやりとした意識で、表情から子供らしく寝ぼけた状態なのが分かる。
しかしタナトスにはそんなことは関係なく、強い口調で質問を投げかけた。
「起きたか。一体何があった?」
「え…?あぁ…私、寝ちゃってたんだ。おはよう…、タナトスのお兄ちゃん」
メメのちぐはぐな返答。
質問に対しておはようという朝の挨拶で、タナトスはメメが何も知らずに眠りに落ちたのだと察した。
そこでメメは周りを見渡して言葉を続ける。
「あれ?ミズキお姉ちゃんは?あと、扉……」
「扉は立て付けが悪くて壊した。…それで、ミズキが近くにいたのか?」
「うん、何だかいつもの格好じゃなかったけど、ミズキお姉ちゃんが部屋に入って来て……それで…。……うぅん?なんだろ、その後の記憶が曖昧…」
「分かった。俺はミズキを探す。メメ、お前は少しこの部屋で待っていてくれ。いいか、この部屋から動くなよ」
言いつけるような発言に違和感を覚え、メメはタナトスの顔をまじまじと見始めた。
このときメメの意識は眠りから鮮明とし始めて、今ようやくタナトスの目が赤いことに気が付く。
どこか光っているように見えて、まるで宝石のような輝きと鮮やかさな色を宿した目。
目を合わせたメメが、その赤い目に思わず魅入ってしまいそうになるほどだった。
「何かあったの?それに何だかタナトスのお兄ちゃん、目が真っ赤だよ。大丈夫?」
「俺は大丈夫だ。ただ、今何が起きているのか、何があったのか俺もよく分かっていない。だから大人しく待っていてくれ。何がどうなっているのか、確認するまでな」
「うん、よく分からないけど、私待ってる…」
「いい子だ。お父さんを頼んだぞ」
穏やかな表情でタナトスはメメの小さな頭を優しく撫でてあげる。
メメの柔らかい髪質の髪は軽く乱れ、くすぐったそうに首をすくめた。
撫で終えるとタナトスは普段の仏頂面である顔つきに変わって立ち上がり、フォークを握り直して部屋から出る。
メメを室内に残して、タナトスは次に三階へと足を運ぶ。
足元の血痕を辿り、階段を駆け上がった。
「臭いが…強いな」
三階に上がると、血生臭さより薬品らしき臭いが強くなっていた。
明らかにシャウの家の臭いとは別物だ。
何をされた跡か分からないが、臭いだけで充分に警戒させる意識を無理にでも働かされる。
タナトスは今度は一室ずつを調べる真似はせずに、血痕だけを辿って行く。
すると、ある一室へと続く扉を見つけることになった。
血痕は扉の下を通っていて、明らかにこの部屋で異常事態があったのが分かった。
すぐにタナトスは用心しながらドアノブを捻る。
ガチャリ、と抵抗感なくドアノブが回った。
鍵はかかっていない。
「………っ」
つい息を呑む。
だが、ここで躊躇っていられないと、タナトスは覗ける程度の数センチという僅かの隙間だけ扉を開けた。
そして、かすかに視界に広がる室内の様子にタナトスは驚くことになる。
「これは……」
室内には武器が散乱としていて、血が撒き散らされていた。
血痕があったから、血が飛び散っているのは予想がついていた。
それでもタナトスは目の当たりにした光景には驚くし、ひと悶着あったのがよく理解できた。
ただ誰の姿もなく、待ち伏せや血を撒き散らした本人の姿は見受けられなかった。
手がかりを得るために、急いで室内の状態を調べようと次にタナトスは扉を大きく押し開ける。
その時だった。
扉を押し開けると同時に、タナトスの真上から何か小さな球体が降ってくる。
「うっ!?」
タナトスは微妙な変化に気づき、真上から落下してくる手のひらサイズも無い球体に反応して声を漏らす。
素早く後ろに下がり、球体との接触は避けられた。
しかし安心することはできず、球体が床に落下すると炸裂音を鳴らして濃い白煙を一気に発生させた。
白煙は視界を一瞬で遮り、更には炎を生み出して床や壁を燃やし始めていた。
火が揺らめき、弱い火力だが広がりが早くて簡単に消せるように思えない。
薬品の臭いの正体は、火力を上げるための薬品で室内に薬品が撒かれていたに違いない。
「今の球、そして白煙に炎。これはリール城の王室で見た物と同じか!」
タナトスは球体の効果に見覚えがあり、つい口に出して驚き気味に声をあげた。
おそらく球体は内側のドアノブに紐でも括りつけてあって、扉を押し開くと紐が引っ張られて球体が落下する仕組みだったのだろう。
だが仕掛けはそれだけではなく、炎は血痕を辿って燃え広がり始めていた。
「何!」
床に垂れていた血痕に油か同じ類の薬品でも混じっていたのか、炎は血痕に合わせて燃え広がって火力を更に上げていく。
すぐに家内は燃え上がり、あっという間に熱さと煙が充満してしまう。
これはまずいと、タナトスは急いでメメの所へと行こうとする。
そのとき、更に罠が発動した。
球体が落下した室内から、ぶちっ、という異様な音を火炎の音と聞き分けてタナトスは耳にした。
すぐに室内の方へと振り返ると、扉を抜けて二本の短刀が射られた矢のように発射されて飛んできた。
「次から次へと!」
火で糸が焼き切れると発射される仕組みでもあったのか、今度はそんなことを考える時間の猶予はない。
タナトスはフォークで二本の短刀を素早く弾き、宙に舞う短刀を一本だけ掴み取って見てみた。
柄が青く、独特な模様が描かれた短刀だ。
その短刀を懐にしまい、タナトスはメメを助けに動き出そうとするも足を止めた。
「まずい、まだ家の中を調べきっていない!ミズキやシャウは…!くそっ、どうする!?」
もしかしたらメメと同様に、ミズキとシャウは家のどこかで深い眠りに落ちてしまっているのかもしれない。
家のどこかに隠されてでもしていたら、焼け死ぬことになる。
ここで死なすわけにはいかない。
だが火は充分に広がっていて、悠長に探す時間はなく早い脱出が必要だった。
「駄目だ、迷っている時間が惜しい。まずはメメを脱出させる!」
まず第一にするべきことを決めて、タナトスは動き出した。
階段を飛び降りて二階へと着地し、右手通路の突き当たりの部屋へと駆ける。
勢いよく室内へと駆け込むと、炎の臭いと音で火事だと分かって涙目になっているメメがいた。
「タナトスお兄ちゃん!」
「メメ、家から出るぞ」
「でもお父さんが…!」
「大丈夫だ、もちろん君の父親も助ける」
タナトスは部屋の窓を開け放ってからメメの父親を背負い、一瞬の迷いもなく二階の窓から飛び降りた。
そして雨で湿った地面にメメの父親を寝かすと、すぐに二階の同じ窓へと驚異的な身体能力を活かして駆け上がる。
リール城を外壁から駆け上がったことがあるタナトスからすれば、何てことない事だった。
「次はお前の番だ。ほら」
「う、うん!」
メメはタナトスに言われるがまま背負われ、目を固く閉じて落下に備える。
タナトスが再び窓から飛び降りると、落下の浮遊感にメメは小さな悲鳴をあげた。
「きゃっ!」
「よし、メメは近くの人を呼んで父親と家から離れていろ。俺は少し家の中に忘れ物があるはずだから探してくる」
「え?え!?危ないよ…!」
「大丈夫だ。今更こんな火、俺にとっては脅威でも何でもない。それより早く助けを呼んで来い」
タナトスは強気な発言をして、再び燃え上がる家の中へと足を踏み込むのだった。
だが、短い時間でいくら探してもシャウとミズキの姿は見当たらず、まして手掛かりもなく、行方不明になった事だけをタナトスは理解する。
そして手掛かりが無いために、タナトス一人では行方不明の足取りを掴むことは不可能となってしまう。




